神場矢 祐一さん~妻の地元へIターン。インテリアデザイナーが惚れ込んで始めたいちじく農家~
移住される前はどんな暮らしをされてましたか?
生まれは大阪府豊中市、出身は兵庫県伊丹市で、高校まで伊丹で育ちました。高校在学中に、図書館でガウディの本を読んだのをきっかけに建築に興味を持ち、群馬にある大学の建築学科に進学しました。僕はアート作品のような建築よりも、世の中のトレンドが感じられるものに興味があったので、インテリアデザイナーとして大阪の靭公園近くの事務所に就職しました。
宝塚に住みながら、朝から終電近くまで働く生活を長く続けてきました。全国各地に現場があるため、打ち合わせや現場確認で日本中を飛び回るような働き方でした。設計する時に地域性を考慮することもあり、色んな地域に触れることで、地域ごとの特性や土地そのものに興味を持つようになっていきました。
そんな中で丹波にも来てたんです。枝豆を買いに来たり、パラグライダーをしに来たり。「なんか丹波好きだな」という気持ちがずっとありました。そんな折に出会い、結婚した妻が偶然にも丹波出身で、「これは運命かもしれない」と感じていました。
宝塚に住みながら、週末に妻の実家へ子どもを連れていく際に「いつか丹波に住めたらいいな」といった話はずっとしてたんです。でも、その頃は朝から晩まで働き詰めだったので、丹波に住んで仕事することは全く想像できない状態でした。
丹波市へ移住された経緯を教えてください
きっかけは良くも悪くもコロナ禍でした。当時勤めていた事務所が「この先もリモートワークを続ける」という方針になり、状況が一変しました。打ち合わせのためだけに出張しなくてもよくなったんです。「もう丹波に移住できるのでは?」という話になり、上の子が小学校に入学するタイミングで丹波に移住することを決めました。
移住当初は、以前までの仕事を引き続きリモートワークしていたんですが、ずっと独立したいという気持ちもあったので、2年目に独立しました。独立してからも以前の会社から仕事をいただきつつ、友人の会社に役員として関わったり、自分の名義で仕事を受けたりしています。
なぜいちじく農家を始めようと思ったんでしょう?
まだ宝塚に住んでいた時に、丹波ブルーベリー研究会の会長でもある今のいちじくの師匠と知り合って「ブルーベリーを育ててみないか」と声をかけてもらいました。宝塚から丹波へ通いながら栽培に関わり、友人家族とブルーベリー狩りをしたりしていました。実が育つこともうれしかったのですが、それ以上に、自分が関わった農作物をきっかけに人が集まり、自然の中で一緒に過ごすことが楽しかった。その経験が農業の原点です。
丹波に来た当初は、自分が農家になるとは全然考えてなかったんですが、しばらくして師匠からいただいた完熟のいちじくが美味しくて、感動したんですよね。それで、10年以上耕作放棄地になっていた近くの土地で「いちじくをやってみないか」と声をかけてもらったのが始まりです。できる限り樹上で熟させた、味にこだわったいちじくを育てています。
丹波市で起業する際に懸念していたことはありますか?
1つは、設計の仕事が忙しく「農業と両立できるか」は懸念してました。現に今年の収穫時期は、毎朝5時半に起きて収穫・検品・出荷して、直売所を回ってきたら9時前。そこから設計の仕事をはじめ、夜遅くまで仕事して、また朝5時半に起きての繰り返しで。設計の仕事で出張が入れば家族に手伝ってもらわないと回らない状況ですね。収穫時期以外は、休日の作業で対応できる範囲ではあります。
あと、需要ですね。丹波市は都市部に比べて人口も少ないですし、栗や小豆、黒豆といった名産品がある中で、果たしていちじくでどこまでいけるかは未知数なところがありました。
起業する際、具体的な手続きについては誰かに相談されましたか?
農業については師匠に教わり、商工会の起業塾に参加して事業計画や数字を考える機会を持ちました。あとは税理士さんですね。それまで個人事業主としてやってきましたが、いちじく農家を続けていくことを考えると、農業とデザインの事業を分けて整理する必要があると感じて、法人化の相談をしました。
農業は家族にも協力してもらう仕事で、続けていくために形を整える意味もあって、2026年7月7日に合同会社mina farmを設立しました。
当初の資金繰りはどうされましたか?
苗木は購入せず、師匠の圃場から分けていただいた枝を挿し木して育てました。栽培用の棚も、師匠が古いハウスのパイプなどを加工して作ってくださったので、初期費用を抑えることができました。
防草シートや支柱、防鳥ネット、肥料などの必要資材はそれなりにかかりましたが、自己資金で少しずつ揃えられる範囲でしたね。本業を続けながら段階的に設備を整えられたことで、天候に左右される農業に、無理のない形で挑戦することができました。
屋号の由来は何でしょう?
妻の名前が「幸奈」で、娘たちの名前は「咲菜」「萌菜」と、妻の「な」を継いで名付けたんです。いちじくも、自分たちの娘のように大切に育てたいという思いから、屋号にも「な」を使いたいと思っていました。もう一つは、フィンランド語の「minä」が「私」を意味することです。そこに「自分たちの農園」というイメージを重ね、「mina farm」と名付けました。
「娘にも食べさせたいと思えるものを作ること」が自分たちの基準です。そのため、除草剤は使わずに防草シートや敷き藁、手作業で管理していて、必要な病害虫対策は最低限で適切に実施するようにしています。
開業されてからここまで、ビジネスの状況はいかがですか?
妻にはSNSの発信や日々の圃場管理、出荷を、義父には圃場管理と出荷を手伝ってもらっています。義母には、いちじくの味や品質を確認してもらっています。義兄夫婦も知人とのご縁をつないでくれていますし、娘たちも気が向いた時には畑の整備を手伝ってくれます(笑)
去年は試験的な販売をし、今年から本格的に出荷していて、JAの直売所や道の駅、地域のスーパーなどで販売し、飲食店にも使っていただいています。今年は売場で手に取ってくださる方や、お店からのお問い合わせがとても増えました。
収穫量は天候で変わりますが、午前中に売り切れる日もあります。お手紙をいただいたり、声をかけていただけることがとても嬉しいです。本当にありがたいことに、出荷できたいちじくは、昨年も今年もほぼ売り切れています。家族だけでなく、多くの方に支えていただき、事業としての手応えも感じています。
起業してよかったこと、逆によくなかったことはありますか?
今年、念願の出荷時期を迎えた頃からまさかの大雨が続き、通常の出荷基準では出せないいちじくがたくさん出て、体力的にも精神的にも疲弊していました。そんな時、ご縁のあったパン屋さんやカフェに相談すると、「なんとかしなきゃ」と地域の方々へ声をかけてくれました。協力の輪は丹波市から三田市へも広がり、多くのいちじくを加工用として活かしていただきました。
正直、涙が出ましたね。心の底から「丹波で農業を始めてよかった」と思いました。困った時に助け合う、この地域性は丹波ならではと感じています。いちじくを通して多くの方と知り合い、関係が生まれていくことを、とてもうれしく感じています。
将来の展望はどのようにお考えですか?
今の圃場は1反弱で、約200本がほぼ成木化したので、今後は今年と同じ収量が続いていく予定です。でも、色んなご縁が増えて「食べてみたい」「取り扱いたい」と言っていただく機会も増えた反面、供給が追い付かない場面も出てきました。現在は、3反ほどの新しい圃場での栽培を視野に入れ、これまで以上に品質のよいいちじくを安定して届けられるよう、少しずつ準備を始めています。
将来的な目標としては、「丹波といえば、いちじく」と思ってもらえるように、mina farmだけでなく、地域の農家さんやお店とつながりながら、いちじくが丹波の名産になることを目指しています。その為にも、自分自身が納得のいく、最高のいちじくを作り続けていきたいですね。
起業を考えてる人に何かアドバイスをお願いします。
僕自身もまだ道半ばで、助言というより一つの経験談としてお話しますね。本業という基盤を持ちながら始めたことで、最初から規模や売上を追い過ぎず、品質を優先しながら、農園を少しずつ育てることができました。
都会で働きながらも「いつか農業に関わりたい」「地方で暮らしたい」と考えている人はいると思います。農業は実際にやってみないと分からないことも多く、最初からすべてを見通すのは難しいと思います。まずは、小さくても自分が続けられる形から始めることが大切だと思いますね。
※この記事は2026年9月20日に取材した情報をもとに作成いたしました。
| 事業者名 | 合同会社mina farm |
| 代表者名 | 神場矢祐一 |
| 住所 | 兵庫県丹波市氷上町 |
| https://www.instagram.com/mina37farm_tamba/ |