農業移住をしたい夫と地元が大好きな妻が移住し農家になる
奥川陽・愛子さん
2017年から丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で丹波市の関係人口として毎年移住者のインタビューに来てくれる、東京在住のライターFujico氏。コロナ禍で2年の期間が空きましたが、感染状況が落ち着いたタイミングで再び丹波市に来てくれました。
普段、東京に住んでいる彼女の目には、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しく見ていただければと思います。
※この記事は、2022年5月後半に行ったインタビューです。東京から丹波市に来る際にFujico氏には新型コロナウイルス感染の可能性がないかチェック頂き、十分な感染予防実施の上移動とインタビューを行って頂きました。撮影時のみ、マスクを外して頂いている写真もございます。
農家が減りつつある一方で、農のある暮らしに憧れを持つ人々は増加傾向にある近年。田舎暮らしと同じように、無農薬で安全なおいしい野菜を自分たちで作れたら…と想像を膨らませる人も少なくない。しかし、夫婦で同じように考えている人はそうそう居ないだろう。
3年前に丹波市に移住した奥川夫婦。有機農業の技術や農業経営を学べる農の学校(みのりのがっこう)に夫の陽(あきら)さんが入学し、2年前より畑を借りて農業を始めた。もともと農業を始めたいと思っていたのは陽さんで、妻の愛子さんは乗り気ではなかった。そんな中、徐々に愛子さんも農業を楽しめるようになり、移住してよかったと心から思えているという。そう思えるようになったのも夫婦間で、あることを避けずに行えたからだそうだ。農業を行う上で、または夫婦や家族と移住する上で大事なことを経験者である二人に教えてもらった。
「二人でできる何かをしたい」夫が農業移住に興味を持つ
小松菜、レタス、ミニ青梗菜、じゃがいもに綿花やヘチマ…。4.5反、つまり学校の体育館が4つ分くらいの大きさの土地に、無農薬栽培、有機栽培で育てられた野菜や植物たちが元気に育っている。大阪府高槻市から3年前に移住した奥川夫婦の畑だ。「ヘチマたわしは、たわしとスポンジの間のようなもので、とても使いやすいんですよ!」と笑顔で話してくれた妻の愛子さんと陽さん。最初は元気の良い愛子さんが移住したくて丹波市に来たのかと思いきや、実は愛子さんは反対していたといい、農業と移住を願ったのは陽さんだったという。
愛子さん
私たち、タイプも興味も全く違うんですよ。見てる方向性も全然違うので、背中合わせになりながらもお互いなんとなく似たような方向に向かっている感じ。凸凹コンビなので、私たちの屋号もdeco-boco Farm(凸凹ファーム)なんです。
陽さんと愛子さんは2012年2月に結婚。陽さんの職場が新大阪だったことと、愛子さんが地元の高槻市が大好きだったということもあり、二人は結婚してから高槻市に住んだ。陽さんは結婚前にプログラマーとして3年間働き、結婚と同時期にJR西日本グループ会社の鉄道システムの保守管理を行っていた。一見、農業とは真逆の世界に見える。愛子さんは結婚前にユニバーサルスタジオジャパンの飲食部門で7年間勤め、結婚後は事務職につき、その後は主婦として家族を支えた。そんな中、将来の生き方について考えていた陽さんが愛子さんに胸の内に秘めていた思いを伝えたそうだ。
陽さん
サラリーマンをやっていて、子宝にも恵まれなかったので、人生をより楽しくするにはどうしたらいいかをずっと考えていたんです。田舎暮らしがしたいなと思っていたのも一つですし、何より夫婦二人で何かできたらと考えていました。
愛子さんにとっては晴天の霹靂だった。仕事を辞めて二人でできることをしたいと話し始めた陽さんに、どうにか諦めさせる方法はないかと考えていたくらいだ。
愛子さん
最初はカフェがやりたいって言っていたので、一応、物件を見にいきました。次は農業がやりたいって言い出したので、とりあえず家庭菜園から始めたらと勧めました。しかし家庭菜園をやってみたら、彼がどハマりしてしまいまして。止めるどころか背中を押してしまいました。
そう笑いながら愛子さんは話していたが、その時は気が気ではなかったかもしれない。できればサラリーマンとして仕事を続けて欲しかった妻と、仕事を辞めて新しいことを始めたかった夫。真逆の方向を向きつつも少しずつ、農業を始める可能性を探す道を歩んで行った。
農業にも移住にも乗り気じゃなかった妻と丹波市の出会い
農業にどんどん興味を持ち始めた陽さん。愛子さんは農業で食べられるわけがないと思い、まずは小さな面積から始めようと夫を説得した。
愛子さん
高槻市に体験農園マイファームという農園があったので、そこを借りることにしました。実はここ、後に夫が通うことになる農の学校の経営を行う会社が運営する農園だったんですけど、その時は全く気にもしていませんでした。
マイファームで畑をやり始めると愛子さんの思いとは裏腹に、陽さんはどんどんと農業にのめり込んでいき、農業の専門学校を受験することになった。
陽さん
最初は農業大学校という京都と大阪に学校がある場所に行こうと思っていました。しかし大阪校の面接で有機農業をしたいと話してみたら、有機農業は難しいと言われてしまって…とりあえず京都校も受験しようと面接に行ったその日に、運命的な出会いがあったんです。
陽さんの面接日、時間があった愛子さんは学校のある地域まで陽さんについていった。しかし特に何もやることがなかったという愛子さんは、映画を観たいと思い学校の近くの福知山市に足を運んだ。しかし観たい映画がなかったため、近くにあった自然食品店に立ち寄ったところ、とても話好きで雰囲気の良い店員さんに会ったという。
愛子さん
店員さんと話していた時に、農業をしたくて学校を受験している夫が、有機農業は難しいと学校側から言われた話をしてみたんです。そしたらお店で取り扱っている自然栽培の農家さんを紹介してくれると言ってくれて。そんな時に偶然、その農家さんが店にいらしたんです。
京都府福知山市で無農薬野菜、天然酵母パンを作り販売している86ファームと出会った愛子さんは、陽さんの面接が終わるのを待ち、ともに86ファームの農園にお邪魔した。その時に話題に上がってきたのが、有機栽培専門の農学校である、丹波市の農-みのり-の学校だった。
「地元を離れたくない」都会で農業をやる厳しさを感じて移住を決意
農の学校の話を聞き興味を示した陽さんは、すぐに学校の説明会に行った。話を聞きさらに興味を持ち、移住して学校に通いたいと思い始めた陽さんとは裏腹に、こんな出会いに運命は感じつつも、移住に戸惑う愛子さんがいた。
愛子さん
農業は良いのですが高槻市で就農して欲しかったんです。私、高槻市が大好きなんですよ。丹波市に行ってしまったら高槻市には戻れない気がして…
陽さんは今すぐ行きたいという気持ちがありつつも愛子さんの気持ちに寄り添い、説明会から1ヶ月ほど考える期間に当てた。最後は愛子さんが陽さんの熱意に折れ、とりあえず学校がある期間の1年間だけ様子をみてみよう、という気持ちで丹波市に移住をすることに決めた。
愛子さん
少ないながらも高槻市にも有機農家はいらっしゃるので、丹波市の学校に行っても高槻市で就農できるのではないかとチャンスは伺っていました。しかし丹波市での不思議なご縁を感じ、段々と丹波市が好きになっていきました。
愛子さんの母親の友人の友人が丹波市と縁があったため移住当初から面倒を見てくれたり、陽さんが通う農の学校の同期が良い仲間だったり、そして高槻市で借りていた農園も農の学校と経営母体が一緒ということに気づいたり。実は丹波市と縁があったことに奥川夫婦は気づき始めたという。さらに、うさぎと犬のペットを飼っている二人は住まい探しに苦労したが、丹波市の移住定住相談窓口である「たんば”移充”テラス」が快く手伝ってくれたり、地域の人がサポートしてくれたりと丹波市の温かみに触れることで、夫婦ともに丹波市に愛着が出てきたそうだ。
陽さん
高槻市で有機農業をすることも不可能ではないですが、今私たちが借りている十分の一の規模しか最初は借りられなくて、そうすると商売になりにくいんです。高槻市ではアルバイトメインで農業をする事を勧められましたが、私はそれは違うと思っていて。丹波市での就農に心を固めていきました。
こうして学校を卒業し、新規就農者として改めて丹波でやり始めることを決意した奥川夫婦。二人の意見がここでやっと合わさることができたのだ。
市役所や丹波市の人々に助けられながら始めた農業
学校に通ったとはいえ、一から農家として独立するのはなかなか大変だ。そんな中、農の学校は農地探しから家探しまで手厚くサポートをしてくれた。また、サポートしてくれるのは学校だけではない。丹波市役所の助けがあったからこそ、二人は今ここで農業を行えているという。
陽さん
農業って最初にすごいお金がかかるんです。土地やトラクターなどの機械系など…インターネットで調べると初期費用は600万円は用意しろって書かれています。あれば良いのですが、うちはそこまでなかったので補助金がとても頼りになりました。しかし補助金も申請すれば簡単にもらえるものばかりでない。そこで資料作りや新たな補助金の紹介を手厚くサポートしてくれたのが市役所でした。
学校に行っている間の家賃補助や農業準備段階への補助金、独立に対する補助金などさまざまな補助金があるが書類作りが難しい。右も左も分からない二人を、何度も市役所はサポートしてくれたそうだ。
愛子さん
もちろん補助金は条件があるので、全員が全部もらえるわけではありません。私たちは機械投資費用の半分くらいを補助金で賄えたので、とてもラッキーだったと思います。それも市役所の方のおかげです。正直、こんなに親切な市役所があるんだって驚きました。
そんなサポート精神は、丹波市に住む人々の温かい心から生まれたものではないだろうか。ちょうど奥川夫婦が移住した市島地域には有機農家が多く、わからないことがあれば快く助けてくれる人が多いという。さまざまな優しさやサポートがあったからこそ、丹波市で農業を始められたと言っても過言ではないだろう。
「5年は食えない」それでもやっぱり選んだ道に間違いはない!
2022年、就農歴2年目。順調かと尋ねたところ、うまくいってるとは言えないなと笑いながら答えた。やはりお金周りは不安だという。しかしそれ以上に毎日が楽しいとも言った。
愛子さん
農業って最初の5年間は食えないと思えと言われていて、初期費用の600万円を集められればうまくいくわけでもないんです。農家さんがよく言うのは毎年1年生ってこと。気候も環境も毎年違うから、去年成功しても今年はわからない。失敗体験を積み重ねて成功率をあげていく。それを繰り返していくんです。
そんな状況が厳しい中、責任もあるがそれを含めて農業も丹波市の生活も楽しそうだ。もともと陽さん一人でやる予定だった農業も一人でやるにはとても大変で、今は愛子さんも手伝っている。最初は不満もあったものの、愛子さんの今の夢は夫が作った野菜で6次産業を始めること。夫の事業がうまくいかなければ自分の事業もうまくいかない。ただ夫のためではなく、自分の夢のためにも頑張っているという。
愛子さん
私はソーセージが好きなんです。ただソーセージづくりはハードルが高そうなので、それに合う国産オリジナルのマスタードを作りたいんです!国産のマスタードってあまりないので、絶対やりたくて。今そのためにも、からし菜を育てているんです。
老後の資金を貯められている、といえば嘘になる。冬は寒いので暖房費が思いの外かかるし、実はお肉の値段は都会の方が安い。経済的不安は拭えないかもしれない。しかしそれに付随して価値観も変わった。都会にいた頃は夜になると外へ飲みに出かけていたが、丹波市では家に人を招き、自然の中でバーベキューをしている。
陽さん
今二人ともアルバイトを2つ掛け持ちしてるんですが、どの仕事も農業に関係するものなのでとても勉強になっています。また、余った野菜をもらうこともあり、もちろん自分達で作ってるのもあるので、新鮮でおいしい野菜は食べられていますね。丹波市はお米もおいしいので、食生活はとても豊かになりました。
凸凹だからこそうまくいく。一番大事なのは会話をすること
さまざまな不安や期待が入り混じりながら、丹波市の生活を楽しんでいる奥川夫婦。今こうやって二人が満足した生活が送れているのも、話し合うことをちゃんとしてきたからだという。
愛子さん
価値観も行きたい方向も全然違う二人が一緒にこうやってやっていけるのは、ちゃんとディスカッションをしてきたからだと思います。それができない夫婦だと移住は厳しいかもしれませんが、ちゃんと話し合えるなら、意見が違っても認め合いながらやれると思います。
自分が農業をやりたくなった人に、または自分のパートナーが農業をやりたくなったという人へのアドバイスを尋ねたところ、全ての経験が農業に活かされると教えてくれた。
愛子さん
例えば接客での仕事は野菜の販売の際に役に立っていますし、書類作りには事務職の仕事が役に立っています。夫もプログラマーとしてやってきた緻密な作業や深掘りする作業は、より良い野菜を作るためにとても役に立っています。今までの経験が何一つ無駄にならない職業って、農業だと思っています。
陽さん
家庭菜園でどれだけおいしい野菜ができても、商売の農業は全く違います。規模も違うし肥料など栽培に関しても、そのコストに関しても綿密に計算しなければならない。自ら始める前に必ず、学校または農家で研修することをおすすめします。また、妻が言う通り色々な経験が農業には生きる。なので農業を始めてお金にならない時も、経験だと思って色々なことをするのがおすすめです。
今後は自分が育てた野菜のファンを増やしていきたいという陽さん。そしてそんなおいしい野菜を使って加工品づくりをしたいという愛子さん。持ち味が違う二人だからこそ、一緒になるとそれが旨味へと変わる。凸凹ファームは今後、二人だからこそできる野菜や商品を世に出していくのであろう。
奥川さんとはオンラインでお話したことがあって、実際に農場にお邪魔するのは今回が初めましてでした。こだわりと信念をもって、少ないながら的確な言葉でお話される職人のような陽さんと、明るく楽しく、聞き手にも思いやりのある言葉でお話されるコミュニケーション上手な愛子さん。生活もお仕事も、まさにご夫婦で支え合っている素晴らしい関係だなと感じました。足りないものを補い合う姿に「凸凹」という屋号にも一本通った筋を感じられたインタビューでした。