移住者インタビュー

Vol.119 / 2026.02.07

アメリカから大阪、そして丹波市へ~より良い子育て環境を求めて移住~

ジェイソン・ハンドフォース、幸代さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

大阪市出身の幸代さん。大学在学中のアメリカ留学をきっかけに、現在の夫・ジェイソンさんと出会い、結婚。コロナ禍という予期せぬ状況の中、日本とアメリカを行き来しながら子育てをスタートさせました。

アメリカでの生活を経て日本へ帰国後、大阪市内で暮らし始めたものの、集合住宅での子育てや周囲への気遣いに限界を感じるように。そんな中、毎年訪れていた丹波市で、子どもたちがのびのびと過ごす姿を見たことが大きな転機となります。

「子どもたちにとって本当に良い環境とは何か」を見つめ直し、家族で話し合いを重ねた末、丹波市の青垣町へ移住を決断。国や文化の違いを越え、家族それぞれが新しい暮らしに向き合う日々について、詳しく話を伺いました。

 

アメリカの大学で出会い、結婚。日本での生活がスタート

 

幸代さんのご出身はどこですか?

 

(幸代さん)
大阪市阿倍野区出身です。大学は関西外国語大学に進学して、大学まで電車で通っていたので、小学校から大学まではずっと実家から通学していました。

 

外大に進学したのはどういった理由からだったんでしょう?

 

(幸代さん)
アメリカの大学に行きたかったんですけど、落ちてしまったんです。それでどうしようかなと思ったんですけど、英語をもう一度、一から勉強し直したいなと思って。一年浪人していたこともあって、外大の短期大学の方に進学することにしました。

そこでダブルディグリープログラムがあって、それはアメリカの大学に1年留学すれば両方の学位が取れるといったプログラムだったんですね。それで提携していたのが、カリフォルニア州のマーセッドカレッジっていうところで、そこで授業を受けていました。

 

そこでご主人と出会ったんですか?

 

(幸代さん)
そうです。夫は働きながら勉強する、先生のアシスタントといった立ち位置で、私は直接教えてもらっていた訳ではないんですけど、農業関係のクラスを一緒にとっていたんです。

 

なるほど。ご主人の生まれ育ちはどこなんですか?

 

(ジェイソンさん)
私はニューヨーク出身で、12歳ぐらいにカリフォルニアに引っ越しました。実家付近は丹波より田舎で、サンフランシスコまで車で2時間ほどの内陸側です。見渡す限り、アーモンド畑、牧場といったところで、人も1000人いないような、ものすごく広くて、ものすごく人が少ない環境ですね。車で30分走ればまちがあって、そこで必要なものが手に入るといった感じでした。

大学では農業機械の修理とかをするような学科だったんですが、そこから野菜や花を育てる方にだんだん興味が移っていって、11年ほどその大学で働いていました。

 

日本には以前から関心があったんですか?

 

(ジェイソンさん)
そうです、以前から日本に行きたかったんです。日本へ行き、生活するとなれば、仕事が英語の先生くらいしかなかったから、インターナショナルクラブに入ったり、英語科の学位をとるために勉強をはじめたんです。その時に妻と同じクラスになりました。

でもある日、職場の同僚で定年退職された方が、2,3年して亡くなられたんです。働くモチベーションがなくなって引退されて、家にずっと居たと聞いていたんですが、自分の将来について考えた時に、自分はずっと挑戦していきたいし、挑戦しがいのあるものを目指そうと思い、それが英語を教える資格をとって、日本に行くことだったんです。

 

なるほど。やはり英語の先生以外の道ってあまりないものなんでしょうか?

 

(ジェイソンさん)
アメリカの会社で日本法人や日本に支店がある会社に勤めて、ゆくゆくの転勤を狙うといった人もいたりしますが、自分はそういう感じではなかったし、アメリカでアシスタントとして教えてきた経験もあったので、自分は教える仕事が一番いいだろうとは思っていました。

 

奥さんは留学だったということは、1年で帰国されたんですか?

 

(幸代さん)
そうです、留学中に夫とお付き合いをしていたんですが、一年後に帰国することになって。私が日本に帰ってきたあと、2019年に夫が日本へ遊びにきてくれたんです。その期間中に婚約したので、そのまま私の家族にも紹介したりしました。

夫は短い滞在期間でアメリカへ帰国したんですが、次は私がアメリカにいったんです。ビザの関係で90日まで滞在できるからその間滞在して。でも、すぐにコロナが始まったんですよね。

 

あの大変な時期だったんですね。

 

(幸代さん)
中国でコロナがはじまったので、日本へ帰らないといけなくなって。それで日本へ帰国した後に、長男を妊娠していることが判明したんです。でも、コロナ禍で夫はアメリカから日本へ来ることができなかったので、出産してからもしばらくの間は離れて暮らしていました。

長男は2021年1月に大阪で生まれて、その後8月頃にようやくアメリカに連れていけるようになって、夫はそこでようやく子どもと初対面できましたね。

 

渡航制限とかありましたもんね。

 

(幸代さん)
そのままアメリカに住んで、2022年4月には次男がアメリカで生まれました。でも、ビザの関係で私は働くことができず、コロナで物価も上がって、夫の収入だけでは生活が少し大変だったこともあって、「日本に引っ越そうか」という話になったんです。それで2022年8月に日本へ夫も一緒に帰国しました。

帰国後、住む場所としては実家にも近く、子ども同士の年齢も近い姉の住む住吉区のアパートで生活を始めました。

 

最適な子育て環境を求めて丹波市へ移住

 

家族が近くにいると安心ですよね。

 

(幸代さん)
でも、平和な時間が長続きしなかったんですよね。アパートの4階に住んでいたんですが、子どもらが大きくなるにつれて、下の人から苦情が来るようになったんです。それでなるべく家にいないように、姉の家でご飯食べさせてもらったりして、帰ってきて寝るだけみたいな生活になってしまって。

そこまでしてもまだ言ってくる人がいたので、もうこれは無理やなと。私も子どもが家の中で遊んでいるだけで怒らないといけないし、言われる子どももストレスやし、もうお互いストレスしかなかったんですよね。

 

それは辛過ぎますね。

 

(幸代さん)
それに一番上の子は人混みがかなり苦手で、大阪のこども園は狭いのに人数が多いからあまり行くのが好きじゃなかったんですよね。それがわかっていながら連れていくのも可哀そうやなと思い始めたんです。

そんな時に、私の母は早くに亡くなったんですけど、実は丹波市内に母のお墓があることから、毎年お墓参りにきてたんですね。それで子どもたちを連れてきた時に、すごく喜んでいて、楽しそうで。それで田舎で暮らすのもいいかもなと、考え始めたんです。

 

なるほど。

 

(幸代さん)
候補地は島根県とか、色々と見に行ったんですけど、やはり大阪には時々でも帰りたいなと思うと遠方は難しいなと思って。もう少し近場でと思った時に、お墓参りにいつも来てたしと思って、丹波市で探し始めたんです。

ちょうど大阪で移住フェアがあって、その時に丹波市のブースでたんば“移充”テラスの中川ミミさんが居て。色々話をさせてもらっていたら、『一回きてみたら?』という話になったんです。

 

いいタイミングで出会ったんですね。

 

(幸代さん)
青垣のこども園にも見学させてもらったんですが、その時はいつも知らない人とか新しい場所とか、苦手なはずの長男が自分からどんどん遊びにいって、喜んでて。自然の中が子どもにも合ったのか、子どもらが気にいったから、青垣に住めたらいいなあと。

私も田舎暮らしが初めてだし、お墓参りにきてたくらいでしたけど、子どもらが気にいったことが決め手になりました。

 

うまく色んな条件に合ったんですね。

 

(幸代さん)
それから、オンラインの移住イベントに参加して、移住するまでの段取りを確認しました。仕事については、私は以前保育園で働いていたことがあったので、子ども園を紹介してもらったのですぐ見つけることができました。

家は、子どもの通園に合わせて4月上旬までに引っ越しできる場所で、市営住宅とかの集合住宅は間に合わないので民間の物件を探して、アパートはもうこりたので一軒家を探して。最終的に無事、2025年2月に青垣町に引っ越すことができました。いきなり雪が降ってて、すごい寒かったですね(笑)

 

丹波市での暮らし

 

子どもたちはこども園に行き始めてどうでしょう?

 

(幸代さん)
大阪にいた頃は、長男は野菜が一切食べられなかったんですが、こっちにきて野菜を育てたり、地域の方からもらった野菜を料理したりするうちに、食べれるようになったんです。今では食べれないものを見つける方が難しいくらいで、それが一番の成長ですね。

言葉もだいぶ話せるようになって、友達と一緒に遊べるようになってきて。子どものためにと移住を決めたわけですけど、移住してきてよかったなあと実感しています。

 

仕事先がこども園ということでしたし、子どもの様子が見れるのも安心ですね。

 

(幸代さん)
そうなんです。様子がわかるので助かっています。先生たちも子どもの様子を教えてくれますし、本当にいい環境です。

ただ、最近生まれた三男は、たまたま今年度は上限いっぱいで入れなかったんですね。次の4月からは入れる予定なんですけど、それまで子どもの面倒を見る必要があることもあって、私の父も今一緒に住んでて、面倒見てもらっています。

 

ご主人の仕事先はどうされたんですか?

 

(ジェイソンさん)
大阪に居た頃は英語の講師として、ECCからいくつかの大学や小中高の学校へ派遣されて、英語を教えにいってました。でも、それは都市部でしか派遣先がなかったので、丹波市に引っ越すにあたって辞めて、今は妻と同じ法人で、小学校のアフタースクールで働かせてもらっています。

自分にとっても、地元の小学生との関わりは日本語のいい勉強になっているのでとても助かっています。

 

丹波暮らしが真冬スタートだったということですが、寒さは大丈夫ですか?

 

(幸代さん)
最初はちょっと尋常じゃない寒さだなと感じましたね。今住んでいる家は普通の古民家といった感じで、生活自体には満足しているんですけど、隙間風とか、やはり寒いですね。

寒さはともかく、いざ生活が始まってみると、家の真向いが職場の人で、長男の担任の先生だったんです(笑)
ミカン狩りに呼んでもらったり、シイタケとらせてもらったり、ご近所の住民として、とても気にかけてもらって助かっています。

 

そんな偶然あるんですね(笑)

 

(幸代さん)
あと、私は運転免許を持っていなくて、自転車で通勤しているんですが、雪の時とかたまに一緒に乗せていってもらったりするのでありがたいです。

夫が車の免許を持っていて、以前まではなくても苦労しなかったんですが、さすがに今の生活となると、近いうちに私も免許とりにいかないとなと思っているところです。

 

丹波暮らしが1年経とうとしていますが、こっちの暮らしはどうですか?

 

(ジェイソンさん)
アメリカで育った地域も田舎でしたし、丹波の雰囲気は似たところがあってすごい心地いいですね。田舎に住むのは好きですし気にいっています。ただ、その反面、難しいなと思うことは、言葉の壁と、それによる経済的なことですね。やはり日本語が話せないと、仕事を見つけにくいところがあります。

でも、今は毎週土曜日にゆめタウンで日本語を教えてくれる教室があって、日本で暮らす上で必要な日本語を学ぶためにそこへ通っています。日本語をある程度話せるようになるまでは、まだ少し時間がかかりそうです。

 

近所付き合いはどうですか?

 

(幸代さん)
今は家を賃貸させてもらっていることもあって、自治会は準会員といった関わりになるので、会議みたいな場には参加していないんですが、お祭りとかの行事や、地域の溝掃除なんかには参加させてもらっています。散歩してたら近所の人も声をかけてくれますので、ありがたいです。

以前と違って、下の階の人の心配をしなくてよくなったし、子どもたちは平和にこども園へ通えていますし。大阪の時は芋ほりでも、紙でつくった芋を、芋ほりに見立ててやってたりしてましたが、丹波では実際にやらせてもらえるので、全然違いますね。

 

紙での芋ほりとは、臨場感が違いますよね。

 

(幸代さん)
お餅つきも、大阪やったら、すでにぺちゃんこにしたお餅でやってたんですよね。それがちゃんと外で、杵と臼でついて、つきたてが食べられるって、本当にいいなあと実感しています。

 

これからの展望

 

今後の展望を教えてください。

 

(幸代さん)
ゆくゆくは古民家を買って、自分たちでリノベーションして住んでみたいなという思いがあります。農業にも興味があるので、自分たちでやりたいなというのもあります。夫は去年の秋にブドウ園でお手伝いさせていただきました。トラクター使わせてもらったり、畑をお借りできるようなので、今年は黒豆とかジャガイモとか作れたらいいなあと、勉強しているところです。

後は車の免許ですね。今はそんな不便さを感じていないんですが、先のことを考えるとあった方がいいかなと思いますし、今はコロナ禍以降、オンラインでも受講できたりもするので、少しずつ取得に向かっていければなと思っています。

 

ちなみに子どもたちは言葉の壁はないんですか?

 

(幸代さん)
元々、基本的に話す言葉が日本語ですし、家の中では夫とは英語で話しているんですけど、でも日本語で返してたりするので、ちゃんと分かってるなと思っています。

たまに丹波市内の多国籍ファミリー同士で交流する機会があって参加させてもらっていますが、夫も英語で会話ができる機会があるといい息抜きになっているようでありがたいです。生活はまだまだこれからといった感じですが、ここでの生活を楽しく暮らしていきたいなと思っています。

丹波市で暮らす外国籍の市民は、2025年11月末現在で1528人で、約40人に1人が外国籍の市民ということになります。1528人のうち、人数が多い国としては、順に「ベトナム」「フィリピン」「中国」「インドネシア」「ミャンマー」と、多くは技能実習生ですが、たんば“移充”テラスで出会う外国籍の方は、技能実習生以外の多国籍ファミリーがほとんど。特に、ハンドフォース夫妻のように、パートナーいずれかが日本人のケースが多いです。完全英語話者の方も安心して日常生活が送れるよう、日本語教室が開催されていたり、たんば“移充”テラスでも多国籍ファミリー同士がゆるやかに繋がれるように年に数回集う場を設けたりしています。日本人でも、同じ日本国内で、縁もゆかりもない土地に移住するのは心細いもの。それが大陸も違って言語も違うとなおさら。どんな方でも気持ちよく暮らせる地域でありたいものです。