移住者インタビュー

Vol.54 / 2019.04.25

強さは食べることから。高校を卒業して大阪で格闘家になり、Uターンし八百屋になった異色の人生とは

パンチィー山内さん

丹波市で活躍する方にお出会いする中で、一風変わった経歴をお持ちの方にお出会いすることも多々あります。そんな中でもかなり珍しい経歴をお持ちの一人が、今回インタビューをした山内さんです。生まれはお母さんの実家の愛媛で2歳の頃から丹波市育ち。18歳で格闘家になるために大阪に移住し、プロの総合格闘技の格闘家として活動した後丹波市にUターンし、農家から八百屋として独立したパンチィー山内さんのこれまでについて、うかがってきました。

 

 

 

 

格闘家として活動した10代・20代を経て食べることについて考え、Uターンした。

 

 

 

 

 

パンチィーさんは丹波市で生まれ育ったんですよね?18歳からすぐ大阪に移住したことになりますね。

 

 

 

実際は母の里帰り出産で、生まれたのは愛媛なのですが2歳のころから丹波市なので、ものごころついてからはずっと丹波市ですね。大阪に行ったのは格闘技をやるためです。親には勉強頑張るから、進学するためにと嘘をついて。(笑)18歳になって高校を卒業してからすぐ行きました。

 

 

 

え?嘘をついて格闘家をやってたんですか?(笑)もうさすがにバレました?

 

 

 

今はもうバレましたね、丹波新聞さんに取材してもらった記事で・・。(笑)もうバレてもいいかなと思って取材受けたんですけど。(笑)親にはあんまり突っ込まれずに、丹波新聞に出てすごいって言われましたが。(笑)

 

 

 

 

なるほど・・、ご両親も面白そうな方ですね(笑)ちなみに、なぜ格闘技をやりたいと思ったんでしょうか?

 

 

いや、強くなりたいじゃないですか。精神的に弱いんですよね、どっちかというといじめられっこよりの人間で。いじめられてるってレベルではないですが、いじられキャラみたいな感じで中学校の時は友達1人もいなかったですからね。(笑)

 

昔のプライドがはじまるよりもっと前の深夜の格闘技番組のテレビや格闘技マンガを見て、格闘オタクから入ったみたいな感じですね。そこからやりたいという気持ちになったんです。やっぱり強くなって自信をつけたかったり、見返してやりたいっていう気持ちもあったし。合計で15年近くやってましたよ。30歳で一度引退したのですが、その後も少しだけ試合に出たりして。

 

 

 

15年もされていたんですね!そこから八百屋に、というと何か思うところがあったのでしょうか?

 

 

農業したかったんですよね。やっぱり食べることは強さに通じるから。根本的な強さっていうのは意識するじゃないですか。生産者、食べるものを作れる人間が強いんかなって。結果、だまされたんですが。(笑)

 

 

 

 

 

え?(笑)誰にだまされたんですか?

 

 

 

あ、悪い百姓にだまされたんですね。まずバイトから始めようと思って、働いてたんですが「出資せえへんか?」って言われて。まあ世間知らずだったんで250万くらいお金出して。なんですが、ちょっとおかしいんでやっぱ返してくださいって言ったら「全部使った」って言われて。何に使ったかと言ったら「田んぼを借りるのに使った」って。

 

 

 

え、それって返ってこなかったんですか?

 

 

 

そうなんです、友達に弁護士がいるんで相談したんですが、お金持ってないところから取り返すのは難しいって言われて。後から聞いたんですが、そういう悪い意味でちょっと有名な人みたいで。丹波県民局へ相談に行ったら「あ、あそこに行ってしまったんや・・」と言われてしまって。過去に給料不払いで訴えられて敗訴になった事があったって言われて。

 

 

 

 

 

 

すごい大変な経験されてますね・・・・!それって記事にしても大丈夫なんですか?

 

 

あ、いいですよ。そのことを自分でやってるブログに書いたら結構そのことがヒットして色んな人に見られてたりするんで。(笑)

 

 

 

 

 

 

かなり大変な思いをされたのではないかと思うのですが、あっけらかんとしているパンチィーさん。もうそれは取り返さなくていいんですか?と聞くと「そうですね、ずっと関わってても時間の無駄なんで。僕は次の事をしたいんですよね。」と潔く、何にも根に持ってなさそうに話すのがただただ、すごいなと感じます。

 

 

 

 

農家から八百屋へ。自分にしかできないスタイルを考える。

 

 

 

 

そして、農家をやりたいと思って帰ってきてから八百屋になったんでしょうか?

 

 

そうですね、その後色々な農家をまわってアルバイトしていたんですけど、その仕事先から仕入れて販売していたらそれが軌道にのってしまって。じゃあそっちの方やるか、って。八百屋を仕事にしてたら作らなくても美味しい野菜食べられますし。

どっちかと言ったら、大阪に友達多いのでそっちに丹波の野菜をつなげたいっていう思いもあったんですよね。やっぱり現実的に、自分で生産したら小回りが効かないんで、農地持たんと販売に専念した方がいいんかなって。

 

 

 

 

 

なるほど、売り先を持ってたり、知り合いが多いのは確かにいいですよね。格闘家の友達に販売したりするんでしょうか?

 

 

そうですね、後輩とかがいるんで。なかなか食べないですけどね(笑)料理がめんどくさいみたい。でも何人かうちのお米は買ってもらって、うちのお米で強くなったんやって言ってくれたりしますね。まあうちのお米と言っても農家さんが作ってくれたお米ですが。

 

 

なるほどなるほど、ちなみにパンチィーって名前はどこから来てるんですか?格闘家だからパンチ?

 

 

なんかね、うちの行ってた道場おかしくてね・・(笑)道場内で名前を決めるんですよ。リングネームみたいな。そしたらみんなチョけるじゃないですか。下ネタ的な感じで。それで僕は「パンティー山内にしろ」と(笑)スパッツ作ってきたって言って女性の下着の絵柄のスパッツを作ってきて、これを履いて試合しろと。それで、流石に直接的すぎるんで、パンチィーにしてくれと。そういう話からですね。

まあ良かったんですけどね。そのおかげでソコソコ有名になったんで(笑)多分それが無かったら誰も知らん選手やったんですけど、インパクトは残るんでね(笑)普通に女性の悲鳴が上がったりしていましたが(笑)

 

 

※パンチィーさんから提供頂いた、当時の写真

 

 

他の方もだいたいネーミングでいじられたりしていたそうで、パンチィーさんも例外でなかったのだとか。「だいたいみんな嫌がるんですが、僕はちゃんと師匠の案に従ったんです。」とパンチィーさん。ちょっと潔すぎませんか・・・?笑

 

 

 

 

生まれ育った丹波への印象が、少しだけ変わったこと。

 

 

 

少し話が変わるのですが、パンチィーさんは丹波市は好きでしたか?

 

 

大嫌いでしたね(笑)やっぱり格闘技やりたくても選択肢が無かったし、子どもの頃はJリーグが始まってサッカーしたかったんですがサッカーするところなかったんですよ。当時は夢がないなあって。それで出て行きたいと思ってずっと家出して大阪か東京行こうかと思ってたんですけど(笑)高校卒業まで待ってからですね。

 

 

でも、気が弱いのに、18歳で格闘家になるためによく大阪に行きましたね?

 

 

ああ、気が弱いと言うよりは多分対人関係が苦手なんですよね。今八百屋やってるのが不思議なくらい。

 

 

 

 

 

確かに、ご自身でもおっしゃってましたもんね(笑)でもじゃあなぜ八百屋できちゃうんでしょうか?

 

 

ずっとコンビニでバイトしてたからじゃないですか?

 

 

そこですか?(笑)

 

 

格闘家だけじゃ食っていけないので、時間の融通もきくしコンビニのバイトしてたんです。誰でもできるってイメージがあって。これやったら自分でもできるかなって。そしたら対人関係苦手なんで意外と大変でしたね、慣れるまでは(笑)

はじめはめっちゃ怒られましたからね。クレームでお客さんキレたりするし。それが慣れていったらできるようになったんですよね。

 

 

 

なるほど、そうして、今は対人関係が得意になったような感じでしょうか?

 

 

まあ、大人になったんで、仕事の関係とかは問題なくなったんですがプライベートは嫌ですね~。合コンとか、飲み会とかは今も苦手で。休日はほとんど仕事してますね(笑)時間があいても読書してるくらいですね。

 

 

 

 

 

ちなみに八百屋として活動されている今、丹波市はどう思います?好きになった?

 

 

そうですね、丹波に対して、というのはあんまり変わりませんね。でも仕事で関わってる生産者さんはみんな好きです。生産者さんと接してても、丹波が大好き、って言う人もあんまり見なくて、でも多分好きだからあえて言葉に出してないんじゃないかなっていう感じはします。

僕も、ここは嫌い、っていうのはあるけど全部嫌いなわけじゃない。あ、昔は大嫌いだったって言いましたが(笑)育ったまちですから、愛はありますよ。

 

 

 

 

パンチィーさんが八百屋を初めて数年ですが、今では10件ほどの契約農家さんがいて、収入も安定してきたのだとか。最近は、余った野菜でドライベジタブルも作り始めました。八百屋が軌道に乗った時は、最初アルバイトしていた農家さんから売り先を紹介してもらったのだとか。「農家さんは作る方に集中したいんだと思うので」と、とても優しい人だなと感じます。

 

 

 

 

これからやっていきたいこと。都市部と地方両方をみて感じたこと。

 

 

何かこれからの方向性や、やっていきたいことはありますか?

 

 

ネットショップと、格闘技とミックスさせていきたいんですよね。格闘家に紹介してもらうような仕掛けとか。これを食べて強くなったって言ってもらったり。

八百屋も、今までは効率主義だったんです。目に見える価値のある事、正しい事に焦点を当てていたんですが最近は他に大事なことがあるんじゃないかなって思って悩んでるところなんですよ。自分がやってることは正しいんかな?って思いながら、今後の事業も考えている最中です。

 

 

 

 

 

ありがとうございます、とても楽しいインタビューでした。最後に、丹波市に返ってきて生活面で何か感じたことはありましたか?

 

 

そうですね、意外となんでも揃って、都会と変わらんところも多いです。都会の方が色んな人がいますが、丹波市は逆に少ないからこそ、その地域の世界のTOPの人とはつながりやすかったりするのが面白いです。まちを動かしている人とか。例えばそういう方たちと話をすると、丹波市の農業全体がどう動いているかがわかるので、視野が広がったりする面もありました。都会と、田舎と、両方知っている強みはあると思います。

 

 

 

 

 

 

パンチィーさんのように、丹波市出身の方にお話を聞くと、ポジティブな話だけでなく好きじゃなかったんだという話もよく聞きます。Uターンで帰ってきて、大好きになった!というわけではないパンチィーさんですが、都市部でも暮らしをしたことによって少し目線が変わったとこがあるよとお話してくださいました。それにしても、選択の動機も、やってきたことも何だか直感的であったりして面白く、こだわりのないところが素敵な印象でした。強さを作るために選んだパンチィーさんのお野菜や活動に、これからも注目です!