移住者インタビュー

Vol.110 / 2024.11.22

大阪から丹波市へ。様々な縁に手繰り寄せられたIターン夫婦

高橋悦史・綾香さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

移住前は大阪市西区に住み、コロナ禍をきっかけに丹波地域へ足を運ぶようになり、古民家に惹かれ、様々な縁から田舎暮らしを検討し始めたという高橋ご夫婦。

一体どういう縁があったのか、詳しくインタビューしてきました。

 

大阪での出会い

 

ご主人の出身はどちらですか?

 

(悦史さん)
島根県松江市です。高校まで松江に住んでました。色々あって高校には4年間通ってまして、卒業して19歳の時、大阪デザイナー専門学校に進学する為に大阪へ出てきました。

 

デザインに興味があったんですか?

 

(悦史さん)
美術ですね。うまいとかじゃなくて好きだっただけの話なんですけど、別に将来何がしたいとかあったわけでもなかったので。美術とか図工とかが小さい頃から大好きだったから、まずはそれでデザインの専門学校に行ってみた感じでしたね。でも、裸の大将の山下清には憧れがあって、旅をしながら絵を描いてみたいという夢はありました(笑)

 

専門学校ということは2年間ですか?

 

(悦史さん)
2年間です。大阪へ行く少し前からダンスもやり始めていて、大阪に行ったあとも専門学校に通いながらずっとダンスもやってましたね。

 

なるほど。では卒業後はどうされたんですか?

 

(悦史さん)
卒業後はダンスが中心の生活でした。ダンスは別にプロでやってたわけではなかったので、ダンスとバイトみたいな感じで日常を過ごしてて。その中で、学校で培ったデザインの技術を活かした仕事も少しずつ増えていったって感じで。

デザインの方は、ダンスイベントのフライヤー作成から始まったんですが、最初の頃は『3,000円でやってよ』とか、『スイカでいい?』とか(笑)
そんな下積みのレベルからやってましたね。

 

最初ってどうしてもそんな感じになりますよね。

 

(悦史さん)
20代後半ぐらいまではずっとそんな感じでしたね。ダンスをずっと追い込んでやって、デザインも並行してずっとやってたのでスキルもアップしていって。それが30歳手前で転換期が来て、ダンスとデザインの主軸が入れ替わったんですよ。

ダンスがフェードアウトしていって、デザインの方に力を入れていったというか。そこで自分で起業して、MID graphiksというデザインの会社を作ったんです。

 

なるほど。ちなみに転換期って何があったんですか?

 

(悦史さん)
理由としてまず、僕はバツイチで、このタイミングで離婚したのがあります。ずっとダンスだけでは将来が見えなかったんで、その中でじゃあ「自分の武器は何か?」と思った時、デザインしかなかったんですよね。

最初はだいぶ大変でしたけど、もうやるしかないと思ってデザインの仕事をやり始めた感じです。ダンスしてた事もあって、クラブの人とかダンサーとか横の繋がりが結構あったんで、ちょこちょこ仕事を頂けていたのは助かりましたね。

 

そういう転換期やったんですね。

(悦史さん)
ダンスは本当に10年くらい本気でやってて。色んなイベントに出たり。生活の一部だったんですけど、今ではもう知る人も結構少ないですね。別にもう周囲には言ってないんで(笑)

この頃ぐらいに、今友人なんですが、丹波出身の人がイベントでDJされてたりして知り合ったり。当時は仲がいいとかいうわけではなかったんですが、今思えば彼をきっかけに丹波への縁が出来始めた頃ですね。

 

なるほど。ちなみにどのタイミングで奥さんと出会われてるんですか?

 

(悦史さん)
33歳ぐらいの時かな。大阪で出会いました。

 

では次に、奥さんの生まれ育ちはどちらですか?

 

(綾香さん)
兵庫県の佐用町です。ひまわりで有名な田舎ですね。美容師になりたくて、高校卒業後に大阪へ出てすぐに働いてたんですが、手荒れとか色々な理由があって一度地元に帰って。

23歳の時に今度はアパレルで働く為に大阪に出て、丹波市へ移住するまで13年程働いてました。途中で住んでる場所は大阪から神戸に引っ越したりして。夫とは26歳あたりで出会いました。

 

なるほど。ちなみに出会いのきっかけは?

 

(綾香さん)
友達の紹介です。地元の友達が同じように大阪に出てきてたんですけど、その子とよく遊んでて。夫もその子の知り合いだったっていう感じですね。

 

結婚されたのは移住前ですか?

 

(綾香さん)
はい。2018年に籍を入れて、2019年に結婚式をしました。なのでコロナ前でしたね。

(悦史さん)
その頃はまだ移住したいなと思ってなかったですね。丹波にも行ったことがなかったです。

 

色んな縁に手繰り寄せられた移住

 

では、田舎暮らしに関心を持つようになったきっかけといえばどうですか?

 

(綾香さん)
大阪は人が多いじゃないですか?コロナの時に密を避けて、「ちょっと田舎に遊びに行きたいな」みたいな感じになって。Go Toトラベルとかやってた頃です。最初は丹波篠山市にある、福住のNIPPONIAを見つけて行ったのが初めてかな。

(悦史さん)
古民家の良さを知ったのはそこですね。NIPPONIAさんはすごい満足度高くて、興味惹かれました。元々僕らは田舎者で、僕は田舎が好きだったので、田舎には免疫があるというか。それから篠山の宿を何件か行ったりして。

(綾香さん)
その頃に色々丹波地域を見て回ったのかな。元々田舎者やけど、都会に移り住んでみて、田舎に遊びに行った時に田舎の良さが、離れて初めて分かり出したみたいな感じでしたね。

 

コロナ禍なら余計にそうだったかもしれませんね。

 

(綾香さん)
移住を考えだした時に、インターネットで丹波市のことを調べてて。丹波市さんがされてるYouTubeの“解決ミミチャンネル”をめっちゃ見てました!(笑)

それで相談員さんを動画で見てた訳じゃないですか?移住前に一回、今住んでいる大路地区の移住者交流会に呼ばれて参加した時に途中で上山さんのことに気づいて。『解決ミミチャンネルに出てた方ですよね?』となって、芸能人感覚でしたね(笑)

(悦史さん)
最初は篠山の方に意識が向いてましたけど、YouTubeはもう丹波市に移住する気満々になってた頃に見てましたね。

(綾香さん)
一番最初は、丹波篠山市と丹波市が分かれてることをあんまりちゃんとわかってなかったですけど。

 

「田舎暮らしいいな」から、「移住しよう」になったきっかけとしては、やはり最初の古民家ですか?

 

(悦史さん)
うーん、なんか明確なこれというのが実はなくて、色んな場面、色んな人からの小さなご縁が積み重なっていった結果という感じだったんですよね。

 

例えばどういうことがあったんでしょう?

 

(悦史さん)
僕はデザインの仕事をしていることもあり、コロナ禍以前から自然があるところへ行きたいなっていうことで、地方の神社仏閣などを巡り地方創生の「美遊」という動画を作ったりしてたんです。

自然に触れるとか、都会じゃなかなか味わえない経験をするようになって、たまに妻も連れて行ってその経験を共有していく中で、緩やかに「自然いいな、そういう場所に住みたいな」ってなっていったんですよね。

(綾香さん)
うん、なったなった。

 

なるほど。他にはどうことがあったんでしょう?

 

(綾香さん)
篠山の宿に泊まった時にもらったこの“篠山と丹波”という本も、なんかこういうのもすごい面白いなって思ったのもきっかけですね。丹波篠山の温かい感じが詰まった本で。

 

なかなかレアな本が出てきましたね(笑)

 

(悦史さん)
あとは先ほど言った、大阪で出会った丹波の友人ですね。丹波にふらっと行ったことをSNSに投稿したら『近くきたなら言ってや~!』って連絡もらったり、あとは彼がロカッセタンバで、後にタンニバルというイベントになったその前身のイベントをやる時に誘ってくれて。

 

(悦史さん)
その時の居心地がすごいよくって、この辺りへの関心が一気にグッと、意識が強くなっていったんですよね。その後彼には市内の不動産屋さんを紹介してもらったりもして、要所要所でいいパス出してもらってたなあと思いますね。彼は結果的に、今の家の近所に住んでますし、ほんと色んな縁が絡んだ結果ですね。

 

なるほど。ではこの家はどうやって見つけたんですか?

 

(悦史さん)
この家を知ったのはInstagramですね。古民家に住みたいなという気持ちで、“田舎暮らし”とか“古民家”とかハッシュタグからずっと調べてて、ヒットしたのがここだったんです。

(綾香さん)
空き家バンクで家を探しはじめた頃で、一件くらいはどこか内見いってたようなタイミングでしたね。

 

この家の話を出していた Instagramの投稿って、何だったんですか?

 

(悦史さん)
元々住んでた方が、家を売りたいと考えていたそうで、そのことをとりあえずInstagramにアップされてたっていう感じでしたね。

 

そんなことあるんですね、びっくり(笑)

 

(悦史さん)
そうですよね。完全に個人の投稿で、それに食いついたのはきっと僕くらいしかいなかったと思います(笑)
それで即座にメッセージ送りました。

(綾香さん)
私も『そういう人見つけたから今度見に行こう』みたいなこと言われてびっくりでした(笑)

(悦史さん)
そこから連絡を取るようになり、「この家いいかも」ってなったんですよね。ポテンシャルが高く、何かこう夢がある家って感じて。一緒についてきてた妻がどう思ったかは知らないですが…。

(綾香さん)
最初はまさかこの家に住むとは思わなかったですよね。

 

奥さんはまだそんなに熱もってなかった感じですか?

 

(綾香さん)
なんか、ここに住むイメージがわかなかったんですね。都会のマンションとは違って家も庭も広すぎるし、全部自分たちで管理していけるのかなっていうのがあって。

(悦史さん)
ちょうどコロナ禍で、DX化が進みテクノロジーの進歩が目まぐるしく変化してるのを目の当たりにすると、いつ自分のデザイン業がどうなるかわからないのもあって、将来的に古民家でサービスをしたかったんですよね。家自体のポテンシャルがすごく高いから、僕の中では想像が膨らんでいきました。

 

なるほど。ではすぐ買ったんですか?

 

(悦史さん)
1年くらいかけましたね。知り合いの人にも来てもらったり、最初は個人間で交渉してたんですが、途中で不動産屋さんに間入ってもらうようになって。周囲から結構やめといた方がいいとか言われたりしたんですけど、最終的にはもう僕の決断でしたね。

 

奥さん的には、最終的に買うとなれば、もういいかって感じだったんですか?

 

(綾香さん)
もうなんか、夫が「ここ!」って感じやったから(笑)

(悦史さん)
家を買った後、3か月間くらいはADDressという多拠点プラットフォームを利用して色んな田舎へいって田舎暮らしを体験して、慣らした後に住み始めましたね。2022年12月の冬からでした。

決まってみたら、先ほどの友人は近くに住んでるし、取引先の方が知ってる人がいたり、以前行っていたお店が近くにあったりと。ほんと、あちこちから色んな縁に手繰り寄せられて、住むことになった感じでしたね。

 

『保護者やってまんねん』~地元の人と紡ぐ日々の暮らし~

 

移住した最初の冬はどうでしたか?

 

(悦史さん)
寒かったけど、意外と凌げたというか、いや、凌げてないか(笑)

(綾香さん)
なんか雪が沢山降った時でしたが、なんとか。家の中でもダウンベスト着てましたけどね。

 

最初は寒いですよね。色んな地方に住まれたとのことですが、丹波の暮らしはどうですか?

 

(綾香さん)
お隣さんがすごく良くしてくださるので助かってます。たまたま、すごい良い方で、何でもズバズバ言ってくれるし、気が合うなと。もしお隣さんと相性が悪かったら結構しんどかったかもですね。

 

お隣さんやさしくてよかったですねえ。

 

(悦史さん)
ほんとに。最初はそこまで考えてなかったんで。なんかもう、母みたいな感じになってますよ。『保護者やってまんねん』と言ってくれてたりしますんで(笑)

(綾香さん)
移住した当初からなんでも教えてくれるんですよね。最初に挨拶にいったら『じゃあ一緒に挨拶に周ろう』と言ってくださって。おかげで村に馴染むのが早かったように思います。

 

ではもう来られてすぐ村入りされたんですか?

 

(悦史さん)
そうですね。ちなみに今は組長させてもらっています。

 

役デビューが早い(笑)

 

(悦史さん)
人数が少ないから皆さんざわついてましたね(笑)
まあ、僕も『いいですよ』って言ったのもあるんですけど。なんせ困ってはったから。色々大変だったりしますけど、早い段階で村の人たちから信頼を得るには結果として「やっといて良かったな」と思ってます。

 

ご主人は以前からデザイン業されてるとのことですが、奥さんは今仕事されてるんですか?

 

(綾香さん)
今はアパレル関係でちょこちょこ大阪に通ってます。あとは夫と一緒に家庭菜園したりガーデニングも楽しんでます。

(悦史さん)
野菜も面白いですね。最近僕もお手伝いで春日町の農家さんとこ行ってて、バイトしながらノウハウを教わるみたいな感じでやってて、すごい勉強になってます。

 

丹波市の暮らしのいいところ・悪いところはどうですか?

 

(綾香さん)
湿気が多いのは難点ですね。玄関に置いてたお気に入りの靴がカビちゃってすごいショックだったり。あとは夜に一人で飲みに出かけるみたいなことは出来ないですね、必ず運転しないといけないので。

(悦史さん)
全般的に、お昼やってる店はそれなりにありますけど、夜は近場だと少ないですよね。結構家に友人が遊びにくるんですけど、夜ご飯の選択肢が少なくて篠山の方を紹介することが多いので、それがちょっともったいない感じがしますね。

後は、よくも悪くも人との繋がりがありますね。大阪に住んでた時にはご近所さんなんてもうほぼ他人やったんで。今は親身になって喋ったりとか、それがしんどい人もいっぱいいると思いますが、僕にとってはそれがいいかなと思いますけど。

 

確かに。人によって捉え方が違うところですね。

 

(綾香さん)
あとはやっぱり、自然に囲まれてるのはすごい好きですし、美味しい野菜とお米とか。

(悦史さん)
食と、歴史もかな。歴史の深い感じがするのもいいですね。実はこの家は明智軍側に関係する一族の家なんです。この家の後ろにある三尾山であった戦で武功をあげ、300石の土地をもらいこの地で繁栄したという伝承があります。あと僕が保管しているわけではないんですが感状が残ってたりするので、どのくらいの価値があるのかは気になっています。

 

ちなみにお二人とも、元々車の免許は持ってたんですか?

 

(悦史さん)
妻は田舎に住んでた時もあるので運転できたんですが、僕は免許取ってなかったんですよ。大阪に住んでたらそれで別に不自由なかったんで。それで移住する前に免許取りにいったんですよね。運転は苦ではないけど、まだまだ練習中ですね。

車は必須ですもんね。

 

(綾香さん)
大阪に出るのも、篠山口駅まで車で行けば乗り換えなしで行けるし、アクセスが意外といいというか。友達とかも『もっと遠いんかと思ってた』と言われたり。それも視野に入れてたかもです。

(悦史さん)
大阪にまだ仕事で依存するところがあるので、この距離感がいいなっていうのはありましたね。僕らにとっては立地がよくて、中国地方とか四国とか離れた地方はちょっと検討できなかったですね。

 

大阪に用事がある人は絶対そうでしょうね。

 

(悦史さん)
移住して2年弱になりますが、僕は嫌やなって思うことがほとんどなくて。農業とかDIYとか、他に面白いことが沢山あって、それが全部自分の成長というか、レベルアップに繋がってる感覚があってそれが楽しいですね。田舎の方が合ってる気がしてます。

(綾香さん)
空気もやっぱ違いますよね。見渡す限り人いないのも「めっちゃいいな」って思います。何も気にしなくていいし。大阪の時は、すぐ隣がマンションで洗濯も干しにくかったのに。

(悦史さん)
東京もそうですけど人が多すぎるんですね。あとはこっちくる理由として災害とかも視野に入れてました。ここも調べたんですけど地盤は固かったんですよね。万が一の事があった時には都会より田舎の方がいいかなと思って。

 

ぼちぼちとやっていく、これからのこと

 

これからの暮らしの展望について教えてください。

 

(悦史さん)
先ほどの話の通り、僕はデザインの仕事をしている訳ですが、AIとか人の手を代替するものが出てきた状況なので、今の仕事はゆるやかになくなっていくんだろうなと感じてるんです。昔ダンスをやっていたのがデザインに変わったように、自分にとっても変化のタイミングなのかなと。

 

確かに地方においてもそれは感じますね。

 

(悦史さん)
だからやっぱり、自分たちの家で何かサービスをしたいなと思っていて。自宅兼なら固定費も安いし、賃貸じゃないしで、家族経営の形なら一番コスパがいいなと。考えていることは沢山あるんですが、時代の流れが早すぎて明確に決めれないのが現状です。

ただ、そのための改修全てを外注できるほどのお金はないので、自分たちでDIYしながら、とりあえず綺麗にしていって、その後に具体的に考えていこうかなと思ってますね。僕は割とせっかちですぐやりたいんですけど、村の人から『ぼちぼちやんない』って言われて、確かになって思ってるところですね。

 

ではまず、何よりも家をきれいにしてからってことですね。

 

(悦史さん)
そうですね。これから丹波市内外も情勢が大きく変わりそうですし、まだどうなるかわかんないですけどね。

 

奥さんはいかがですか?

 

(綾香さん)
私はとりあえず、古民家の住み心地はいいし、夫と一緒に何かできたらいいなという感じですね。大阪で出会った人たちとも変わらず会えてますし、やっぱり自然の中で暮らしてるっていう感覚に慣れるともう十分かなと。空気も食べ物もおいしくて、都会では無理だったなと思うので。

(悦史さん)
憧れから始まって、実際やってみたら結構大変なこともあったりするけどね。

 

(綾香さん)
大変なこともあるし、それにくじける人もいるんだろうけど、夫が作ってくれた野菜を収穫してすぐ調理して食べれるのとか嬉しくて。あとはお気に入りのカフェや器屋さんもあったり色々と楽しんでます。

(悦史さん)
もちろん理想と現実は違うことは沢山ありますが、逆にそれが僕の原動力になっています。これからの田舎生活が良くなるか悪くなるかは間違いなく自分自身のマインドをどうコントロールするか。どんな状況になろうが、僕は最後に笑っていられたらそれで後悔はないと思いますね。

高橋ご夫婦のように、これといった移住の決め手があった訳ではなく、緩やかに引き寄せられるかのように移住することになった、という話は思いのほか多くあります。それは丹波市が物理的に京阪神に近いこともあり、京阪神に縁がある人は結びつきやすかったりしますが、それだけでは全てが表現できない何かがあるのも実際のところ。 また、今回お話の中にあった、村の人からの『ぼちぼちやんない(ゆっくりやってったらいいよの意)』は、丹波市の一つの特性で、人によっては『沖縄タイムみたい』と言っていたりするくらい、時間の流れがゆっくりに感じられる人が多かったりします。最初から100点満点の移住が叶えばいいですが、そうでなくてもゆっくりと、時間をかけて100点に近づけていくのも一つの手段だなと、改めて感じさせてくれたインタビューでした。