YouTuberとして丹波市を盛り上げるIターン夫婦
田邉一真・彩海さん
こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。
愛媛県八幡浜市出身の一真さんと、大阪府豊中市出身の彩海さん。二人は一真さんの妹の紹介で出会い、結婚。大阪での子育てを経て、「いつかは田舎に住みたい」という想いを温める中、たまたま通りがかった丹波での光景に一目ぼれし、様々な出会いを経てIターンを決意しました。
YouTuberとして生計をたてる若いご夫婦がなぜ丹波市青垣町を選び、どんな未来を描いているのか、詳しくインタビューしてきました。
妹の紹介で出会い、結婚
ご出身はどちらですか?
(一真さん)
愛媛県の八幡浜市です。高校までは地元にいて、大阪経済大学に進学したのを機に地元を出ました。
なぜ大阪の大学だったのでしょう?
(一真さん)
元々、母親が兵庫県出身で、兵庫県には親戚がたくさんいるので小さい頃から時々行ってたんです。父親も同じ大学出身なんですけど、それもあって「市外に出るなら関西がいいな」と思っていました。進学先を探していたとき、担任の先生も大阪経済大学の出身で、僕は陸上競技していたこともあって、「陸上ができたらどこでもいい」という思いもあったので、馴染みのある大学に決めました。
いつ頃から陸上されていたんですか?
(一真さん)
小さい頃から中学まではソフトボールと軟式野球をやっていて、高校から大学まで陸上競技の短距離をやっていました。大学ではずっと毎日陸上づけでした。
卒業した後はどうされたんですか?
(一真さん)
卒業したあとは一度、新卒で大阪にある本町の会社に入社しました。でも、2カ月半くらいの時に娘ができたことが分かって、会社を辞めたんです。そこからはもうすごい右往左往してましたね。個人で整体をしたり、3on3のスポーツ関係の営業したりとか。いろいろあってたどり着いたのが、娘が生まれる1週間前ぐらいに「YouTubeをやろう」と決めて、そこからずっとSNS関係の仕事をしています。
ということは田邉さん、めちゃくちゃ若いじゃないですか!
(一真さん)
今年で25歳です。2000年生まれなので、ミレニアムベイビーと言われる世代です。
なるほど。では、大学時代からコロナ禍突入された訳ですね?
(一真さん)
そうですね。一回生の春休みに入った時にコロナが流行り始めて、二回生からはリモート授業メインで、部活も停止、3回生まで大会もなくなりました。大学に行くこともないので、大学生として一番面白い期間を、コロナ禍で何も味わえなかった世代です。
結婚されたのはいつですか?
(一真さん)
2023年8月に籍を入れました。娘が生まれる前ですね。
なるほど。では、奥さんはどちらの出身ですか?
(彩海さん)
大阪の豊中市です。高校は体育の先生になることを目指して大阪府立の桜宮高校へ進学しました。でも、教師の現実を垣間見て、「体育教師は難しそうだな」と断念して、その後は大阪人間科学大学の心理学科に進学しました。大学在学中、大きな事故にあって生死をさまよったことがありました。その時、「勉強って面白いな」と思うようになったんです。それで、障がい児教育メインの方向に転換して、中学と高校の教員免許を取得しました。
生死をさまよって、勉強が面白いと感じるようになったというのはなかなか聞かない話ですね。
(彩海さん)
「学べるって贅沢なことなんや」って思ったんですよね。2カ月くらいまるまる入院してリハビリ生活だったので。当初は特に夢もなく心理学科に行っていたんですが、「何かやりたいな」と思ってた頃に事故があって。自分の体が不自由になったからこそ、そういう子どもに寄り添えるかなと思って、障がい児教育の方に力を入れるようになりました。
なるほど。結局、先生にはならなかったんですか?
(彩海さん)
なってないです。学習支援のアルバイトを1〜2年しましたが、最終的に自分の体が動くようになってきたらやはりスポーツが面白いと思って、スポーツ関連のことをやっていました。私は就職していなくて、居酒屋でバイトしていたんですけど、コロナの時に突然「来週店潰れるから」って言われたんです。大元の親会社は大きな会社だったんですが、「株式会社に勤めていても一週間後とかに職を失うことってあるんや」って思いましたね。
「このご時世、大手に就職しても安定って存在しないんだな」と痛感したので、自分で何かしようと思って就職はしませんでした。そうこうしているうちに、娘が生まれたんです。
お二人はどうやって出会ったんですか?
(彩海さん)
夫の妹さんの紹介なんです。妹さんは私が焼肉屋でバイトしていた時の後輩で、最初は「兄は私の2歳上なんですよ」と一方的に紹介されて。私も写真見せてもらって「お兄ちゃんかっこいいね」とは思っていたんですけど、その時夫には別に彼女がいて(笑)でもその後、妹さんが「お兄ちゃん、別れたんですよ」ってわざわざ言いに来てくれて(笑)
それで会う機会を作ってもらって、その後トントン拍子で、という感じですね。一緒に出かけた時に「この人やな」ってなりました。
妹さんすごいですね!
(彩海さん)
最初は別に、『二人はめちゃくちゃおもろい友達になりそう』みたいな感じでしたけどね(笑)
妹さんの目は確かでした。
素晴らしい。お子さんが生まれたのは大阪だったんですか?
(彩海さん)
はい、大阪で生まれました。私が分娩台に乗るのが嫌で助産院に行きました(笑)初産はお腹を切ることになる確率が高いと聞いていましたが、すっと出てきてくれましたよ。13時間くらいかかりましたが、平均くらいらしいです。
丹波市に移住したきっかけ
丹波に移住するきっかけは何だったんですか?
(彩海さん)
自分が田舎に住みたいというのは大学生の頃からずっと思っていて。大阪に一緒に住んでいた時からも「いつかは田舎に住みたい」という話をしていました。それで夫のSNS関係の仕事がうまくいかない時期があって、気分転換にドライブで豊岡のほうに行ったんです。その帰りに舞鶴道を通った時、春日ICあたりで二重の虹を見たんですよ。そういうのを見たのが初めてで、端まで綺麗に見えて。素敵な景色も見たし、田舎に住みたいという話もちょうどしてたし、「住むならここなんじゃないか」ってなりました。
(一真さん)
それで、「丹波ってどんな地域か調べてみよか」と言う話になって、知り合いに丹波出身の人がいないか聞いたりして。それで今一緒にお仕事している、丹波出身の山口君と出会わせてもらって、トントン拍子で青垣に来ることになりました。最初は山口君とzoomして、その1週間後に丹波に行きました。2月の雪が降る時期で、その時に丹波の移住者の方とか地元の方とか、何人か呼んでもらってパーティーみたいな場をセッティングしてもらって。そこでもう、ゴリゴリに勧誘されました(笑)
でも行きたかったし、「もう行こか」って、決めましたね。
この家はどうやって見つけたんですか?
(一真さん)
山口君から地元の方に繋いでもらって、このあたりの空き家を何件かピックアップしてくれて、順番に見にいったんです。最終的に今の家を見つけて、直感で決めました。何件か見たんですけど、他のところは娘が寝てたり、土地に触れていなかったりしたんですよね。でもここだけ娘が楽しそうにしていたので決めました。中は見てなかったんですけど(笑)
外観だけで決めるとかなかなかの勇気ですね(笑)
(一真さん)
倉庫もあって畑もあって、住むイメージがパッと浮かんだので。他の物件では家財道具がまだそのまま家とかにあったりしたんですが、ここは割と綺麗にされていたのも決め手でした。
なるほど。丹波市には6町ありますが、青垣町がよかったんですか?
(彩海さん)
娘が少し肌が荒れやすい体質だったこともあって、住むなら水が綺麗な場所が良かったんです。あと、大阪から田舎に行くなら、しっかりした田舎に行きたいなという感じがあったので。
(一真さん)
山口君と知り合ったのがアストランチャという近くのパン屋だった縁もあって、青垣でいいかなと思って決めました。
丹波での暮らしの実情
丹波の暮らしはどんな感じですか?
(彩海さん)
楽しいです!でも夫は寒いのが無理すぎて朝全然起きてこないので、雪かきを私一人でやったりとかします(笑)
(一真さん)
それを解消するために最近運動を始めました。走ろうと思っても、この時期は雪だらけなので(笑)やっている仕事は大阪にいた時と変わらないんですけど、環境がすごい自然豊かで、周りがゆったりしているので、同じ仕事していても焦らないというか、「なんとかなるか」という気になって、それが良かったりします。
自治会にも入っているんですか?
(一真さん)
今年の1月からですね。この地域への移住者が初めてということで、地域の方もどうすべきか話し合っていただいてたそうです。年始にちょっとしたマラソンイベントがあって、そこで顔合わせをさせてもらい、「村入り」という形にしてもらいました。
この辺は裸祭りとか地域の祭りが盛んですよね。
(一真さん)
裸祭りは去年出ました!元々田舎出身なので、村のお祭りとか馴染みはあったんですけど、親になってみて違う視点で感じることがあって、勉強になっています。
(彩海さん)
子ども相撲とかもありますよね。地域の方とのつながりがあって、都会ではそんなにないじゃないですか。毎日新鮮で楽しいです。
ご近所さんとのお付き合いはどうですか?
(一真さん)
家のすぐ近くに大阪から引っ越してこられたご夫婦がいて、サウナとかも作ったりされているんですけど、娘のことをめちゃくちゃ可愛がってくれています。気にかけてくれるのはありがたいです。
不便さは感じますか?
(一真さん)
車がないとちょっと大変かなとは感じますけど、今の時代ネットで何でも手に入るし、思っているよりもそんなに不便じゃないですよ。昔だったら「田舎は外から来たものを村八分」みたいなイメージもあったかもしれないですけど、そんなことは一切ないし。若い人が本当に少なすぎて、歓迎してもらえている地域なのがありがたいです。
(彩海さん)
雪の影響で停電したことはあったので、備えはいろいろ揃えておかないといけないなとは思いました。今の家は木造の家だから余計に、何かあった時のことを考えておかないとって思いましたね。
ちなみに、YouTuberをやろうと思ったのはどういった理由だったんでしょう?
(一真さん)
大学の友人がTikTokやYouTubeでビジネスをやっていて、40万人ほどのフォロワーがいたんです。娘が生まれるまでは仕事どうするかで悩んでいて、何を軸にして生きていこうかと考えたんですけど、こういう田舎暮らしがしたかったし、それは普通のサラリーマンは無理だなと。もう一回就職するのも違うと思ったので、「SNSをやってみようか」という考えに至って、友人に相談しに行ったら一緒にやることになったんです。それで20万人ほどのチャンネルをずっとやっていたんですが、方向性の違いで一度解散したんです。
運営し続けるのは大変そうです。
(一真さん)
インフルエンサーやYouTuberの活動はプライベートも売りにする側面があって、どうしても全部の時間が仕事なんですね。当時は娘が生まれた直後で、家庭と仕事の両立に悩んでいて。1年くらいでそれがピークに達して、一度解散という形でそのチャンネルは終わったんです。でも「もう一回面白いことしたいよね」という話になって、チャンネルも復活して今に至る感じですね。丹波に来てから山口君と繋がって、丹波TVというチャンネルでYouTube活動を再開しました。主にその2つのチャンネルを回していて、今は家族のチャンネルも始めた感じです。
なるほど。陸上関係もされているんですか?
(一真さん)
YouTubeとは別に、ペジサルというサッカースクールがあって、僕は走りの部分でトレーナーとして入らせてもらっていて、今年度からは本格的にコーチ陣として走り方を教えるという活動もしています。
奥さんは今仕事されているんですか?
(彩海さん)
すぐ近くのせせらぎ園で接客のバイトをしています。娘をおんぶしながらやっています(笑)
地元のおじいさんおばあさんとのおしゃべりが面白くて、のんびり楽しく働かせてもらっています。
これからのこと
これからどういう生活をしていこうと思いますか?
(一真さん)
まず仕事は、僕は丹波に移住してきて「丹波市を日本で一番盛り上がっている地方にしよう」とSNSを駆使して活動しています。始めた丹波TVというチャンネルは、今丹波市民が約6万人なので、チャンネル登録者数もまずはそこを目指しています。移住して思うのは、やはり若者に出会う機会が少なくて、地方を盛り上げるには次の世代がいないと繋いでいけないし、年輩の方々が持っている知見を受け継ぐ人がいないと繋がれないから、「まずは若い人を集めないと」いうことで、オンラインだけじゃなくリアルでバーをやったりとか、若者のコミュニティも増やしていきたいなと活動しています。
「丹波はこういうところですよ」というのを外に発信していって、盛り上げていきたいです。
田邉家としてはどうですか?
(一真さん)
マインクラフトみたいに、領地を広げていけたら面白いですよね(笑)
畑も少しやってるんですが、少しずつでも、自分たちができる範囲から、活動範囲を広げていきたいです。
(彩海さん)
私は家をリノベーションしたいんです。2階の片方の部屋を潰して吹き抜けにしたり。冬は作業しにくいので、春になったら本格的にやりたいなと。脱衣所が狭いので業者さんと相談してお風呂も広げたいですね。せっかく古民家を買ったので、自分たちの色に染めていきたいなと。色々どうしようかなと想像しながら生活しています。
(一真さん)
倉庫もトレーニングジム化計画があって。今はまだ1個しか器具がないですけど、ゆくゆくは器具でパンパンにしたいなと。バスケットゴールも欲しいし、芝生もはりたいし。何でもできるスポットを作りたい。ダーツも置いて、大きなソファー置いて。色々お金がいるんで、そのために頑張ります。
やりたいことが沢山あっておもしろそうです。
(彩海さん)
心配だった娘の肌も、こっちに来てみたら赤みが全然なくなって、皮膚の再生も早くなっているし、移住してよかったなと感じてます。まだ半年も経っていないんですけど、目に見える体の変化があって、最高ですね。
楽しくなっていくのはこれからですね!
(一真さん)
そうですね。やりたいこといっぱいです。
(彩海さん)
知り合いにはいっぱい、家族で遊びに来てもらえる家にしていきたいです。
「今の25歳は2000年生まれなんだ」という事実に軽く衝撃を覚えましたが、田邉夫婦の話を聞いていますと、大学生活も新卒時期もコロナ禍にはまった時期で、ニュースではよく聞いていたものの、とても大変な世代だったんだなという実感がわきました。 丹波市内の子どもに行った「なりたい職業」アンケートでYouTuberがランクインしていた時期があったと記憶していますが、実際に丹波市内で活動しているYouTuberはほとんどいないので、この界隈ではYouTuberはまだまだ身近な職業とは言えません。田邉さんの活動でこの地域でどういった変化が起こっていくのか、とても楽しみになりました。