移住者インタビュー

Vol.55 / 2019.05.28

神社仏閣を守る家業を継ぐためUターン。17世帯しかいない地域で暮らす

村上貢章さん

2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。

家業を継ぐ。近年、担い手がいない問題がある中で、今回インタビューを行なった村上貢章(むらかみ みつあき)さんは、家業を継ぐと決断した人の一人。神社仏閣の屋根修理を主に行う、村上社寺工芸社の後継である彼は、なぜ丹波市に戻り家業を継ぐという決断をしたのだろうか。Uターンをするまでの経緯や、実際丹波市で過ごすことの感想など、早速尋ねてみた。

 

 

 

丹波市で生まれ育ち、大学進学のため神戸へ

 

 

 

 

 

丹波市の山南町篠場という、17世帯しかない、小さなコミュニティで育った村上さん。国宝や重要文化財の屋根の修繕を行う会社を営む家で生まれ育った。大学進学のため18歳で丹波を離れ、神戸に移った。

 

 

 

家業については興味を持っていたので、歴史を学ぶために神戸大学の文学部に入学しました。

 

 

 

家業に役に立つのではと思い、幅広い歴史を学びたかったが、大学では一つの分野を掘り下げていくスタイルで、思ったような勉強ができなかったという。「これで丹波に帰ってはダメだ、自分の力を試したい」と思い、すぐに丹波市には戻らず、大手保険会社に就職し、営業員のサポートを行った。将来は管理職になるためのこの仕事、家業に繋がることも学ぶことができた。そんな中、どんなタイミングで丹波に戻ろうと思ったのだろうか。

 

 

 

大阪の本店に移動してきた社会人4年目、30歳手前だった時、内勤が中心だったことや、満員電車での通勤が思った以上に体に負担で、体調を崩してしまいました。これは良い機会なのではと思い、丹波に戻ることにしました。

 

 

 

 

体調を崩したこと、そして20代後半の時に、父と兄弟3人で家族会議を行ない、「もし将来誰も継がないのであれば、家業のことは考える」と父が言っていたこと思い出し、思い切って会社を退職することを決意した。

 

 

 

 

 

家業といえど1から修行。葛藤がある中やり抜いたのは、持ち前の前向きさ

 

 

 

丹波市に戻りすぐに、家業である村上社寺工芸社に入社した村上さん。家業を継ぐといっても、社寺建築に関して全く知識がないところから始まったそうだ。

 

 

 

まずは現場で、屋根葺きのノウハウを学ぶことから始まりました。最初は、屋根の材料づくり。その後、公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会という、文化財である社寺等屋根工事の技術保存を行う団体で、2年間に渡り半年ずつ研修を受け、屋根を実際作るところも学びました。

 

 

 

 

 

素人であろうと跡取り息子。入社した時には次期社長だと思われていたはず。家業だからこその辛さなどはなかったのだろうか。

 

 

 

私は職人になるというより、最後は経営者になることを前提に現場で学んでいたので、先輩たちとしてもどこまで教えたらいいのか、など難しかったのではないかと思います。それでもありがたく、先輩から叱咤激励を受け、いろいろと学ぶことができました。

 

 

 

 

 

その中で村上さんは、3年間屋根葺きの経験を積み、2018年に専務となった。そのあとは現場から離れ、見積もりを作ったり、現場をいくつか任され、打ち合わせに行ったりと、経営者としての力をつけているそう。また年に1回ほど、伝統技術の啓発のために市の教育委員会と協力して、屋根を葺くところを一般開放したり、小学生に体験してもらったりしているので、その模型の作成などを行なっている。

 

 

 

専務、そして社長へと。着々と力を着ける担い手の今後の目標

 

 

 

村上さんが社長になるのは、3〜4年後。先代が築き上げてきた会社を繋ぐことはもちろんだが、「貢章社長」としては、どのような会社にしていきたいのか。

 

 

 

会社としては、他の大工よりも弊社の大工が稼げるようにしたいです。自分自身としては、これからの中心となる人材を育てていきたいですね

 

 

 

 

 

 

自分も社員も楽しみながら仕事ができ、それで稼げる環境を作りたいと、すでに社長としてのビジョンをしっかりと持つ村上さん。平均年齢32歳と、比較的若い人材が揃っているので、今後も新しい職人やスタッフを育て、共に会社を繋いでいきたいとのことだ。

 

 

 

私自身が経営者としての経験が不足していて、不安はあります。しかし、屋根葺き工という職業はなかなか経験できないことだと思いますし、何より、かっこいいんです

 

 

 

 

 

 

 

祖父や父が繋いできた、神社仏閣を次世代に繋ぐための仕事。仕事に誇りを持ちながら次世代に渡すべく進む、後継者としてなんともかっこいい言葉だった。

 

 

 

 

 

 

コミュニティが小さいからこそ支え合う、それが丹波

 

 

 

18歳で家を出て、30歳前にUターン。昔感じていた丹波市とは、どう印象が変わっていたのだろうか。

 

 

 

離れて暮らしていた頃から用事があれば帰ってたので、そこまでギャップは生まれませんでした。静かな環境、人の優しさ、相変わらず良い場所です。

 

 

 

鳥の声やカエルの声が聞こえ、とても穏やかで静かな住みやすい場所。道行く人にあいさつをするので、人の温かさを感じられる場所。都会では、隣人が誰なのかすら知らなかった。そんな生活から、今ではいろいろな人を知っている安心感があるという。

 

 

 

 

 

地域の行事に参加しなければならないことが多くあります。私は大学生の頃から、年に2~3回地域の行事のために戻ってきていました。面倒だという人もいるかもしれませんが、私は大好きです。

 

 

 

地域の行事や集まりが嫌いでUターンをしない人もいるが、村上さんにとっては地域の行事はプラス。例えば草刈りは、作業が終わってからビールを飲んだり、その後も誰かがBBQを始めるので、とても楽しいとのこと。小学校の運動会で行う大人の競技や草刈りなど、一見大変そうに見えるかもしれないが、「終わった後に飲むビールがおいしい!」と笑顔で答えてくれた。

 

 

 

今では、青年会議所、丹波市の商工会、消防、自治会などに参加し、週1で何かしらの集まりがあり、日々忙しく過ごしているそうだ。普段仕事では関わらないような人とも話して飲んだり、Iターンの人を交えながら、年越しそばをそばの実から作ったり、自分たちで考えてイベントを起こすこともする。村上さんは、仕方がないからではなく、自ら地域に飛び込み、心から丹波市の暮らしを楽しんでいた。

 

 

 

 

 

車は必須、虫もいる。嫌なところはその2つだけ

 

 

 

人々からすると憧れの田舎暮らしだが、やっぱり不便なのではと不安に思う人もいるであろう。実際、都会を経験して田舎に戻り、不便だと感じるところはあるのだろうか。

 

 

 

都会の良さを強いて言えば、車がなくても移動できるところでしょうか。丹波は車がないとコンビニにも行けず、なかなか動きづらいところがあります。また、自然の中なので虫も多い。それ以外は、丹波の方が快適です。

 

 

 

車がないとどこにも行けない、つまり、車があればどこにでもいける。毎日満員電車に揺られ、体調を悪くするよりも、車でスイッと外に出られる方が、よっぽど快適なのではと、話を聞いてるとだんだん感じてくる。

 

 

 

都会にいなくても出会いはあります。私は2年前に結婚しました。家探しも、特に苦労はしませんでした。インターネットも光ファイバーが入ったので、全く困りません。

 

 

 

 

 

 

親友の紹介で妻に会うことができた、という村上さん。何か奥さんにメッセージはとお願いしたところ、即座に「好きです」と答えてくれるほど、丹波で良い人に出会ったようだ。商工会などさまざまな団体に入っていたことで、伝手で良い物件を教えてもらうなど、人と人の繋がりがあるからこそ、うまく回ることがたくさんあると教えてくれた。

 

 

 

リラックスできる環境に戻れてよかったと思っています。

 

 

 

楽しい仕事をリラックスできる場所で行い、気のおけない仲間たちと共に過ごす。こんな贅沢な生活は、都会では味わえないかもしれない。

 

 

 

丹波市は人が優しく、とても住みやすい場所です。地域によっては、行事やイベントが多々ありますが、良い人ばかりなので楽しめると思います。空き家を探して、ぜひ移住を検討してみてください。

 

 

 

 

 

 

正直、田舎暮らしは都会よりも忙しいことも多い。地域の繋がりも都会よりは、少なからずある。しかしそれがこの土地の良さ。本当に、丹波に戻ってきて幸せを感じているんだなと、ヒシヒシと伝わってきた。

宮大工という珍しい仕事をするためにUターンしてきた村上さんから始まった2019年のFujico氏丹波人インタビュー。5日間で11人の丹波人に出会って頂いたのですが、丹波市に関わって長い編集部のメンバーも「そんなことがあったのか」「そんな風に感じていたのか」と目から鱗の連続でした。村上さんのように地元に戻ってきたUターンの中で地域の行事が楽しい、草刈りの後に飲むビールが楽しみなんだ、と地域のコミュニケーションを楽しんでいる方は意外と少ない印象なのです。家業を継ぐに当たって、職人さんや父の代から会社を切り盛りしてきた先輩と良好な関係を築ける方は「そのコミュニティに元々あることを大事にして、一緒に楽しめる人」なんじゃないかなと感じながら一緒にお話を聞いていました。素敵な奥さんもできて、ますますお仕事に地域活動にと一生懸命取り組む村上さんのご活躍に今後も期待です!