人の数だけ仕事がある。ma-no仕事事典 vol.1 井口元

丹波で地元の方々とIターンUターンに愛されるカフェ・cafe ma-noで開催されるイベント「ma-no仕事事典」とふるさと定住促進会議の全6回のコラボ企画・レポート第一弾。   記念すべき第一回目は、丹波市の移住定住ワンストップ窓口を請け負う「みんなの家」代表の井口さん。   どんな幼少期・職業人生を経て、今の仕事に至るのかを、約1時間半のロングランでお話頂きました!         まずは、cafe ma-noのオーナーバリスタ・北さんと共にこのma-no仕事事典の企画発案者でもある井口さんから、この企画に込めた意図と想いのご説明。移住定住促進窓口業務を請け負う井口さんも、大阪から移住してきた移住者の一人です。     昨今の移住ブームの流れもあって、移住してきた人にフォーカスされがち。でも、移住する為にはその受け皿を用意してきた人たちがいて、そこに中々光が当たりづらい現状がある。このma-no仕事事典とふるさと定住促進会議のコラボ企画は 普通なら光の当たりづらい、移住者を支える人たちに光を当てる企画。         井口さんは、自身が仕事にまつわる自分の感性を考えたとき「昔からやってることばっかりやったな」と思う事が多かったそう。井口さんの10代から遡って、今につながる仕事の話がはじまります。         玉石混合のコミュニティだから感じる、楽しさ。     まずは小学校~高校時代の井口さんの話を、ひとつひとつ思い出すように辿っていきます。       昔から友人関係が全く偏らなかった。クラスにいるヤンキーも、隅っこの方にいるやつも、勉強ばっかりしてるやつまで友達だった。     昔から「あまのじゃく」だったと語る井口さん。例えば幼稚園でドッチボールが流行った時、右手でみんな投げるから、左手で投げるようになったり。  グループに分かれたり、部活単位で集まっているだけでなく、普通なら交わらないヤンキーの友達と静かな友達をつなげたりしたりして、人と人をつないだり、関わりを生み出す楽しさを感じたそうです。   そんな井口さんは高校・そして関西の大学に進学する事になりますが、ある事を感じます。      一定の水準を超えて、同レベルの人たちが集まることは、あんま面白くないなと思った     高校や大学のような、学業の成績などでふるいにかけられた環境より、中学校のような玉石混合のコミュニティで様々な価値観の方と交わるのが好きだと感じた井口さん。           今現在、田舎で暮らすようになって村のコミュニティにも所属し、楽しいと感じるのは「都会で普通のサラリーマンをしていたら、そもそも関わる事もないだろうという人と関わりを持てること」でした。      ようあんなやつと付き合ってんな、と言われる様な村の人とも仲良くなったりするんですよね。その人にはその人の良さがあって、いろんな側面があるんですよ。都会なら人が多すぎて、ちょっとでも悪いところが突出してたら、誰も付き合わんとこうとなるけど、田舎だと絶対顔を合わせないといけない。そういう環境が逆に面白かったりする。     同じ人柄じゃないから楽しい。都会と田舎を繋げる役割として仕事をする井口さんにとって、その双方の属してきたコミュニティが違って、考え方が違うのが当たり前。「違いがあるから楽しい」という前提と「普通なら交わらない人と人をつなぐ事に対する楽しみ」がマッチして、今の仕事があるんだなと感じます。   実際に、井口さんが丹波市の移住相談窓口業務を受託するようになってから、北近畿の山間部エリアで移住者の数をナンバーワンまで引き上げた実績があります。      人の力になる道で、ナンバーワンを目指して。       前述のように、ご自身の事を「あまのじゃく」だと語る井口さん。いつもナンバーワンを目指していたいのに、なれそうにないなと思うとすぐに諦めるクセがあったそうです。      中学校・バスケ部のキャプテンやりながら、バンドもやってた。バスケで一番になれないんだろうなと思って。別の逃げ道を探してたんでしょうね。いつも一番になりたくて(笑)理由はシンプルで、かっこいいじゃないですか。     大学時代は、画一的な人が集められているコミュニティが楽しくないと思った井口さん。自ずと外に目が向き、大学の仲間と3人で立ち上げたイベントサークルはほとんど口コミで約22校・150人程が集まる大きなコミュニティになりました。    その時に、色々な人が集まるコミュニティを作ったことと、コーチングの先生を呼んだイベントを企画したことで、仕事の軸となる考え方が生まれました。      路頭に迷ってたり、人生に迷ってるやつの力になりたい      自分だけでは解決できない悩みも、人に話し、一緒に考え、客観的な意見をもらうことで整理されて解決する事があり、その手段があります。井口さんが大学生の当時、まだ聞きなれなかったコーチングという概念は間違いなく、ビジネスの世界で流行ってくるだろうと感じたそうです。   そして、一つの組織に所属するより自営業で色々な会社の社長のコーチをやっていくプロになる道を志し、就職活動をせずフリーで働こうと考えた井口さんでしたが、親や親戚からずいぶん止められたそうです。   結果として一度就職する事になる井口さんですが、今こうして様々な方と関わり合い移住者の悩み・地域の経営者さんの悩み・自治体のおじさんたちの悩みを、「人と人をつなぐことで解決していく」井口さんの働き方は、地域のナンバーワンであり、オンリーワンだなと感じさせられます。        井口さんが委託を受けている移住相談ワンストップ窓口には、「女性の移住希望者さんが、より相談しやすくなるように」と、女性ばかりのメンバーで移住の相談を受けておられます。     選択の基準は、いつも「悪ノリ」     大学を卒業して、一度会社に勤めることになった井口さんが就職を決断した理由は、先輩に「新卒で入社できるの人生で一回だけやぞ」と言われた事に対して「・・・ほんまや!確かにそうや!」と思っただけ。     就職するのは修行で社会勉強だと位置づけ、自分が一番興味のない業界だけに絞って就職活動をしたそうです。そして、一番最初に受かったIT企業に勤めることになります。「とにかく大変な会社だった」と話す井口さんの最初の会社は、約1年で新入社員のほとんどが辞めてしまう様なハードな会社だったそう。     元々修行をするつもりで入社した井口さんは、20代後半までその会社に残り、業界最大手の取引先を任される様なポジションについたりもしましたが、30代のターニングポイントで転職を考え出します。      次の選択肢に自分が求めたものって、自分が思っていることと言ってること、やってることが完全に合致する環境にいたかったっていうそれだけだったんです。建前で話さなければいけないこととか。思ったことを率直に言えない環境とかもう嫌だなと思って。     そして、井口さんはとある事をきっかけに丹波への移住を決める事になります。      友人が丹波の市議会議員選挙に出て。投票日の2週間前に出馬するっていう無茶な話だったんですが、当選したんですよ。その時に選挙戦を一緒に戦った人たちを見て、こんなに人のために動いて、期間中自分の仕事や家族まで一旦投げ捨てて、人の応援に一生懸命になれる人達が丹波市にはこんなにいるんだって思って。   それで選挙の活動が楽しすぎて、大阪に帰って転職活動するのか、というのを微妙に感じてしまったんですよね。   そんな矢先、選挙活動で出会った後援会長の前川さんに、うちで働かへんかと言われたんですよ。井口君が来てくれるなら家買うって言い出して(笑)これは、移住してから語るエピソードとしておもろいやん、と思ったんです。       井口さんは、株式会社みんなの家の前身、移住者のみで共同生活を行うシェアハウス「みんなの家」で管理人をされていました。        「みんなの家」は、田舎というコミュニティで若者が暮らしを楽しむこと自体をコンテンツに、様々なメディアにも取り上げられました。        様々な経験を経て、今井口さんは丹波に住み、都市部と丹波をつなぐ事を仕事にしています。最後に、そんな井口さんが今後やっていきたいことを、質問してみました。      自分が一番力が入る時って何かなって考えた時、目の前の人とか、身の回りの人くらいは幸せにしたいな。と思ったんです。     都市部の大きな企業の顔の見えない人との関係性とかより、顔の見える環境でつながっていたいし、一生懸命がんばったやつががんばった分正当な報酬や評価をもらえるようにしたり、自分が思うように作っていけるのが丹波じゃないかと思ってます。それをやっていきたい。    私の中の「仕事」は目の前の人の役にたつこと。地域がどうとかは範囲が広すぎるんですね、自分には。今、丹波というフィールドでそれができていると思っているから、自分の手の届く範囲を幸せにしていきたいですね。        移住者を支える人たちに光を当てる・cafe ma-noとふるさと定住促進会議のコラボ企画。次回は11/11 タナカ建築板金工業・田中守さんです!...

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地域との繋がりと古民家暮らしを求めてー地域おこし協力隊・慎 淑恵

  ※この記事は、丹波の暮らしを外の目線で見てもらおう!という企画の一貫で、都心に住むフリーライター「Fujico」さんにインタビューして頂いた記事です。都心の暮らしと田舎の暮らし。違いはあってもその地域に長く住んでいると忘れてしまう最初の感動やおどろきがあったりします。実際に今現在都心に住んでいるFujicoさんからみた丹波人の魅力を、計6名インタビューしてもらいました! ———————————————————-             今の場所から住まいを変え、より良い暮らしをしたい。そんな夢を叶えるために、丹波市に住まう6人の移住者に会いに、筆者は東京からはるばる丹波にやってきた。今回インタビューする移住者は、古民家を求め移住を決め、今は丹波市住まいづくり課で地域おこし協力隊として働く慎 淑恵さんだ。   古民家が大好き!そう、キラキラした笑顔で話してくれた慎さん。丹波市への移住も、兵庫県には数多くの古民家があるのが理由の一つだそうだ。古民家をリノベーションというと最近の流行りのように聞こえるが、慎さんの古民家への愛はそんなものでは語りつくせない。     もともと昔から古民家が好きな慎さんは、大阪市内にいた時も建築設計を行なっていた。その後、より木工について勉強したいという意欲が湧き、飛騨高山で木工の学校に入学。そして木の椅子を製造する会社に就職したきっかけで、徳島に移住し9年間そこで過ごした。大好きなことを仕事にし、それを追求していく慎さんだが、生まれ育った大阪の近くで定住したいという思いが生まれ始め、「自分にとっての幸せな暮らし」を追求した結果、丹波への移住が決まった。     地域をより知りたいという思いで、地域おこし協力隊の道を選びました。         木の椅子を製造する会社に勤め、徳島で9年間を過ごした慎さん。その時は仕事をするために移住したため、特に地域との関わりはなく、人間関係も主に仕事関連だった。しかし今回の目的は定住。より地域のことを知りたい、地域の人と関わりたいと思い、地域おこし協力隊に応募した。     自分の得意を活かし、地域に還元できる仕事です。     得意の住まいの知識を活かせる丹波市役所住まいづくり課に、地域おこし協力隊として所属。ここでは空き家バンクの運営を行なっている。空き家バンクでは、空き家の所有者と丹波に住みたいという人々を繋げるお手伝いをしている。移住と一言で言っても、家を購入するのか賃貸なのか、リノベーションできるかなど状況は千差万別。さまざまな条件を持つ家と移住希望者の希望を合致させるのが、慎さんの仕事でもある。           何より古民家が好きで移住して来た慎さんは、今地域に関わりを持ち、かつ古民家に関する仕事ができ、とても充実した生活を送っているという。       慎さんが日々更新している空き家バンクの情報。 丹波市の住まいの情報を知りたい方は 住まいるバンク へ ※写真の物件は記事制作時のもので、物件の売買が成約している場合は住まいるバンクに掲載されておりませんのでご注意ください。     移住する時は大変でした。地域おこし協力隊として就職することが決まってから、1ヶ月後には丹波に移住しなければならないという状態。古民家に住みたかったのですが家を探す時間がなく、住まいづくり課の人々に協力してもらい、仮住まいを見つけました。なんと今はあるおばあちゃんの家の離れを間借りしていて、キッチンやお風呂は共同。けど、とても居心地がよく、当分は住まわせてもらおうと思っています。       古民家を改修しリノベーションをして住むのが夢で丹波に移住することが第一の目的だったが、思いもよらない方向に行った最初の移住生活。しかしそれは意外にも心地の良いものだったという。丹波市の中でも人口が少ないところだが、人との繋がりが強く、しかし移住者を快く受け入れてくれる。そんな人々の気さくさが、慎さんの故郷を思い出させてくれるそうだ。       近所の人と飲んだり、一緒に草刈りや掃除をしたり。都会などではなかなかできない経験が、ここでは自然と入ってくる。それが楽しくとても心地よいのだという。     古民家を買う夢はゆっくり叶えようと思います。今は丹波での生活をより知るための期間。地域おこし協力隊をしながら、自分も良い古民家に出会えれば嬉しいですね。       地域おこし協力隊としての任務を終えた後は、夢の古民家を買いリノベーションをして、そこに工房を作りたいそうだ。工房で家具の修復を行なっていくのが今後の夢だという。丹波にある古民家には多くの家具もそのまま残されていて、行き場がないような状態。その家具を修復し、新しく生まれ変わらせ、次の持ち主を探す。捨てるという手段ではなく、循環させて行きたいそうだ。古いものを大切に、長く使っていこうという慎さんの優しさを垣間見ることができた。     今後、丹波市に移住をしたいという人に何か伝えたいことがあるかと聞いてみた。   そうですね。とにかく丹波は人が優しい。他の土地から来てもすぐに仲良くしてくれて、まるでずっとここにいたかのような安心感があります。子どもがいる人も、自分たちだけではなく地域の人みんなが見てくれるので、みんなで育てて行けると思います。いろんな良いところはありますが、ぜひ一度見に来て体験し、感じてみてほしいですね。       人の温かさを感じさせてくれる丹波暮らし。自分自身の理想の生活を追求し丹波まで移住し、それを着々と叶えつつ、居心地の良い暮らしをする。とても理想的だがそれを現実に変えられるのはきっと、丹波の昔ながらの温かな風習と、慎さんの地域に溶け込もうとする姿勢が、とても良い化学反応を起こしているのだと筆者は感じた。     ——————————————————————— 〜TURN WAVE編集部より〜   丹波市に移住を希望される方のなかでも、古民家で暮らしたいという声はよく聞きます。長く田舎暮らしをしている人たちにとっては「寒いのに・・」「虫がたくさん入ってくる・・」などあまり価値を感じられていない事も多いのですが、日本らしさが残る古民家には、都市部で生まれ育った人たちが見てもどこか「なつかしい」と感じさせてくれる魅力があります。昔ながらの農業の営みと、地域のコミュニティが守ってきた古民家たち。慎さんのような、その両方を大事に思ってくれる人の手で、また100年先にも「日本らしい」家々と景観が守られていくのだろうなと、このインタビュー読んでまた感じさせられました。...

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【移住のフロントランナー みんなの頼れるアニキ 奥畑和也(48)】

Iターン・Uターンという言葉が認識されるようになったずっと前に、生まれ育ったまちを離れて、ゆかりのない丹波に移住して来られた方がいます。丹波市のJR柏原駅構内にあるレストラン山の駅のオーナー、奥畑和也さんは、24年前に丹波へIターンしてきました。   【取材班】こんにちは!おひさしぶりですー!   【奥畑さん】おー、ひさしぶりやな! (※奥畑アニキには、取材班もよくお世話になっています。)   【取材班】移住の大先輩の奥畑さんに、今日は色々とお話聞かせて頂ければと思います!よろしくお願いします。   【奥畑さん】ええでー。よろしくよろしく。     丹波に来るきっかけと、若手時代     【取材班】奥畑さんって、もともとは何がきっかけで移住してきたんでしたっけ?   【奥畑さん】嫁さんのお義父さんが、先に今の山の駅の場所で商売しとってな、1988年に開業してたんやけど、それで丹波に引っ越してくる事になったんよ。   【奥畑さん】当時はほんまにIターンUターンなんて言葉もなくてな、神戸から来た若造やったわけよ。でも丹波でこんなんやりたい、あんなんやりたい、って色んな企画を考えたりしながら、丹波暮らしを楽しもうって思ってたんやな。   【取材班】確かに、24年前だったら今と移住に関する考え方なんかも全然違いましたよね、若手の時から今みたいに、色んな人を巻き込んでイベントやったりしてたんですか?   【奥畑さん】いや、色々とやりたい事はあったんやけどな、まあ保守的な大人もたくさんおって(笑)「前例がない」ってよく止められたなあ。 [caption id="attachment_14033" align="alignnone" width="600"] 奥畑さんが仲間たちと、「おもろいことやろうや」と組織したひょうたん会[/caption] 【奥畑さん】けど、やっぱおもろい事やりたいし、みんなで楽しみたいからさ。丹波に来て10年近く経った頃、商工会の青年部に入って、部長になって。そのあたりで色んな大きなイベントも開催したりしたな。   [caption id="attachment_14034" align="alignnone" width="474"] 猪の肉と黒豆入り麺を使った、猪ラーメン!などアイデアも豊富です。[/caption]   これからの自分たちの役割。   【取材班】今も色々と新しい企画したり情報発信されてますもんね、色んな人が集まってるなって感じること多いなって思います。これからも何かイベントとか考えているんですか?   【奥畑さん】せやなあ、でももう「わし、こんなんしたいねん!」っていう歳じゃないねんなあ(笑)若い世代が元気になって、若い世代がおもろい事やったらええ、って思って。俺らはこれからはサポートかな、サポートしてなんぼやと思ってるかも。   【取材班】ご自身の経験もあるから、若い世代が動きやすいように、と考えられてるんですね、確かに最近・年越しとかの時期に山の駅で元気な活動もあったりしますもんね。 [caption id="attachment_13992" align="alignnone" width="600"] 山の駅にはたくさんの人が集まります。[/caption]     丹波Uターンナイト     【奥畑さん】その一つが、丹波Uターンナイトやな、これも山の駅使ってやってるけど、若手の企画なんよ。うちは電車近いから開催しやすいしやってるだけ(笑)   【取材班】Uターンナイト楽しいですよね!それをきっかけに帰ってきたって人も何人か聞きました。   【奥畑さん】そうそう、あれで何人か帰ってきたな。元々都市部に出てる若手も、お盆と年末年始は戻ってくる事が多いよな、その時期って丹波の人口が増えるわけよ。   【奥畑さん】最初やった時は参加者も全然おらんかったけど、除夜の鐘を1日早くつくイベントやったり、色々と考えながらやったらちょっとづつ集まってきたんよ。丹波ポークって美味しい豚肉があるから、それで鍋したりもしてな。   【取材班】いつも賑やかですよね〜。Uターンする人にとっては、同じように考えている人に会えるのって勇気もらうんですよね、きっと。   [caption id="attachment_13994" align="alignnone" width="600"] Uターンナイト!毎年生協のイベントです。[/caption]   【奥畑さん】そう、どうしようかなと悩んでる人が来た時に、そこで同級生に会ったりして、なんかその時に「地元帰ろうかな」って話になったりして毎年帰ってくる人が増えてる気がするなあ。   【取材班】なるほどなるほど、山の駅がある限り、こういうIターンUターンの流れはまだまだ続いていきそうですね!   【奥畑さん】いや(笑)まあさっきも言うたけど俺らはサポート役やからな、Uターンナイトも移住定住で頑張ってる井口くんたちの持ち込み企画やし。俺はこうやって、これからは若手のサポートにまわりたいなって、思ってるんよね。     ヨソモノとして地域に来て、地域に溶け込む事はIターンUターンという言葉が出てくるもっと前の時代は難しかっただろうなと思います。自ら先陣を切って丹波で面白い事をしようと走ってきた奥畑さん。若手の時ははがゆい思いをされた事もあったそうですが、そんな経験があったからこそ今奥畑さんは若手がやりたい事をやる場を提供しています。こうやって、地域もどんどん新しい風を飲み込んで変わっていきます。もしUターンを考えておられる方がいらっしゃったら、山の駅のUターンナイトに参加して、奥畑さんや他の移住者さんに話を聞きに行くのもいいかもしれません。...

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地域と大学生をつなぐ、コーディネーター 植地惇(26)

都市部の大学を卒業した後は、都市部の会社へ就職する事が一般的かもしれません。ですが、つながりやきっかけを得て、丹波での就職を決意し移住してきた方もおられます。植地さんは生まれ育った三重県を離れ、大学は大阪の大学へと進学しましたが、大学時代に丹波に来た事をきっかけに卒業後丹波へ就職・移住をされました。   【取材班】こんにちはー!今日は、よろしくお願いします!   【植地さん】こんにちは!よろしくお願いします!   【取材班】植地さんは大学卒業後、すぐ丹波に移住して来られたんですよね??今日はそのあたりの話を、お聞かせいただけると!   【植地さん】はい、よろしくお願いします〜   地域滞在型ワークキャンプ     【取材班】大学時代から丹波にこられてたんですよね?きっかけって、あったんですか??   【植地さん】そうですね、きっかけは大学1回生の時でした。一週間、丹波に滞在しながら丹波の生業を学ぶ、「地域滞在型ワークキャンプ」で当時丹波の青垣という地域で「佐治スタジオ」という施設を運営されていた、大学のOBでもある出町さんと出会ったんです。   【植地さん】それをきっかけに、2回生〜4回生まで、地域の愛宕祭というお祭りで「造り物」と呼ばれる神様への奉納物を作るのに参加させてもらったり、丹波でいろいろな企画をする活動の代表になったりと、丹波に関わらせてもらうようになったんですね。   [caption id="attachment_13929" align="alignnone" width="600"] 学生時代から関わった丹波地域[/caption]     【取材班】なるほどなるほど、植地さんは大学で建築系の勉強をされてたんですよね。そういったものも関係あったんですか?   【植地さん】そうなんです、ワークショップやものづくりに参加させてもらって、大学の勉強を実践的に学べたり。大学との連携がある分、丹波には来やすかったし、移住する前から身近に感じてました。   学びにあふれた、丹波の暮らし。   【取材班】移住して来られて、今は出町さんから引き継いで佐治スタジオの代表をされているんですよね。実際、どんなことをされているんですか?   【植地さん】そうですね、夏休みとかに大学生が来るコーディネーターとして、地域の人との調整や企画のやりとりをしています。佐治倶楽部でイベントをしかけたり、地域の祭りの前夜祭やお祭りの手伝いもしたりするんです。   [caption id="attachment_13930" align="alignnone" width="600"] 佐治スタジオの前で。[/caption]   【植地さん】その他にも、丹波にある「イクジウッド」さんという会社さんの製材所を借りて、製材をしたり、丹波の木の資源を使って、木材を使った改修なんかもしたりします。今は、出町さんが独立して設計事務所をやっているので、一緒に建築の設計や改修をやらせてもらったりもしますね。   【取材班】なるほど、大学時代に勉強した建築と、活動した地域とつながること両方を活かされているんですね。   【植地さん】そうですね、設計するのも、大工工事をすることでスケール感覚がわかってきたり、実際に自分の経験でスケール感をつかむのはいいことかなと思ってます。理解が深まっていくなと実感することは多いです。   人のあたたかい丹波で、これからやっていきたいこと。   【取材班】植地さんかなり丹波暮らしを楽しんでおられるように感じますね、ざっくりですが、実際暮らしはどうでしょう?   【植地さん】うーん。どうでしょうねえ・・・?笑   【取材班】あれ、意外な反応ですね笑   【植地さん】そうですね、丹波はコミュニティが濃く残ってて、みなさん本当に地域で仲がいいんですよね。みなさん苗字が一緒で、下の名前で呼び合ったり。実家は三重県でも県庁のすぐ近くで都市部だったんで、今まで都市部にいてたらできない経験が新鮮で楽しいですね。   【植地さん】ただ、冬寒いですね・・笑   【取材班】共感します笑   【植地さん】それで、マキストーブを使って暖をとってるんですが、製材の時の端材や木材を、地域の人にもらったりしながら。これも楽しいですね。   [caption id="attachment_13935" align="alignnone" width="600"] 丹波の木を有効活用する。[/caption]   【取材班】なるほどなるほど〜。地域の活動にもしっかり参加して、佐治スタジオもこれからもっともっと、楽しくなりそうですね。   【植地さん】そうですね、もともと丹波の空き家を活用する、という活動から始まってるんですが、個人的には景観を守りながら、暮らしを作っていく、そういうことをしていけたらなあと思っているんです。   【植地さん】学生さんがたくさん来るので、体験してもらえるバリエーションを増やしたり、今は学生さんも旅館やキャンプ場に泊まっているけど地域の人の家に泊まれたりしても面白いなと。若い世代がまちにどんどん関わっていけるきっかけづくりをしていきたいですね。   [caption id="attachment_13933" align="alignnone" width="600"] 地元の企業さんにも、たくさん協力してくださる方がいます。[/caption]   植地さんの話を聞いていて、とてもしっかり地に根付き、地元の信頼を得ながら活動しているんだなという事を感じました。佐治スタジオがある青垣町佐治地域の魅力を引き立たせるような新しい文化を発信していきたいという想いから「キヌイチ」というイベントも始めたりと、どんどん活動を進めていきます。「地域の方々のおかげで、連携を少しづつできるようになってきました。これから次のステップも、模索しているところですね。」地域とうまく連携しながら、若ものと地域の橋渡しをする。これぞ王道の地域活性・という活動の中に、植地さんらしい新しさが感じられるインタビューでした。...

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旧公民館を改修しながら住み継ぐ 。「市島町北奥の高橋家」

  丹波市市島町北奥。その名の通り市島町の北の奥で、山を一つ超えたら京都府福知山市です。     北奥に向けて車を走らせながら見上げると、ぽこぽことした里山の間にぱっくりと大きく空が広がっていて、 その下には畑や田んぼに囲まれた暮らしの営みが息づく。 ここはきっと、多くの人に「理想の田舎」と言わせる魅力のある地域。   photo |  兵庫県等59号線を左折し高橋家へ向かう途中   さて、この北奥にはどんな人が暮らしているのだろう? どうやら数年前に移住をしてきて、地元の人には「一風変わった」、 都会の人には「憧れの」暮らしをしている家族が暮らしているようです。 「大工の高橋さん」とも呼ばれる人。一体どんな人? 好奇心に駆られ、さっそく、お話を聞きにいってきました。   ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------   【取】取材班  【の】高橋のりとさん  【さ】高橋さやかさん ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------     【取】 (´-`).。oO(あ、明らかに一風変わった家が見える。あの家に違いない。)こんにちは〜 【さ】 こんにちは〜どうぞ上がって上がって。   photo |  高橋のりとさん(36)、さやかさん(36)長女ひまりちゃん、次女はるねちゃん、 長男ふうきくん(3):のりとさんは東京都八王子市出身、さやかさんは長野県北安曇郡出身   子どもが生まれる都度に微調整。 旧公民館を改修して「住み継ぐ暮らし」。   【取】 窓が大きくて光が入って、気持ちいいですね〜この家、どうやって見つけたんですか? 【の】 ここはね、もともと『親方』の家だったんです。 【取】 『親方』って大工の親方ですか? 【の】 そう。親方が住む前は旧公民館。その前は分校で、それを移築して建てたみたい。 【取】 もともと親方が住んでいた家を譲り受けた? 【の】 そう。最初はバイクに乗っていろんなところを走り回って、空き家っぽい家を見つけては、 『ここ住んでいいですか?』って自力で探し回ったけど、当然ながら断られてね(笑)。 そうしているうちに、親方が結婚を機に綾部に引っ越してね。 【取】 なるほど、それでこの家に。 【の】 そう。それで、『この家に住みたい』って、この↓写真をさやかに送ってね。     【取】 え、この写真・・・もうすこし片付けてから撮ってもいいですよね?(笑) 【さ】 やっぱそう思うでしょ?「えっ!?」ってなるよね。 【の】 そうかなぁ・・・。すごく気に入ってくれるだろうと思ったんだけど(笑)。 【取】 いや、だってちょっとこの天井とか・・・すごいな。 【の】 雨漏りの最盛期でバケツが5個くらいあったね(笑)。     【取】 5個・・・(笑)あ、これ↓は土間ですね?     【さ】 そうそう。これは今寝室になっているところで、昔は土間だったの。 2番目の子が生まれるまではここで料理しててね。 でも生まれる時にキッチンを作ってくれて、天井も張り替えてくれて。 生まれる度にちょっとづつよくなるんだけど、今止まってるからリフォームの方も止まっちゃって(笑)。 子どもは冷たーい土間でハイハイしてたしね。     【の】 まあ本人たちは気にしてないだろうけどね。つまりそう、たくましく育ってくれたね(笑)。 【取】 なるほど(笑)。でも暮らしに合わせて家も調整していくって素敵ですね。 ちなみにさやかさんはまだ直してほしいところはありますか?   photo |  半屋根裏のようになっている子ども部屋。リビングが上から一望できる。   【さ】 多々あるよー!廊下はトイレまでつなげて欲しいし、トイレもリフォームして欲しいし。 お風呂は薪だけど、これは気に入ってるから残したいな。 【取】 さやかさんのご両親、最初ここに住むって言った時、驚きませんでした? 【さ】 うーん、私の両親も生まれは東京で、田舎暮らししたくて長野に移住して現在は木を扱う家具職人なので、 「同じ道を歩んでるね」って言われたかな。苦労するよって言われたなぁ〜(笑)。   京都の農学部卒の大工『親方』との出会い。 そして、弟子入り・・・・?   【取】 そういえば、お二人はどちらで出会ったのですか? 【の】 大分県にあるアジア太平洋大学(APU)が一緒だったね。そこでは、バイクのオフロード仲間でした。 【取】 APUって海外志向が強いイメージですが、のりとさんは建築の勉強をしてたわけではない? 【の】 大学を卒業する前に、京都にあった水関係のNPOでインターンシップをしていて、 その間に出会った「親方」がつくった家に衝撃を受けてね。杉がむき出しになってる家。 こんな家あるんだと思った。それで、知り合いを通じて『親方』を紹介してもらいました。   photo | 高橋家のアルバム。右写真にいるのが「親方」。   【取】杉だらけの家に衝撃を受けた? 【の】 生まれが八王子で都会だったこともあって、木がむき出しの家ってそんなになかったしね。 今思ったら消防法の関係だってわかるけど、その時は知らなくて。 家=工業製品みたいな感じだったから、木でできてる家は生命感があって驚いたんだろうね。 【取】なるほど。その時の衝撃で、『大工さんになりたい』と思った・・・? 【の】 その時はまだ『大工になりたい』というのはなかったかな。 親方を紹介してもらったのも、ただ興味があっただけで。 【取】それにしては勢いがすごいですね(笑) 【の】 そうだね(笑)。でも、親方はもともと農学部出身で大工になった異色の大工で、 その生き方もとても興味があってね。一度出会ったことをきっかけに、何度か現場に遊びに行かせてもらいました。 【取】現場はどうでしたか? 【の】 『仕事の仕方』がいいなと思いました。最初に行った現場は、 山の中で一人で寝泊まりして木を刻んで(家を)建てていて、それがとっても面白そうな職業だなと思い、 そこで初めて『大工』という職業を意識し始めたかな。   photo | 高橋家は床も壁も天井も木。広々とした木のフローリングが心地よい。   【取】 ちなみに、水フォーラムのインターンシップの方は完全にそっちのけですね(笑) 【の】 あー・・・でも関係ないわけではなかったんです。 例えば、水を綺麗にしようと思ったら山の維持管理が大切。 一度、NPOで水が流れてくる山を見に行くツアーをしたことがあって、 その時に見たのは間伐した木を切り放しで腐らしている荒れ果てた景色で。 こういった間伐材を使って家をつくりたいなと思っているタイミングで、親方と出会ったんです。     【取】 なるほど。ちなみに、実際『弟子入り』はすぐできたんですか? 【の】 うん、断られたよ(笑)なんたってずぶの素人で、建築学科出たわけでもないしね。 0から育てるのはキツイわって言われた。 【取】 そりゃそうか(笑) 【の】 なので、福知山の職業訓練校の建築科に入りました。   移住はやりたいことを追求していった「成り行き」。 丹波暮らしは、佐川バイトからのスタート。   【取】 それにしても、移住してきてから生計建てられるかな?とか不安に思うことありませんでしたか? 【さ】 うん、あったね(即答)。でも、私は大学4回生の時に保育士の資格をとっていて、 その頃は福知山で臨時職員の保育士として働いていました。   photo | 「保育士だったらどこでもやっていけると思ったの」と、 昔のことを思い出して思わず微笑むさやかさん。   【の】自分は最初の頃訓練校通いだったので、昼間は学校で夜は佐川で仕分け作業のアルバイトをしてました。 バイト代確か5万円くらいだったかな。実は訓練校に行けばお金をもらいながら学ぶことができたみたいで、 みんなそうしてたみたいけど自分はそういう知識がなくて(笑)だから、明日何食べようっていう日もあった。 【さ】 その時はまだ子どももいなかったしね。貧乏生活が楽しかったかな(笑) 【の】 そうだね、やりたいことをやっていたから、大変だとはあまり思わなかった。 【取】 いつかは親方みたいになりたいと思っていた・・・? 【の】 仕事の仕方はそうだね、でも『どんな仕事を取っていくか』はそれぞれの価値観があるからね。   「大工」にも様々な仕事スタイルがある。 「自分らしい仕事」をつくるまで。   【取】 自分の価値観で仕事をつくっていく。 周りに完全にお手本にできるという人がいない場合、どうやって仕事の方向性を決めてきましたか? 【の】 仕事仲間かな。応援に来てくれた大工仲間に「どうしよう?」って相談したりね。 でも独立したての頃は、仕事が来たら選ばずになんでも受けようというスタンスでした。今でもそうだけどね。 でも最近はありがたいことに、(仕事が)多くて手が回らないことまで増えて来たので、 自分がしたい仕事を選べるようになってきました。 【取】 そういう時は、どうやって選びますか? 【の】 仕事自身がおもしろそうというのもあるけれど、 この仕事はお施主さん(家主)と一緒に家をつくっていくお仕事だから、 やっぱりお施主さんが魅力的な人かというのも大きいです。 【取】 ちなみに、肩書きとしては『大工』ですね? 【の】 うん、そうだね。 【取】 私のイメージの『大工さん』は、その日現場に行って作業する専門という感じです。 【の】 今のメインはそうかもね。でも昔は、大工さんは頭の中で思い描いたものを家にしていたんだよね。 だから、大工が設計するのもお仕事の範疇だと思っています。現場で考えながらつくっていく。 それを抜いたら、設計図みながらプラモデル建てるみたいになってしまうから、 あんまり自分にとっては面白くないな・・・。   photo | 話しながらいただく、さやかさん特製「もらったサツマイモでつくったケーキ」が衝撃的に美味しい。   【取】 実際にどんな感じで家をつくるんですか? 【の】 自分の場合、図面は平面図で書くけれど、実際には現場を見ながらつくり変えていってます。 使う素材は決めておくけれど、実際にどう納めるかとか、素材の使い方は、 どうやったらお施主さんが満足してくれるかなとか、考えながらつくります。 【取】 そうなると、本当にお施主さんの思いを汲み取らないとできませんね。 【の】 そうだね、例えば『この部分は当初予定していたあの素材よりも、 こっちがいいかもしれない』と思った場合は、お施主さんに逐一確認しながら進めています。 【取】 本当に二人三脚。 【の】 そう。お施主さんと一緒につくることを大切にしてます。 つくる段階で思いを一緒にできると、住み始めてからも大切につかいたくなるでしょ? まずは自分が家づくりを楽しむこと、そして、お施主さんの想いをカタチにしていくことが自分にとって大事です。 【さ】 うん、うまい。よくまとめたね(笑) 【の】 こういうの、あまり言葉にすることないからね・・・(照) 【取】 家づくりの予算が少ない時とか、困る時ありませんでした? 【の】 そういう時は、お施主さんにも手伝ってもらったりします。 竹切ってもらったり、地域の公民館潰した時にでてきた建具を持ってきてもらったりしてね。 そうやって一緒になってつくった家に遊びにいった時に、『とても気に入ってる』と言ってもらえると、 すごく嬉しい。   photo | のりとさんが関わった家、お施主さんが持って来た建具。   【取】 一緒につくるっていいですね。他にも、家づくりで意識していることありますか? 【の】 『空気の質』というのかな。 基本的に自分の家づくりは土と木だけでできているので、触っていて気持ちよくない素材は使いたくない。 自分にとっても気持ち良い家をつくりたいです。 【さ】 のりちゃん(のりとさんの愛称)はよく、『好きなことが仕事になってるから嬉しい』ってよく言うね。 【の】 そう、本当に。この仕事が好きなのは、すごく自由なところもあって。 自分でものをつくって、自分で責任を負うからね。 あとは、もう少し技術をつけたりして余力を残すことができたら、『考える時間』に割きたいな。 『これをつくりたい!』って思った時に、刺激をもらいに海外とかまで見にいったりね(笑) 【取】 いいですね、それ!・・・ちなみに、田舎で大工をすることの利点ってあります? 【の】 大工だと材料をたくさん持っていないといけなくて、 都会だとその場所を確保しようとしたら家賃が結構かかるけど、こちらはスペースがたくさんあるね。   ◆ 木材ストック小屋(元牛舎) ◆  丘の上の作業場 photo | ご近所の方に2棟(上下)1万円で借りている作業場と木材ストック小屋。 仕事に使う木材は、人工乾燥ではなく天然乾燥のものを使うのが、親方から受け継いだ流儀。 乾燥の工程は場所代や手間もかかるので、製材所に頼んでいる工務店がほとんどだという。   photo |  作業場からは家が見える   結婚を機に変わる、地域とのお付き合い。   【取】少しお仕事から離れて地域での暮らしについて聞こうと思うのですが、ぶっちゃけどうですか? 【の】 こっちにきてからしばらくは結婚してなくて、苗字もばらばらでした。 でも、結婚してからは地域をのつながりがガラッと変わったね。 【取】 変わったというのは? 【の】 それまでは『いつ出て行くかわからない』というのが集落の人たちにもあったから個人個人はよくしてくれるけど、 「集落として」共同でする作業は地域の人も気を使って声をかけてこなかったんだよね。   photo |  昔、集落の行事「地蔵盆」が開かれたいたというお地蔵さん。この後ろが高橋家   【さ】 結婚もして、家も買ったら、『もうここに住み続けるだろう』という目で見てくれて、 「ありがたい」って思ってくれているみたい。 【取】 『こんなとこよう来たな』とか言われませんか? 【の・さ】 うん、今でも言われる(笑) 【取】そうですよね(笑)。丹波の中でも比較的田舎と言われる地域でしょうし。 『外からの移住者』も少なかったでしょうし、閉鎖的な感覚はなかったですか? 【の】 うん、あったのかな。 でも自分がこの家に住み始める時に、親方が塚原集落(※1)の方としっかりつないでくれたね。 ※1 塚原集落: 高橋家がある集落。10世帯が暮らしている。   行事が多い田舎暮らし。共働きだと大変・・・?   【取】 暮らし始めてから困ったことはありますか? 【さ】 共働きで両親もいないから、子どもが病気になった時は困るかな。 【の】 あとは、行事が多いことかな。消防団とかで出て行かないといけない時、 地域の人はおじいちゃんおばあちゃんがいて子どもを見てくれる人がいるけど、うちはいないのでそこが大変かな。 【さ】 あとはPTAが大変かも。子どもが少ないとすぐに当番がまわってくる(笑)。 夫婦も別々だから、夫がしたら次は嫁みたいなね。 【取】 なるほど確かに。それは忙しい。 【の】 移住前の段階で、すべてを知りすぎたら来ないかもしれないね。 自分も草刈りとか、PTAとか全く知らなかったし。来てから段々馴染んでいく感じかな。 なので、そういうのも含めて暮らし方を自分でつくっていかないとね。 【さ】 うん、確かに移住をしてきてから受け身の姿勢だと、しんどいかもしれないね(笑)。 【の】 でも、意志さえあれば自由に自分の暮らしをつくっていける場所ではあるね。     親が暮らしを楽しんでいれば、 子どもは勝手に楽しみを見つけるもの。   【取】 それにしても、このあたりは子どもが少ないですね!(正直) 【さ】 そうですね、この子たちに一番年が近いのが25、6歳くらいだしね。 【取】 子育ての不安とかなかったですか? 【の】 うーん、自分たちも行き当たりばったりなとこあるからね(笑)。 【さ】 不安は全くなかったね(笑)。長女が生まれてちょっと大きくなった時に 地域の市島子育て学習センターにいったら同世代の子たちとも出会えたし。 子育てセンターが結構充実してたしね。 【の】 共働きでなかったのも大きかったかね。二人とも働いてたら送り迎えできなかったんじゃないかな。 【さ】 そうだね、一番近い友達の家で5キロ?7キロ?離れてるしね。 【の】 近くの友達だと、奥丹波ブルーベリー農場の古谷さん。 近くの親類みたいに親しくさせてもらってます。小学校も一緒だしね。 【取】 そっか、公道に出ないで細い道ではいけるけど、 距離もあるし自転車だとちょっと心配ですね。     【の】 うーん、そういう面では不便かもね。市内でも市営住宅とかであれば、 同世代の友達は多いかもしれないけど、こういう人里離れた場所は不便かな。 【取】 でも高橋家は不便を感じたことはないと? 【の】 そうだね、兄弟もいるから遊べるしね。 【取】 田舎子育てにおいて『同じような感覚を持った家族が近くにいる』って大事ですか? 例えば、ブルーベリー農場の古谷さんなど。 【の】 そうだね、とても大事だと思う。「移住者」という境遇も同じだしね。 こっちが小学校のお迎え行けない時は代わりに行ってくれたり、 他にも、「うちに帰ってきていいよ〜」っていう友達も結構いて、朝預けて送り迎えしてくれたり。 【取】 助け合いですね。 【さ】 そう。この家の周りだったら、子どもたちは野放しにしてても村の人の家でみかんもいで帰ってきたり、 田んぼ走り回ってたりとか、子どもたちにとっては、とってもいい環境だと思う。     【取】 家の周辺には『親』がたくさんいるって感じですね。 【さ】 そう、『昨日大きい声で泣いとったな、何があったんや?』とか、気にしてくれてるよね。 【の】 そうそう。もともと旧公民館だったこともあって、村の人から見えやすいところに建ってるしね。 洗濯物を中に取り込んでくれてたり、つい一昨日も(笑)。 【さ】 雨降ってきてたからね(笑)。なので、子どもたちの親である前に、私たちの親でもあるかもね。     【の】 人によっては(常に気にされてるのは)嫌かもね(笑) 【さ】 人によってはね。私たちはいいけど。 野菜が玄関にかかってたりとか、『新米とれたで〜』とか言って、ドーンと新米持ってきてくれたり。 この集落は大正解。みんな本当に親切にしてくれるね。 【取】 何かそうやってものをいただいた時は、すぐに何かしら返しますか? 【の】 いや、なにも返したことないんじゃないかな(笑) 【さ】 たまに、もらった野菜でつくったものを持ってたり、 ピザ焼いた時におすそ分けしにいったりするくらいかな・・・・ 【の】 うん、10してもらって1返せてるくらい・・・(笑) 【取】 そうですか(笑)なんとなく、都会だと、すぐに返したがるじゃないですか。 【の】 あーそうだね、それやるとしんどいかもね(笑) 【さ】 こっちの人は、私たちが喜んでるのを見て喜んでくれる。だから素直に、ありがとうって伝えるのが大事。   photo |  取材中に、子どもたちにどこからか持ってこられた柿たち   丹波市内の高校は3つ。 子どもたちの将来について不安に思うことはありますか?   【の】 うん、まぁ、自分が好きにやってきたから好きにやってという感じかな。正直あまり考えてないです。 【取】 ここで育ったら、好きなことを選んでいける土台が築けそうですしね。 【の】 そうだね。親が好きなことをやっていたら、同じように楽しんで物事を進めていくんじゃないかな。 子どものためと言って自分がしんどい思いしていると、子どももしんどくなると思うしね。 【取】 なるほど。なんだか今日は大事なこと聞いた気がします。 【の・さ】 うん、またおいで〜今度はピザパーティーしようか。 【取】 それは嬉しい!また来ます!   ------------------------------------------------------ 取材を振り返って ------------------------------------------------------------- スウェーデン語で「エンケル」という言葉があります。「普通でちょうど良い」 という意味だそうです。 高橋家の暮らしを垣間見て、すぐに浮かんできたのがこの言葉でした。 子育てについても、仕事の仕方についても、家についても、すべてが「無理なくちょうど良い」。 そして、実はこの「ちょうど良さ」を調整するために、ある種の不確定さをあえて残している。 最初から「完璧」をもとめるのではなく「余白」が残っていたからこそ、 高橋家の暮らしにはどこか肩の力を抜いたような、自然で気持ち良い雰囲気があるのでしょう。 お話を聞いていて、「楽しいことも」「大変なことも」どちらもありました。 どちらが多いや、少ないというのではなく、そのちょうど中間くらいをしなやかに歩んでいく。 そんな暮らしが、とても魅力的に感じました。 ------------------------------------------------------- TURN WORDS ------------------------------------------------------------- ◆ 「移住は結果論。やりたいことをやっていたら、引越しがあっただけ。」 ◆ 「親が好きなことをやっていたら、(子どもも)同じように楽しんで物事を進めていくんじゃないかな。 子どものためと言って自分がしんどい思いしていると、子どももしんどくなると思うしね。」 ◆ 「移住前の段階で、すべてを知りすぎたら来ないかもしれないね。 自分も、草刈りとかPTAとか全く知らなかったし。来てから段々馴染んでいく感じかな。 なので、そういうのも含めて暮らし方を自分でつくっていかないとね。」 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------   photo |  高橋家。住まいるバンク担当のミミさんも一緒にパシャリ ↓  後日の薪窯ピザパーティ! ↓   大髙建築 Facebook  |  https://www.facebook.com/daitakakenchiku/ ...

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500人の丹波人に出会った、流浪人系Uターン 西脇和樹(31)

生まれ育った町に大人になって帰って来ること。大学入学と同時に都会に出て、きっともう田舎に帰ることはないだろうなと思って過ごしている。そんな人は多いかもしれません。西脇和樹さんもその中の一人でしたが、2016年31歳になってUターンとして丹波市に戻ってきました。どんな想いや考えで、Uターンという選択をしたのかを聞いてきました。     【取材班】こんにちは!今日はよろしくお願い致します!色々とお話聞かせてください。 【西脇さん】こんにちはー!よろしくお願いします。   【取材班】噂の・・!!東京で丹波人500人に出会うっていう謎の企画をやりきった西脇さん・・!! [caption id="attachment_12100" align="alignnone" width="600"] 西脇さんは、丹波市へのUターン前に東京で500人の丹波人に出会うという企画をやりきった経歴の持ち主。[/caption]   【西脇さん】謎のって(笑)うん、まあ確かに謎か・・笑 それまで全くなかった、丹波に帰って暮らすという選択肢   【取材班】ちょっと色々と、丹波で育った時のことから聞かせて頂いていいでしょうか?元々丹波に対するイメージってどうだったんでしょう? 【西脇さん】高校時代までは丹波で過ごしたんだけど大学に進学して、丹波を出て行く時は将来丹波で暮らすイメージはあまり持っていなかったね。。高校生の時に勉強する意味を問うたら、「高校生は勉強するもんだ」って先生に言われて。その他にもいろんなことがあって、なんて閉塞感のある町なんだと思ってた(笑)「早く都会に出てみたい」って思ってたのを覚えてるなあ・・     【取材班】そういう思春期の周りの大人の言葉って、いつまでも印象に残ることありますよね・・。それで大学を卒業しても働くのは都市部で、という感じだったんですか? 【西脇さん】そうそう、そもそも丹波で暮らすっていう選択肢自体当時は全く頭にもなくて。地元の友達とは仲良くしてるけど、丹波は盆と正月に帰ってくる場所みたいな。で、ずっと都市部で働いてた。ただ心のどこかでは丹波が気になっててFacebookとかで丹波のUIターン者が盛り上がってるのは見てたんだ。そんで去年、東京で働き始めた時に、丹波Uターンナイトっていう丹波にUターンした人たちが集まる会が企画されていて、それに行ったんですよね。 [caption id="attachment_12098" align="alignnone" width="600"] 丹波で2015年お盆に開催された、Uターンナイト!の様子[/caption]   【取材班】お、なるほど。それでUターンもいいなって思ったんですか? 【西脇さん】いや実は、初めてUターンナイトに参加した時はちょっと嫌だったんだよね(笑)なんか常連っぽい身内感のある人だけで集まっている印象で。逆に向こうからも「プライド高い頭でっかちな奴だな」って思われてたらしいけど(笑)でも、その後中学校時代の同級生に会って。その同級生はすごく保守的というか新しいことにチャレンジする印象ではなかったんだけど、どんどん新しい事をしていってる彼を見て、その変化にすごく驚いたと同時にUターンという選択肢もポジティブに感じられるようになったんだよね。     【取材班】あの超笑顔でたこ焼き焼いてるお兄さんですね・・!笑 【西脇さん】そうそう(笑)他にもIターンやUターンの人に会っていって、その頃に出会った人たちが本当に楽しそうで、丹波市に帰るっていう選択肢がポジティブな印象に変わっていって。やっぱり丹波は自分にとっての「ふるさと」だったんだって思うようになったかな。   Uターンする事を決めてすぐに訪れた、考え方の転機     【取材班】なるほど、そしてUターンする事を決めてからの、500人企画ですね、Facebookでものすごい盛り上がってるの、見てました。外から見てるとほんと楽しそうという印象と何だかものすごい勢いがあるように見えましね〜〜。そもそも、何でそんな事をやろうと思ったんですか? 【西脇さん】そうだなあ、簡潔に言うと「暇だったから」かな。充電中という名の無職だったから、丹波市の移住定住を促進している人と出会ってこの企画を持ちかけられた時に、ちょっとおもろそうやなって。それだけかなあ。     【取材班】そんな理由で・・笑 【西脇さん】でも、企画の2日前くらいまでは500人なんてただの目標だと思ってたから(笑)普通に計算しても1日50人くらいに会わないといけない、初日はなかなか人数伸びなくて、お昼過ぎても5人にも満たなかったし・・ [caption id="attachment_12099" align="alignnone" width="600"] 企画開始前の西脇さん、不安な感じが・・笑[/caption]   【取材班】いやでも、ちょっと達成しなくても別にいいんじゃないかって思ってしまいますよね・・笑 【西脇さん】そう、最初はそんな感じだったんだけど、「丹波市のチャレンジやけど、お前のチャレンジやからな」「周りの助けだけでいけると思うなよ」って結構バシッと言われて、そこでスイッチが入って。そこから本気になって、達成まで持って行けたかな。。     【西脇さん】その中で、本当にご縁の不思議さを感じたんだよね。企画で出会ったマリ人のケイタっていう男の子がセネガルの「タンバクンダ」って町に昔住んでたり(笑)それから、東京の中でも本気で何かに取り組んでる人は、不思議なほど丹波の人とも繋がってたりして。こういう面白い活動をしてる人って、それぞれが繋がってるんだなって。なんかそう思ったな。     【取材班】それは本当にやりきった人にしかわからないですよね。でもやりきった達成感はものすごそうでしたね! 【西脇さん】そう、今まで自分が生きてきた中で初めて必死になって、全力で取り組めた気がして。それまでは何でもチャレンジしようっていうよりは頭で考えてる事が多くて。今回100%コミットしてやってると、本当不思議なほどみんな助けてくれて、応援してくれて。   【西脇さん】自分で何か本気でやってる人が応援してくれたという印象でした。そういう人たちが手伝ってくれたのも、自分が本当に本気になって必死に頑張ってたからなのかなと。       「自分でないといけない」という感覚を持てた場所       【取材班】丹波って、暑苦しい人も結構いますもんね(笑) 【西脇さん】確かに(笑)これからは、そんな人たちや500人企画でお世話になった人達に「西脇に頼みたい」「西脇に任せたい」って思ってもらえるような、自分自身に対する付加価値をつけていきたいなって思う。本気で、必死で頑張ってる人たちのコミュニティに入っていきたいなと思うな。   【取材班】意外と本気になれる場所は地元にあったんですねえ。。 【西脇さん】そうだね、なんか都会にいる時と比べて「自分でないといけない」と思える仕事の話やプロジェクトに参加出来ることが増えたと思う。東京は便利だし飲みに行く場所もたくさんあって楽しいけど、「自分が絶対にいないといけない」という理由が見出せなかった気がするなあ。   [caption id="attachment_12103" align="alignnone" width="600"] 丹波ぐらし満喫中です![/caption]   地元に戻って暮らすことに対する抵抗は、もしかしたら地方出身の多くの人が持っているものかもしれません。都市部に出て一生懸命働いて、都市部の暮らしを満喫する。同時に、「田舎には仕事がない」「楽しいことがない」といったネガティブなイメージを持ったままでいる事になるかもしれません。西脇さんがおっしゃった、都市部では感じられなかった「自分がいるべき」という感覚は、人口が一極集中した都市部での暮らしに足りていない一つのやりがいで、人口が減少していっている地方にとっては溢れているやりがいなのかもしれません。   TURN WORDS 「何ものかになりたかった」 東京や大阪なら、絶対にいなければいけない理由はなかった気がする けれど、丹波には「自分が」いるべきではないかと感じる  ...

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笑顔の時間をクリエイトする、スーパーバリスタ 北信也(31)

  田舎に移住してのんびりとした時間を感じながら、自分だけの小さなカフェを経営して。。丹波のみならず、田舎に移住したいと思う方の中には、カフェでの起業を夢見る方も少なくありません。そんな方にとっては、まさに先駆者でもある、丹波のIターンUターンがたくさん集まるcafé ma-noのオーナーバリスタ、北さんを取材してきました!   【取材班】こんにちは〜! 【北さん】こんにちは〜、久しぶりだね〜 (※実は取材班もma-noさんの常連なのだ!)   【取材班】今月もう何回か来てますよ笑 【北さん】あ、そうだっけ、来すぎてて気づかないね笑   【取材班】ところで今日は、「TURN WAVE」の取材です!丹波に来たきっかけや、お店を始めた当時のこと、今のこと、丹波の暮らしなど色々と聞かせてくださいね! 【北さん】もちろん、よろしく〜〜   [caption id="attachment_11594" align="alignnone" width="600"] cafe ma-no カウンターに立つ北さん[/caption]   [caption id="attachment_11598" align="alignnone" width="600"] cafe ma-noで働く恵さん。恵さんは丹波出身でオーストラリア等海外にも行ったりと経験豊富。[/caption]     caféを開業した理由。笑顔がみたかったから。       【取材班】さっそく本題に!北さんは確か、学生の時からcaféをするっていう夢があったんでしたよね? 【北さん】そうそう、きっかけは些細な事なんだけどね、小学校の頃から甘いものを作ったりしてたんだよ。それを学校に持って行ってみんなに配ったり、バレンタインデーに女の子と交換とかもしてたなあ。その時に甘いもの食べるとみんな笑顔になるんだな、って思ったのがきっかけ。   【取材班】おおー、それはぜひクラスに一人はいてほしい存在ですね!重宝されそう! 【北さん】そう 笑 それで高校生になって、進路を考え出した時に「誰かが笑ってる顔をみたい」そういう仕事がしたいって漠然と思ったんだよね。で、甘いものを食べてもらう仕事がわかりやすいなって。誰かを笑顔にするのに、一番簡単だと当時思ったわけ。   【取材班】なるほど、確かに甘いものって元気になるし、笑顔になっちゃいますよね〜。あと、コーヒー苦手な僕でも、ma-noのカプチーノは美味しい!って思う。そういう驚きも、笑顔につながったりするなあ。 【北さん】嬉しいこと言ってくれるね〜 そう、驚きも大事だと思ってて、コーヒーにも、お店の中にもたくさんの仕掛けをしてあるんだよね。   【取材班】確か一からお店作ってましたもんね。 【北さん】そう、本当に壁の塗装から家具作りから、何から何まで自分たちでやった。たくさん仲間が手伝いに来てくれて、関わってくれた人たちがいなかったらma-noはなかったなって言い切れるね。   [caption id="attachment_11595" align="alignnone" width="600"] ma-noを立ち上げた当時の写真たち。お店に素敵なフォトブックがあります。[/caption]     神戸・東京にいたときの経験     【取材班】ところで北さんって丹波には全く縁もゆかりもないんでしたっけ?? 【北さん】いや、生まれは東京なんだけど2回引っ越して丹波の隣の隣、三田市に小学校の時から住んでて、高校は丹波の隣の福知山だったから、学校に通学途中に通ってたっていう場所ではあるんだ。     【取材班】なるほどなるほど、それで開業の時も仲間が集まったりしたんですね〜 高校卒業のあと、都会暮らしでしたっけ? 【北さん】そうそう、神戸に働きに行ってて、最初はパティシエになるためにパティスリーで働いてたんだよね。そのあと、神戸のcaféで働きだしたんだけど、美味しいコーヒーってなんやねん。って考えた時期があって。東京銀座にある、大手のカフェの一番良い店、フラッグシップ店に行ったんだけど、そこで飲んだコーヒーが??って感じだったんだよ笑   【取材班】美味しくなかったんですか笑 【北さん】そう、それがきっかけで、東京に仕事でヘルプに行くようになって。やっぱり働いてると、どこを改善すれば美味しくなるか見えてくるし、改善の提案をし続けたんだけど変わらなかったんだ。   【北さん】でね、ある時仕事中におじいちゃんが来店されたんだけど、当時の店長に「あの人に今思ってること全部言ったら変わるよ」って言われて。よくわからないまま今までの提案を全部言ったら、そのおじいちゃん、会社の会長さんだったんだよね笑   【取材班】すげー笑 何も知らされずに会長に直談判したわけだ笑 【北さん】そう笑 そしたらまあ驚くくらい会長のトップダウンで現場が変わったんだ。早かったな〜。マネージャー達は相当困惑したと思うよ笑   【取材班】なかなか爽快な話ですね笑 そのあと、ma-no開業でしたっけ? 【北さん】あ、開業の前にその会長がポケットマネーで作った会社のカフェに呼んでもらって、少し働かせてもらってたよ。   【取材班】会長から直接スカウト!すごいなー!       4周年を迎えたma-noの、一番の魅力は     【取材班】今年の10月で4周年ですよね、4周年パーティ楽しかったな〜〜 【北さん】そうそう、来てくれてありがとう〜何せやってる自分が誰よりも楽しかったからね笑   [caption id="attachment_11600" align="alignnone" width="600"] お近くのイタリアン・コメプリマのお二人も、4周年パーティでお料理を出しに来てくれていました![/caption]     [caption id="attachment_11601" align="alignnone" width="600"] 北さんの高校時代の同級生、高田さんの絶品たこ焼き![/caption]   [caption id="attachment_11596" align="alignnone" width="600"] 森のアウトドアコーディネーター・花田さんもスペシャリティBBQで参戦![/caption] 【取材班】北さんいつもそんな感じですよね笑 自分が一番楽しんで、それがお客さんにも伝わって伝染していくような感じ。 【北さん】うん、それはある笑 お客さんには本当に恵まれてるなあ。   【取材班】北さんは、ma-noの一番の魅力ってなんだと思います?? 【北さん】そうだな。やっぱり「人」かな。美味しいものって世の中にいっぱいあるし、楽しい事もいっぱいある。けど、同じ方向をみてる面白い人が集まってるma-noは、ここにしかないって思ってて。オーナーである自分がいなくてもma-noは成り立つから、ma-noの魅力は「人」かな。   【取材班】確かに。なんかちょっと空いた時間に立ち寄ると必ず顔見知りがいるのも魅力だなって思いますね!イベントとかもたくさんやってるから、どこかしらで出会ったり繋がったりしてますもんね。 【北さん】丹波の魅力でもあると思うけどね。いろんな人が繋がってて、そしてもれなく面白いっていう笑   [caption id="attachment_11597" align="alignnone" width="600"] 取材した日もオモシロ人がたくさん。(左から)Iターンのお姉さん系プログラマー湯山かなこさん、同じくIターンでヨガ・デザインと幅広く活動される渡辺ケンさん、Uターンで地域課題を解決するシェアハウス「みんなの家」のオーナーで学習塾も経営をされる丹波アニキ前川進介さん、関西の大学生で様々な活動もしながら、ma-noにもインターンに来ていた松岡里奈さん[/caption]   [caption id="attachment_11599" align="alignnone" width="600"] 左はお隣篠山市へUターンし、地域教育等の活動をされている細見さん、右は大阪の公務員から起業・様々な事業を展開されている板羽さん。[/caption]   【取材班】確かに笑 まあ面白い人が特に集まってるってのもありますよね。 【北さん】そうだね、ma-noは国道沿いじゃなくて、一本中に入った裏手にあって、しかも2階まで上がっていかなきゃいけないっていう事もあって、ちょっと入るまでにハードルがあるんだよね。でもそういう、「自分で選んでくる人」にフィルターをかけたいなっていう想いは最初から持ってた。だから面白い人が集まるかも。     cafe、コーヒー。丹波暮らし     【取材班】じゃあちょっと最後に、記事を見てくれてる方への質問。丹波暮らしどうですか?? 【北さん】楽しすぎる。 [caption id="attachment_11591" align="alignnone" width="600"] 丹波の黒井城跡(山城)の山頂でモーニングコーヒーのイベント。[/caption]   【取材班】いいっすねその答え笑 【北さん】最高だよ笑 もちろん全員に適応するわけじゃないと思うんだけどね、敷かれたレールに乗るんじゃなくて、自分でクリエイトしていく人、していきたい人にとって、こんなに楽しくて住みやすい場所はないんじゃないかって思うよね。   [caption id="attachment_11593" align="alignnone" width="600"]...

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トレイルランニングにハマった料理人 粥川竜則(39)

丹波市にあるイタリア料理店「コメプリマ」。そこで働いている粥川さんという男性が、山道を駆け上ったり降りたりするスポーツ「トレイルラニング」に最近ハマっていると噂を聞きつけて取材班は駆けつけた。   【取材班】こんにちは! 【粥川さん】こんにちはー     イタリア料理店「コメプリマ」の料理人 【取材班】粥川さんは今何をされているんですか? 【粥川さん】今、丹波市のイタリア料理店のコメプリマで働いてます。 オーナーが太田さんという女性の方なんですが、 Uターンで2年半前に大阪から丹波市に帰ってこられて、 それから雇ってもらって働いてます。 【取材班】コメプリマってよく耳にしますけど、 どういうコンセプトのお店なんですか? 【粥川さん】そうですねー 毎日食べても飽きないお店で、毎日来られるようなお店にしたいと思っていて 「明るい家族がここにあるよ!みんなおいで!」って感じのお店を目指してます。     コメプリマのこだわり 【取材班】なるほど!こだわりとかってありますか? 【粥川さん】食材は丹波市のものをできるだけ使っています。 ただ、どうしても手に入らない食材もあるので そういう食材は外から仕入れています。 ずっと丹波市の人にきてもらいたいし、 丹波市の人に喜んでもらいたいからそういう食材はずっと使っていきたいですね。 そういうことを言ってたら、畑をしているおっちゃんとかが食材を持ってきてくれたりして、 料理も食べに来てくれるんですけど、 そういうノリって田舎特有だと思いますし、僕は好きです笑 【取材班】へー!田舎で飲食店をしていると、そんなことがあるんですね! 【粥川さん】そうなんですよ。   パチンコ屋から飲食店へ 【取材班】丹波市に来られる以前は何をされていたんですか? 【粥川さん】もともと、生まれは大阪なんですけど滋賀県近江八幡市の隣の安土町というところに住んでいました。 丹波市に来たのは18年前で、21歳の時ですね。 【取材班】あっ、じゃあだいぶ前に丹波市に移住されたんですね。 【粥川さん】そうなんですよ。 【取材班】きっかけはなんだったんですか? 【粥川さん】たまたま仕事していた先輩に「どっか違うとこ行きたいんですよね」というのを軽い冗談のつもりで言ったら本気になっちゃって その先輩の専門学校の同級生が丹波市で居酒屋をやっていて そこに行こうかという話になったんですね。 それから1年ぐらいそこでお世話になっていたんですが 一旦実家に戻ってまた半年ぐらいして丹波市に舞い戻ってきました。 それで今の嫁のお兄さんと知り合って、 とりあえずウチきてみたら?ということでパチンコ屋さんにお世話になったんです。 で、そのパチンコ屋さんの娘さんが今の僕の奥さんなんです。 【取材班】そこで奥さんとお知り合いになられたんですね! それからどうしてコメプリマに働くことになったんですか? 【粥川さん】12,3年前に台風で川が氾濫したんですけど、 行ってたパチコン屋が水没したから店を閉めることになって、 一段落したら、「仕事どうしよう…」という話になって 篠山市の茜というお店で7年ぐらいお世話になりました。 それから、今のコメプリマに転職して今こういう感じです。   便利な丹波市でのんびり生活 【取材班】実際、18年間丹波市に住んでみてどうですか? 【粥川さん】居心地がいいですね。 一回、都会に住んだことがあるんですが、「都会無理!!」ってなりました笑 なんか、怖いし人に酔うんですよね。 だから僕は田舎があってるんだろうなーと思います。たぶん。 基本的に寂しがり屋だから…笑 都会って人が多いけど、ふれあいがないのでガチでひとりぼっちなんですよね。 【取材班】粥川さんには都会よりも田舎が合っているんですね。 【粥川さん】たぶんそうだと思います。 特に丹波市は、大阪・神戸・京都に出るのにだいたい1時間ぐらいで行けるから便利です。 基本的にのんびり生活して、ちょっと人混みに揉まれたいなーと思ったら1時間走れば行けるし、ちょうどいいんですよね。   休日はトレイルランニング 【取材班】そういえば、トレイルランニングされてるんですよね? 【粥川さん】あ、そうなんです。休日にやってます。 最初、「トレイルランニングやろう」って誘われたんですけど、 朝5時に起きて、6時に集合しないといけなくて、 休みの日なのにそんなん嫌やと思ってずっと断っていたんですけど 何度も誘われるので「もうわかった、行く」となってハマっちゃいました。 【取材班】何がきっかけでハマったんですか? 【粥川さん】気持ちいいんですよね。 山を走るのはすごく気持ちいいんです。 都会の人が田舎にでてきて、「空気がおいしい」というけど、山に入ったらもっとすごいです。 それから、頂上に登ったら景色もすごいキレイ。 特に冬なんかは雲海が見られることもあります。 朝は早起きするし、結構しんどい運動もするしで大変なんですが 慣れてきたらそれも徐々に楽になってきます。 【取材班】普通に走るのとはどういうところが違うんですか? 【粥川さん】基本的に山道なので足の踏み場に気をつけないといけないです。 特に雨の日なんかは、木の根っことか踏むと確実にすべります。 そうやって、足の踏み場を素早く判断しながら走っていくというのは トレイルランニングならではですね。 あと、上りと下りで全然走り方も変わってくるので 同じ道を往復するのでも2倍楽しめます。 それとアスファルトとくらべて土はふかふかしているので 膝とか腰にも優しいのは特徴ですね。 【取材班】おお、トレイルランニングがしたくなってきました。 【粥川さん】一緒にやる? 【取材班】あ、いえ、やめておきます。 (といいつつ、写真撮影のためにトレイルランニングに同行しました) (運動不足の取材班には普通に登るだけでも死にかけました)   変わらずにいること 【取材班】粥川さんがこれからチャレンジしたいことってありますか? 【粥川さん】そうですねー、 てか、サイト(当サイト)を見させてもらったんですけど みんなすげぇなーと思って。 【取材班】どういうところがですか? 【粥川さん】なんかすごい目標とかあるんだなーと思って笑 【取材班】なるほど笑 【粥川さん】僕はとりあえず楽しく暮らしたいなーと思って。 最近、孫の子守をすることがあって思ったんですけど 【取材班】ん?孫?? 【粥川さん】うん、孫。 子守をしてるときに、虫の音色を耳にすることが多々あって 「田舎ってこうやなー」と思って、なんかそれが心地良いんですけど 孫にはまだ分からないだろうなと思ったんですね。 でも、ちっちゃいときからこういう環境で 「虫の声ってきれいだな」って言葉にしなくても本能で感じてもらいたいなと思いました。 そういう気持ちをなくさないようにして欲しいなーと。 【取材班】言葉では表現できない、田舎の良さってありますよね。 【粥川さん】そうなんですよ。 丹波市にはこのままでいて欲しいですし、 僕は今のままの丹波市で過ごしていきたいです。 【取材班】ある意味で、変えずに保ち続けるということもチャレンジですよね。   目的を持って移住する 【取材班】これから丹波市に移住したいと考えている人たちへのアドバイスってありますか? 【粥川さん】僕が来たときと今くる人って目的が結構変わってきてますよね。 今のIターンの人って目的があってくる人が多いのかなと思って。 その目的がはっきりしていれば何ら問題ないんじゃないかなと思います。 あとは、都会にない田舎の習慣や風習ってあるから、 それを自分たちの中に取り込めば、村の人たちとうまい付き合いをしていくことができると思います。 自分の移住性の村の人たちとの付き合いを大切にしたほうが円滑になるんじゃないかなー。 おっちゃん、おばちゃんって面倒見がいいですから笑 【取材班】人付き合い、やっぱり大事なんですね。   【取材班】ありがとうございました! 【粥川さん】こちらこそ!     【TURN WORDS】 「どっか違うとこ行きたいんですよね」 冗談半分で言った言葉が本当になり、ふとしたきっかけで丹波市に移住することになりました。 実際に住んでみると自分に合ってるなと思って、気づいたら住み続けることに。 今は、この丹波市の良さをたくさんの人に感じてもらえたらいいなと思っています。     丹波市のIターン勢の中でも18年前に移住してきたという粥川さんは、比較的長期の移住者。今のIターンの人たちと比べると、落ち着いていて丹波市をのんびりと楽しんでいる印象を受けました。長年住んでいるだけあって、言葉では表現できない丹波市の良さをご存知でした。お店を通じて地域の人たちと交流をするだけではなく、これからはいろいろなイベントにも出店してこれまで以上に人と関わっていきたいということでした。...

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ボードゲームを愛する男『廣木大喜(20)』

  三田から丹波市に移住してきてシェアハウスに住んでいる、アナログゲームをこよなく愛する若者がいるということで取材に来てみました。   【取材班】こんにちは!アナログゲーム好きの若者って、廣木さんのことですか? 【廣木さん】デュフフ、そうでござるよ。     【取材班】しゃべり方とか、見事にオタク感出てますね。 【廣木さん】ちょちょちょ!拙者、オタクではござらんよ。 【取材班】え、このキャラで取材を続けていくんですか? 【廣木さん】正直しんどいのでやめますね。     決してポジティブではない移住理由 【取材班】廣木さんはどうして丹波市に? 【廣木さん】話せば長くなるのですが、 僕の移住はどちらかというと周りの人に比べればあまりポジティブな移住ではなかったです。 家は母子家庭で母に視覚障害があったため、生活保護を受給していました。 僕が高校を卒業して家にいながら就職したら、そのお金を家に入れないといけなくて そうした場合、僕の手元にはお金が一切なくなるんです。 だから、家を出て外で就職する必要があったんです。 【取材班】それで地元の三田市を出たということなんですね。 【廣木さん】そうですね。 そこから、丹波市の横田さんという方に出会い、 横田さんが運営しているシェアハウスに入居しながら働き口を探していました。 【取材班】仕事は何をしているんですか? 【廣木さん】今は保険会社に勤めています。 会社に就職する前は、東京に行って餅を100個売る任務を遂行したりしていました。 【取材班】その餅を100個売るっていうのは一体… 【廣木さん】東京のコミケに行ったときに知り合いが餅を1000個売るという企画をしていて、その片棒を担がされたわけです。 「100個売るまで帰れま10(かえれまてん)だからね」と言われたので、帰るために100個売りました。 【取材班】それだと「帰れま100(かえれまわんはんどれっど)」ですね。 【廣木さん】語感が悪いので却下ですね。   [caption id="attachment_11195" align="alignnone" width="600"] 東京で餅を売る廣木さん[/caption]   ボードゲーマー廣木大喜 【取材班】ぶっちゃけオタクですか? 【廣木さん】せ、拙者はオタクじゃないでござるよ! 【取材班】むしろそれ、オタクをばかにしてるでしょ。 【廣木さん】してないでござる。 【取材班】ちまたでは、「丹波市のボードゲーマーといえば廣木大喜」と呼ばれているそうですが。 【廣木さん】それはさすがに誇張しすぎですけど、ボードゲームはよくやっていますよ。 最近はボードゲーム仲間を作って、月に1回ペースで集まってボードゲームを楽しんでます。 あと、隣の篠山市にボードゲームのプレイスペースが最近できたので、 週末はそこに通ったりしています。 【取材班】おすすめのボードゲームはなんですか? 【廣木さん】最近だと、僕の中で「パンデミック」がおすすめですね。 このゲームは、病原菌が世界中に蔓延するのを防ぎながら、 治療薬を開発して世界を救うというゲームです。 ボードゲームって対戦型が多いのですが、 このゲームはみんなで協力しながらクリアを目指すタイプのボードゲームです。 難易度がシビアで、これまでプレイした感じだと4/5ぐらいの確率で病原菌が蔓延して世界が滅んでますね。     【取材班】めっちゃ滅んでるじゃないですか。 【廣木さん】すぐ滅びるんですよ、世界。 【取材班】ほかにおすすめのボードゲームってありますか? 【廣木さん】ボードゲームというのかわからないですが、「TRPG(テーブルトークRPG)」もおすすめです。 RPGというとドラクエとかFFとかのコンピュータゲームを思い浮かべる人が多いと思うのですが、 TRPGはそのコンピュータゲームの元祖となったアナログゲームです。 KP(キーパー)という人がいて、その人がいわゆるモンスターとか村人とかを全部管理するんですけど プレイヤーたちはそのKPの用意したシナリオを、 自分の作ったキャラクターになりきって(RP)仲間同士で相談したりしながらクリアを目指すゲームです。 【取材班】なるほど、コンピュータを介さない、人同士でプレイする完全アナログのRPGなんですね。 【廣木さん】そんな感じです。 クトゥルフの叫び声というTRPGをよくプレイするのですが、 これはホラーテイストのTRPGでプレイヤーがよく死にます。 この間は世界が滅びかけました。 【取材班】世界滅びやすすぎでは。 【廣木さん】RPGはプログラム上に組まれた行動しかできませんが、TRPGは自由自在。 プレイヤーやKPの裁量次第でいろいろなストーリーを描くことができます。 KPの機嫌を損ねたら、すぐに世界滅んだりします。 これは人同士のコミュニケーションが主体のゲームだからこそなせる楽しみです。 【取材班】なるほど、TRPG上でのKPはいわば神に近い存在というわけですね。 【廣木さん】神ですね。     【取材班】廣木さんはどうしてそんなにボードゲームをしているんですか? 【廣木さん】純粋に楽しいからというのもあるのですが、 ボードゲームは基本的に相手がいないとプレイできないので、 協力したり、ときには騙しあったり駆け引きをしながら相手とのコミュニケーションをとって行うことができるのがいいですね。 これは一人用ゲームや今流行ってるソーシャルゲームとかにはない魅力だと思います。 【取材班】コミュニケーションツールとしても使えるということですね。 【廣木さん】そうですね。 ボードゲームをしていると、いろんな人の性格がわかるので面白いですよ。 勝ちにこだわる人もいれば、場を盛り上げるためにあえて変なプレイや発言をする人もいたりして、 同じゲームでも遊ぶ相手によって全然楽しみ方も変わってきます。     友達は年上ばかり、でも楽しい 【取材班】廣木さんって今20歳ですよね。 丹波市って若い人が少ないイメージですけど、実際どうですか? 【廣木さん】たしかに同年代は少ないですね。 特に僕は20歳なんで、同級生って大学に行くために外に出ていることが多いですから。 【取材班】同世代の友達がいないって、どうですか? 【廣木さん】そうなると年上の人たちと遊ぶことが必然的に多くなるのですが、純粋に楽しいです。 丹波市の人たちって20歳でも子供扱いしないでいてくれて、同じ目線で接してくれるんですよね。 だからなんか、大人から認められているという感じがします。 ボードゲームも、年上の人たちと遊ぶことが多いですよ。 【取材班】なるほど、それは良かったですね。     遊びを仕事にしたい 【取材班】廣木さんがこれからチャレンジしたいことはありますか? 【廣木さん】彼女を作りたいですね…。     【取材班】え? 【廣木さん】いや、嘘です。なんでもないです。 【取材班】廣木さんがこれからチャレンジしたいことはありますか? 【廣木さん】そうですね、いずれは遊びを仕事にできればいいなと考えています。 今は仕事と遊びを切り分けて考えているけど、 いずれは遊びを仕事にして生活していけると人生楽しくなりそうだなと思いますね。 【取材班】実際、そんなことって可能だと思いますか? 【廣木さん】できるんじゃないかなー。 Youtuberとかいるじゃないですか。 常識にとらわれずに切り口を変えたら、遊びを仕事にできるんじゃないかなと思うし 身近にもそれができている人がいるので、そんな人になれたらと思います。 【取材班】私も遊びを仕事にしたいです。 【廣木さん】一緒にがんばりましょう。       実家を出なければならなった結果の、決して前向きな移住ではなかった廣木さんの丹波市移住。地域の移住を考えている方の中にも、彼のように前向きではない理由を持った方もいるのではないでしょうか。 しかし、廣木さんは丹波市で自分らしく生活し、一緒に楽しめる仲間を作り、地域に溶け込みながら楽しんでいることがわかりました。 遊びを仕事にするということ。無謀とも捉えられかねないこの夢を、廣木さんには是非叶えて欲しいものです。丹波市にはきっと、そんな夢をサポートしてくれる人たちがいるはずですから。  ...

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フラワースタイルを発信する・森のアウトドアコーディネーター『花田 匡平(35)』

大阪生まれ、大阪育ち。生まれ育った都市部を離れて一人で丹波へ移住してきた花田さん。移住して3年ほどが経ち、移住前から好きだったアウトドアを仕事にし、シェアハウスを運営し人に囲まれながら素敵なライフスタイルを叶えた花田さんを、取材してきました!!   【取材班】どもども〜〜! 【花田さん】お、きたね。   [caption id="attachment_11283" align="alignnone" width="600"] 素敵な笑顔の花田さん[/caption]   【取材班】今日はなにしてたんすか?? 【花田さん】いや仕事してる時間やろ普通(笑)ちょっと待っててな〜〜   (※なにを隠そう、花田さんと取材スタッフは仲良しなのだ!) 花田さんは、丹波悠遊の森というコテージやオートキャンプ場のある宿泊施設でお仕事をされています。   【花田さん】ごめんごめん、今日は学生さんがたくさん来ててね。 【取材班】いえいえ、お忙しいところありがとうございます!ではでは、早速色々とお話聞かせて下さいね。   【花田さん】はいよ。コーヒー飲む? 【取材班】安定の優しさ、いただきます笑   【取材班】花田さん、アウトドアコーディネーターって実際どんなお仕事なんですか?というより最近BBQ協会に入ったって聞いたんですがなんですかそれ?? 【花田さん】悠遊の森はキャンプ場なんだけどね、もちろんBBQをしたいと思ってくれるお客さんも多くて。自分自身アウトドアやBBQが元から好きだったから、協会の存在は知ってて悠遊の森とは相性がいいと思ったんだよね。あと協会を通した方が仲間が集まったり知識が知れたり、物事が早く進むんじゃないかと思って導入したわけ。   【取材班】なるほど、自分がやりたいことを仕事に組み込んでしまったわけですね笑 【花田さん】まあそういうことやね。笑 橋本さんにも協会員になってもらったからね。笑   [caption id="attachment_11284" align="alignnone" width="600"] 悠遊の森の施設長の橋本さん(橋本さんは隣の綾部市出身で都会に出て、丹波に来られたJターン)。花田さんとは上司と部下の関係にあたりますが「橋本さんが自由にやらせてくれていなければ、色々とできてないと思う。橋本さんじゃなければ自分はやれてないと思う」とおっしゃるほど、安定の信頼関係です。[/caption]   【取材班】他にも色々とイベントやってますよね〜。丹波のシェフや農家さんと一緒にハイクオリティな食事を提供する「森GOHAN」。悠遊の森の木々の中にハンモックを設置してコーヒーを楽しむ「森ハンモックカフェ」。丹波にある本格派の手打ちそば屋さんが一堂に会して開かれる「そば街道まつり」。悠遊の森のイベントはヒット多いですよね。 【花田さん】うーん、ま、僕がやってるからね(笑)   【取材班】あ、その言葉頂きます(笑) 【花田さん】ごめん嘘、調子乗ってると思われるからやめて(笑)   【花田さん】丹波には本当にすごい農家さんやシェフやそば職人さんがいるからね。その人たちがどうやったらイベントやりやすいように出来るかがぼくの仕事かな。 【取材班】おー。まさにコーディネーターっすね。あ、だからアウトドアコーディネーターか! 【花田さん】うーん。まあ、そういうことにしとこうか。笑     笑顔あふれるシェアハウス・フラワーハウス   【取材班】そろそろお酒飲みたくなってきましたね、取材終わりましょうか。 【花田さん】無茶苦茶かオマエ笑 まあでも、そろそろ帰ろか。   取材班は悠遊の森のお仕事を終えた花田さんと一緒に花田さんのシェアハウス・フラワーハウスへ向かうことに。   【花田さん】ちょっと親の家寄ってから帰るからついてきて〜〜 【取材班】あ、そういえば丹波へのIターンで、ご両親まで後から移住してきたってのは花田さんだけですよね。それって結構すごいことですよね〜〜 【花田さん】まあ、俺よりも丹波暮らし楽しんでるからな(笑)   [caption id="attachment_11285" align="alignnone" width="600"] 花田さんとご両親。フラワーハウスの食卓には、ご両親が自家栽培された野菜などが並ぶこともあります。[/caption]   [caption id="attachment_11286" align="alignnone" width="600"] 家に帰ると早速宴会が始まりました! この日は、丹波の老舗有機農法農家「宮垣農産」にUターンで戻ってこられた宮垣良一さんと、平飼い卵のこだわりたまご・芦田ポートリーさんで働く為に移住されてきたパワフル女子の関さんもいました。[/caption]     【取材班】花田さん、なんかいっつも飲み会してません?笑 【花田さん】せやな(笑)一緒に食卓を囲んで、美味しい食べ物食べて、美味しいお酒を飲んで。それでそれを共有できる仲間がいるのって最高やなと。そういう、自分にとって最高の環境を整えていくのが楽しいし、その為にいつも頑張ってるよなあ。と思うよ。   【取材班】そういえば花田さんは移住当初、今の移住者の盛り上がりの先駆け的に丹波ではじめてできたシェアハウス「みんなの家」にいてましたもんね。 【花田さん】そうそう。あの経験はほんとに良かった。共同生活の中で、自分がなにをすればみんなの役に立てるか。自分が得意なことを確かめられたな。オーナーの「前川さん」や管理人の「井口くん」には本当に感謝してる。   [caption id="attachment_11287" align="alignnone" width="600"] フラワーハウスのオリジナル家紋ロゴ。丹波にUターンしてきた天才デザイナーと、篠山市にIターンしてきた天才プランナーが作った天才的デザイン。それぞれの花の花言葉はフラワーハウスを表現するものです。[/caption]      自分がどの立ち位置にいたら、人の役に立てて幸せか   【取材班】酔っ払ってきたんで早く質問終わらせましょうか。 【花田さん】おいだから無茶苦茶かオマエ笑   【取材班】ずばり聞きます!丹波暮らし、どうですか?? 【花田さん】最高やで。今が人生で最も幸せ。自分がやりたいことをやっていけることほどの幸せはないなあ。みんなの家でお世話になって、つながりができて。自分がどこの位置にいたら人の役に立てて、それが自分にとっても幸せか、その位置を図るのが大阪にいた時は難しかった、諦めてしまったから。今はいろんな事に結果を出して仲間といいものを作っていけるのが本当に楽しい。大阪にいる時は愚痴ばっかりで給料上げて欲しいとかばっかり思ってたもんなあ・・   【取材班】家なくて友達の家転々としてた時期ありましたもんね。笑 【花田さん】あったな。笑 それ話すとながくなるやつやな 笑   【取材班】読者さんには出会ってからのお楽しみにしておきましょうか 笑 【花田さん】そやな。笑 でもあの大阪におった時の経験で、人って意外と食っていけるんだなとは思ってたな。笑   【取材班】丹波に来る前からアウトドアコーディネートしてたんですね笑 【花田さん】変なまとめ方すんな!笑   [caption id="attachment_11288" align="alignnone" width="600"] 最近発行された雑誌・くるり丹波に掲載された(さわやかな)花田さん[/caption]   たくさんの経験と人のつながりが自分の幸せにつながっている。花田さんの丹波暮らしはとてもあたたかく人の笑顔に溢れた独自のスタイルを確立しているようにみえました。そして、自分の何が人の役に立てているかを知り、幸せな仕事を作っていく花田さんは、とっても笑顔が素敵です。フラワーハウスにはシェアハウスの機能以外にもあり、1日だけ泊まりに行ったり、田舎暮らしの体験イベントに参加することもできます。 丹波移住にご興味のある方は、一度花田さんと花田さんの周りの素敵なみなさんに、会いに行くのもいいかもしれませんね!...

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