地域との繋がりと古民家暮らしを求めてー地域おこし協力隊・慎 淑恵

  ※この記事は、丹波の暮らしを外の目線で見てもらおう!という企画の一貫で、都心に住むフリーライター「Fujico」さんにインタビューして頂いた記事です。都心の暮らしと田舎の暮らし。違いはあってもその地域に長く住んでいると忘れてしまう最初の感動やおどろきがあったりします。実際に今現在都心に住んでいるFujicoさんからみた丹波人の魅力を、計6名インタビューしてもらいました! ———————————————————-             今の場所から住まいを変え、より良い暮らしをしたい。そんな夢を叶えるために、丹波市に住まう6人の移住者に会いに、筆者は東京からはるばる丹波にやってきた。今回インタビューする移住者は、古民家を求め移住を決め、今は丹波市住まいづくり課で地域おこし協力隊として働く慎 淑恵さんだ。   古民家が大好き!そう、キラキラした笑顔で話してくれた慎さん。丹波市への移住も、兵庫県には数多くの古民家があるのが理由の一つだそうだ。古民家をリノベーションというと最近の流行りのように聞こえるが、慎さんの古民家への愛はそんなものでは語りつくせない。     もともと昔から古民家が好きな慎さんは、大阪市内にいた時も建築設計を行なっていた。その後、より木工について勉強したいという意欲が湧き、飛騨高山で木工の学校に入学。そして木の椅子を製造する会社に就職したきっかけで、徳島に移住し9年間そこで過ごした。大好きなことを仕事にし、それを追求していく慎さんだが、生まれ育った大阪の近くで定住したいという思いが生まれ始め、「自分にとっての幸せな暮らし」を追求した結果、丹波への移住が決まった。     地域をより知りたいという思いで、地域おこし協力隊の道を選びました。         木の椅子を製造する会社に勤め、徳島で9年間を過ごした慎さん。その時は仕事をするために移住したため、特に地域との関わりはなく、人間関係も主に仕事関連だった。しかし今回の目的は定住。より地域のことを知りたい、地域の人と関わりたいと思い、地域おこし協力隊に応募した。     自分の得意を活かし、地域に還元できる仕事です。     得意の住まいの知識を活かせる丹波市役所住まいづくり課に、地域おこし協力隊として所属。ここでは空き家バンクの運営を行なっている。空き家バンクでは、空き家の所有者と丹波に住みたいという人々を繋げるお手伝いをしている。移住と一言で言っても、家を購入するのか賃貸なのか、リノベーションできるかなど状況は千差万別。さまざまな条件を持つ家と移住希望者の希望を合致させるのが、慎さんの仕事でもある。           何より古民家が好きで移住して来た慎さんは、今地域に関わりを持ち、かつ古民家に関する仕事ができ、とても充実した生活を送っているという。       慎さんが日々更新している空き家バンクの情報。 丹波市の住まいの情報を知りたい方は 住まいるバンク へ ※写真の物件は記事制作時のもので、物件の売買が成約している場合は住まいるバンクに掲載されておりませんのでご注意ください。     移住する時は大変でした。地域おこし協力隊として就職することが決まってから、1ヶ月後には丹波に移住しなければならないという状態。古民家に住みたかったのですが家を探す時間がなく、住まいづくり課の人々に協力してもらい、仮住まいを見つけました。なんと今はあるおばあちゃんの家の離れを間借りしていて、キッチンやお風呂は共同。けど、とても居心地がよく、当分は住まわせてもらおうと思っています。       古民家を改修しリノベーションをして住むのが夢で丹波に移住することが第一の目的だったが、思いもよらない方向に行った最初の移住生活。しかしそれは意外にも心地の良いものだったという。丹波市の中でも人口が少ないところだが、人との繋がりが強く、しかし移住者を快く受け入れてくれる。そんな人々の気さくさが、慎さんの故郷を思い出させてくれるそうだ。       近所の人と飲んだり、一緒に草刈りや掃除をしたり。都会などではなかなかできない経験が、ここでは自然と入ってくる。それが楽しくとても心地よいのだという。     古民家を買う夢はゆっくり叶えようと思います。今は丹波での生活をより知るための期間。地域おこし協力隊をしながら、自分も良い古民家に出会えれば嬉しいですね。       地域おこし協力隊としての任務を終えた後は、夢の古民家を買いリノベーションをして、そこに工房を作りたいそうだ。工房で家具の修復を行なっていくのが今後の夢だという。丹波にある古民家には多くの家具もそのまま残されていて、行き場がないような状態。その家具を修復し、新しく生まれ変わらせ、次の持ち主を探す。捨てるという手段ではなく、循環させて行きたいそうだ。古いものを大切に、長く使っていこうという慎さんの優しさを垣間見ることができた。     今後、丹波市に移住をしたいという人に何か伝えたいことがあるかと聞いてみた。   そうですね。とにかく丹波は人が優しい。他の土地から来てもすぐに仲良くしてくれて、まるでずっとここにいたかのような安心感があります。子どもがいる人も、自分たちだけではなく地域の人みんなが見てくれるので、みんなで育てて行けると思います。いろんな良いところはありますが、ぜひ一度見に来て体験し、感じてみてほしいですね。       人の温かさを感じさせてくれる丹波暮らし。自分自身の理想の生活を追求し丹波まで移住し、それを着々と叶えつつ、居心地の良い暮らしをする。とても理想的だがそれを現実に変えられるのはきっと、丹波の昔ながらの温かな風習と、慎さんの地域に溶け込もうとする姿勢が、とても良い化学反応を起こしているのだと筆者は感じた。     ——————————————————————— 〜TURN WAVE編集部より〜   丹波市に移住を希望される方のなかでも、古民家で暮らしたいという声はよく聞きます。長く田舎暮らしをしている人たちにとっては「寒いのに・・」「虫がたくさん入ってくる・・」などあまり価値を感じられていない事も多いのですが、日本らしさが残る古民家には、都市部で生まれ育った人たちが見てもどこか「なつかしい」と感じさせてくれる魅力があります。昔ながらの農業の営みと、地域のコミュニティが守ってきた古民家たち。慎さんのような、その両方を大事に思ってくれる人の手で、また100年先にも「日本らしい」家々と景観が守られていくのだろうなと、このインタビュー読んでまた感じさせられました。...

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地球規模の課題解決の鍵は丹波にありー地域おこし協力隊・中川ミミ

        ※この記事は、丹波の暮らしを外の目線で見てもらおう!という企画の一貫で、都心に住むフリーライター「Fujico」さんにインタビューして頂いた記事です。都心の暮らしと田舎の暮らし。違いはあってもその地域に長く住んでいると忘れてしまう最初の感動やおどろきがあったりします。実際に今現在都心に住んでいるFujicoさんからみた丹波人の魅力を、計6名インタビューしてもらいました! ----------------------------------------------------------         美しい山々、どこまでも続く田んぼや100年〜200年以上その土地で丹波の移り変わりをみていた家屋。大阪や京都の中心地からわずか1時間30分で着く丹波市には、のどかで魅力的な風景が続き、多くの人々が自分らしく生きている。   筆者ことライターのFujicoは、東京から6名の移住者を取材しにこの地にやってきた。数年前、大阪の梅田で全く別の職についていた時に、東京の友人が「面白い人が店を丹波で始めた、行ってみないか。」と誘ってくれたのが、丹波に行く最初のきっかけだった。その後、何度も丹波には訪れていたが、友人以外で丹波市に住む人と話すのは特になかった。そんな中、今回その丹波に住む友人が、取材しに来ないかと声をかけてくれ今に至る。丹波への再訪問は、私自身とても心を踊らせていた。なぜなら、   「丹波にはなぜか、面白い人が集まる」   そう、友人に聞いていたからだ。   「面白い人なんて、東京は腐る程いるのではないか」   そう思われるかもしれない。確かに東京には、さまざまな土地からさまざまな人が集まっているので、「面白い人」はいる。しかし、人が多すぎてなかなか簡単には出会えなかったりもするのだ。何かのイベントに積極的に参加したり、「面白い人」がいそうな場に出没したりなど、事前準備と時間が意外と必要になる。それを乗り越えれば、さまざまな人に出会えるのが東京だと、私は思う。   しかし丹波は違う。例えそのような場を探さずとも「面白い人」に出会える確率が高いのだ。なぜか。それは、人と人が繋がっていて、人が人を繋げてくれているからだ。   今回もそんなご縁で繋げていただいた6人の移住者たち。丹波に来た目的も理想の過ごし方も、それぞれがまるで違う。       ここでは、私がこの取材で始めてインタビューさせてもらった、地域おこし協力隊の中川ミミさんの移住物語を話したいと思う。   国際協力の現場で働いてきたけど、根本的なことを解決しないと、問題は一生問題のままだと気づいた。だから、私は丹波に戻って来た。     貧しい人々に手を差し伸べたい、世界を舞台に働きたいと野望を抱きながら、15歳まで丹波で過ごした中川ミミさん。大学時代をアメリカ・サンフランシスコで過ごし、アメリカ人男性と結婚。東京に移住し、夢であった国際協力の舞台で活躍をする。住居を失った・または必要な人々をサポートするNGO団体に10年ほど勤めていたが、貧困問題の原因を究明し、その原因を解決しないと、この問題はいつまでもなくならないのではと気づき退職。自分の暮らしから見直すことが社会改革に繋がるのではと思い、地域おこし協力隊としてUターン移住をした。     丹波に来る前は、「外」ばかり見ていた     15歳まで丹波で育ち、2015年に丹波に戻ってきた中川さん。Uターン転職をする理由で30%以上を占めるのは「自分に合った生活スタイルや趣味を生かした生活がしたいから」*だそうだが、中川さんのUターンをした理由は壮大だった。   中川さんはもともと幼い頃から、生まれ故郷エチオピアと日本を行き来し、目の当たりにした貧富の差について違和感を持っていた。そのため自然に海外に興味を持ち、大学もカリフォルニアで進学。より外へ外へと向かっていた。大学卒業後、災害や紛争で住まいを失った人々をサポートしているNGO団体に就職。夢だった国際協力の世界に飛び込んだ。さまざまな国を訪れ、何万世帯という住居を作りながら地域開発に携わる中で「根本的に解決しないと、これからもずっと住居を作り続けなければならないのではないか」ということに気づく。「問題の起こっている現場だけではなく、それを作る要因となった根本を、見直さなければならないのでは」と。それに気づき始めた頃から、丹波に戻ることを思い始めたそうだ。     地方で、国際問題が起こる原因を追求     貧困問題の解決策は地方にあるのでは、と考え丹波に帰って来たという中川さん。どうして貧困問題の解決策が地方にあるのか、突き詰めてみた。   様々な問題が複雑に絡み合い貧困問題が生まれ、世界は(かつての私がそうだったのと同じように)目の前の問題の対応に追われている状態といっても過言ではありません。グローバル経済で繋がった私たちのような先進国の人々の暮らしと、その真逆の生活をする人々の暮らし。双方の繋がりの中で歪みが生まれ、貧富の差に発展する。この歪みを生みにくい、自然に近い暮らしを実践できるのが地方ではないかと思ったんです。       丹波市の主な産業の一つに、農業(米、野菜、大納言小豆、山の芋、丹波栗など)*2が入っている。産業としてやっているわけではなくても、土・水・天気という条件が良く、野菜や米を趣味で作っている人が丹波には多い。生活の出費を抑えつつも、生活を豊かにしている先人たちが多くいて、それゆえに、なるべく自分たちでできることは自分たちでする、というスタイルが取りやすい要素が、自然と丹波には備わっているという。     都会と丹波の暮らしの違い       Uターンとして移住してきたが、中川さんが丹波にいたのは15歳まで。10代後半から10年以上、サンフランシスコや東京など都会で過ごした中川さんにとって、都市と丹波の暮らしの違いで感じるところはどこかと尋ねてみた。   都市ではイベントなどが多く行われ、美術館があったり、手軽に面白いものが手に入ったり観れたりする。そういう楽しみ方ができるのが都会ならではだと思います。地方ではそういう手軽さはないけど、自分らしく人生を色付ける余白が残されている。自分の信念を曲げずにどう生きるか。最低限やるべきことをやり、あとは自分らしく人生を創造できる。そこが地方の面白いところだと思います。   また、移住した後から思ったんですが、地方での暮らしはライフスタイルと仕事が混ざり合っていて、それがとても心地がいい。人が繋がり地域が繋がり、それが仕事になっていく。そしてそれをサポート・応援してくれる人々がいる。自分が思い描いた生活を、妥協せず言い訳せず、夢中になりながら暮らすことができています。また、地方の中でも特に丹波は自分にとって子育てがしやすく、子どもに体験させてあげたい暮らしがここにはあったので、改めて移住を決めてよかったと、私は思っています。       もちろんどの土地も昔からのルールや暮らし方はあり、好き勝手できるわけではない。地域の集まりなどもあり、もはや地方の方がスローライフでないのでは、と思うことも。しかしその中でも周りに振り回され過ぎず、自分の信念を貫ける。そしてそれを許してくれ、サポートしてくれる周りの人々がいる。そこが丹波の魅力だと中川さんは言う。     地域おこし協力隊としての仕事       中川さんのUターンするきっかけの一つに、地域おこし協力隊の求人が出たことがあった。今、中川さんは地域おこし協力隊として、丹波市役所の住まいづくり課と協働で、空き家を活用した移住促進に携わっている。空き家と移住希望者のマッチングをすることはもちろんのこと、移住者に来てもらうだけではなく、空き家を利用したまちづくりも行なっていく。どのように丹波市を盛り上げていくか、それが今の中川さんのミッションだ。地域おこし協力隊としては3年の任期で、中川さんの残す任期はあと1年。しかし彼女にとってこの協力隊は、丹波暮らしの始まりに過ぎない。自分がここでイキイキと暮らすことが、周りに良い影響になっていけばと、満面の笑みで話してくれた。     「移住」を検討している人に向けて     中川さんに移住を検討している人に向けてアドバイスをお願いしたところ、以下のように話してくれた。   一生ここにいなければならない、と気負いせず、とりあえず気になる場所に訪れてみて、少し住んでみる。って言うのもありだと思います。大事なのは一歩踏み入れてみること。そこからわかることもあると思います。 丹波は夢を応援してくれる人が多い。新しいライフスタイルを作り上げたいということに対し、サポートしてくれる人が多くいます。私たち地域おこし協力隊も、そんな人たちの応援・サポートをどんどん行なっていきたいと思います。       筆者も以前北米で働いていた経験を持つが、さまざまな問題が地方にあるということには、目から鱗だった。何か大きな変革をもたらすには、大きな場所にいるのが一般的な考えかと思うが、中川さんは違う。「自分」というモデルが、どんどん良い波紋を生み、良い影響をもたらせればと考えている。「変えるならまず自分から。」基本的なことであるが、誰もが見落としている部分を中川さんは見落とさず、ぶれず、信念を持って前に進んでいる。そうすることで、「幸せサイクル」が作られ、きっと数年後、数十年後には、地域もしくは世界に、この幸せサイクルが届いているのかもしれない。   *マイナビ転職「Uターンに関する実態調査」2015年11月調べ https://tenshoku.mynavi.jp/ui_turn/rank/01/   *2 公益財団法人 兵庫県市町村振興協会調べ http://www.sichouyouran.jp/?a=outline.detail&code=282235     --------------------------------------------------------------------- 〜TURN WAVE編集部より〜 「地球規模の課題解決の鍵は丹波にあり」。この言葉を見たときに「おっ」と地方にいる身としてを続きを読みたいなと感じさせられました。中川さんにとっては丹波への移住は「攻め」の移住。国際問題の解決への鍵は日本の地方にある。そう思って様々な地方を見比べたとき、自分に縁があり、また様々なプレイヤーが活躍する丹波という地域がとても魅力的に映ったそう。「丹波が自分にとって一番条件がそろっている」そう話してくれた中川さんは、まだ実践中ではあるが、日本の地方から国際問題の解決を見据えた動きに関しては確信を持って取り組まれている。「Fujico」氏の記事で編集部も改めて中川さんの考えを知ることができた。今後の中川さんの動きに注目だ。...

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【カフェ経営を志す、グローバル系女子 持留恵(35)】

生まれ育った地域を離れて、新しい世界に出会ったり夢を見つけたりする方もおられるかもしれません。今回は、生まれ育った丹波を一度離れて海外へ行ったことで、夢にぐっと近づいた持留さんの経験を聞いてきました!   【取材班】こんにちは!お邪魔しますー!   【持留さん】こんにちは。今日はよろしくお願いします!   【取材班】ma-noさんはいつ来てもおしゃれですね〜。先日はオーナーの北さんも取材させてもらったんです!今日は、持留さんの海外へ出られていた経験など、お聞かせ頂けると嬉しいです!   【持留さん】はいー!よろしくお願いします。         ずっと持ち続けていた、夢のこと   【取材班】確か、もともと丹波で生まれ育ったんですよね。最初に丹波を離れて、戻ってきたのっていつだったんですか?   【持留さん】あ、そうですね。大学の4年間は神戸で、栄養士になるために栄養学を学んでいたんですね。   【持留さん】それで、卒業してから丹波に帰ってきて仕事を探したんですが、最初は老人ホームに雇ってもらって働いて、管理栄養士の資格を取った後に地元の病院で、29歳の時まで働いていたんです。   【取材班】なるほどー。今ma-noさんで働いてるから、てっきりカフェとかサービスの勉強してたのかと思っていたのですが、栄養士さんなんですね。   【持留さん】そうそう、ただカフェをやりたい、ってのはずっと思ってたんですよ。   【取材班】あ、その辺りは昔から思っていたことだったんですね!それで、カフェの勉強をしに海外に行かれたんでしたっけ??   【持留さん】あ、それはちょっと違うんです(笑)オーストラリアにはワーキングホリデーで行ったんですが、英語を話せるようになりたかったからというのが大きいんですよ、勉強するなら、身を投じてみた方が早いかな、くらいの感じで(笑)   【取材班】思い切りいいですね(笑)   [caption id="attachment_13985" align="alignnone" width="600"] オーストラリアでは、たくさんの人に会われた持留さん[/caption]   【持留さん】ですね(笑)で、結局カフェの勉強になったところもあるんです。実は私コーヒー苦手だったんですが、むこうのコーヒー美味しいなって思って。ワーキングホリデー行くんだったら何か持って帰りたいし、という事でバリスタの仕事を学ばせてもらいました。   【持留さん】2年のワーキングホリデーの後、帰ってきてから地元の友達にコーヒーにこだわってるお店ない?って聞いたんですね。それでma-noにコーヒーを飲みに来て、お会計の時にここで働かせてくださいって話してみたんです。   【取材班】また思い切りがいい話でしたね(笑)   【持留さん】確かに(笑)     ma-noで学んだ、たくさんのこと。     【持留さん】ma-noで働くようになってから、本当にたくさんの事を学ばせてもらいました。最初はほんとに何もできなかったんですよね。でも、働きはじめて1ヶ月くらい経った頃、オーナーの北さんが「東京行くわ」って言ってお店任されて。   【取材班】すごいですねそれ(笑)   【持留さん】そう、で、やっぱりランチでお客さん待たせちゃったりして、都会でこれやったらクレーム来るよなって思うくらいだったんですが丹波の、ma-noのお客さんは本当に優しくて。お客さんに助けられながらですがこうやって早い段階で一人でやっていかなきゃいけなくなった事で自分で全部できるようになろう、と思えるようになりましたね。   【取材班】なるほどなるほど。確かに1ヶ月で任されたらあたふたしそうですが、頼る人がいないって事で主体的に学べる事ってありますもんね。   【持留さん】そうですね、私には結果的にそれがよかったなって。コーヒー以外にも、カメラ・デザイン・パンのこと、色んな事ができる人が出入りするから、4年間働いた中で本当にできる事がたくさん増えました。   [caption id="attachment_13987" align="alignnone" width="477"] パン、おいしいです![/caption]   これから、考えていること。   【持留さん】それで、今年10月にはma-noを卒業して、またちょっと海外を旅してから自分のお店を持ちたいなって思ってるんです。パンと、コーヒーのお店。   【取材班】あ、以前ここでも取材させてもらったんですが、塚本さんと一緒にパンのイベントもしてましたもんね!持留さんのパンも美味しいですもんね〜〜   【持留さん】ありがとうございます!新しいパンを作る事を考えるのは楽しくて、今も月に一回宝塚にパンを習いに行ったり、オーストラリアでクロワッサンを習ったり。   【取材班】え、またオーストラリア行ったんですか?(笑)   【持留さん】あ、そうです(笑)フランスのパティシエさんがオーストラリアに移住してて、ワーキングホリデーに行ってた時に私も食べた事があったんですよ。本当に美味しくて、やっぱりクロワッサンの本場のフランスの味を学びたいなって思って行ってきちゃいました(笑)   [caption id="attachment_13989" align="alignnone" width="600"] 学んできたスキルを活かし、丹波で焼くパン。[/caption]   【取材班】なんか、そこで日本のパン屋さんに学ぼうって考えじゃないところが面白いですよね(笑)   【持留さん】あ、確かにそうですね(笑)日本より海外の方が「教えて」ってストレートに言いやすいところはあるかなと思って。 [caption id="attachment_13988" align="alignnone" width="600"] 快く教えてくれた師匠たちと。[/caption]   【持留さん】10月には卒業予定なんですが、これからma-noに新しいスタッフさんが入るので、私が今まで学んできた事をその方たちに伝えて、また海外に行ってから(笑)帰ってきて丹波から近い場所で、カフェを開きたいですね!     都市部のカフェや飲食店で働くと、お客さんもたくさん入ってきやすい分、コーヒーや食事の事に集中する事になる事が多いかと思います。ですが、田舎では人が少ない分、特にオープンから間がないとお客さんを待つ時間も多いのかもしれません。その時間を使って、お客さんがより楽しめるようにコンテンツを作ったり、一つだけでない技術を磨いていく事もできます。ma-noさんで持留さんが学んだ、カフェを経営する上で大事な幅広いスキルは、もしかしたら田舎のカフェならではの、学びなのかもしれません。...

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きゃりーぱみゅぱみゅの公認おっかけ・丹波暮らし中! 有馬華香(24)

  都会に比べて、田舎には多様な仕事・働き先が少ないと思われがちですが、今回インタビューしてきた有馬華香さんは、「仕事をしに」丹波に移住して来られ、丹波暮らしを楽しんでおられます。福岡市出身・都会の生活も好きですと話す有馬さんは何故丹波を選び、どのように暮らしておられるか、聞いてきました!       【取材班】こんにちはー!噂の、きゃりーちゃんの公認おっかけの「きゃりはる」さんですね!似てますね!笑 【有馬さん】(笑)ありがとうございます!きゃりーちゃん大好きなんですよね〜   【取材班】ちなみに、きゃりーちゃんのおっかけの「公認」って、どうやったら公認って事になるんですか?? 【有馬さん】あ、きゃりーちゃんに「ファンとして名前を覚えてくれていて、認識されている」っていう事みたいです。私福岡のLIVEの時にファンの人たちと一緒にサプライズを企画して、きゃりーちゃんに名指しでツイートしてもらって、それからですね。   【取材班】おー、なるほど。「公認おっかけ」って何か特別な響きがしますね(笑) 【有馬さん】当時は全国で5人くらいしかいなかったんですよ。おかげで、「きゃりはる」ってニックネームで呼ばれるようになりました(笑)   [caption id="attachment_13436" align="alignnone" width="600"] 似てるなあ・・笑[/caption]   【取材班】いいですね(笑)わかりやすい。けど、そんな感じでLIVEとかにたくさん参加されるんだったら、むしろ都会の方が暮らしやすかったんじゃないですか?? 【有馬さん】あ、そうなんですよ。私福岡で生まれ育って、はじめて別の土地に住んだのが「丹波」なんですが、元々は大阪に住もうと思ってたんですよね。   【取材班】あ、そうなんですね!ちょっとそのあたりの話、今日は色々とお話聞かせてくれると嬉しいです! 【有馬さん】はい。よろしくお願いします!       丹波に来たきっかけ   【取材班】ちなみに、大阪に来ようと思ってたけど、丹波に来る事になったって事ですよね?そもそも丹波を知るきっかけってあったんですか? 【有馬さん】あ、最初に丹波の事を知ったのは、大学の先輩が企画に携わっていた、「小布施若者会議」という長野で開かれたイベントに、当時丹波市市議会議員をされていた横田さんが来ていて、お会いしたんですよね。それで、丹波にも一回来てみたんです。   [caption id="attachment_13434" align="alignnone" width="600"] 参加したイベントをきっかけに。[/caption]   【取材班】なるほど、福岡から長野・丹波も・フットワーク軽いですね(笑) 【有馬さん】おっかけしてたので、移動は結構普通でしたね〜   【取材班】それで、丹波もいいなと思って住みに来た、という感じですか?? 【有馬さん】それが、元々は大阪に彼氏がいるので、大阪に来てフリーターしようと思ってたんですよね。そんな話を丹波で出会った方にしてたら「じゃあ近いし、人手不足だから手伝ってよ」って言われて。   【取材班】近いし、って面白いですね(笑) 【有馬さん】私は元々は彼氏と一緒にいたいからこっちに来る事にしたので、色々と条件を言わせて貰ったんですよね。髪を黒く染めたくないとか、一週間に一回大阪に行きますとか、そういう条件をつけてもOKしてくれた、社長や上司の前川さんがいなかったら住む事はなかったなーって思いますね。     思ってたイメージと違った?田舎らしさ     【取材班】有馬さんは福岡ですし、都市部で生まれ育ちですよね。実際違いとか感じられました? 【有馬さん】そうですね、今学習塾で勤めているんですが、職場の周りでもまちのお付き合いがあるんだ、ってびっくりしたところがありましたね。福岡だったら、道行く人と挨拶したりとかしないですし・・。それに、おばあちゃんとかならまだイメージあったんですが、全く会った事ない小・中学生の子たちも挨拶してくれたりして。ちょっと感動しましたね(笑)なんてあったかいんだろうって。   【取材班】確かに、都市部だったら小・中学生に声かけたら危ないって話になりそうですもんね。 【有馬さん】そうそう、なんか丹波はみんなが繋がっている感を感じる事がすごく多いなって思うんですよ。元々最初来る前は、UターンやIターンの人ばっかりで繋がってて、なんだこのまち凄過ぎる!!って思ってたんですが、住んでみるとひとつの普通のまちなんだなって思うようになりましたね。でも、人と人が繋がってあったかいところは、来る前も来てからも同じイメージなところですね。   [caption id="attachment_13438" align="alignnone" width="600"] 仲間と一緒に、議員選挙のお手伝いも。[/caption]   【有馬さん】ザ・田舎!みたいな価値観に触れた事もありましたけどね。(笑)元々田舎が好きなわけじゃないから、「これか!」って思った事はありました。仕事柄、移住者の人ばっかりじゃなくて地元で暮らしてる保護者さんや、まちの方と触れ合う事もありますしね。   これからも、関わりたいまち   【取材班】有馬さんは確か、今年に福岡に帰られるんですよね。戻ったあとは、どんな事をされる予定なんですか? 【有馬さん】そうですね、元々1年限定って言ってたのもあって、今年地元に帰ります。実家はおじいちゃんがやっていた会社があるのですが、その会社を母が譲り受けたので、会社の新規事業に関わる事がしたいな、って思ってるんです。   【有馬さん】塾の立ち上げ、っていう新規事業に関われるから来たという事もあったし、仕事で来ましたが本当に色々と教わる事ができました。私は福岡好きなので、福岡以外の土地のために何かを、という事はあんまりならないんですが、丹波で出会った人たちと色んなコラボをしていきたいなっていう想いがあるんですよ。   [caption id="attachment_13435" align="alignnone" width="600"] 上司の前川さんも講義をします。[/caption]   [caption id="attachment_13437" align="alignnone" width="600"] 塾で合宿を行ったり。[/caption]   【取材班】なるほど、第二の故郷みたいな感じですね。また何か機会がある毎にふらっと戻ってきてくれたりしたら、みんな喜びそうですね! 【有馬さん】たぶんそれはなると思います!たくさんの人に出会ったし、ご縁を頂いたので。福岡をはじめて出て、たくさんの事を知れたまちですので、きっとまた遊びにきます!   [caption id="attachment_13432" align="alignnone" width="600"] いつまでも丹波にいてください・・笑[/caption]   地方創生を国が進める昨今、移住者や定住者の促進に力を入れている自治体も多くあります。そんな中、住まなくてもその土地と関係を持つ「関係人口」を増やす事が地域の活性に繋がるという話も聞くようになってきました。確かに、有馬さんの様に今後ずっと丹波に住まなくても、一度関わってご縁が出来た土地を「第二の故郷」の様に思い、その土地に良いイメージを持ってくれる人が増える事はまちにとっての財産だなと感じさせられました。...

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意外とふつう?な自然体Iターンデザイナー 中川知秋(31)

昨今の移住ブームも相まって、移住した方のエピソードを目にする機会がある方も多いかもしれません。ですが、その多くは華々しい移住の成功エピソードだったり、アクティブに活動されている方の話だったりするのではないでしょうか?今回お話を聞いてきたのは、とても自然体で、気負わず、それでいて丹波暮らしを楽しんでいる中川知秋さん。なぜ移住を決意したか、今の暮らしはどうか、お話を聞いてきました!     【取材班】こんにちは!今日はよろしくお願い致します!色々とお話聞かせてください。 【中川さん】はいー。よろしくお願いします。 【取材班】中川さんは、Iターンでしたよね?どちらの出身でしたっけ? 【中川さん】私は生まれも育ちも兵庫県の宝塚市だったので、Iターンですが結構近くって感じもありますね。   【取材班】お、そうか、それだったら車でも電車でもすぐ帰れますね。ではでは、丹波に来る前のお仕事や、丹波に来たきっかけを教えてもらえますか? 【中川さん】仕事は、高校とプロダクト系の専門学校を出て、車の会社で3Dモデルを作ったりする「CADモデラー」って仕事をしてたんです。その会社は大きな企業だったので、自分の仕事が誰の何の役に立ってるのかが見えなかったんですね。その後、会社を辞めてデザインの学校に行き直したんです。それで、お客さんと近い距離感で仕事が出来るデザインの仕事を、より近い距離感でできそうな田舎でやりたくて、そんな会社はないかなと思って探してたんですよ。   【取材班】あ、それで丹波ご近所さんを見つけられたんですね! 【中川さん】そうそう、「ハローライフ」というサイトで見つけて、田舎のデザイン会社だし、興味があって。   【取材班】なんかこれまでにない、普通(自然体?)な理由でちょっと逆に興味沸いてきました・・笑 【中川さん】あはは笑 他の移住者さんたち、元気ですもんね笑     今までとちがった、行政とのお仕事 【取材班】今も、デザイナーのお仕事されてるんですよね?最近はどんなデザインをされているんですか? 【中川さん】そうですね、主にグラフィックデザインのお仕事で、ポスターやチラシ・WEBなどのデザインをしてるんですね。都市部にいた時と違うのは、行政(自治体)さんとのお仕事が多い事かなあ。   [caption id="attachment_13025" align="alignnone" width="960"] 丹波のまちのマーケットのお仕事をしたり[/caption]   【取材班】市役所とかの職員さんとですよね?実際やっぱり企業の方の依頼とはちょっと仕事の内容が変わったりされるんですか? 【中川さん】そうですね、ちょっと違うところはあるかも。その分勉強になるなって思いますよ。   【中川さん】行政の方は「どんな仕事をしなければいけないか」を想像しながら、こちらとしても考えて提案できるようにしたり、依頼してくださった方のことをちゃんと理解して仕事をできるようにならなきゃな、って思ってます。   【取材班】立場変わると仕事に求められる事も違いますもんね・・・実際お仕事としてはどうですか?? 【中川さん】自分もどうやっていかなやっていこうかな、と思考錯誤して、理解できるようになった事は良かったなって思いますね。   巻き込まれ上手(笑)の極意とは   【取材班】そういえば、お仕事以外の活動の話をと思ったのですが、中川さん丹波100人駅伝って100人で駅伝する企画・主催者の中に入ってましたよね? 【中川さん】そうなんですよ。。私、巻き込まれ事故でメンバーに入ったり、そういうの多いんです(笑)   【取材班】みんな元気ですもんね笑 【中川さん】そうそう、でも、巻き込まれて嫌だ嫌だ、ってなるより、「私は100人駅伝をやりたい・やりたい」って自己暗示をかけるのがうまいんですよ(笑)そしてその結果、しんどいと思うより、なんとかやり遂げたいという思いに変わっていくんですねこれが(笑)   [caption id="attachment_13023" align="alignnone" width="960"] 駅伝のメンバーと。[/caption]   【取材班】そのスキル、羨ましすぎますね・・笑 【中川さん】(笑)でもね、それで宝塚にいた時は体験絶対できない様な、楽しい事がたくさんありました。自分自身、生活から何からだいぶ変わったなって思います。   【中川さん】宝塚にいた時はね、猫をかぶるのがうまかったんですよ。相手に合わせるというか、自分を見せないというか。でも丹波に来たら、「上手く隠せないな」って凄く思ったんですよね。宝塚では、プライベートと職場で全然キャラが違ったんですが、丹波ではそんな事がなくなりました。猫をかぶるが上手くなってたけど、それって余計な技術だったんだなって最近は思う様にもなりましたね。   [caption id="attachment_13024" align="alignnone" width="960"] 自分らしくいれる場所もたくさん[/caption]   【取材班】おおー。なんかほんとに、自然体ですね中川さん。言葉に嘘がないというか、潔いというか。人とのつながりが濃いから、偽る必要がなくなったんですかね〜。   いなかぐらし。ふつう、な暮らし。     【取材班】さてさて、最後にですが、中川さんは今の丹波暮らしはどうですか?? 【中川さん】うーん。。「ふつう・かなあ・・笑」   【取材班】でましたね笑 【中川さん】笑 でもほんとに、「可もなく不可もなく」という感じなんですよ。楽しいといえば楽しいし、「楽しいってほどでもない」という感じもしてて。本当に普通って言葉が一番しっくりくるかな。   【中川さん】今どうしてもやりたい事があるってわけではないから、いろんな事にチャレンジしながら自分が何をするか考えているところもあるんですね。あ、でもこっちに来る前と比べたら楽しいな、居心地よく住めてるな、と思いますね!     中川さんを取材していて、インタビューの最初から最後まで、自分の気持ちに偽りなく、そのままの言葉を聞かせてくれた気がしました。宝塚にいた時は猫をかぶっていたという事も、丹波で暮らしてそれがなくなった事も都会と田舎の人付き合いの違いなのかもしれません。「普通」と言いながら気を許せる人もて、自分を偽らなくてよくなったと話す中川さんは、取材班から見ればとても楽しく日々が充実されているように見えました。...

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景色を切り取るアーティスト 吉竹 惠里(30)

  手に職を持って田舎に帰ると、仕事も充実して豊かな生活をおくる事ができる?田舎への移住がひとつのブームになりつつある昨今は、そんな話も多く聞かれます。大阪の芸大へ入学後そのまま大阪でデザイナーとして働き、実際に生まれ育った丹波にUターンした吉竹さんにお話を聞いてきました。     【取材班】こんにちは!今日はよろしくお願いします。 【吉竹さん】こんにちは、よろしくお願いします。 【取材班】もう出で立ちからただならぬオーラを放ってますね・・!笑デザイナーさんってほんとみんなオシャレなんだなと思いますわ・・ 【吉竹さん】ほんとですか?笑 嬉しいなあ。大阪の芸大に通ってた時は、まわりの人めっちゃオシャレで凄かったんですよ〜〜   【取材班】確かに・・!大阪の芸大の前とかみんなオシャレすぎて凄いなと思ったことあります・・!   【取材班】さてさて、今日は吉竹さんにはデザイナーとしてUターンした、それまでのこと、今のこと、これからのことあたりをお話聞かせて頂けると嬉しく思います!よろしくお願いします。 【吉竹さん】はい、よろしくお願いします〜。   [caption id="attachment_12416" align="alignnone" width="600"] 雑誌ソトコトに取材された時の吉竹さん[/caption] 都会で働いていた時に感じたこと、できる様になりたかったこと。   【取材班】吉竹さんは生まれも育ちも丹波で、大学から大阪へ移住されて、デザイン会社で働かれてたんですよね。その当時って、どんな生活だったんですか? 【吉竹さん】そうですねえ、その当時はものすごい働いていた記憶ばっかりですね・・笑 実家が印刷屋としてデザインの仕事もしていたので、私もデザインの仕事を始めたのですが、デザインの世界って一部で取り上げられている様な華やかな世界では全然なくて・・   【吉竹さん】時給換算したら500円くらいで働いてましたね笑 30代前半くらいでも疲れた顔してるなあ、って人も多くて。その当時デスクが隣だった人が4時間くらいトイレから出てこなくなったり笑   【取材班】すごい事になってますね・・笑 【吉竹さん】そう、それでこのままだと自分にもこのストレスが来るな、って思ってデザイン会社は辞めて、アパレル関係とかBARとかで働いてたんですよ。デザインが使われてる現場も見たいな、って思って少し働いていた程度なんですが、その後丹波に戻ってきた感じですね。   【取材班】なるほどなるほど、自分たちがデザインしているものが実際にどう使われているかって、見えない部分も多いですもんね。それで色々と経験して、地元に戻りたいなと思って帰ってきたんですか? 【吉竹さん】そうですね、どっちかというと地元に戻りたいというよりは、自分の好きな事をやって形にしたいと思ったんですよ。当時東北の震災があって、大学の友達とかが東北に行って自分のスキルで貢献したりしてるのをみて、自分の好きな事をちゃんとやって形にしていないと、こういう時に役に立てないんだなって思って。   [caption id="attachment_12420" align="alignnone" width="600"] 自分らしさ、の原点へ帰る。[/caption]   景色をデザインする。丹波らしい、私らしい作品。   【取材班】吉竹さんはUターンで戻ってきてからも、デザインの仕事をする事が多かったんですか? 【吉竹さん】そうですね、しばらくは実家の手伝いをしながら地域のデザインの仕事を受けていました。   【取材班】やっぱりデザインっていう手に職を持ってた事が強かったんですかね、なかなか誰にでもできる事でもないですもんね。 【吉竹さん】確かにそれはそうかも。でも実は、これから「デザインの仕事」は縮小していこうと思ってるんですよね。   【取材班】そうなんですね?あ、例の景色を切り取る「にいろ」としての事業に集中されるんですか? 【吉竹さん】そうそう、「にいろ」では景色を切り取る(デザインする)吉竹惠里・デザイナーとは違う吉竹惠里として勝負をしていきたいって思ってます。   【吉竹さん】最初は丹波にある美しいもの・だけど捨てられていくものに光を当てたかったんです。山野草とか、衰退していく産業はどうしてもあって、その職人さんとか。   にいろで切り取る、ありふれた、丹波らしい、美しい景色。   【取材班】確かに。特に田舎にいると、そうやって無くなっていったり衰退していくものに触れる機会も多いですよね。 【吉竹さん】そうなんですよね、自分の生まれ育った町にこんな魅力もあるんだよと「にいろ」という表現手段で発信していきたい、って思っています。吉竹惠里個人ではなく、クリエイター集団としての「にいろ」ですね。   【取材班】色々な人とコラボしながらやってますもんね。会社や学校単位じゃなく、ゆるやかな繋がりでそうやって一つのチームを作り上げる事ができるのも、もしかしたら丹波の魅力かもしれませんね。   [caption id="attachment_12417" align="alignnone" width="600"] にいろというプロジェクトには、たくさんの協力者がいます。[/caption]   人付き合いのあたたかさ。丹波の魅力。   【取材班】これはみなさんに聞いているのですが、吉竹さんは、丹波暮らしはどうでしょう? 【吉竹さん】超楽しいですね!   【取材班】即答でしたね笑 ちなみにどんな所が魅力ですか?? 【吉竹さん】そうですね、やっぱり「人」かなあ・・   【吉竹さん】丹波に帰るまではどうしても仕事上、デザイン業界の中の人と会う事がほとんどだったんですが、帰ってきてから色んな人と繋がったりする事が増えたんですよね。   【取材班】そういうのって、やっぱり丹波にいてるだけで繋がっていくものなんですか?? 【吉竹さん】あ、それはきっかけがあったんです。数年前に丹波にアーティストさんを呼んでLIVEを開催したんですが、自分だけでは集客がうまくいかなくて。その当時に出会った人たちが見返りもなしに本当に親身に手伝ってくれてたんですよね。ああ、この人たちは裏切ってはいけないなって思ったんです。その時に、色んな人と繋がりができたのと、やっと人間味のある付き合いができたな、という気がしましたね。   【取材班】そこは本当にみなさんおっしゃいますね。お仕事もプライベートも充実されて、これからまだまだ丹波暮らし、楽しくなりそうですね! 自分らしく仕事をするという事は、自分と深く向き合い、本当に自分がやりたいと思う事に耳を傾け、実行していく事が大事なんだなと吉竹さんのお話を聞いていて感じました。移住したり、地元へ帰る時に考えていたイメージと現実は違うかもしれません。けれどその違いが、もしかしたら自分の人生でとても大切な気づきになったり、元いた場所では得難い大事なものになる事もあるのかもしれないなと感じさせられるインタビューでした。 【TURN WORDS】 「0から1にできる場だからきた。」  ...

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“今”を生きるPR酒好き女子、恒松智子(39)

  株式会社ご近所という、丹波市のPR会社に務める恒松さん。大阪から丹波市に移住し、PR事業を行っている彼女がPRを通じて丹波市に何を感じてるのか。 きっと丹波市に移住を検討している人のヒントになると考え、取材班はご近所へ潜入した。   【取材班】恒松さん、こんにちは! 【恒松さん】こんにちは!     【取材班】PRの仕方を教えてください!! 【恒松さん】いきなりすぎますよ! 移住者インタビューなんだから、インタビューしてください。 【取材班】すみません、 最近「もっと面白い記事を書け」というプレッシャーを周りから与えられている気がして、 ついつい先走ってしまいました。 【恒松さん】知らんがな。   地方のPRの仕事がしたくて丹波市へ 【取材班】では気を取り直して。 恒松さんはどうして丹波市に来られたのですか? 【恒松さん】もともと地域で働くことに興味があったんですけど、 特に初めはご近所で働くとか丹波市で働くという明確な目的はなかったんですけど 仕事百科の求人でご近所を見つけました。 ずっとPRの仕事をしていたので、 それを田舎でやりたいなと思って、 ご近所に入るときはPRの人材を募集していなかったんですが 「PR必要ですよ!」と言って入れてもらいました。 【取材班】自分をPRしてPRの仕事でご近所に入ったんですね。 【恒松さん】そういうことになるんですかねー笑 【取材班】PRの仕事って具体的にどんなことをするんですか? 【恒松さん】大阪にいるときは、案件がもともとあって それをマスメディアに情報発信することがほとんどなんですけど、 丹波市はそもそもそういう案件があまりないんですよ。 ざっくり「丹波市をPRする」という目的でPRを行うので じゃあどうしたら丹波市をPRできるか、ということを考えることから始まります。 【取材班】なるほど、何をPRするか、まで考えないといけないわけですね。 これまで、丹波市のPRとして行ってきた具体的な事業ってありますか?     【恒松さん】晩酌女子という事業があるんですけど、 「地酒をPRしてほしい」という依頼があったのをきっかけとして実施しました。 私自身、お酒が好きでよく飲みに行ったりするんですけど、 家で1人で飲んでるときに、 テレビを見ながらつまみを適当に食べていた自分を省みたんですけど 「女子力なさすぎだろ」と思って。 もっと美しくお酒を飲んだほうがいいんじゃないかということで たとえば、素敵な器に注いで飲んでみたりとか、 惣菜をパックのまま食べるんじゃなくてお皿に盛るとか、 飲んだくれじゃないオシャレな感じで飲むことを提案してるんです。     【取材班】恒松さん、お酒が好きなんですね。 自分の好きなことでPRの仕事ができるっていいですね。 【恒松さん】そうですねー、楽しいですよ。 【取材班】自分が楽しいと思ったことをやることが多いんですか? 【恒松さん】そうでもないですよ。 PRの案件って、もともとはとってもシンプルでなんです。 たとえば、丹波の味覚フェアだったり、地酒のPRだったり、移住者を増やしたいだったり。 ものすごくザックリしてて、原石の状態です。 それをどう見せたら楽しくなるかを考えることがPRだと思うんです。 だから、楽しそうな案件になってたら成功ってことですかねー     PRするということは、地域のことをたくさん知るということ 【取材班】地方でPRする上で気をつけていることってありますか? 【恒松さん】丹波市においては、自分自身が引き出しを持っておいて 相手が「こんな情報が欲しい」といったときに、 そのネタを提供できる必要があると思います。 そのために、いろいろな人に出会ってその人がどんなことをしているのかをたくさんインプットしていくことが大事だと思います。 大阪にいるとき、メディアの人によく話を聞くんですけど そのときに「こんな記事を書かないとあかんねんけど、そういう情報ない?」と言われることが多く その時の私はそんなに引き出しがなかったので何もいえませんでした。 丹波市にきたら、いろんな情報がインプットできるので 今まで答えられなかったことがちゃんとレスポンスできるようになったんですよね。 PRするということは、地域のことをたくさん知ることなんだな、と思います。 【取材班】なるほど、心に刻みつけておきます。   [caption id="attachment_11187" align="alignnone" width="580"] 晩酌女子はその使命を果すため、昼間にも関わらずお酒の情報をインプット(飲酒)します。 ちなみにこれは、お酒のテイスティングをすることでそのお酒のポップを作成する仕事です。決して、昼間から飲んだくれてるわけではありません。(恒松さんの名誉のために記述しておきます)[/caption]   [caption id="attachment_11188" align="alignnone" width="580"] お酒のテイスティングにより完成したポップはこんな感じ。[/caption]   【取材班】丹波市に移住してきて実際、どうですか? 【恒松さん】仕事とプライベートの境目がないですね。 悪い意味ではなく、それが心地良いと感じています。 仕事をしている人が地域で一緒に活動する人になるし、 地域で活動していた仲間がクライアントとして一緒に仕事をする間柄になったり、 そのネットワークだからこそ仕事が成り立っているという感じがあります。 【取材班】あー、たしかに地方ってそんな感じですよね。 【恒松さん】そうなんです。 それによって自分の属する場所が仕事だけじゃなくなりました。 自分が一緒に企画しているイベントだったり、 誰かがやってるプロジェクトに参加してたりと、 所属する場所が増えましたね。 【取材班】そういうのって、地方特有というか、大阪にはあまりないんですか? 【恒松さん】大阪に住んでいるときは、ただ家と会社を往復するだけでしたね。 都会っていろいろな人がいて、それぞれが違う目的で動いているのに対して 丹波市に住む人は「丹波市を良くしたい」という思いで行動している人が多い。 だから、自分の仕事をかかえながら、何かプロジェクトに関わっているという人が多いので、 そういう人たちに声がけしてもらう機会が増えました。 【取材班】なるほど、丹波市に住む人は丹波市を良くしたいと考えている人が多いので 同じ考え同士の人で仲間づくりの輪を広げやすいんですね。 【恒松さん】そうですねー。     【取材班】休日はどんな過ごし方をしていますか? 【恒松さん】もっぱら、イベントの手伝いや酒米のために草抜きをしたりとか、 いろいろしていて忙しいですね。 それをしない日は家でごろごろしていますが、 きちんと自分の時間をとるように制御しないと、 何かしらのイベントに関わっては休みが終わってしまいますね。 【取材班】しんどくないんですか? 【恒松さん】楽しいので、大丈夫ですよ。 私、あんまり自分のライフプランがなくて、 一応PRをずっとやり続けていきたいという漠然としたものはあるけど いくつまでにこれやって、というプランがなく… その時の思いつきと気分でここまで来ました。 その代わり、1日1日を楽しく過ごしてます。 嫌なことがあっても、お酒を飲んで忘れちゃいます笑 【取材班】なんてたくましい…笑   【取材班】恒松さんがこれからチャレンジしていきたいことってありますか? 【恒松さん】2つあります。 1つは、ご近所の働き方についてです。 ご近所を田舎での働き方の先進事例になるようにしていきたいと思っています。 地域にあるPRの形、それをご近所で実現しようと思ったときに どうしたらいいのかをちゃんと見えるようにしていきたいですね。 【取材班】それもまたPRしていく必要がありそうですね。 【恒松さん】そうですね。 まだまだ手探り状態ですが。 それから2つめは、2拠点居住です。 【取材班】ほほう。 【恒松さん】ご近所の方針は「風の会社」なんですが 1つの拠点にとらわれ続けるのを良しとしない方針なので 2つの町を行ったり来たりしながら うまく仕事なり暮らしなりを充実させられるようにしたいなーと思っています。 【取材班】恒松さんは、アンチ都会という感じではないのですね。 【恒松さん】全然そんなことないですよ。 都会も地方も好きです!     【取材班】それでは、最後に丹波市に移住を検討している人に対してアドバイスをお願いします! 【恒松さん】とにかく、忙しいですよ、と言っておきます! 丹波市って、巻き込まれることが多いんです。悪い意味じゃなく。 人付き合いが増えるので、 それを楽しめる人がいいんじゃないかなと思います。 私も、ありがたいことに晩酌女子という言葉が徐々に広がっていって、 お酒のイベントをしたいとか、 イベント出展したいというときに お声がけされることが多くなりました。 仕事以外のところでも声をかけられます。 【取材班】特に恒松さんのように意欲的に活動されている方は、 たくさんの方から声をかけられそうですね!   【取材班】恒松さん、ありがとうございました! 【恒松さん】ありがとうございました!   【TURN WORDS】 「PR、必要ですよ!!」 もともとPRの求人を募集していなかったご近所へ面接に行ったときに PRの重要性を自ら説いて、入社することになりました。       風の会社「ご近所」で丹波市のPRを務める恒松さん。たくさんの人との関係を築きながら、多忙な日々でありながら毎日を楽しく過ごせているのは、自分のやりたい仕事をしているからなのだと思います。もしくは、毎日好きなお酒を飲めているからでしょうか…笑 地方と都会の両方の中立的な目線から行う恒松さんのPRの取り組みは、丹波市の隠れた魅力を存分に引き出し、これまで以上によりよいものへと変えていくことになるはずです。...

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自然が大好きなマイペース女子 阪上美咲(28)

  シェアハウス「はなやぎ」に2016年1月から住んでいる美人女性がいると聞いて取材班はいてもたってもいられずに駆けつけた。   【取材班】こんにちは〜 【阪上さん】あ、こんにちは!   おしとやかにお出迎えしてくれたこの女性こそが阪上美咲さんである。 背景と阪上さんとのミスマッチ感がすさまじい。   【取材班】今日は何の下心もなしに取材しにきました。よろしくお願いします。 【阪上さん】それ、下心あるときにしか言わないでしょ。 【取材班】すみません。   丹波市に来た理由 【取材班】阪上さんはなぜ丹波市に来られたんですか? 【阪上さん】以前まで大阪の高槻市に住んでいて、 カンボジア料理の店で働いていたんです。 でもその店が、高槻からカンボジアに移転しようという話になりました。 【取材班】唐突すぎですね。 【阪上さん】そうなんですよ。 でも私、さすがにカンボジアにずっと住むのは無理だなと思って、 立ち上げの2ヶ月だけカンボジアに行って、 それからお店をやめて帰ってきたんです。 【取材班】一応2ヶ月だけ行ったんですね。すごい。 【阪上さん】やめたのはいいんですけど、 そこから何をしたらいいのか正直わからなくなってしまって… そんなときに東京で横田さんに出会って「丹波市に遊びにきたら」と言ってもらって 遊びにきたら今度は「丹波市に住んでみたら」と言ってもらったので 横田さんが運営しているシェアハウスで住むことになったんです。 初めて遊びにきたのが2015年9月で、 実際に住み始めたのが2016年1月ですね。 【取材班】もともと地方移住に興味があったんですか? 【阪上さん】そんなに興味はなかったんですけどね。 学生のころはどちらかというと東京に憧れがありましたし。 でも、自然はもともと好きでした。   【取材班】今は何をされているのですか? 【阪上さん】今は、土田化学というプラスチック樹脂の加工会社で事務をしています。 横田さんに紹介してもらったのですが、 そこで初めて社長とお話をして、人となりをお互いに知り合った上で、入社を決めさせてもらいました。   自然がよくて健康になれる丹波市 【取材班】実際、丹波市に住んでみてどうですか? 【阪上さん】自然がすごくいいなと思います。 アウトドア派でよくドライブなんかもするんですが、 車を運転してるだけで癒されます。 あと、人もみんな仲良しな感じがしますね。 シェアハウスに遊びに来る人はみんな優しくしてくれます。 それと、いろいろなイベント事が盛んで、盛り上がってるな―って思います。     【取材班】なるほど、移住前と移住後で変わったことってありますか? 【阪上さん】家にテレビがないから、夜になると勝手に眠くなって生活リズムが良くなっていってます。 前の仕事は大好きだったんですが、 飲食店で夜遅くまで仕事をしていたので 昼夜逆転で体調を崩しがちになってしまって 唯一それが辛かったんです。 でも、丹波市に来たらみるみる身体の調子がよくなってきて笑 それがすごい嬉しかったです。 【取材班】そんな効果があるんですね! 【阪上さん】しかも、こっちに来てから体温が1度上がったんです。 【取材班】えっ、なんですかそれは、1度も!? 【阪上さん】体温が低いとがん細胞が増えたり代謝が悪くなって、 太りやすくなったりするとのことだったので、 めっちゃ嬉しかったです。 【取材班】噂には聞いていましたが、田舎暮らしをすると マジで健康になるんですね… 【阪上さん】たまに実家に帰るときがあるんですが テレビもついてて電気も明るいから 夜中1時2時まで起きてしまうんです。 住む場所でこんなに違うのかと思いましたね。 【取材班】この体験談は丹波市移住の売り文句に出来そうですね。 【阪上さん】あ、それと カエルとか苦手だったんですけど 小さいのならめっちゃ可愛いので触れるようになったんですよ。 【取材班】夏になると毎晩どっかに張り付いてますよね。     休日の過ごし方 【取材班】休日はどんな風に過ごしているんですか? 【阪上さん】大阪に帰ってることもあるし、京丹後に遊びに行ったりもしてます。 あと、春日町とか市島の景色が好きなのでドライブに行ったり カフェに行ってみたり、 たまにイベントに参加しに行ったり、 誰かとごはんを食べに行ったりしてます。 家庭菜園もしていたんですけど、 なにも知識なしにとりあえず水やりだけしてたら全然上手にできなくて 今はもうほったらかしになってしまいました。 【取材班】田舎を満喫しておられますねー!     これから 【取材班】これからもずっと丹波市に住まれるんですか? 【阪上さん】今後しだいという感じですね。 結婚するにしても、もし丹波市の人と結婚するならこっちにい続けられるだろうけど。 【取材班】私と結婚しませんか? 【阪上さん】ん?今何か言いましたか? 【取材班】いえ、何も言ってないです。 【阪上さん】丹波市に移住するときは彼氏がいなくて もし丹波市で出会って結婚できたら丹波市に住むわ〜って 友人に言ってたりしたんですけど… 【取材班】…けど?? 【阪上さん】移住してから大阪のもともとの知り合いと付き合い始めてしまったんです。 【取材班】Oh…My DOG… ああ、神よ、どうしてこのようないたずらをなさるのですか。 なぜ私と阪上さんを出会わせたのですか… 【阪上さん】あの、聞いてますか? 【取材班】あ、はい。 【阪上さん】今の彼氏は大阪にいて、 もしそれがうまく流れていったらその人は「海のあるところがいい」と言っているので 丹波市は海がないので難しいかな、と…笑 【取材班】一応、雲海はありますよ。     人とのつながりを増やしたい 【取材班】これからチャレンジしたいことってありますか? 【阪上さん】そういうの、あんまりないんですよね。 移住する前は、「移住したらいろんなことに挑戦するぞー!」といきり立っていたんですけど、全然でしたね笑 結局、どこに行っても自分やなーと思いました。 【取材班】なるほど、環境を変えても簡単に自分は変えられないわけですね。 じゃあ強いて言うなら、これチャレンジかもなーっていうのありますか? 【阪上さん】こういう生活をしていること自体が、 自分にとってすごいチャレンジだと思います笑 あ、そうだ、人とのつながりをもっともっと増やしていきたいです。 家の周りの人とも仲良くなっていけたらいいなと思っています。 【取材班】人とのつながりを増やすために何かされてることはありますか? 【阪上さん】なるべく自分から動いていくのが大切だな~と思っています。 人見知りなので自分から入っていくのは苦手なんですが笑 最近だと、丹波地域ビジョン委員会に参加したり、 ロータリークラブの青年部版のローターアクトというところにも行き始めています。 同年代のつながりとかがもっと欲しいなと思っているんです。 移住前は、地元の友だちとかがいたんですけど、 移住してからは地元の友だちがいないわけですから、 前までは当たり前だったことでしたけど、 それって大きかったんだなと感じますね。 【取材班】じゃあ、私ともまずはお友達から… 【阪上さん】そうですね!     お酒と寒さに気をつけて! 【取材班】では最後に、地方に移住したい人にアドバイスをお願いします。 【阪上さん】そうですねー。 まず、「めっちゃ寒いから気をつけてね」ということですね。 大阪とか、比べ物にならないぐらい冬が寒くなるので笑 それと、もし外でお酒を飲むのが好きな人は、 都会にいたときみたいに好きなときに飲みに行けないので 本当に酒好きだという人には教えてあげたいですね笑 この間、夜に家でチューハイを飲んだんですけど、 もうそれ以降外に出られないってことに気づいて軟禁状態ですよ。 【取材班】たしかに、町から離れたこの場所だと車がないと何もできないですね 【阪上さん】そうなんですよ。 その事実に、こっちに来てから気づいたんですよ。 だから、酒好きの人には教えてあげたい!   【取材班】阪上さん、ありがとうございました! 【阪上さん】こちらこそ、ありがとうございました。   【TURN WORDS】 「丹波に住んでみたら?」 何をしていいか分からないときに、シェアハウスを運営している横田さんにそう言われ 丹波市に住む決心がつきました。     丹波市でのんびりとマイペースに田舎暮らしを満喫する阪上さん。田舎=のんびりできるというイメージですが、実際にはやることもたくさんあって忙しくなりがち。それでもあえてマイペースをつらぬく阪上さんの姿を見ると、「せっかくの田舎なんだし、もっとのんびりしないとなー」という思いに駆られました。...

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旅するパン屋 機動力女子 塚本久美(32)

塚本久美さんは、パンを作るために2016年3月に千葉県柏市から丹波市へ移住してきた旅するパン屋さんです。 どうしてわざわざ丹波市にパンを作りに来たのでしょうか? 謎が謎を呼びそうなので本人に聞いてみたいと思います。   【取材班】こんにちは! 【塚本さん】こんにちはー     そこには、のんびりした雰囲気を身にまとった女性の姿がありました。       【取材班】噂に聞いていた旅するパン屋というのは、塚本さんのことなんですね。 【塚本さん】そうです!   旅するパン屋   【取材班】旅するパン屋って、具体的に今は何をされているんですか? 【塚本さん】ぶらぶらしてます。 【取材班】ぶらぶら? 【塚本さん】まだ丹波市に来たばっかりで開業準備中なんです。 旅するパン屋というコンセプトで、 一月のうち10日間はなんらかの生産者さんのところに行ってパンの材料をもらい、 残りの20日間でその材料を使ってパンを作る、 というスタンスでやっていこうと思っています。 それで今はあちこち飛び回っています。   【取材班】なるほど、だから旅するパン屋なんですね。 どうして10日と20日なんですか? 【塚本さん】正確には一月ごとというより、月の動きに合わせて動くことにしていて、新月から月齢20日までと、月齢21日から月齢31日に分けて動きます。 【取材班】なんかよくわからないですけどおしゃれですね! 【塚本さん】西暦に背を向けようと思って笑     ものづくりが好きな腕利きのパン職人 【取材班】塚本さんはかなり腕利きのパン職人だと聞きましたが、 どういう経緯でパン職人に? 【塚本さん】東京の大学に通っていて、 卒業後は普通にリクルートの会社員として3年間働いていたんですが、 もともと何か作るのが好きでパン屋になりたいという夢があったので、 リクルートを辞めてパン屋に転職しました。 「シニフィアン・シニフィエ」という有名なパン屋に転職して、 志賀シェフという日本フランスパンといえばその人のおかげ、と 言われるぐらい有名なシェフのもとで働きました。 【取材班】なるほど、どうりで塚本さんも腕利きなわけですね。 【塚本さん】そこでしばらく働いていたのですが、 自分一人でパンを作れるようになったので独立するためにパン屋をやめました。 【取材班】それは思い切りましたね。 【塚本さん】パン屋って、そういうスタンスが多いんですよ。 だいたい、スキルを身に付ければ独立する人が多いです。 パン屋をやめてからは、ドイツを旅しながらいろんなパン屋で研修させてもらいました。     ほんの15秒の出会いと思いやりが丹波市移住のきっかけに 【取材班】そういえば、丹波市って別にパンが有名とかそんなことないですよね。 どうしてわざわざ丹波市に移住してこられたんですか? 【塚本さん】パン屋をやめたタイミングで偶然、 島根県の石見銀山にパン屋をオープンしている友人から 「あまりにも忙しいから手伝って欲しい」という連絡がきたので 辞めた次の日にそっちに行きました。 その時に、田舎でパン屋をやるのっていいなーと思ったんです。 【取材班】そうなんですねー。 そこから丹波市に来られたんですか? 【塚本さん】そうなんです。 もともと、Café ma-noの店長である北さんが、偶然シニフィアン・シニフィエの前のコーヒー屋さんのコーヒーを仕入れていて、コーヒー屋の店長が「目の前にあるパン屋が有名でおいしいよ」と紹介してくれたらしく そこで北さんと知り合いました。 その時は名刺だけ交換して15秒ぐらいで別れたんですけど そのあとFacebookでつながって、 興味があって北さんの投稿を見ていたのですが ある日「丹波市の農家のゆずを使ったゆずピールを作った」という投稿をしたので 「食べに行きたかったー」とコメントをしたら北さんがわざわざゆずピールを送ってきてくれたんです。 【取材班】うわー、すごいマメですね。 【塚本さん】なので、今度はそれをパンにして返したんですけど、 そこから一気に仲良くなって、 「そのうち遊びに行くね」という約束を取り付けたので 島根県に遊びに行くついでに丹波市に寄ったんですよ。 それが初めて丹波市に行ったときで2014年9月でした。 それからまた1年後の2015年6月に丹波市に来て、Café ma-noでパン祭を一緒に開催しました。 【取材班】何度か丹波市に来られたんですね。 【塚本さん】そうですね、そのあとも何回かパン祭をしたのですが、 今年(2016)の初めにパン祭をしたときに、 丹波市でジェラート屋さんをしている山下さんがパンを評価してくれて、 お店を開く場所を提供してくれると言ってくれたんです。 本当は東京でお店をやる予定だったんですが、 お店をする場所が手に入ったので、 じゃあ丹波市でやるか!ということになりました。 ちなみにその時にシェアハウス(はなやぎ)に泊めてもらっていたので、 お店をする場所と同時に住む場所も見つかったんですよね。 【取材班】それはもう、丹波市でやるしかないですね笑     これからチャレンジしたいこと 【取材班】塚本さんがこれから丹波市でチャレンジしたいことってありますか? 【塚本さん】竹細工ですね。 【取材班】竹細工?これまた意外な回答ですね。 【塚本さん】もともとものを作るのが好きで、 昔は宮大工とか西洋人形の目玉を作る職業に超憧れていたんですよ。 【取材班】宮大工はともかく、西洋人形の目玉って渋すぎますね。 【塚本さん】そうですか?笑 ただ、ものを作るよりも食い意地が勝ってしまって、パン屋になったんですよ。 で、パン屋がそこそこできるようになったので、 今度こそものを作ることにチャレンジしたいと思ったんです。 【取材班】なるほど、食い意地はパン屋で解消されたわけですね。 【塚本さん】実は丹波市の春日は竹細工が有名で、 竹細工職人の有名なおじいちゃんたちがいるんです。 竹細工のコミュニティがあるんですが、 最年少でもおじいちゃんという高齢社会の影響をもろに受けています。 まだパン屋を開業することにバタバタしているので、 本格的に挑戦するのはまだ先ですが、 いずれはそのコミュニティにも所属できたらいいなーと思っています。 【取材班】竹細工で何かするんですか? 【塚本さん】自分で作った竹細工のカゴでパンを持ち運んだりできたらいいなーと思って! 【取材班】それは素敵ですね!   移住者に向けてアドバイス 【取材班】塚本さんの丹波市への移住経験から、 これから丹波市に移住したいという人に向けて何かアドバイスはありますか? 【塚本さん】そうですね、一番強く思うのは 移住の成功の秘訣は、移住してくる前に現地に10人ぐらい友達を作ることだということですね。 そのあとに移住すると心強いですよ。 一回の一目惚れで移住を決めてしまうのではなく、 何度もその地域へ通ってから決めたほうがいいと思います。 【取材班】なるほど、急がばまわれということですね。   【取材班】今日はありがとうございました。 それでは最後に、塚本さんの人生の転機について教えて下さい。   【TURN WORDS】 「塚本久美はこういう人間だ」 中学校までは自分で言うのもあれですが超いい子だったんです。 クラスの出木杉くんみたいな存在でした。 でも、高校に入ってから高校自体がすごく自由な学校で、今までの自分は大人の目を気にして優等生を演じていたんだということがわかりました。 自分で善悪を考えなさい、という方針の高校で、自分がどういう人間なのかを深く考えるきっかけになりました。     自分らしく生きる塚本さんの自由奔放さと自分がやりたいことにはすぐに取り組む機動力の高さはまさに機動力女子でした。 日本全国を飛び回りながらパンを作る仕事は、機動力女子の塚本さんにしか成し得ない仕事なのだと思います。 これから塚本さんがオープンするパン屋が一体どんな風になるのか、楽しみでしかたがないですね!...

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木と土の匂いの中で、「ここだからこそできること」を大切に、育む。田中薫さんの「新鮮さを楽しむ」子育てとは

[caption id="attachment_8838" align="aligncenter" width="600"] 大路子どもの森で大路未来会議の福西さんとともにツリーハウスにて[/caption] 田中 薫さん 伊丹市出身、2007年ご主人の転職をきっかけに丹波に移住した田中薫さん。昨年目出度く第3子の長男をご出産され、3児の母になった彼女。都会育ちの彼女が田舎で行う子育ては、「ここだからこそできること」を大切に慈しんだものでした。 済木麻子(以下、麻):こんにちは!あ、赤ちゃんが生まれてる!田中薫さん(以下、薫):前会ったの、妊娠中でしたもんね。昨年8月に第3子が生まれました。今は、上が6歳、真ん中が4歳、で、この0歳の子の3人の子育てしてます。でもまさか自分が3人の母になるとは。子どもは1人で良いと思ってたので。麻:そうなんですか?薫:はい。丹波に来てからですよ、子どももっと欲しいなって思ったのは……。麻:それは、そう思うきっかけがあったということですか?薫:そうなんです。2007年に夫婦で丹波に移住してきて、2009年に今住んでいる家に引っ越してきて。その時には第1子を身ごもってたんですけど、住んでみて「周りに子どもっているんだろうか」という漠然とした不安が(笑)。当時丹波に知り合いもそんなにいなかったこともあって、どうやってお友達と遊ばせたらいいのかも分からず、このままでは大人とのコミュニケーションが取れても、子どもとのコミュニケーションが取れない子どもになってしまうかも……というところから、やっぱりきょうだい、いるかなと。で、産んでみて、大変なんですけど良かったと思っています。麻:すごいなー。でも、お子さんが生まれる前に丹波に移住されてきたということは、お二人とも丹波の出身ではないということですか?薫:二人とも、伊丹市の出身で。麻:伊丹カップルですね!それがどういう経緯で丹波に?薫:主人が、酒屋、酒屋の小売店の3代目で。ですが主人は、売る方よりも造る方に興味があるということで、酒造場への転職を考えていたんです。縁があって、丹波市市島町の山名酒造さんで働くことになり、そのために移住してきました。それに、漠然と田舎暮らしをしたいという想いも持っていて。麻:仕事のことだけでなく、田舎暮らしへのあこがれもあったのですね。薫:そうですね。たとえば、主人が幼いころから成人するまでボーイスカウトの活動を通して自然に触れていた事も一つです。私の方も、母方の田舎が丹波よりももっと田舎で、幼いころから長期休みの度、山や田んぼに触れていたという思い出もあるんです。引っ越しを考えたときは、遠方の九州まで足を運び視察しましたが、なかなか踏ん切りがつかなくて……。やはり双方の実家に気軽に会いに帰れる距離の場所、そして豊かな自然が身近にある場所をと思い、それが丹波だったのです。麻:移住するとなるとまずは家さがしという感じですが、すぐに出会えましたか?薫:それがねえ(笑)。はじめは駅近くにあるマンションに住んでいたのですが、主人の仕事場により近い場所で、やはり一軒家に住みたいと思うようになって。それで古民家などを探していたのですが、当時は、Iターンと言えば新規就農(農業をするために移住して、新しく農業に携わること)というイメージが強くて、私たちのように農業以外のことで移住してくる夫婦というのは珍しかったんです。知り合いもいなくて、なかなか物件にも巡り会えなかったんで、結局土地を購入して家を自分たちで立てることにしました。麻:それは思い切った決断で、大変でしたね。薫:ですよね。今は、Iターンと言っても新規就農の人ばかりでなく、本当にいろんなパターンで移住してくる人がいますよね。私たちの頃より、すんなり家に出会えるようになっているし、仕事も、移住してこっちで起業という人が増えてきて。すごいなと思っています。麻:まさに、先駆けというか過渡期の中で移住してこられたんですね。実際に住まわれてみて、驚かれたことはありますか?薫:もうね、いっぱいあるんです(笑)。同じ県内なんですけど、分からない言葉もあったりとか。住んでいる地区も、丹波市の中でも特に慣習やしきたりが残っている地域なんです。子どもが生まれたときや初節句には隣保の方がお祝いを持ってきてくださるので半返しを用意しておくことなど、知らないことばかりでした。どなたかが亡くなった時は世帯主がお葬式の前日にお扇子を持ってお悔みに行ったり、初盆に行ったりということも行われています。麻:そういうことって、特に外から来た人は、生い立ちの中で学んだりできないですよね。そういう村の慣習などは、どうやって学ばれたんですか?薫:どうしようと思っていたのですが、お向かいさんがとてもいい人で。私の母と同世代ということもあり、右も左も分からずお向かいさんに聞きに行ったら、「わしらを丹波のお父さん、お母さんだと思ったらいい、いつでも頼ってこい」と言ってくれて、その一言でどれだけ救われたか。何かあるたびに、聞きに行ったり頼ったりさせてもらっています。麻:それはありがたいですね。やっぱり新しい地域に入るときは、何かと不安ですからね。薫:それに、地域に入るときに子どもの存在もありがたいと思ったんですね。今の村に入った時お腹が大きかったのですが、本当に子どもを大切に、村で育てようという気持ちがある地域なので、それも受け入れてもらえた一つのきっかけだと思います。都会で赤ちゃん連れて歩いてても、かわいいねって声をかけてもらえることってそんなにないけど、ここだったらどんだけ言われるか(笑)。ご近所の皆さん、わが孫のように可愛がってくれます。麻:分かりますー。村の子、みたいな感じで大切にしてもらえますよね。丹波でお子さんを3人育てていらっしゃいますが、自然の中での子育てという点でお話を聞かせていただきたいです。薫:せっかくここにいるから、ここにある自然の中でしかできないことを体験させてあげたいと思っていて。でも、山はあるけれど自分たちで山に連れて行ってあげても、知識がないからどうやって遊んであげたらいいか分からなかったんですね。でも、主人の仕事関係の方から、「ムッレ教室」というのを聞いていて、良いやんって思ったんですけど、どこでやっているかもわからなくて。でもたまたま上の子関係で知り合ったお友達に聞いてみたら「私ムッレ教室行ってるよ」って。だから連れて行ってもらって、それからムッレ教室はずっと続けています。 [caption id="attachment_8835" align="aligncenter" width="320"] ムッレの活動の様子[/caption] 麻:「ムッレ教室」って、どんなことをされているんですか?薫:ムッレ教室の目的はまず、子どもたちに「自然に出かけることの楽しさ」を伝えることです。自然と触れ合うことで子どもたちは自然と生物界の循環、共生について肌で感じ、暮らしの中で自然や環境、ほかの生物への気遣いを自然と学べるんですね。それを教えてくれるのが「ムッレさん」という架空の妖精さんで、この妖精さんがナビゲーターとなって自然や動物の言葉を子どもたちに分かりやすく伝えてくれる…そのことで、子どもにも受け取りやすいんです。元々はスウェーデン発祥なんですけど、丹波市市島町の方が日本に持って帰ってこられて、日本の本部は市島町にあるんですよ。ムッレさんがお伝えすることは、一例で言えば「ごみを捨てたらどうなりますか」というようなことだったり。ムッレ教室のプログラムは5,6歳児が対象なんですが、聞いてみたら2,3歳でも大丈夫だよと言ってもらえて、うちは上の子が2,3歳のころから行っていました。麻:自然の中で遊ぶだけじゃなく、環境のことも学べるというのが新しいですね。薫:小さい時からムッレをやっていると、自然に還るゴミと自然に還らないゴミという概念を子どもが自然と理解するようになりました。だから果物の皮とか、自然に還るゴミは土に埋めたりしますが、ビニールとか缶なら、「ごみを捨ててると、動物さんが食べて、おなかがいたくなっちゃう」と、子どもが自発的にひろってもってかえるようになりました。虫とかお魚を捕まえても、観察はさせてもらって、でも持って帰らずに、元居た場所、お父さんお母さんのいる場所に還してあげようね、というのがムッレ教室で伝えていることです。麻:幼いうちから、ここでしかできないような素敵な学びを得ていますね。薫:都会には都会の良さがありますが、やはり幼いころに土や木の香り、感触、風の音や動物の鳴き声、旬の物の味、五感を使って自然に親しむ機会を親子そろって楽しむことが大事だと思っております。遊ぶことだけじゃなくて、ここは食育ができる環境なので、丹波の人から見たら「家庭菜園」ですが、都会から見たら「家庭菜園の範囲を超えてる」くらいの菜園を作っています。子どもと一緒に野菜を育てて、一緒に食べています。うちの子どもたちが好き嫌いせず普通に野菜を食べるのは、自分たちで育てたということと、旬の野菜を一番おいしい時期に食べられるからかなと思って。それを見てると、親も一緒に頑張れるなって思います。麻:お子さんと一緒にできることに、どんどんチャレンジされてる感じですね。薫:それも、近所のおばあちゃんたちの見よう見まねでやらせてもらったり、地域の人が見に来て「上手にできてるよー」と言ってもらったりして、「ああ、これでいいんだ」と感じたりしながら、やっています。麻:知り合いのいない環境に来られて、上手になじまれているのを感じます。薫:ありがとうございます。あと、来た当初は知らなかったのですが、丹波市の各町にある子育て学習センターなどで子育ての情報を得たり、お友達ができたりしたのも大きいですね。子ども同士で遊ばせることもできるようになったし。利用しているお母さんが少ないように思うので、もっと多くの人が利用してくれるといいなって思っています。   【TURN WORDS】 「ここでしかできないことを体験させてあげたい」 人生の新しいステージに立った時、今までにあったものが「ない」ということ、そして今までになかったものが「ある」ということに気付く。「ない」ものを得るために行動し、「ある」ものにフォーカスして、ここだからこそできることを惜しみなく楽しむ。田舎で生み、自然の中で育てる薫さんの子育ては、恵みのありがたさが自然に子どもへと伝わっていく、そんな形に思えた。 interview / writing:済木麻子...

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