特産品を加工、和洋菓子の製造販売を通じて丹波の風土を紡ぐ企業
株式会社やながわ
- 製造業
「丹波の特産物を通して消費者の皆さまに生産者・職人達の心を伝える。心を込め、技を磨き、丹波の味を伝えます。」この、“丹波伝心”の企業理念の通り、丹波市春日地域で、創業から100年以上、生産現場と消費現場を繋ぎ続けてこられた会社があります。
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◆丹波の風土を受け継ぎながら次世代へと繋いでいく事業展開
◆時代に合わせて見つめ直してきた、やながわの役割
◆都会ではできない仕掛けを丹波から発信していく同士を募集
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今回は、その株式会社やながわ、代表取締役の柳川拓三さんにお話を伺ってきました。
丹波の風土を受け継ぎながら次世代へと繋いでいく事業展開
株式会社やながわの事業概要を教えてください。
世間的には“和洋菓子のお店”というイメージが強いかと思いますが、まず加工業があります。
栗、黒豆、小豆といった丹波の特産品をベースにした加工所を本店の隣にもっていて、加工したものを活用して和洋菓子を作っています。
それと、以前からずっと続けているのが日本茶の製茶業。
私も元々は日本茶の職人だったので、色んな考え方の一番の根底にあるのが、日本茶という日本独特の文化・歴史の中から派生している考え方・思いというのがあります。
日本の大事な文化を継承していきたいという思いの中で、今も製茶しているということです。
あとは卸業ですね。卸業は二つあって、自社製品として卸す場合と、業務用と。業務用は例えば製菓向けの原材料として卸す場合ですね。
今、店舗は丹波市以外にも福知山と東京の文京区にあります。
株式会社やながわは元々お茶屋さんだったという話を聞いたことがあります。
そうですね。私で4代目になるんですけども、1892年創業で、当時は柳川商店という名称でした。最初は丹波の産物の行商をしてたんですね。
父親の代の、私が子どもの頃は松茸がものすごい採れたり、筍も結構収穫できたので筍は缶詰に加工して。それとともに、日本茶ですね。
日本茶も父親の代でかなり膨らませていって、1972年にはやながわ製茶と改名した程、製茶業に重きを置いた時代でした。
私も若い頃はお茶を自分でつくっては全国各地の百貨店の物産展に出て行ったり、県の出先機関とシンガポールとか香港に日本茶や兵庫県の宣伝にいったりしたことがありました。
お茶から丹波の産物へ移行した転機となったのは、1988年に三田市で開催されたホロンピア‘88という博覧会で、春日ICができた頃ですね。
そのイベントに自社ブースを出展して、自分たちで販売をし始めて。その時にお茶だけじゃなくて丹波の産物も出そうということになって、まずは黒豆をやり始めたのがきっかけです。
で、その翌年にNHKの大河ドラマで春日局があったんですね。お福豆っていう黒豆のお菓子を外注で作ってたんですが、それがものすごいヒットして。
そこで、外注先に委ねるのではなく自分で作りたいなということで、以前筍を加工していた施設を1998年に今の特産加工場へと整えた、というのが加工業のスタートとなりました。
以前は本店が今とは違う場所にあったんですよね?
そうです。2005年の、おばあちゃんの里ができる前の年に、加工場の一画に小さな店舗を作ったんですよ。
知り合いの方からは『なんで国道からそんな奥まったところに店つくるのか』と言われたりもしましたが、弊社の一番の原点は加工業。
やっぱり、原点から離したくなかったんですよね。そこからストーリーを描いて、展開したかったんです。
なるほど。それからさらに今の『夢の里やながわ本店』に移ったと。
今の本店は2013年にできたんですが、その頃はこの辺りは全部田んぼやったんですよ。何もなくて。
相当な投資額になるのでかなり悩みましたが、後押しを受けるような出来事もあって決断しました。
時代の流れの中で、やながわが今後どういう役割を担うかといった方向性が定まりました。
“深山の桜”という話があるんですね。山深いところに、きれいな桜が一つあって。そこへ噂で、色んな人がよそから見に来るようになって。
そこに道がついて、土地が開けてという風に、何か一つのところにお客さんが来るようになれば地域が活性化しますよね。
そういう役割を担いたいなと。
よそからお客さんにきてもらう、一つの目的地となるイメージでしょうか。
夢の里やながわの名称は、志や希望をただの夢物語で終わらせない為に、日々挑戦するアクションを起こさないといけない。
この一つの拠点ではなく、ここから拡げていきたいという意味合いも込めて、夢の里としました。
それが徐々に現実のものとなってきて、栗のシーズンになれば滋賀、三重、広島、四国、香川、徳島等と、昔なら考えられないようなところからも来てもらえるようになってきました。
そういう時代なんでしょうが、応えていかなあかんというプレッシャーもありつつも、いかにこの波を広げていくかっていうのが今後の課題ですかね。
東京のお店はどういった経緯で出すことになったんでしょう?
東京のどこかに店を出したいと考えていた時に、知り合いから『文京区に春日通りというのがある』と聞いて下見に行ったんですよ。
近くに麟祥院という春日局のお墓がある寺があって、そこの住職に出会ったんです。
色々話をしていたら、春日忌という春日局の法要を100年ぶりに再開されたこと、住職が以前春日局が生まれ育った場所はどんなところかと丹波市にこられていたこと、その時に弊社が作っていたお福豆を買って帰られたこと等が重なって、お互いびっくりしまして。
すごい手繰り寄せられたような気がして、店を出すことに決めました。
2009年から10年弱、大阪の阪神百貨店に店を出してたんですが引いたんですね。
百貨店は色んなところが寄っているので、一つのトータル的なコンセプトを打ち出しにくく、今後の展開を考えてやめました。
なので東京は最初から商業施設ではないなと考えていました。
東京の拠点として、やながわの店であるとともに丹波のアンテナショップとして売り込んでいくような展開が出来ればと思っています。
時代に合わせて見つめ直してきた、やながわの役割
小さい時からここを継ぐことは決まってたんですか?
長男はそういう定めにあるといった時代だったんですよ。なのでずっと意識はしていました。
若い頃に百貨店でお茶売ってたとのことでしたが、最終的に自分が継ぐっていうのを意識されてたんですね。
大学は社会勉強の一つくらいのものだと思ってましたし、卒業してからも静岡県にお茶の見習いにいってましたが、小売りの関係で神戸に帰ってきてた時に父親が体調を崩したこともあって、それで帰ってきました。
継ぐことに対しての抵抗はなかったです。
帰ってきた当時は、自分はお茶一本でやってましたし、それから特産加工に入りましたが、それも最初は作って卸していただけで、自前の店舗も持ってなくて。
さきほどの話で、高速道路が出来たころから大きく変わっていった次第です。
高速道路の影響ってやっぱり大きかったんですね。
そうですね。でも、高速道路が出来ていいこともあれば悪いこともあって。
昔、この春日町野上野地区は梨狩り園で栄えてたんですが、高速道路ができたおかげで丹波市全体が目的地ではなく通過点みたいになってしまった側面もあってね。
どの視点から見るかで善し悪しが変わるなと。
やながわの原点というのは、生産現場と消費現場をつなぐ役割。
一次産品を直接橋渡ししていたところから、一次産品を加工し、それを色んな商品として展開することで消費量を増やす、消費量が増えるから生産量も増え、生産現場に利益が入る。
そんな中間の役割ですね。
その加工も、例えば煮豆。時代の流れで煮豆だけでは求められなくなってきたので、今の時代のニーズに合ったお菓子にしたりとか。
そうして、加工の中身も変わってきました。
最初は単純に、加工業は“丹波の産物を加工する”のが目的でしたが、高速道路が整備され、観光客等の交流人口がうまれてきた中で、やながわの役割を考えた時に、こちらにお客さんを引っ張ってくる。
そういう役割になってきたんですよ。
本店をリニューアルされたのはそういった背景があったんですね。
その通りです。本店のコンセプトは、“丹波素材で奏でるライブステージ”なんです。
ライブっていうのは、そこでしか味わえない臨場感、鮮度、空間、時間。それらを共有する場所で、それをここに持ってきたかったんですよ。
この空間の中で、プレイヤーである作り手と、来てもらったお客さんが一体になれるような、そういうステージを。
それの原点はやはり、私が昔百貨店にお茶を対面販売しに行ってた時の経験ですね。それがまさにライブやったんですよ。
自身の作ったものを販売して、次行った時に『こないだのお茶、ものすごい美味しかったよ』とか言われると嬉しくて、すごい力もらって。
あのライブならではの強みを実現したいなと。
なるほど。大事ですね。
今の時代はネット通販があって、便利になりましたが、そこにはライブ感はないですよね。
お客さんにもこの都会にはない田舎ならではのロケーションで、季節を感じ、旬を味わってもらい、この地域の力を受け取って帰ってもらいたいんです。
商売をしてるとよく『付加価値つけて高く売るべし』みたいなことを言われますが、そこにあまり価値は感じないんですよ。
一次産品を直接出すのではなく、加工することで雇用が生まれたり、加工することによって色んなものが作り出せる。
加工するからこそ卸せる飲食店等が出てきて、使ってもらうことで丹波をそこで売り込んでもらうことが出来る。そこに価値があるんです。
この地域が元気になっていくことが付加価値で、それが今求められている役割じゃないかなと思っています。
社長のお話の中で、役割というキーワードがよく出てきますね。役割を意識しはじめたのはいつからでしょう?
丹波市に合併する前の、2001年に道の駅事業が立ち上がった時に、観光協会の副会長として参画してから物の見方、考え方が変わりましたね。
会社の中から外へ出て、会社よりももっと上の立場でものが見れるようになった時に、やながわの役割はいかにあるべきかを考えるようになりました。
観光協会に一番育ててもらったのは私かもしれません。
道の駅は道の駅の役割があって、あそこは丹波市の共用財産で地域百貨店であり、あそこで売れたお金は地域に循環しますよね。
外貨が入ってきて、生産現場が潤うと。
“To do good.”の前に、“To be good.”で、それぞれの店がいかにあるべきかを考えて、具体的なことはそのあとに考えていくものかなと思っています。
観光協会も、本来は協会なので会員の為の会じゃないんですね。
観光振興に協力する人たちの集まりだから、外から来る人の為に情報発信や観光案内といった活動をするのが役割です。
ただ、時代とともに役割が変わってきたので、行政や他の組織とどう分担していくかも大事になってきたなと感じています。
都会ではできない仕掛けを丹波から発信していく同士を募集
株式会社やながわは今後どういった展開を予定されていますか?
本店に一番力をいれていくんですが、一つは東京のお店ですね。
コロナでしばらく途絶えてましたが文京区と丹波市が姉妹提携みたいな交流ができたらなと思っています。
既存の関係だけじゃなく、他にもどこかとのつなぎ役ができたらなと。
また、最近兵庫県では公民連携型アンテナショップを推進されていて、今度多可町と姫路の会社が銀座にお店を出されるんですね。
やながわも東京に店があるんで、都市部で兵庫県や丹波市を売り出していく、そんな展開をしたいなと考えています。
今全体で従業員は何人いますか?
パート含めて全体で36名ですね。正社員はそのうち18名で半分です。
丹波市、福知山市、東京と離れた場所にあるので各地で現地採用してます。
今後採用をすすめるにあたり、どういう人材を求めていますか?
具体的な職種で言えば、情報発信と企画営業ですね。
情報発信は店に来てもらうのが一番の目的ですから、写真撮ったりといった技術だけじゃなく、弊社のコンセプトをちゃんと理解して、今の時代に合った表現をしていってもらいたいなと。
企画営業は、今までの弊社にはないような、新たな市場に卸先を開拓したりといった展開ができるような人が嬉しいです。
いずれにせよ、お金だけの関係じゃなく、地域の役に立ち社会貢献していく同士として、弊社の在り方・考え方をちゃんと理解してもらって、根っこの部分で繋がっていられる人がいいですね。
新卒と中途採用、どちらがいいとかありますか?
それは全く問いません。例えばこれまでお菓子作りをしているスタッフも半数は未経験者ですし、何かを作るのは好きという想いさえあれば問題ないです。
ただ、やながわも一つの組織ですので、やながわはやながわのスタンスがあります。
弊社のコンセプトに沿って、私生活も大事にしながらバランスよく働いてもらえればと思います。
社長ご自身が、従業員と接する中で大事にしていることはありますか?
人を雇用する以上は、仕事を通じて成長していってもらうのが大事。
特に新卒は、会社が与える影響が大きいので、会社の責任も大きいなと思っています。
私自身も色んな人から影響を受けて今に至っていて、その中で仕事における結果は、何より考え方、熱意が大事で、能力は一番あとでいいと考えています。
従業員にはやながわを通じて人として成長してもらい、それが会社の成長に繋がるように促していくのが経営者としての役割かなと思っています。
最後に一言お願いします。
昔からよく、「役割をなくした企業・商品は、消えていく定めにある」と言われています。
昔のままのことをやっていたら、今の時代に必要とされない。
つまり、いかに自分たちで役割を見つけていくか、いかに商品を今の時代にあった魅力あるものにしていけるかが大事かなと思っています。
この地域の中で、外からお客さんに来てもらえる魅力を創り出さないといけないので、都会にはできないような仕掛けをここにもってきたいんですね。
弊社の考えやコンセプトに共感いただけた方は是非、ご一報ください。
ありがとうございました!
風土というのは、何もなかった土地に人が暮らし始め、集落を成し、地域を形づくり、長い年月をかけて構成されてきたもの。その風土を受け継ぎ、次世代に繋げる事業展開をされてきたという株式会社やながわは、最も“丹波らしい企業”と言えるのではないかなと、取材の中で感じました。
※この記事は2023年1月11日に取材した情報をもとに作成いたしました。
事業者名 | 株式会社やながわ |
代表者名 | 柳川拓三 |
〒 | 669-4124 |
所在地 | 兵庫県丹波市春日町野上野209-1 |
電話番号 | 0795-74-0010 |
FAX | 0795-74-2010 |
webサイト | https://tamba-yanagawa.co.jp/ |