移住者インタビュー

Vol.98 / 2023.09.29

関東の都市部から丹波市へ、自然の中で生活することを選択したIターンファミリー

若竹洋介・絵美子さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

今回お話を伺った若竹ご夫婦は、関東の都市部で生活されていましたが、子どもが喘息気味だったこと、就農への思いがあったこと等、コロナ禍をきっかけに丹波市へ移住されました。農業のこと、子育てのこと、移住されてどうなったのか、インタビューしてきました。

 

就農への思いと、空気のキレイな場所で子育てがしたくて移住

 

移住された経緯を教えてください。

 

(洋介さん)
こちらに来る前は神奈川県の川崎市に住んでました。妻の実家が近くにあって、仕事の関係と交通の便がよかったのもあって。

僕の実家は神戸市なんですが、農業できるところを探してたんです。農業するなら丹波のブランドを活かしたところがいいなと探してたら、たまたまこの物件が空いてて。

丹波市内のこの地域がいいと決めたというよりは、ここにいい物件があったという、物件ありきの選択でしたね。

 

この家は購入されたんですか?

 

(洋介さん)
そうですね。リビングは壁紙から天井までリフォームしました。退職金が全てつぎ込まれています(笑)

ちょうどよく物件と農地・農業倉庫がついてて、ある程度農業機械も備わっていたので決めました。

それで僕だけ家族より一足先に2021年の年末に移住してきました。

 

以前の仕事はどういうことをされてたんですか?

 

(洋介さん)
化学品の会社の農業化学品事業部で働いてました。

その会社はプールとかに使われる塩素剤のシェアを広く展開していて、先日丹波市内の市民プールに行ったら当時の会社のロゴが入ったやつが置いてましたね。

 

農業をしたいと思ってたのはいつからだったんでしょう?

 

(洋介さん)
なんとなく高校生くらいからですね。

大学は宮崎県にある園芸の大学に行って、卒業してから僕も妻も青年海外協力隊に行ってるんですけど、帰ってきてから就職しました。

 

絵美子さんの大学はどちらだったんでしょう?

 

(絵美子さん)
大学は東京でした。卒業後に同じく青年海外協力隊へ行って。

帰ってきてからは親の手伝いとか、飲食やアパレルでアルバイトしてました。

 

どうやってお二人は出会われたんですか?

 

(洋介さん)
青年海外協力隊の同期ではあったんですが、それぞれ別の国で活動してたんです。面識はあったのですが、僕はアフリカのマラウィ、妻はモロッコで活動して。お互い、日本へ帰ってきてからです。

(絵美子さん)
帰国してきて、お互いの友人の結婚式で会ったんです。それから一緒に山へ行ったりするようになって、そこからですかね。

 

お二人がご結婚したのはいつですか?

 

(洋介さん)
30歳の時ですね。

(絵美子さん)
今子どもは3人いて、上の子が10歳、真ん中が7歳、一番下が2歳になりました。丹波市に来た時は一番下がまだ7ヶ月でしたね。

 

元々自然への憧れとかがあったんですか?

 

(洋介さん)
自然への憧れっていうか、単に都会があんまり好きじゃなかったんですよ(笑)

(絵美子さん)
上2人の子どもが喘息気味だったっていうのもありました。今はもう治ったっぽいですけど。

前住んでたところは光化学スモッグが出るくらいだったんで。生活環境がやっぱりいいとは言えなくって。

それで『住むならできるだけ空気がきれいなところがいいよね』ってずっと話をしてました。

 

ちなみに丹波市以外を検討したことはあったんですか?

 

(洋介さん)
丹波市の近隣もみてましたし、四国とか、大分の方もありましたけど、子どもがいるし赤ちゃんもいるから、親の助けが欲しいなあと思って。

それでうちの親が来れるところであることと、やっぱり農作物における丹波ブランドは東京の人でさえ知ってるんで、営業していく際の売り文句になるかなっていうのはありました。水もいいですしね。

 

文字通りの「自然の中で生活する」ということ

 

『丹波市に行くぞ!』となった時、子どもの反応はどうだったんですか?

 

(絵美子さん)
上の子が当時3年生で、向こうで生まれてすぐからの友達が何人かいて、離れたくない感じはありましたね。

(洋介さん)
その時はなんだかんだで、『家族一緒がいい』って言ってくれましたね。今は違うけど(笑)

(絵美子さん)
真ん中の子は虫が大好きで、自然はこっちの方がたくさんあるから特に嫌がらずで。友達にもそんなにこだわらない時期だったんでしょうけど、でも実際に離れてみて、ちょっと寂しそうにはしてましたね。

お別れの時にみんなからお手紙もらったりして。その時はじめて実感が湧いたのか、それまでは色々強がってたんですけど、『〇〇君と会いたい』とかね。

でも、今はもうだいぶこっちの関西弁にもなって、一番馴染んでますけどね(笑)

上の子はまだ言葉が関西弁にならないね。

(洋介さん)
そうだね。別になる必要もないけど(笑)

 

都市部と比べて、こっちでの子育てはどうですか?

 

(絵美子さん)
あたしも元々自然が好きなんで、自然の中で子育てしてるっていうのは安心できるし、いい環境だなあって思いますね。

特に真ん中の子は自然とか生き物が好きなので、家出てすぐのところで虫を捕まえられるから喜んでますよ。野放しにできるのもいいですね。

一番下の子もお兄ちゃんに付いて、その影響かすごい虫に興味があります。

(洋介さん)
一番上の子だけですかね?向こうが長かった分慣れるまで苦労があるのは。友達が近くにいないのとか。前が便利過ぎたのもあって。川崎市は大きな川とか商業施設が近くにありましたし、大きな公園も多かったですしね。

 

地域の人たちとはどういった感じですか?

 

(洋介さん)
この地域で正解だったなって思ってますね。この辺の人たちは皆さん、本当に色々と面倒みてくれますんで。

上の子も近所のおばちゃんと一緒に遊んでたり、家に行かせてもらったりしてるんで。しかも勝手に(笑)

本来はそういうのが当たり前の風景なんでしょうね。家の周りの自然の中にも遊びに行ってますし。

僕はあまり理想を描いては来てないんですけど、自然の中で生活できてるなって、感じてますね。

 

この辺は山もあるし川もあるし。自然の中ですよね。

 

(絵美子さん)
鹿もいますけどね。遭遇する度子どもらもキャーキャー言ってます(笑)

 

一同(笑)

 

(洋介さん)
それだけは誤算やったね。鹿がおるっていう。正直甘く見てました。

(絵美子さん)
鹿がこれだけ厄介なんて思ってもなかったです。

(洋介さん)
農地に網かけてて、罠でもないのにひっかかる鹿もいますが、あれされると厄介なんですよね。網もダメになるし、支柱は折れるしで。

罠の免許はもう取っていて、近所の若い人と二人でやっていて、これまで二頭捕まえましたけど、それからなかなか捕まらないんですけどね。

 

ちなみにその時捕まえた鹿はどうされたんですか?

 

(洋介さん)
一頭は姫もみじに持って行って、もう一頭はその一緒に行ってた若い子が自分で捌いてましたね。

 

すごい。ほんと、文字通り自然の中で生活されてますね。

 

(絵美子さん)
あと私、土いじりが好きなんですよ。土が沢山あっていいですね。以前はコンクリートしかなかったんで。

(洋介さん)
そう言われたらそうやな(笑)

特に妻はずっとコンクリートジャングルに生きてきましたし。

僕はすぐ近くに六甲山がありましたけど。六甲山もまあ、近所の人たちが毎日のように登ってきれいにしてますから、こっちの山とは違って整えられすぎてますけどね。

ありのままの自然な山っていう感じがしますね、丹波市の山は。

 

コロナ禍で訪れた、就農への契機

 

高校生の頃に、農業に興味を持たれたということなんですが、このタイミングで農業をすることになったのはどういう経緯だったんでしょう?

 

(洋介さん)
特にコロナウイルスの影響ですね。

それまで海外営業部にいて、結構忙しい部署だったんで考える暇がなかったのと、コロナ禍で出張がなくなったので、このタイミングかなと。

(絵美子さん)
あと『農業するなら40歳までには』とか考えてたよね。子育てを自然の多いところでやりたいっていう話もずっとしてて。

 

青年海外協力隊を辞めてから化学品の会社に勤めたのはどういうご縁だったんでしょう?

 

(洋介さん)
青年海外協力隊には就職の相談窓口があって、その人がたまたま前職関連のOBの人だったんですね。その関係で就職の話を繋いでくれて、就職しました。

ちょうどリーマンショックの時期で、他の同期は全然就職できなかったって聞いてたので、運がよかったです。

 

薬品関係の知識を今の農業で活かそうとか、そういう発想はあったんですか?

 

(洋介さん)
そうですね。やっぱり農業で生計を立てていくには重要なセクターなんですよね、農薬の使用って。

病害虫とかが分かっていれば効率よく仕事ができるというか。

被害にあっている野菜とかを見れば大体、何の病気や虫で、どの薬をどれくらい使えばいいかが大体分かりますよ。この辺の知見は、やっぱり業界に入っていた強みです。

農薬を開発するのにどれほど多額の予算がつぎ込まれて安全性の確認が行われているかとか、一般には知りようがないですもんね。

 

なんとなく、世間一般的には薬の知識をちゃんと持たずに薬を撒いてる人がほとんどのような気がします。

 

(洋介さん)
ほとんどそうじゃないですかね。以前の会社のおかげで、農薬関係の知識もそうですが、農家の辛いところを理解しているつもりですので。

だから、自分もするなら40歳までには始めておかないと体力的に続かないだろうなと思ってました。50歳にもなれば親の介護とか入るかもですし、余計に動けなくなってくるでしょうし。

なので、タイミング的にはベストやったかなと。

 

ちなみに今どれくらいの面積されてるんですか?

 

(洋介さん)
2町ちょっとくらいですね。それでも全然、収益が安定してるとはいえないんですけどね。

 

これから何を主にしていくとか計画を立ててらっしゃるんですか?

 

(洋介さん)
黒豆を主にしようとしてますね。営業も少しずつやりながら。

虫一匹の混入さえ厳禁かつ農薬も規制があったり、規格も厳しかったりで個人農家には結構厳しいところですけど。

他の農家さんとの兼ね合いも考慮しつつ、うまく軌道にのせていきたいところですね。

 

これからのこと、子どもたちのこと

 

これからの生活はどういうのが理想ですか?

 

(洋介さん)
まずは農業で生活を確立したいですね。当初から専業でやってますけど、収入が安定しないために妻には別で働いてもらってる状況なんですよね。

ゆくゆくは二人で農業できたらいいなと思ってます。農地もこれからどんどん空いてくるでしょうし。

今でも結構新しい農地のお話をいただくんですけど、中には状態が悪いところも結構多いんです。

なんでもかんでも引き取ったら修繕にとんでもない出費がかさみそうですし、ここらへんは水路の老朽化も進んでますので、その辺が課題ですね。

できるところからボチボチやっていきます。

 

子ども達にはこれからどう育っていってほしいですか?

 

(洋介さん)
とにかく自立してほしいですね。

自分で考えて行動できるようになってほしいので、色んな物事を出来るだけ自分で決めさせるようにしてます。どうしたいのかって話きいて。

失敗もどんどんしてもらって。適度に理不尽さも味わってもらって(笑)

 

案外、大事なことかもしれませんよね、その辺も。

 

(洋介さん)
出来る事なら理不尽さとか、苦労するような体験は早めにしてもらった方がいいかなって個人的には思いますね。

大人になってから初めて理不尽さに出くわすとなれば、耐性が無さ過ぎて心が折れてしまうかもって思うので。甘やかし過ぎると特に。

なので早めに覚えておいたほうがいいですよね。大人って案外こんなもんだっていう感覚だとか、人間関係のポイントみたいな部分さえ分かってもらえればいいのかなと。

子どもら自身が必要と思ったものを、自分で選んで、つかみ取っていってもらえればと思いますね。

移住相談窓口で出会う、丹波市で就農を希望される方々は有機農業やオーガニックを希望されることが大半なんですが、若竹さんのように薬品のスペシャリストという切り口から就農されるケースはとても珍しく、一般的には知られる機会がないお話の数々がとても新鮮でした。都市部での生活の話や、子育てのお話等、同年代あるあるがいっぱいあって共感しっぱなしのインタビューでした。