何もない自分を変えるために移住し、起業家へとなった軌跡
花田匡平さん
2017年から丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で丹波市の関係人口として毎年移住者のインタビューに来てくれる、東京在住のライターFujico氏。コロナ禍で2年の期間が空きましたが、感染状況が落ち着いたタイミングで再び丹波市に来てくれました。
普段、東京に住んでいる彼女の目には、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しく見ていただければと思います。
※この記事は、2022年5月後半に行ったインタビューです。東京から丹波市に来る際にFujico氏には新型コロナウイルス感染の可能性がないかチェック頂き、十分な感染予防実施の上移動とインタビューを行って頂きました。撮影時のみ、マスクを外して頂いている写真もございます。
田舎暮らしがしたいとか、自分の店を持ちたいとか、そんなキラキラした気持ちで行うものだけが移住ではない。今ここではない場所に行きたいという気持ちが、たまたま移住に繋げることもある。まさにそんな思いで丹波市に移住し、見事活躍を遂げている男性に出会った。「BBQ&Burger BP」の支配人、株式会社FTPの代表取締役、一般社団法人F-unionの代表、農家民宿及びシェアハウスのオーナーとさまざまな顔を持つ、花田匡平さんだ。移住前は職を転々としたり体調を崩したりするなど、うまくいかないことが多かったという人生から、どのようなことがきっかけで丹波市に移住し新しい道を切り開いてきたのか。今そこで人生がくすぶっている人がいたら、ぜひ花田さんの軌跡を見ていただきたい。
転職を繰り返しうつ病も発症した大阪時代
インタビューを始めて開口一番に、花田さんはこう言った。「僕の移住は前向きな移住ではない」と。大阪生まれ、大阪育ちの花田さんは、社会人になってからさまざまな職を転々としており、なかなか一つの職種に落ち着くことができなかったという。
プログラマーをやっている時もあったし、塾の先生をしている時もありました。どれもすぐに辞めてしまっていて、うつ病も発症しているんです。
不幸せだ、と感じてしまう時もあったという花田さん。うつ病から回復してきたタイミングに、友人からみんなでキャンプをしようと誘われた。その時は淡路島で行ったが、次の年もやろうという流れになり花田さん主催で行ったという。シルバーウィークのど真ん中に企画したものの、既に開催日から1ヶ月を切っていたため、なかなか空いているキャンプ場が見当たらなかった。そこでやっと見つかったのが、のちに花田さんの職場にもなる丹波悠遊の森だった。
当時、丹波悠遊の森はすごく古いウェブサイトを使っていて、電話してから申込書を郵送するという予約方法しかなかったので、予約する人が少なかったのかもしれません(笑)。20人くらいを集めてキャンプをしたのですが、その時にたまたま友人からの紹介で丹波市の議員をされていた横田親さんに出会ったんです。
このままだと同じ自分。環境を変えたいと思い出会った丹波
うつ病が治りつつあっても、大阪でずっと転職を繰り返していたこともあり、自分には転職市場における価値がないと思っていた花田さん。このまま大阪で仕事を探すこともできるが、また同じことの繰り返しになるのではないかと思い上京することも視野に入れていた。そんな時に出会ったのが当時丹波市議会議員をされていた横田さんだった。
キャンプの後、大阪に戻りオンラインミーティングで横田さんに転職相談をしました。横田さんは丹波市に来たらと誘ってくれました。自分が変わるタイミングだと感じていたこともあり「行きます」と即答したら「いい加減に決めたらあかんで!」と横田さんに言われましたね。
2013年1月。後ろ髪引かれることもなく、31歳の花田さんは丹波市に移住した。初めに働いたのは紹介された丹波市にあるスーパー。そこで働きながら度々、大阪の友達が遊びに来れるようにイベントを企画した。イベントを行っていた場所に選んでいたのは、初めて丹波市に来るきっかけともなったキャンプ場、丹波悠遊の森だった。何度かイベントを開催した後、キャンプ場の事務局で室長を行う橋本さんに「うちで働かないか」と誘われたという。こうしてその年の9月に、これから深く関わる丹波悠遊の森で働き始めるようになった。
「丹波悠遊の森」に就職。敷地内のレストランが経営危機に陥り自らが運営者に
アウトドアコーディネーターという肩書きのもと、丹波悠遊の森で働き始めた花田さん。主にキャンプ場の管理を行った。その後、プロモーションディレクターとしてイベント企画・広報を行うようになり副施設長にもなった。順調に仕事を進める中で、丹波悠遊の森は一つ問題を抱えていた。それはレストラン運営の経営だった。
丹波悠遊の森は、丹波市の施設で株式会社丹波悠遊の森協会が運営しているのですが、レストランが経営難になってきました。飲食店を熟知した人に運営をお願いしたもののなかなかうまく行かず…運営者を交代しようとする時に、自分がやることになったのです。
株式会社FTPというレストラン運営に協力するための会社を作った花田さん。事実上、丹波悠遊の森協会を退職し、株式会社FTPの代表としてレストラン運営を始めた。キャンプとバーベキューは親和性が高いと考えた花田さんは、事務局にいたときに丹波BBQ協会を立ち上げていたこともあり、レストランをバーベキュー屋にしたいと考え始めた。しかしバーベキューだけでは採算を取るのが難しいと思っていたところ、丹波市の名物を作って地域全体で広げるための「丹波うまいもん研究会」という会が立ち上がり、ハンバーガーを作る話が持ち上がり花田さんにも声がかかった。
ランチにハンバーガーを入れたらどうかなと考えていたところに、丹波うまいもん研究会の話が舞い込んできたためタイミングが一致しました。偶然、丹波悠遊の森のレストランにパンを焼く釜もあったので、キッチンを使ってハンバーガーを開発することになりました。
こうして丹波うまいもん研究会の仲間と一緒に作り上げたハンバーガーをレストランで販売することになった花田さんは、パンを製造するための製造室を作ったり老朽化している部分を手直しし、晴れて2018年3月に、BBQ&Burger BPをオープンさせた。
感染拡大で経営危機。お弁当販売や新しい施策を取り入れて店の存続を守る
BBQ&Burger BPをオープンさせ、徐々に売上を伸ばしていった花田さん。家族層や宴会客層を徐々に伸ばし、人々を楽しませる施設に発展させた。しかし運営を始めて2年経たないうちに、新型コロナウィルス感染症の感染拡大が始まった。
宴会需要が売上の半分以上を占めていたので、その分が一切入らなくなりましたね。人も雇っていたのでより厳しい状況に陥り、撤退をするか、全く違うことをするかまで追い詰められました。従業員の生活もあるので簡単に諦めたくないと思い、持ち帰りできる商品開発などしましたが、なかなかうまくいかず…。そんな時、一本の電話がかかりました。
一本の電話、それは企業の宅配弁当をやりませんかという営業の電話だった。通常だったら営業の電話は対応しない花田さんだが、なんとなく今回は話を聞くことにしたという。
レストランはお客さんが来てくれて初めて商売が成り立つので、自分から営業しに行くことができないのが問題でした。何かしら改善したいと思う中で、お弁当であれば値段も低単価だし、毎日注文が入る可能性があるので、チャンスがあるのではと感じました。
企業向けの宅配弁当をフランチャイズでやっている会社のノウハウを使って運営する形だったため、メニュー開発の費用も入らず、すぐにビジネスを始められる。コロナ禍で人々の動きが途絶えていたため、需要に合っていると感じたという。
丹波市内の企業にチラシを渡すため、その人たちがアフターコロナの宴会需要でレストランを活用してくれる可能性もあると考えました。そして何より今の従業員を切らずに運営することができるため、お弁当事業を始めました。
2021年2月からお弁当販売の受託を始めたBBQ&Burger BP。今では毎日200食から400食は出ているという。少しずつ運営が回復に向かった花田さんは、動きを止めることなく新しい事業に踏み込んだ。
福祉事業にウェディング事業。難しい時代だからこそ前に進む
お弁当販売を始めたことがきっかけで、委託元の会社より福祉事業所についての話が舞い込んできた。福祉事業にはA型とB型がある。丹波市内には重い身体障がい、知的障がいの人が多く在籍するB型に対応する事業所は多くあったが、軽度の身体障がい、知的障がいの人が在籍するA型に対応できる事業者が少ないことが問題だった。
B型は最低賃金を保証する必要がないのですが、A型は県の最低賃金を保証する必要があり、雇用契約も結びます。丹波市にはA型が一つもなかったこと、そして弊社が始めた弁当事業は福祉事業とも相性がいいし、うちは食数が取れていたため経営的には問題なさそうなので始めることにしました。
こうして花田さんは、福祉事業を受け持つための一般社団法人F-unionを設立した。弁当事業から始めて、BBQ&Burger BPでやっていること、その他の事業でも障がいを持つ人々が特性を活かした形で働ける環境づくりを目指すという。
ウェディング事業も始めています。コロナ前から準備はしていましたし、大きな式場を持つような経営モデルではなかったこと。また主に運営してくれるのは15年間ほどプランナーとして活躍している人だったので、なんとかなるだろうと。丹波悠遊の森でもウェディング会場になることはあったので、丹波市の自然を活かしたウェディングは、むしろ今後の需要に合っているのではないかと考えています。
2021年から株式会社FTPの傘下として、ウェディング事業を本格的に開始した。コロナ禍という不安定な時期にたくさんの事業を始めるのは怖くないかと尋ねると、逆に止まることの方が恐怖だと花田さんは答えた。恐怖心があるからこそ、前に進むことに抵抗はないと。
自分は今で十分幸せ。周りが幸せになる環境づくりを行いたい
さまざまな事業を行っているため今後の目標があるのかと聞いてみたが、花田さんの返答は意外なものであった。
自分は今で十分幸せなんで、自分自身の目標というのはさほどありません。実は移住してちょっとした後に物件を購入したのですが、その家を自宅として使用している以外に、個人事業としてシェアハウス兼、農家民宿を運営しています。正直、それをやっているだけでもう十分、自分としては幸せなんです。ただ、自分が関わっている会社や場所をよくしていきたいという気持ちはあります。自分が何かをやったことで、地域や誰かに良い影響があったら価値があったなと感じます。
自分の人生に対して悩んでいた大阪時代。丹波市に移住し、丹波悠遊の森で働き始めたことで人生に大きく変化があった。この場所に恩があるという花田さんは、働く人たちがちゃんと働き続けられる場所に、そして楽しんで働ける場所にしていきたいという。
不幸だと思っていた自分が、幸せだと感じられるようになったのは間違いなく丹波市での生活のおかげです。どこにいても大変なことはあるけど、色々な人に支えられながら今までやってこれました。自分が丹波市に居続ける理由はここにありますね。なので今度は恩返しをしていきたいんです。
花田さんがいう恩返しの一つには、社会貢献が入るという。事業を行い雇用を生み出している時点で社会貢献ではあるが、より丹波市に貢献できることがあるなら取り組んでいきたいと言った。
移住しても、しなくてもいい。大事なのは初めの一歩
花田さんが移住したことで、花田さんの周りにも変化があった。まずは花田さんの両親が丹波市に移住した。田舎暮らしをもともと希望していた両親は、花田さんが丹波市に移住したことをきっかけに引っ越し、楽しい田舎暮らしを行っているという。また花田さん自身、もうすぐ家族が増えるそうだ。
大阪にいた頃は自分のことしか考えてませんでした。でも今は、周りの家族や友達に助けられている自分に気づき、そういう人たちと良い関係が続けられたらいいなと思います。
自分が幸せを感じることで、親や身近な人ともその幸せを共有し合い伝え合えたら。そしてその幸せを広げられることができたら。そう思えるようになったことも、丹波市に移住してきたからだという。
丹波市に移住したからといって幸せになるとは限りません。僕は偶然、丹波市に来て幸せになれたけど、みんなに合うとは限らない。そして移住することがいいとも限らない。都会で生きながら田舎にたまにくるのも一つの手だし、それは人それぞれです。観光してみて少しでも興味を持ったら、少しずつ滞在を伸ばして自分の肌に合う居場所を探す。そんな感じでいいんじゃないかなと思います。
元々いた場所から環境を変えるという勇気を出したからこそ、幸せを掴んだ花田さん。しかしそれは無理やり掴んだわけではなく、縁に従い自分が思うままに我が身を任せたから、幸せになれたのではないだろうか。少しの勇気を持つことが、幸せになれる第一歩なのかもしれない。
TURNWAVEの移住者インタビューとして2回目、その他お仕事や起業のインタビューで度々お世話になっている花田さん。優しく柔らかい印象の方ですが、「本当に当時はキツかった」と移住前の苦い経験を明るく話されます。丹波市での暮らしを積み重ね、様々な新しい事業や関わる人を増やしている花田さんは、多くの雇用も生み出しておられます。大変な思いをしてきたからこそ人に優しい花田さん。この人と働きたい!と感じられた方はぜひ一度お話を聞きに行ってみるのも良いかもしれません。