移住者インタビュー

Vol.89 / 2022.10.07

田舎暮らしは嫌だった。でも移住したら夢が叶い家族も笑顔になった

岡田美穂さん

2017年から丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で丹波市の関係人口として毎年移住者のインタビューに来てくれる、東京在住のライターFujico氏。コロナ禍で2年の期間が空きましたが、感染状況が落ち着いたタイミングで再び丹波市に来てくれました。
普段、東京に住んでいる彼女の目には、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しく見ていただければと思います。

※この記事は、2022年5月後半に行ったインタビューです。東京から丹波市に来る際にFujico氏には新型コロナウイルス感染の可能性がないかチェック頂き、十分な感染予防実施の上移動とインタビューを行って頂きました。撮影時のみ、マスクを外して頂いている写真もございます。

移住とは決して前向きなものだけではない。移住をしなければならない人、今の暮らしと天秤にかけた結果、移住を決意する人などさまざまな移住の形がある。祖父母の家として幼少期によく丹波市に遊びに来ていたという岡田美穂さんは、自分が移住するなんて露ほども思わなかったという。田舎暮らしをしたくなかった美穂さんが移住を決めたのは、子どもの笑顔を取り戻したかったからだ。結果、子どもには笑顔が戻り、自分自身も昔から夢だったcafe&space teteを開業することができたという。なぜ彼女は丹波市に移住することになったのか。丹波市での暮らし、そしてカフェ開業までの道を伺った。

 

 

幼少期はよく訪れた母の実家、丹波市でできた食との縁

 

 

丹波市にある農家民宿といえば「農家民宿おかだ」の名前を随分前から噂では聞いていた。今回はそこで農業をやりつつ、民宿の隣で2020年にカフェを開業した岡田美穂さんにお話を聞く。田んぼがあるのどかな場所に、「農家民宿おかだ」と美穂さんが開業したcafe&space teteがあった。こんにちは〜、と取材班をカフェに迎え入れてくれた美穂さんは、物腰の柔らかい人だった。

 

 

teteの下に書いてある2024は、平成20年と平成24年のことで私の子どもが生まれた年なんです。

 

 

 

そんな話を優しい笑顔で話してくれた美穂さんが丹波市に移住したのは、2016年 。農業を行いながらカフェを営んでいる話を事前に聞いていたため、それがしたくて移住したのか尋ねたところ、首を横に振った。

 

私、田舎が嫌いだったんですよ。本当は移住したいと思っていなかったんです。

 

予想もしていなかった回答だった。美穂さんは西宮市で生まれ、丹波市は母の実家だった。中学1年生までは夏休み、春休み、正月と休みがあるごとに家族で帰省していたが、中学校に上がり部活動で忙しくなってからは足が遠のいていたという。

 

3姉妹の末っ子なんですけど、母のお兄さんに子どもがいなかったので、ここの子になってもいいんやでってずっと言われていて。子ども心に嫌だと感じていました(笑)。幼稚園の時に丹波市へ預けられていた頃は、畑で育てた野菜を本物の包丁で刻むというリアルままごとをしていましたね。

 

幼稚園からそんな”遊び”をずっとしていたため、料理が日常の一部となっていた美穂さん。学校から家に帰ってきた時もお腹が空いたら自分でハンバーグを作ってみたりと料理を真似し始め、失敗しては母に確認してを繰り返し料理を楽しんだという。

 

 

 

 

高校を卒業し、縁があり調理の専門学校へ

 

 

料理は遊びの一部でしかなかった美穂さんだが、本格的に食の道へと進む転機が訪れた。お店を営んでいて父の取引先で仲良くしてもらっていたおじさんが亡くなったことだ。

 

それまでは体育の先生か保育園の先生を目指していたんですけど、お葬式に出た時に調理学校の先生がいらしてたんです。少し話してたら学校に来てみたらと誘われました。料理は遊びでしたし極める気なんてありませんでしたが、専門学校は1年間だけだし、満足しなかったとしても時間はまだあると思ったので、行ってみることにしました。

 

ご縁があったから、と専門学校に行った美穂さん。そこまで期待はしていなかったものの、予想以上に楽しい日々を送ったという。何より気の合う友達に出会えたことが、かけがえのないものになったそうだ。

 

今まで甘いものが食べられなかったのですが、専門学校に行ってから本当においしいものを知ることができました。例えば、マンゴープリンは甘すぎて苦手だったんですけど、マンゴーの味がしっかりしておいしいものに出会えました。その辺りから、調理の道でもいいかなと思うようになったんです。

 

 

こうして調理師の免許を取得し、ホテルにパティシエとして就職した美穂さん。その後も結婚、出産、そしてライフスタイルに合わせてさまざまな食に関する職を経験し順風満帆に見えたが、美穂さんは大きな悩みを抱えていた。

 

 

結婚するも家庭内がうまく行かず、移住を検討する

 

 

ホテルでパティシエを行い、カフェで働いた後は従業員食堂の契約社員になった美穂さん。結婚して子どもがいた彼女は子どもと同じ日に休みたいと思い、学校給食での調理の仕事を得るために従業員食堂で大量調理の経験を積んだ。

 

無事、学校給食での仕事を得たので、そっちは良かったのですが。当時、子どもと夫がうまくいっておらず、家庭内がギクシャクしていました。そのため、リフレッシュさせるために子どもを連れて丹波市に遊びにいくようになりました。

 

田舎に移住はしたくないと思っていたものの、家庭内がうまくいかない中頼れるところは丹波市に住む両親しかなかった。その時、丹波市にいる両親から野菜を定期的に送ってもらっていたため、「自分たちが大人になった時にはお母さんが野菜を送ってくれるんだよね?」と子どもに聞かれ、その手もあるのかと思ったという。

 

子どもの言葉で、私はお金も何も残してあげるものがないって気づいたんです。残すどころか、早朝から夜まで暇なく働いて、これで人生終わるのかなって。

 

 

田舎暮らしは大変だから来なくていいと言っていた母も事情を話すと「丹波市に来てみたら」と言ってくれた。しかしそれでも、虫は嫌いで畑仕事をする自信もない。農家民宿を営んでいた両親の姿をみると自分にはできないと思い、二の足を踏んでいた。移住するなら畑をやるのが条件だと母に言われていたため、最後の最後まで踏ん切りがつかなかった。

 

自分も転勤族だったため、小学校3年生以降に転校すると、勉強の進み具合が異なり弊害になりやすいことを実感していました。なので、移住するなら長女が小学校3年生の夏休みあたりだとは思っていました。

 

最後の最後まで悩み、2017年の夏休み。美穂さんは丹波市に移住することを決めた。

 

 

移住後、食をキーワードに仕事広がる

 

 

夫も含む家族全員で丹波市に移住した美穂さん。最初は両親がやっている農業の手伝いをした。移住して半年たった頃夫が以前住んでいた場所に戻りたいと言ったが、子どもたちはすでに丹波市になじみ笑顔が戻ってきていたため、離婚することとなった。

 

子どもは馴染みすぎて、前からおったんちゃうって言われるくらいです。今では私より子どもの方が地域のことについて知っています。私は農業の手伝いで忙しかったため、最初はあまり知り合いが増えませんでしたが、離婚後、飲み友達ができたことがきっかけで、徐々に知り合いが増えていきました。今では知り合いだらけです。

 

 

農業は米作り、そして100種類以上の野菜と50種類ほどのハーブを育てているため、休む暇なく忙しい。知り合いを通じて行われた飲み会で出会ったレストランを経営している人に、お菓子作りのアドバイスをしたらベイクマネージャーになってほしいと頼まれ、2020年からはBBQ & Burger BPでも働くようになった。

 

BBQ & Burger BPでは2020年の4月から働き始め、パン作りを含め焼き菓子などを作っています。少し手伝うだけのつもりでしたが、ガッツリ入ってメニュー開発や衛生管理を行っています。

 

パンは本格的に学んだわけではないが、専門学校で部活動のようなものがあり、パンとお菓子を定期的に作っていたという美穂さん。今まで培ってきた知識と経験が、丹波市に来たことで広く活用できているという。また、ずっとやりたいと思っていたカフェの開業も進んでいた。

 

丹波市に移住する前からカフェを開きたいなと思っていたのですが、ずっと自信がなくて。お客さんに来てもらったとしても「なんかすみません」という気持ちになるなと思って、進められなかったんです。

 

そんな時、自信を付けさせてくれたのは母と丹波市で知り合った周りの友人たちだった。

 

 

自信をつけて「cafe&space tete」を開業!

 

 

昔から母からは「お店しぃや」と言われていたが、自信を持てずにいた美穂さん。母は「あそこにこんなんできたで。こんなんやったら作れるやろ。」と、美穂さんが自信を持てるようにずっと励ましてくれたという。丹波市に来てできた友人からも、いつやるんだ!と背中を押してもらっていたそんな時、一気にイメージが湧き出す出来事があった。

 

だんだんと気持ち的に準備が整ってきていたとき、ブルーベリーの苗を220本植えました。ブルーベリー研究会の会長さんから勧められて数ヶ月かけて苗を植え、摘み取り農園にするために3年間大事に育てました。その時、摘み取り体験をした人がブルーベリーアイスでも作れたらいいなと思って。それを思い始めたら、店は加工場にもできるし、農園の野菜を使ってキッシュを作ってワンプレートランチも出せるし…と、一気に構想が見えたんです。

 

こうして農家民宿の隣にあった納屋を改装し、2020年7月にcafe&space teteをオープンした。農業とレストランの仕事も行う中でカフェの営業をするため、月に1回のみ店を開けているという。

 

 

みわかれマルシェというマルシェでもお菓子メインで出店しています。好きな食材を育てながらのカフェの運営は楽しいですね。このバジルはこれと合わせたらおいしくなる…とメニューを思い浮かべながら行っています。

 

 

どんな形でも今が楽しい。それが一番大事

 

 

今後の目標はあるか尋ねてみたところ、どうしたいかはわからないけど今後も絶対楽しいと思う、と笑顔で答えてくれた。

 

今が楽しいので、今より楽しければどんな道でも良いです。周りの人も面白くていい人が多いし、仕事をしているというより遊んでいるという感覚です。よく、色々やってて休んでないですよね、って言われますけど、どれも楽しくやれているんです。

 

田舎暮らしに抵抗がありつつも、子どものことを優先にして移住を決断した美穂さんは、子ども優先にして本当によかったと話してくれた。

 

 

 

移住は丹波市じゃなきゃいけないってことはないと思うんです。丹波市にも嫌なところはある。人に合わせる人が多いので、そこは苦手に感じています。でも、そうじゃない人もいるし、私は基本的には人に合わせないようにしています。だってそっちの方が面白いから。

 

どんな移住でも自分が楽しいと思える環境を作り出す。そしてそれに共感できる人たちと共に過ごす。それが田舎暮らしを楽しむ秘訣かもしれない。

 

そんな美穂さんは今年、再婚されるそうだ。一つずつ真っ直ぐ向き合っていった結果、人生がどんどん楽しい方向に向かっている。美穂さんがこれから作り上げる食、そして彼女自身の人生がとても楽しみだ。

TURNWAVEでは2回目、移住者インタビュー冊子の表紙でお母さんと一緒に出て頂いた美穂さん。以前お話をさせて頂いた時からさらにカフェの開業、ブルーベリー農家としての一歩と、着実に丹波市での暮らしと仕事を確立していっておられます。お子さんのことを考えて孫ターン。本当に良かったと笑う姿は、実直な美穂さんだからこそ引き寄せた結果のようにも映ります。移住を検討されている方は美穂さんの素敵なお店に一度足を運んでみてはいかがでしょうか。