移住者インタビュー

Vol.74 / 2021.02.08

東京で脱サラし、新規就農のため丹波市へ移住!

古谷浩二郎さん

2017年から丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で丹波市の関係人口として毎年移住者のインタビューに来てくれる、東京在住のライターFujico氏。
普段、東京に住んでいる彼女の目には、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しく見ていただければと思います。

※この記事は、緊急事態宣言が解除された6月後半に行ったインタビューです。東京から丹波市に来る際にFujico氏には新型コロナウイルス感染の可能性がないかチェック頂き、十分な感染予防実施の上移動とインタビューを行って頂きました。

都会で働き続けると「農業」に憧れる時もある。壮大な土地で農作物を作りながら、ゆっくりとストレスのない生活をしてみたいと満員電車のつり革にぶら下がりながら考えたりもする。しかし、興味があってもなかなか一歩を踏み出しにくいのも農業。なぜなら、儲かるというイメージがあまりないからだ。そんな躊躇する人が少なくない中、思い切って丹波市へ移住し農業を始めた人がいる。それが古谷浩二郎さんだ。浩二郎さんは新規就農のため、夫婦で丹波市へ移住した。古谷夫婦はなぜ退職・移住、そして農家を始めることに踏み込むことができたのだろうか。実際に農家として生計を立てられるのかどうかも含め、赤裸々にお伺いした。

 

不安や疲れを抱いた、東京・サラリーマン生活

 

 

 

夫婦ともに関西出身の古谷家。同じ会社で働いていた二人は大阪で出会い、二人とも東京に異動し結婚。同僚として同じフロアで働いていた。

 

浩二郎さん:東京での暮らしも疲れ始めていて、2人で関西に戻りたいねと話していたんです。

 

その頃、浩二郎さんの職種はSE。今の時代、SEだと引く手あまたと思うが、定年までSEをやっても何も残らないのではないかと感じ、仕事を続けることに迷いがあったという。そんな浩二郎さんの夢は、退職後に農業を始めること。東京で働いていた時も趣味で野菜づくりをしていた。

 

幸子さん:もともとは2人揃って関西への異動を希望していましたが、関西にある農業学校のパンフレットをみつけて。夫にぴったりなのではと思いました。

 

幸子さんが持ち帰った1冊のパンフレット。それは、丹波市で行われている農業学校の案内だった。そこから古谷夫妻は丹波市に興味を持ち始めた。

 

パンフレットをきっかけに、夫婦で丹波市への移住を決める

 

会社も家もずっと一緒の二人。そのため「お互いのことはなんとなく空気感で分かる」と幸子さんは笑顔で話した。お互い関西に戻りたい、そして浩二郎さんはSEを続けることに悩んでいる…。そんな時に一冊の農業学校に関するパンフレットに出会ったのだ。

 

浩二郎さん:パンフレットを持って帰ってきたときは、むしろがノリノリだったくらいです。

 

 

 

幸子さん:私もアロマに興味があって、東京でアロマの学校に通ったりもしました。夫が家庭菜園をやっている横でハーブを育てたりしていて。将来、彼の農園で作ったハーブを使ってアロマづくりも楽しいかなって思ったんです。

 

パンフレットを発見し新宿で行われた説明会に訪れた二人。今思えば、それは全て縁とタイミングだった。2人の決断はとても早く、パンフレットと出会ってから半年程で移住を決めたのだった。

 

全日制のオーガニック農業学校「農(みのり)の学校」とは

 

浩二郎さんが入学した丹波市が開校する「農の学校」は、有機や無農薬栽培の方法、農業で使用する機械の操作方法から経営方法を学んだり、植物の仕組みを学んだりできる農業学校だ。月に1回は農家や酪農などの見学に行き、農業の学びを通して地域の生産者と出会うので、学校に行きながら徐々に地域に知り合いを増やすこともできた。

 

 

 

浩二郎さん:家庭菜園も有機野菜を作っていたので、やるなら有機農法でやりたいなと思っていました。

 

学校では農業について学ぶだけではない。学校を卒業した人が丹波市で農業を始められるように、市の担当者が相談に乗ってくれたり農地探しを手伝ってくれたりする。古谷家が今いる丹波市氷上町も事前に地域の人と会えたので、より自分たちに合う環境を選ぶことができた。

 

幸子さん:丹波市が運営する学校だったから安心でした。関西出身とはいえど丹波市には縁もゆかりもなかったので、学校のサポートは支えになりました。

 

こうして、地域に溶け込めるように取り込んでもらえたおかげで、開業するまでに徐々に知り合いが増えていった浩二郎さん。農業についても卒業までには一通りのことを学んでいたため、独立する時も抵抗なく始めることができ、比較的スムーズに農家としての生活が始まった。

 

学校を卒業。本格的に農業をスタート

 

2020年3月に学校を卒業し、4月から独立して農業を始めた浩二郎さん。広さは3反、つまり900坪ほどの土地を借りて野菜づくりをスタートさせた。

 

 

 

浩二郎さん:この広さは農業としては小さめですが、まだ農家として1年目というのと、今年は豊作だったので、毎日がいっぱいいっぱいですね。

 

アロマのお店でアルバイトをしている妻に、収穫や袋詰めを手伝ってもらいながら何とか回しているそうだ。インタビュー時にはナス、ピーマン、万願寺とうがらし、ズッキーニ、おくら、枝豆などの夏野菜を作っていた。

 

 

 

浩二郎さん:農家は栽培だけではありません。販売先を広めていかなきゃいけないので、そこが一番苦労しているところですね。

 

丹波市氷上町のJA直売所や関西のスーパーの直売所コーナーなど、少しずつ販路を広めているものの、まだまだ出荷していきたいところ。販売先を紹介してくれる親切な人が近所にいるので、とても救いになっているという。

 

 

 

 

浩二郎さん:学校時代に知り合った農家さんとかも気にかけてくれて。良い人たちと巡り会えたのはとても大きいですね。

 

戸惑うことが多く、追われる日々だと言う浩二郎さん。しかし農家としての暮らし、丹波市での暮らしを楽しんでいるのが、話の節々から感じられた。

 

夫婦で移住を楽しむ秘訣は、お互い好きなことに取り組むこと

 

夫婦で移住をする時に、片方が無理やり推し進めるという場合も少なくない。しかし古谷夫婦は、お互い田舎での生活に戸惑いがなく、お互いが地域に溶け込んでいっている姿が見受けられた。

 

浩二郎さん:自治会のイベント、夏祭りや飲み会など地域の人との関わりも多くとても楽しいですね。

 

古谷夫婦が住んでいる氷上町は、何かイベントがあると声をかけてくれる人が多い。自らガツガツと入り込むタイプではない人でも、自然と馴染める場所だった。

 

幸子さん:私も、自分が好きなアロマのお店で運良くアルバイトを始められました。移住したことで夢が広がりましたね。

 

 

 

朝から晩まで忙しい日々ではあるが、とても充実しているという幸子さん。おいしいものがお手頃な値段で手に入り、新鮮な野菜が毎日食べられる。東京では外食をよくしていた二人だが、丹波市では家での食事が増えたそうだ。もちろん、どこに行くにも車を利用しなければならず、外でお酒が飲めないというデメリットはある。しかし、そもそも食材のクオリティが上がったため、家での食事がより楽しめるようになったのだろう。

 

幸子さん:丹波市に移住してきてから、より『生きている!』って感じがするんです。

 

もともとは老後に始めようと思っていた農業。今思うと、体力がある若いうちに、丹波市という住み心地の良い場所で夢が叶えられて本当に良かったと笑顔で二人は話した。

 

簡単じゃない。だけど移住には価値がある

 

大満足の田舎暮らしだが、農家としての暮らしはまだまだ楽にならないのが現状だという浩二郎さん。

 

浩二郎さん:農業をやりたいという人がいても、よく考えてみたほうがいいとアドバイスをすると思います。採算を取るのはとても難しい。手塩にかけて育てた野菜も1袋100円前後での販売です。

 

 

 

経済面を考えると、農家になるのは簡単なことではない。もし子どもがいたら更に大変だったであろうと古谷夫婦は言った。そんな中でも浩二郎さんは、農家でいることを前向きに考え暮らしている。今後は、自然栽培や新しい方法での栽培も行っていきたいそうだ。浩二郎さんのように、農家としてどのように経営していくか試行錯誤することも、一種の楽しみになれると暮らしが楽しくなるかも知れない。

 

幸子さん:私はたまたまやりたい仕事が見つかりましたが、うまく好きな仕事が見つかるかは分かりません。家族で来るなら、良く相談して来るのが良いと思います。

 

もし農業を始めるなら独立するのも良し、雇用就農するのも良し。自分に合ったやり方を吟味し、無理せず進めていくことが一番であろう。そして家族がいる場合も、家族が移住生活を楽しめるように話し合う。それが一番大事なのではないだろうか。

 

 

 

 

都会から引っ越して1年。暮らしの満足度が全然違うと、農ある暮らしを満喫している古谷夫婦。難しいことはたくさんあるけれど、これからも彼らのペースで、困難をも楽しみながらゆっくりと進められていくのだろうと感じた。

編集部も初めてお出会いした古谷さん。静かにご自身のことを論理的に話される浩二郎さんと、ハキハキと明るく的確なお答えをしてくれる奥さんの幸子さん。元々SEのお仕事をされていたと聞いて、とても納得感がありました。実際に畑を見せて頂いたのですが、本当に丁寧に几帳面に作物を育てられているのが印象的で、思わず「これは性格が出てますね・・!」と唸ってしまいました。ご近所づきあいも良好とのことで、お二人の真面目で実直な性格が集落の人にも伝わっているんだろうなあと感じさせられるインタビューでした。