移住者インタビュー

Vol.48 / 2018.11.27

理想のワークスタイルが実現!丹波だからできる働き方とは

有賀史朗さん

2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。

移住」と言ってしまうと、とても大きな決断が必要な気がしてしまう。全てを捨てて、違う土地にいくかのような感覚。その勇気が出ず、移住に踏み出せない人も多いのではないだろうか。しかし、今回インタビューさせて頂いた有賀史朗さんは違った。横浜に住んでいた有賀さんは、2018年1月、丹波市に移住。今は仲間二人と一緒に丹波市で起業し、web・広告制作会社を運営している。関東から関西、しかも都会から田舎に移住することは、とても勇気がいったのではと思ったが、彼にとっては、移住というより引っ越しだったようだ。なぜ気軽に移住ができたのか、丹波市でどのような生活を送っているのか尋ねてみた。

 

 

 

移住のきっかけは都会の「違和感」

 

 

 

関東で働いていた時、売上を維持するための仕事スタイルに違和感を感じていました。クライアントに必要ないものを売らなければならないなど、とにかく自然じゃない。必要なものだけを、必要な形で届けるという、シンプルなビジネスをしたいと思った結果、移住に結びついてましたね。

 

 

 

 

丹波市に来るまで、様々な経験を積んできた有賀さん。エンジニアとして就職した会社では、小さい規模の企業だったため、一人に任される割合が多かった。プログラミングだけではなく、ホームページのコーディングやデザイン、さらにチラシを作成するなど、紙の仕事までも行い、クリエイティブスキルを磨いた。その後、一度起業に踏み込んだが、なかなか利益を追う構造から抜け出せないことに違和感を感じ、社長の役を降りて東京で再就職をした。

 

 

 

再就職先もとても面白い仕事だったのですが、利益を求めて働くことに関しては変わらなかった。お客さんにも自分たちにも、無理のない自然体で仕事するにはどうしたら良いのかと模索していた時に、丹波と出会ったんです。

 

 

 

 

丹波との出会いは移住のイベント

 

 

 

 

もともと移住を目的にしていなかった有賀さん。自分の理想の仕事スタイルを探し求めていた時に、たまたま丹波市の移住希望者イベントに参加した。

 

 

 

2017年の10月に東京で行われたイベントで出会ったのが、今一緒に会社を立ち上げた井口さんでした。

 

 

 

当時、丹波市の移住相談窓口の委託を受けていた株式会社みんなの家の代表であり、のちにビジネスパートナーとなる井口さんと出会った有賀さん。彼と話をしているうちに、東京で再就職するよりは地方に行った方が、自分が理想とするビジネススタイルでやることができるのでは、と感じ始めた。

 

 

 

そのイベントの後、会社を退職し、イベントから2ヶ月後の12月には丹波に遊びに行ってました。そこで丹波を案内してもらい、丹波の人々に会い、精神的に自由な丹波の人々に魅了されました。

 

 

 

 

 

 

お金持ちだからとか、適当だからとかではない。しっかり仕事もこなしているのに、どこかしら心の余裕が感じられる丹波市の人々。ここでなら「必要なものを提供し、お互い無理のない」仕事ができるのでは…。そう感じ2018年1月には、単身で丹波市に移住していた。

 

 

 

 

理想のビジネススタイルを丹波で実現

 

 

 

 

2018年1月に移住してきて半年が立ちました。東京では出来なかった、クライアントにとって本当に意味のあるものだけを提供する仕事スタイルは、丹波で出来ていると思います。

 

移住、そしてweb・広告制作会社を起業し、着々とクライアントを増やしている有賀さん。東京では出来なかった働き方が、ここではできるようになったという。それはなぜか。

 

 

丹波では直接クライアントのトップと話すことができる。例えばイベントのオーガナイザー(主催者)だったり会社の社長さんだったり。思いを強く抱いた人たちと話すことによって、より彼らの明確なニーズを得ることができます。また、打ち合わせは5分間のみ!というような短時間での仕事の仕方が発生しにくいので、クライアントとじっくりコミュニケーションを取れるようになりましたね。

 

 

 

 

 

多くのクライアントと関わり、やっつけ仕事になってしまう東京での働き方に対し、丹波市では時間に余裕を持って動く人々が多い。それは仕事がないからではなく、必要なものだけを選ぶ、ライフスタイルそのものが反映されているのではないか。

 

 

 

この仕事方法のおかげで、数字につながる結果を、より如実に出せるようになりました。例えば、2018年8月12日に行われたスプラッシュ丹波というイベントのホームページを作成させて頂きましたが、前年度の2倍以上の来場者がきました。もちろん全てがホームページの結果ではありませんが、そこに少しでも貢献できたのが、とても嬉しく思います。

 

 

 

ホームページの拡散をしてもらうなど、周りの協力も得て、前年度1500人だった動員人数を5000人まで伸ばすことができたイベント。この結果が出たのは、イベントのオーガナイザーとしっかりとプランニングができたからだという。

 

 

 

 

時間を費やし、親身になって話し合うと、こんなにもわかりやすい結果が出るのだと、改めて実感しましたね。

 

 

 

 

有賀さんが求め、探し続けた理想の働き方。それが丹波市に移住したことで実現し、結果にも出ている。確かに都会にはクライアント数は多い。しかしその分、一つのクライアントにかけられる時間は少ない。丁寧な仕事が結果を出すと、ずっと信じていた有賀さんだからこそ、出せた結果であろう。

 

 

 

その他にも、婚活パーティのチラシを作成した時は、マジマジと見ても恥ずかしくないように、婚活パーティとは一瞬わからないデザインにしました。そのイベントも定員が予約でいっぱいになったようで、とても嬉しく思います。

 

 

まだ起業したばかりの会社だが、クライアントは着実に増えているという。自分が思い描いたワークスタイルをしている有賀さんの表情は、とても柔らかく楽しそうだった。

 

 

 

 

 

 

気軽に移住できた、そのわけとは

 

 

 

自分の仕事が、ノマドでも可能というのもありますが、丹波に気軽に移住できた理由は、都会と変わらない生活スタイルをしたいと思えば、丹波でも出来るからだと思います。

 

 

 

有賀さんは決して田舎暮らしに憧れて丹波市に移住したわけではない。しかし、人混みは嫌いで、自然があるところが好きだった。丹波市はスーパーもあり、遅くまで営業する飲食店もある。むしろ車で移動するので、都会より便利だと有賀さんはいう。もちろん周りには自然があり、都会よりも忙しなくない時間が流れる。こんなちょうど良いサイズの丹波市だったからこそ、気軽に移住ができたそうだ。

 

 

 

仕事に区切りがつかない理由で、妻はまだ横浜にいますが、いずれは丹波に移住してきます。妻に会いに横浜へ行くのも半日かければいつでも行けますし、都会から遠いと言っても、そこまで苦ではないですね。どっちみち、横浜にいた時も東京まで片道1時間以上かけてたので、あまり変わりません。(笑)

 

 

 

ちょっと遠方に単身赴任している、ぐらいの感覚。その気持ちでも十分に住んでいける場所だと有賀さんは言った。

 

 

 

 

有賀さんにとっての丹波とは

 

 

 

丹波は“ハイブリッドな田舎”です。田舎暮らしがしたかったらできるし、都会的な暮らしがしたければそれもできる。けどゴミゴミは全然していない。仕事帰りに温泉に寄ることだって出来るし、自分で余暇を楽しむことができる人なら、とてもいい場所だと思います。いい場所すぎて、太っちゃいました。(笑)

 

 

 

 

ゆくゆくは半田舎・半都会生活を丹波市で行いたいという有賀さん。街に簡単に出てこれる、自然豊かな場所に家を持ちたいだとか。

 

 

理想のワークスタイルやライフスタイルを手に入れるのには、勇気がいると感じる人はごまんといるだろう。しかし、実際理想を手に入れている人の話を聞いてみると、そこまで肩肘張らずとも、どうにかなる気がした。自然体だけど貪欲に。それが有賀さんのスタイル。頭で色々考えるよりも、とりあえず、気になる場所には行ってみた方がいいのかもしれない。一歩踏み出したら、流れが背中を押してくれる場合も、あるかもしれないのだから。

実は編集部も、移住する前の段階から有賀さんと出会っている一人。井口さんと一緒に有賀さんと出会って「この人はきっと丹波に来るな」と思った事をはっきりと覚えています。自分がやりたいことや叶えたい暮らしを冷静になって考えた時に、一番自分にとって心地よい選択ができる場所を探した有賀さん「ハイブリッドな田舎」というのがとても印象的な言葉でした。理想のワークスタイルというのは、ライフスタイルとも密接に関わってくるのだなとこの記事を読んで考える機会をもらったような気がしています。