移住者インタビュー

Vol.101 / 2024.03.05

長時間発酵のパンを求め、尊敬する人の傍で暮らすことを選んでIターン

森田久瑠美さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

今回お話を伺った森田久瑠美さんは明石市出身で、大阪の専門学校を卒業した後、三宮のパン屋さんで働いていた時、とあるテレビ番組を見た時に“長時間発酵のパン”という存在を知ったのをきっかけに、丹波市のパン屋さんへいわば弟子入りするような形で丹波市へ移住されました。

コロナ禍での選択、その中で未来を自身で切り開いていくその姿勢の背景には何があったのか、詳しくインタビューしてきました。

 

「お菓子焼きたい!」から「パン焼きたい!」に変わった就活

 

森田さんはどちらの出身ですか?

 

明石市です。高校まで明石市にいて、高校卒業した後は大阪の辻調理師専門学校に通ってました。中学生ぐらいの頃から母の影響でパティシエになりたくて、料理は全然できなかったけどお菓子はずっと作ってました。

将来はお菓子メインのカフェを開くことを夢見て専門学校へ行ったんですが、いざ就活するとなって、お菓子の就職先を見に行ったりしてたんですけど、なんでかパンだったんですよね(笑)

 

(笑)その方向性が変わったきっかけは何だったんでしょう?

 

専門学校の実習の授業はすごい好きで、お菓子のお店を目指してたのは、お菓子を作ることで自分が思い描いている考えとか思いとかを表現できるものだからっていう理由でした。でも、お菓子ってミキサーやゴムベラとか型に入れて焼いたりと、何かしら自分の手と生地の間に挟まってることに気づいて。

授業で専門学校の先生が、『パンはもろに自分の手と自分の常在菌が影響するもので、全く同じものができない』っておっしゃってて。じゃあ、逆に「自分を表現したい」と思った時に、パンの方が自分の手でしか作れないものが作れるなら、そっちの方が自分に合ってるんじゃないかと思い出したのがきっかけですね。

 

なるほど。そう言われると確かに。

 

自分の手がないと完成しないというか、全て自分の手が判断基準になるというか、直感的に「そういうのがしたいんじゃないか」と思えたんですよね。授業をあまり熱心に聞いてた訳ではなかったので、パンについてほぼ無知だったけど、就職先はパンにしようと。

とりあえず何も分からないから、どこ選んだらいいのか判断基準も分からずで。それなら「関西で一番有名なところへ行こう」と思って就職したのが以前の職場でした。そこへ行けばなんとかなるだろうと。それが2018年4月でしたね。

 

以前の職場で働いてた時はどんな生活だったんでしょう?

 

規模が大きい有名店だったのもあって、完全分業制みたいな感じでした。仕込みの人、焼く人みたいに。コロナ前の一番忙しいシーズンに入らせてもらったので、ゴールデンウィークの期間とかは深夜1時起きで、朝の8時を通り越して20時までぶっ通しで働くみたいな、なかなかの生活でした(笑)

途中、業界的に就労環境を改善する動きがある中で、退職する直前には朝も4時起きになって、生産量も落として人件費を削減するような動きになってたんですけど、それはそれでパンをがっつり学びたい身からすると、最初から最後まで、色んな種類をいっぱい見て触りたいのに、『時間だから早く帰りなさい』と言われ。「そうじゃないんだよなあ」って、悶々としちゃう時間が増えて。

 

なかなか「善し悪し」の判断が難しいところですね、その話は。

 

世間からするとブラック云々に見えるかもだけど、私としては困った話で。学ぶ時間が余計になくなって、独立まで相当な時間がかかってしまうんじゃないかって。今振り返ると、移住はいい時期だったなって思いますね、私にとっては。

 

勤務先と研修先の二足のわらじ生活~移住を考えるきっかけ~

 

丹波市への移住を考えるきっかけは何だったんでしょう?

 

丹波市でパン屋をされてるHIYORI BROTの塚本久美さんが、セブンルールっていうテレビの番組に出られているのを見たのがきっかけです。それから久美さんの本を買って、久美さんの師匠の本を買って読んで、“長時間発酵のパン”という存在を知ったのが大きくて。

パン屋で働くようになってからあちこち食べ歩きするようになって、長時間発酵されたバゲットを食べる機会があったんですが、「粉と塩だけでこんなに奥深い味が出せるのか」と衝撃を受けましたね。全然違うなと。

 

なるほど。パン屋さんだったからそこに興味が引っかかったんですね。

 

セブンルールを見た後、これまた直感的に「この人のところに行かないとあかん気がする」と感じて、すぐ久美さんへメール送りました。でも、勤務先の名前を言うのはなんか違うなと思って、『森田久瑠美と言います。三宮で働いてる者です。研修受け入れてもらえませんか?』ぐらいの、めちゃ怪しいメール送りまして(笑)

 

それはそれは、めちゃ怪しいですね(笑)

 

でも結局、その後すぐコロナ禍に突入したので、『一年後にまた連絡します』と(笑)
それで一年経ったあと、『一年前に連絡した、三宮で働いている者です。研修入りたいんですけどいかがでしょうか』と連絡して。

本当は色々文章考えたんですけど、あれこれ言うのはなんか違うなと思っちゃって。結局会えば全部わかることだし、これで受けてもらえなかったらそれまでかなと思って送ったんですが、そしたら久美さんも『いいよ』って言ってくれて。

 

それで『いいよ』って言える久美さんもすごいですね(笑)

 

本当はちゃんと久美さんのパン食べて、「こんなパン焼きたい!」ってなって、「研修お願いします!」が本来の筋だと思うんですが、当時番組直後で注文が殺到してパンが手に入らなかったんですよね。それで「これは行った方が早いな」っていうのもあって。

そこから3、4ヵ月に1回『研修に入れてください』って久美さんにお願いして、『焼きの日はここだよ~』とか教えてもらって、『ではその日なら一日いけます』と調整して。2年半程、車で丹波市へ研修に来る生活をしてました。

 

そうして研修生活が始まった訳ですね。

 

当時、勤務先では人を育てるポジションになってて、一番手には『しっかり怒れ』と言われるけど、怒るのが苦手で。その上と下に挟まれる立場はお店の人としてのプライドも求められるし、指導者として、相談相手として求められる部分もあって、素の自分で居れる時間がなくて。

いざ研修に来ると、久美さんからは最初10秒に1回くらい怒られてましたね。長時間発酵の関係で、掃除や洗い物から徹底的に。『やり直して』って言われる度に「洗い物すらちゃんと出来ないのか、私は」と思う程。

 

それはマインドセットが大変そうです。

 

長時間発酵のパンは普通のパンと違って、嫌な菌が少しでも混ざるとそれも長時間かけて移ってしまうんですね。だからアルコールも徹底的にするし、エアコンの掃除も全部、全ては「美味しいパンを焼く」ということに繋がってるから、久美さんも怒る。そこに筋が通ってるから、怒られるのが全く苦じゃなくて。

職場でのプライドを捨てて、素直に聞くように心がけて、怒られたポイントに意識を向けてる間はしんどいけど、無意識にできるようになれば苦じゃなくなってきて。研修に来るようになってから、ここに来るのが楽しかったですね。

 

では、研修開始から移住までの経緯を教えてください。

 

研修に来る度に『求人募集してませんか?』と聞いてたんですが、なかなか目途が立たなくて。勤務先では「仕込みまで行きたい!」っていう決意があって、そこまで行けた後に、『どうしても働きたい店があるので1年後に辞めます』って話をして。

その時点で、久美さんのところか、東京にある久美さんの師匠のお店かの2択でした。どちらも働ける目途なかったんですけど(笑)

 

また冒険しましたね(笑)

 

就活する時間もなかったので、退職前に東京に行く予定とHIYORI BROTに研修行かせてもらうアポだけ入れて退職して。先に東京行ったんですけど、ちょっと違うなって思いました。

一番ストレスを感じたのが、「選択肢の多さ」。どこでご飯食べるかもお店が膨大な数があって、目的地まで電車が何本もあって、どれに乗っても大体着くし、どの道からでもいけるみたいな、ある意味「決めきれない選択肢」に追い込まれる感じがちょっと苦しいなと思ってしまって。

 

そういう側面は確かにありますね。

 

その次丹波市に来たら、どこ見ても田んぼで、ひたすら山に向かって車走らせている時に、「うわー、ここだー!明らかに私の体がこっちだと言ってる!」と思って。滞在中お世話になったシェアハウスで色んな人に出会い、あちこち連れて行ってもらってるうちにもう、がっつり惹かれてましたね。

それでもう、「とりあえず住んでみたらいい方向にいくだろう」という謎の、根拠のない自信のまま来てみたら、そこで久美さんが『うちで働いたらいいよ』って言ってくれて。『久瑠美さんの言うとおりになっちゃったね』と言われながら、転がり込んできたのが、2022年9月でした。

 

日に日に増していく“丹波愛”~好きがつまった暮らし~

 

パン屋としては今どういう状況なんでしょう?

 

HIYORI BROTで雇用してもらっています。その中で、自分自身のブランドとして「ノア」という名前でもパンを焼かせてもらっています。

久美さんから、結構序盤に『久瑠美は自分で経験した方が身に着くタイプだから、ブランド持って自分でパン作りな』って言ってもらって、『それは是非!』と。前の職場は大きい店だから、自分で自由に全部できるって訳じゃなかったんですよね。

 

それはいい勉強になりそうですね。

 

いざ自分が仕込みから焼きまでを考えて一気にやるってなった時に「あれ?ここ全然分からんぞ」ってすごい丸見えになると言うか。自分で分からない事を理解して、それをどう変えていくか。その経験を入って2ヵ月くらいでやらせてくれて。

それで一番最初、多可町のイベントに出ることになった時にブランド名を「ノア」に決めて、活動が始まったのが2022年10月でした。

 

なるほど。ちなみにノアの由来は何でしょう?

 

「ノア」というのはフランス語で、「胡桃」っていう意味なんです。自分の名前にちなんで。ちなみに、自分の名前の由来を小学校の時に親に聞いてみたら、『生まれて顔を見てから決めよう、三文字にしようと思ってて、全部丸かったから、くるみ』って。そのまんまやんって思いましたね(笑)

私は母子家庭で育ったんですが、母は結構変わってて、祖母から姉と私に『宿題しなさい』って言われた時に『そんなん言わんといて!』って母が言い返して。それで私と姉は、「自分でちゃんと勉強せなやばい」ってなりました(笑)

好きな事は自由にやらせてくれる家族です。

 

やるなと言われるとやりたくなるやつですね(笑)丹波市での暮らしはどうですか?

 

すごい日に日に増してますね、丹波愛が。本当に好きですよ。家の前で焚き火とか普通にできたり、以前薪サウナに入らせてもらったんですが、畑に足出して満点の星空を見ながら涼んだり、水路を水風呂代わりにしたり、こんなことが普通に出来るのがすごいなって。

こんなに身近に自然があって、一瞬で子どもに戻れる時間があるというか。「ワクワクするかどうか、楽しいかどうか」を大事にしているので、すごい「好き」が詰まった場所だなあと感じています。

 

そういう自由度は街中より高いですよね。

 

土日も大体何かしらイベントがあるし、イベントで生きていける人たちがいるのもすごいなと。一人で行っても向こうに必ず誰かいるから、一人で出歩くことに抵抗がないし、むしろ一人で行った方が色んな人と会えるし話せるし。「出歩いたもん勝ちだな」って。

丹波市の人は自分を持ってる人が多い印象ですね。筋が通ってるというか、率直な人が多くて。裏を読むのが苦手だから、そういう人ばかりで暮らしやすくて、性に合ってる。自分そのままでいれる感じが、居心地がよくてストレスないですね。

 

確かに、余計な探り合いみたいな関係性あんまりないですね。

 

移住してから半年くらいして、他の移住者だったり、同年代の人も見つかりましたけど、それまで上の世代の方々に混ぜてもらってたから、その「年齢関係ない付き合いがいいな」って思ってて。高校生も年輩の人も、皆対等に接してくれる感じが。

飲食店も、数が少ないから必然的に美味しい愛されたお店しか残らないというのがわかりやすくていいなと。ベースの食材が美味しいのももちろんありますしね。

 

そういう意味でも、パンの焼き甲斐ありますね。

 

時々、HIYORI BROTの厨房借りて夜に「夜ノア」としてパンを販売させてもらったりしてるんですが、それももう1年やってて少しは馴染んでこれたかなと。厨房使わせてもらう時は徹底的に掃除しますよ(笑)

パンはお菓子よりよっぽど初期投資がかかるので、使わせてくれるのは本当に有難いです。全部自分でやってみて、導線どうするのが一番か、どういう設備がいるのかとか、営業形態を決めておかないと後々困ることがいっぱいあるので、いい経験させてもらっています。

 

『一番尊敬する人の傍にいる事が一番勉強になる』~これからのこと~

 

今後の展望を教えてください。

 

私は将来的に店舗を持ってカフェがしたいと思ってるんです。人と人が繋がる空間が好きだし、自分も人と喋るのが好きだし。毎日のように来てくださるお客さんとかが体調悪そうな顔してたら、『これ食べてもいいよ』ってスッと出せるとか、より近く、お客様に寄り添える可能性があるのがカフェのいいところかなと。

最近月一で場所を借りてカフェを試行錯誤しながらやってみてるんですが、カフェの難しさも痛感しているところです。パンだけでなく、レジもして洗い物もしてって考えると、一人でやれるか疑問ですし、利益が出せないと続けられないしで。どうすればいいか、模索中ですね。

 

カフェの場所はどこにするか決めてるんですか?

 

丹波市か明石市かの二択なんでしょうけど、今の暮らしが居心地よすぎて丹波市から抜け出せる気はしないですね(笑)
予定としては、30歳から開業準備できればと思っているので、あと3年間はしっかり修行して、資金を貯めたいですね。一度海外にも行きたいと思ってますし。

 

なるほど。それまでしっかり師匠のもとで勉強しないとですね。

 

長時間発酵のパンは本当に色々、繋がっている気がしていて。掃除を徹底するのも「全ては美味しいパンを焼く為」その為に、如何に自分が繊細になれるか。今日は暑いから窓開けようとか、乾燥してるから湿度あげようとか、その感度が、将来カフェする時に「あのお客さん喉乾いてそう」と気づけたりすることに繋がってるような感覚があって。

別に久美さんのパンを焼きたいと思ってる訳ではないんです。そもそも、同じ手じゃないから焼けないし。それがパンのいいところで。丹波市ではパン屋さんが沢山ありますが、みんな違う路線のパンを、違うブランドで展開してるからぶつからないんですよね。比べるっていう発想も湧かないのがとても良くて、自分の思い描く形が見えてきてるところです。

先を見据えて今やってることが、尊敬する人の元で勉強できていて、考え方とかベースになるものが身に着く度、全部繋がっていく感覚があって、楽しいですねほんとに。やっぱり一番尊敬する人の傍にいることが一番勉強になっていいですね。おすすめです。

自分で自分の理想を追い求めていく。口で言うのは簡単、でも実際に実行できる人は少ないもので、森田さんの「真っすぐさ」は、老若男女問わず、参考になる部分が多いのではないでしょうか。 インタビューをしていて、本人は「直感で選んだ」と言われますが、直感と称するその判断は実際にはとても理論的かつ合理的で、瞬時の間に的確な判断をされている印象がありました。師匠の元で学びきった先、どうなっていくのか。今後も楽しみです。