移住者インタビュー

Vol.102 / 2024.03.11

テーマは“自立”。理想の子育て環境・食べ物・助産所開設を目指しIターンしたファミリー

大濵英明・絢子さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

以前は神戸市に住み、西脇市の会社へ勤められていた大濵さん。結婚や子育て・コロナ禍等、色んな環境の変化があり、今後の理想の暮らし方を模索し始め。

最終的には通勤時間がそれほど短くなった訳でもないけど、『求めるものが丹波市のここにあったから』と移住された大濵ファミリー。その決断の背景には何があったのか、詳しくインタビューしてきました。

 

理想の子育て環境と、自然栽培の農業ができる地域を目指して

 

ご主人の出身はどちらなんですか?

 

(英明さん)
奈良県広陵町出身です。大阪に近い靴下産業の町でしたね。小学校から高校まで過ごして、大学の時に京都へ出ました。社会人になってからは、最初の会社は大阪で6年半程。その後、東京転勤になって神奈川県に引っ越しました。

 

丹波市に来る直前はどちらへ?

 

(英明さん)
神戸市の海側に住んでました。11年前、転職をきっかけに神戸市に引っ越して、神戸市にいながら職をいくつか変えながら。5年ほど前から今の職場、西脇市にあるtamaki niimeに転職して、会社を変えずに丹波市へ移住だけしたという流れです。

 

ということは、神戸市から西脇市まで通ってたんですか?

 

(英明さん)
そうなんですよ。1時間半くらいかけて毎日車で通勤していました。なかなか辛かったですね。帰りの運転とか眠かったんで。

 

奥さんのご出身は?

 

(絢子さん)
私は姫路市の出身で、高校までは姫路市でした。大学で岡山へ行って、卒業後に大阪の高槻市で就職しました。私も大阪で転職したりしながら主人と出会って結婚したのを機に、東京の転勤についていって、あっちでも仕事をしてました。その時に長男を妊娠したので、産休に入ると同時に退職して神戸市に引っ越しました。

そのあと長男を産んで、次男を産んで、細々とパートで働いたりしながら過ごして、移住が決まり。移住が決まったと同時に第三子を妊娠して、丹波市に移ると同時に出産しました。

 

なかなか激動な感じですね。ちなみにお二人はどうやって出会われたんですか?

 

(英明さん)
大阪市にいた時に、フットサルサークルで出会ったんですよね。なんちゃってくらいの緩いサークルでしたけど(笑)
その時、僕は大阪市内に住んでいて、妻は高槻市に住んでました。

(絢子さん)
高槻市はちょうど大阪と京都の間くらいなんで、遊びにいくなら大阪か京都かどっちかみたいな感じでしたね。

 

移住を検討しはじめたきっかけはなんでしょう?

 

(絢子さん)
主人の今の会社関係ですかね。結婚や子育て、コロナ禍のゴタゴタとか色んな要素はありましたが、主人が今の会社に勤め始めてから、色んな人に出会うんですよね。これまでの会社とはかなり変わった会社で。

私自身も色んな人に出会って話をして、なんかもう、価値観じゃないけど、人生を考えるようになって。それでちょっと、求める生活が変わったのかなと思いますね。

 

なるほど。それで丹波市にしたのはどういった経緯で?

 

(英明さん)
やっぱり子どもを育てる環境と、食べ物を自分たちで作る力を身に着けたいという思いが強かったですね。それで、自然栽培の農業が出来そうなところで探してました。そういうことを考えると『里山がいいね』って話になって、いくつか探した中で丹波市が魅力的だなあと思いました。

あと、妻は助産師の仕事をしていて、『いつか自分たちの家で助産所を開きたいね』と話していたんです。そう考えると丹波市は、地域の出産環境が整っている場所というよりは、「助産師としてまだ力を発揮できるところがある」場所のような気がしたんですよね。

 

会社の影響がとても強そうなんですけど、西脇市じゃなかったんですね?

 

(英明さん)
社内でも突っ込みまくられたんですけどね。『飛び越えて行ってしまった!』って(笑)

(絢子さん)
通勤時間もそんなに短くなってないしね(笑)
空き家バンクを見て、色んな物件を見にいったんですけどね。もちろん西脇市に近い山南地域とかも。

(英明さん)
この物件に出会ってしまったのが大きかったですね。

 

理想の物件がどこにあるかってやっぱり大きいですよね。

 

(絢子さん)
神戸市はなんだかんだ便利で、神戸市が嫌で出た訳じゃなく、それこそ『田舎がいいなら北区でええやん』とか言われましたね。でも、求めるものがここにあったから仕方ない。物件も、食べ物も。『自分たちで体にいいものを作りたいね』と考えた時に、日本で昔から食べられてるものとか、その土地でずっと作られ続けてるものがいいと考えたし、そういうのがあるのが丹波市だなと感じましたね。

 

奥さんの仕事は最初から助産師だったんですか?

 

(絢子さん)
最初からですね。看護師・助産師の資格をとるために大学いって、新卒から基本的にはずっと助産師で。二人目が生まれるまで助産師として病棟で働いたり、夜勤専従として夜勤だけしたり、新生児訪問とかの仕事を続けてました。二人目が生まれてからは5年程看護師として働いて、そこを退職してからの移住ですね。

 

勤めるよりは自分でやろうと?

 

(絢子さん)
はい。ただ、自分でやろうってなると、すぐに出産には携われないかな。どうしても医療機関と連携したりとか、一人ではできない内容になってくるので。それ以外のところで、子育てしている世帯が健康になれるような食材を作るところからやってみたい。「食から身体を作る」といったところも含めた助産ができたらいいなと思ってます。

 

開業をお考えとのことでしたが、場所はどこにされる予定ですか?

 

(絢子さん)
この家ですね。住居兼です。出張助産師としてはもう届け出はしていて、家を整えたら、助産所として部分的に開設しようかと思っています。

 

助産所としての開設要件とかあるんですか?

 

(絢子さん)
お産をとるかとらないか・宿泊をするかしないかで大きく異なるんですが、うちはお産をとらず、日帰りで考えています。なのできちんと自分たちのプライベート空間と、助産所をしっかり区切って、後は衛生管理やら消防設備の要件やらありますけど、ここでゆっくりしてもらって、おっぱいケアをするとかであれば、特に厳しい規定はないですね。

 

ご主人は助産所に関わるんですか?

 

(英明さん)
助産所としての環境づくりとか、そこで食べ物を出すってなればここで作ったものを出したいと考えているので、裏方的に関わる感じですね。表立ってママさん達の前に出ることはないと思います。僕は僕で、西脇市での仕事を続けるつもりですし。

 

丹波市での暮らし、子どもたちの現状

 

丹波市での暮らしはどうですか?

 

(英明さん)
めっちゃいいです。もうちょっとホームシックになるかなと思ったけどならなかったですね。

(絢子さん)
居心地いいもんねえ。

 

その居心地の良さはどのへんから感じられますか?

 

(英明さん)
僕の場合は田んぼ・畑っていう自分たちで自由にできる場所が、そこで過ごせる時間が、心の安定に繋がってる気がします。

(絢子さん)
なんか色んな意味でおおらかですよね。

 

ご近所付き合いとかはどうですか?

 

(英明さん)
来た時からずっとそうなんですが、子どもがいることもあって周囲がすごい気にかけてくださってますね。

 

(絢子さん)
内見の時とか契約に来ましたっていう時から声かけてもらってて。周囲に住む人がどういう人かってなんとなく分かる状態から住み始められました。ほんとに「気軽に声をかけてもらえるなあ」って感じですね。

私の実家も田舎なんですけど、やっぱり田舎って、ルールがあって、閉鎖的なイメージがあるんですよね。そういう部分も知ってたので、うまくやらないとって思ってきたけど、構えることなく誰でも挨拶できるし。子どものおかげもだいぶあると思うんですけど。

 

子どもやペットがご近所さんとの間を取り持ってくれるって話はよく聞きますよ。

 

(絢子さん)
この家に決めて、契約を交わした直後に三人目の妊娠が分かって。逆にもし、契約の前だったらどうしてただろうって思うんですよね。移住を思いとどまっていたかもしれないなと。ほんとに全部のタイミングが移住に向いてたんでしょうね。

2022年8月末に家を購入して、11月後半に引っ越すまでの間にリフォームして。リフォームは水回りとリビングだけだったんですが、天井板を抜いたら明るくなって。そのままでも全然住める家だったんですけど、色々手を入れてみて、よかったなと。

 

移住するまでに当初不安だったことはありましたか?

 

(英明さん)
自分自身転校したことがないんですが、長男が小5、次男が小2で転校させる事になるので、その辺がどういう心境になるかがちょっと心配でした。今は大丈夫やと思うんですけど、来た当初は向こうに沢山友達がいたんで、休みの度に『向こうの友達に会いたい』とかはやっぱりありましたね。

(絢子さん)
今も言うけどね、時々。

(英明さん)
今はこっちでも友達ができたんで、だいぶなくなりましたけどね。

 

(絢子さん)
私は小5になる時に転校した経験があるんですよ。当時は馴染めなくてすごい嫌やったんですよ。「友達は嫌じゃないけど、前のところがいい」っていうのがあって。長男が意外と繊細なところがあるから心配はありましたね。

こっちにも友達ができて、向こうで遊べる友達もいて。それが結果的によかったと、彼自身もいずれ気づくんだろうなあと思ってます。

 

子どもは普段どんな感じで過ごしてますか?

 

(英明さん)
外へ連れていくと遊んでますね。そこらへんの山で沢蟹をとったりとか。移住してくる前に何度か丹波市に遊びに来ていて、川遊び体験とか一緒にして。それに参加した時に、沢蟹とって皆で揚げて食べるっていうのを彼らなりに覚えてくれてて。それでめちゃくちゃとってきますね(笑)

(絢子さん)
次男は特に最近食材探しにはまってますね。多分、発見が楽しいんだと思いますね。「ノビルがあそこに生えてるからとって食べよう」とか。

 

地域の行事とかはどうですか?

 

(英明さん)
最近秋祭りがあって、初めて神輿を担ぎました。職場のある地域とかでも神輿はあるんですが、神輿って上にあげるところが多いらしいんですけど、ここの祭りは横に飛ぶんですよ。反復横跳びみたいに。『噓でしょ?!』っていう。肩壊れるかと思いました(笑)

(絢子さん)
見てるこっちは笑うしかなかったですけど(笑)
みんな飛んでましたね。地元愛にあふれて楽しそうでした。もちろん子どもらも。参加できるのは楽しいんでしょうね、ああいう行事に。

 

元々田舎に対する憧れってありましたか?

 

(絢子さん)
私は山で育ってきたので、山は地に足つく感じと、包まれている安心感があって好きですね。逆に海は広すぎて、自分が居なくなっても誰も見つけてくれなさそうで怖いんですよ。山で見かける生き物も好きでしたし。

 

(英明さん)
僕は逆に海派なんですよ。父方のルーツが沖縄の西表島で、いつか島に行きたかったんですけど、こっち来ましたね(笑)

ただ、今の会社で塩や黒糖等、西表島のいいものをtamaki niimeのお店で取り扱ってもらってたりするんですよ。薄っすらとした繋がりですけど、それで出張で行くことを検討できたりするのが今の職場の良さで。関わりしろを残してくれてる感じですね。

 

テーマは「自立」~理想の暮らしと子育てのこと~

 

丹波市での暮らしで今後実現したいことはありますか?

 

(英明さん)
やりたかったのは農業と助産所開設だったんで、助産所はもう間もなくですし、農業ですね。会社で働きながらですがしっかり自然栽培の農業をして、自分たちの作物をできれば製品化までしたいですね。今考えているのは米・麦・ハト麦、特産品で言えば小豆とか。あとコットンも。その辺を農薬や化学肥料を使わずに作れるようになりたいです。

(絢子さん)
農業では助産所で提供できるような作物を作っていきたいです。

 

農業の規模ってどれくらいを想定してます?

 

(英明さん)
あんまり広げ過ぎても大変なんですが、今でも合わせたら9反くらいの田畑はあるんですよ。でも、半分くらいは買う前から耕作放棄地状態で、田んぼに木も生えてて、そのうち山にのまれそうな感じですが。それはそれで発想を切り替えて使っていきたいなと。

例えば、うちに薪ストーブを入れてるので、近くに持っている山林で薪活をしてそのストックヤードにするとか、果樹園にするとか。色々考えながら、ちゃんと活用していけるようにしたいなと。

 

そこまでいけば、勤め先を続けるかどうかの規模になりそうですね。

 

(英明さん)
今は動物とか、農業に関わる部署にいまして、やってることは近しいところにいるんでそこが今後の課題ですね。ここで得たことや作ったものを、会社での仕事に活かすことで、こっちでも時間を使えるように調整させてもらうとか。

具体的には今、会社でも自宅でもコットンを栽培してるんですけど自宅の方では自分なりの方法とか、より実験的な栽培を試すことができるんです。そうすることで、実験結果も自分の経験も2倍の速さで手に入るんですよね。そうして得たものを仕事に活かしていくということをまさにやってるところです。tamaki niimeの作品づくりにコットンは欠かせないので。

 

子育てにおいては、今後どうしていくのが理想ですか?

 

(英明さん)
やっぱりテーマは自立ですかね。「自分のことは自分でやる」っていう。お手伝いも大事なんですけど、それこそ自分たちで食べるものは自分たちで作ろうとしてるんで、手伝わせるでもなく、働かせるでもなく、普段の日常の中で、「自分のことは自分でやる」っていうのを、学んでもらえたら嬉しいなと思いますね。

都会にいると全部お金で手に入れてくのが日常で、「お金とモノだけしか存在しない」ってなりがちなんで、そうじゃなくて、自分の手を動かして、『自然からモノを頂いてるんだよ』っていうことを親である自分自身も子どもと一緒に学び合えるのは、すごく素敵な環境だと思いますね。

 

なるほど。奥さんはどうでしょう?

 

(絢子さん)
とにかく自立を目指しています。親として「安心して手を放せるように、早く楽になりたい」ってのもあるんですけど、自分たちで「必要なものはどうやったら手に入るのか」とその手段を考え、自分で作るのではなく買うんだったらお金が必要だけど、じゃあお金を手に入れるのはどうするかと、その過程を自分で考えていけるようになったら、安心して手を離せるかなって思うので、やっぱり自立ですね。

親として何かしようとかではなく、子どもが育っていく過程の中に関わる大人の一人って感じで、今後の成長を見守っていけるのが今の理想ですね。

丹波市への移住者には『自立』『(食やエネルギーの)自給自足』を求めて移住される方が結構多いのですが、それでも全員が全員、こうして移住完了までいけるケースというのは一握りだったりします。地域との相性、手にした物件の性能・周辺環境、子育て世代であれば子どもが馴染めるかどうか等、色んな要素があり、それこそ移住してみないとわからないこともあったり。 二人の話を聞いてみて、こうした不確定な要素がありつつも、円滑な移住が実現できたのは、「求めるものが具体的」で、「移住後も実現に向けて追い求めていく意思」があったからこそなのかなと感じました。