移住者インタビュー

Vol.25 / 2016.11.30

500人の丹波人に出会った、流浪人系Uターン

西脇和樹(31)さん

生まれ育った町に大人になって帰って来ること。大学入学と同時に都会に出て、きっともう田舎に帰ることはないだろうなと思って過ごしている。そんな人は多いかもしれません。西脇和樹さんもその中の一人でしたが、2016年31歳になってUターンとして丹波市に戻ってきました。どんな想いや考えで、Uターンという選択をしたのかを聞いてきました。

 

 

【取材班】こんにちは!今日はよろしくお願い致します!色々とお話聞かせてください。

【西脇さん】こんにちはー!よろしくお願いします。

 

【取材班】噂の・・!!東京で丹波人500人に出会うっていう謎の企画をやりきった西脇さん・・!!

 

【西脇さん】謎のって(笑)うん、まあ確かに謎か・・笑

それまで全くなかった、丹波に帰って暮らすという選択肢

 

【取材班】ちょっと色々と、丹波で育った時のことから聞かせて頂いていいでしょうか?元々丹波に対するイメージってどうだったんでしょう?

【西脇さん】高校時代までは丹波で過ごしたんだけど大学に進学して、丹波を出て行く時は将来丹波で暮らすイメージはあまり持っていなかったね。。高校生の時に勉強する意味を問うたら、「高校生は勉強するもんだ」って先生に言われて。その他にもいろんなことがあって、なんて閉塞感のある町なんだと思ってた(笑)「早く都会に出てみたい」って思ってたのを覚えてるなあ・・

 

 

【取材班】そういう思春期の周りの大人の言葉って、いつまでも印象に残ることありますよね・・。それで大学を卒業しても働くのは都市部で、という感じだったんですか?

【西脇さん】そうそう、そもそも丹波で暮らすっていう選択肢自体当時は全く頭にもなくて。地元の友達とは仲良くしてるけど、丹波は盆と正月に帰ってくる場所みたいな。で、ずっと都市部で働いてた。ただ心のどこかでは丹波が気になっててFacebookとかで丹波のUIターン者が盛り上がってるのは見てたんだ。そんで去年、東京で働き始めた時に、丹波Uターンナイトっていう丹波にUターンした人たちが集まる会が企画されていて、それに行ったんですよね。

 

【取材班】お、なるほど。それでUターンもいいなって思ったんですか?

【西脇さん】いや実は、初めてUターンナイトに参加した時はちょっと嫌だったんだよね(笑)なんか常連っぽい身内感のある人だけで集まっている印象で。逆に向こうからも「プライド高い頭でっかちな奴だな」って思われてたらしいけど(笑)でも、その後中学校時代の同級生に会って。その同級生はすごく保守的というか新しいことにチャレンジする印象ではなかったんだけど、どんどん新しい事をしていってる彼を見て、その変化にすごく驚いたと同時にUターンという選択肢もポジティブに感じられるようになったんだよね。

 

 

【取材班】あの超笑顔でたこ焼き焼いてるお兄さんですね・・!笑

【西脇さん】そうそう(笑)他にもIターンやUターンの人に会っていって、その頃に出会った人たちが本当に楽しそうで、丹波市に帰るっていう選択肢がポジティブな印象に変わっていって。やっぱり丹波は自分にとっての「ふるさと」だったんだって思うようになったかな。

 

Uターンする事を決めてすぐに訪れた、考え方の転機

 

 

【取材班】なるほど、そしてUターンする事を決めてからの、500人企画ですね、Facebookでものすごい盛り上がってるの、見てました。外から見てるとほんと楽しそうという印象と何だかものすごい勢いがあるように見えましね〜〜。そもそも、何でそんな事をやろうと思ったんですか?

【西脇さん】そうだなあ、簡潔に言うと「暇だったから」かな。充電中という名の無職だったから、丹波市の移住定住を促進している人と出会ってこの企画を持ちかけられた時に、ちょっとおもろそうやなって。それだけかなあ。

 

 

【取材班】そんな理由で・・笑

【西脇さん】でも、企画の2日前くらいまでは500人なんてただの目標だと思ってたから(笑)普通に計算しても1日50人くらいに会わないといけない、初日はなかなか人数伸びなくて、お昼過ぎても5人にも満たなかったし・・

 

【取材班】いやでも、ちょっと達成しなくても別にいいんじゃないかって思ってしまいますよね・・笑

【西脇さん】そう、最初はそんな感じだったんだけど、「丹波市のチャレンジやけど、お前のチャレンジやからな」「周りの助けだけでいけると思うなよ」って結構バシッと言われて、そこでスイッチが入って。そこから本気になって、達成まで持って行けたかな。。

 

 

【西脇さん】その中で、本当にご縁の不思議さを感じたんだよね。企画で出会ったマリ人のケイタっていう男の子がセネガルの「タンバクンダ」って町に昔住んでたり(笑)それから、東京の中でも本気で何かに取り組んでる人は、不思議なほど丹波の人とも繋がってたりして。こういう面白い活動をしてる人って、それぞれが繋がってるんだなって。なんかそう思ったな。

 

 

【取材班】それは本当にやりきった人にしかわからないですよね。でもやりきった達成感はものすごそうでしたね!

【西脇さん】そう、今まで自分が生きてきた中で初めて必死になって、全力で取り組めた気がして。それまでは何でもチャレンジしようっていうよりは頭で考えてる事が多くて。今回100%コミットしてやってると、本当不思議なほどみんな助けてくれて、応援してくれて。

 

【西脇さん】自分で何か本気でやってる人が応援してくれたという印象でした。そういう人たちが手伝ってくれたのも、自分が本当に本気になって必死に頑張ってたからなのかなと。

 

 

 

「自分でないといけない」という感覚を持てた場所

 

 

 

【取材班】丹波って、暑苦しい人も結構いますもんね(笑)

【西脇さん】確かに(笑)これからは、そんな人たちや500人企画でお世話になった人達に「西脇に頼みたい」「西脇に任せたい」って思ってもらえるような、自分自身に対する付加価値をつけていきたいなって思う。本気で、必死で頑張ってる人たちのコミュニティに入っていきたいなと思うな。

 

【取材班】意外と本気になれる場所は地元にあったんですねえ。。

【西脇さん】そうだね、なんか都会にいる時と比べて「自分でないといけない」と思える仕事の話やプロジェクトに参加出来ることが増えたと思う。東京は便利だし飲みに行く場所もたくさんあって楽しいけど、「自分が絶対にいないといけない」という理由が見出せなかった気がするなあ。

 

 

地元に戻って暮らすことに対する抵抗は、もしかしたら地方出身の多くの人が持っているものかもしれません。都市部に出て一生懸命働いて、都市部の暮らしを満喫する。同時に、「田舎には仕事がない」「楽しいことがない」といったネガティブなイメージを持ったままでいる事になるかもしれません。西脇さんがおっしゃった、都市部では感じられなかった「自分がいるべき」という感覚は、人口が一極集中した都市部での暮らしに足りていない一つのやりがいで、人口が減少していっている地方にとっては溢れているやりがいなのかもしれません。

 

TURN WORDS

「何ものかになりたかった」

東京や大阪なら、絶対にいなければいけない理由はなかった気がする

けれど、丹波には「自分が」いるべきではないかと感じる