パンからはじめる 三澤流・店とまちづくり 市島製パン研究所
三澤 孝夫さん
市島製パン研究所。丹波市の中でもアクセスが良 いとは決して言えないですが、有機農業のまちと して知られる市島地域に I ターンしてパン屋を開 いた三澤さんは、ハンバーガーファンの中で全国 的に有名な「エスケール」というお店を経営するオーナーでした。自家製パンにハンバーガー、独 特なスタイルのお店は年間1億円近くを売り上げる程の超人気店。そんな人気のお店「エスケール」 を譲渡し、丹波市で市島製パン研究所を立ち上げた理由とは・・?
経営をするんだ。大学を卒業し職人の世界へ
三澤さんは大学では経営学を学び、卒業後すぐにパンの職人の世界に入りました。三澤さんが大学を卒業する頃、 大卒はサラリーマンになるのが当たり前、職人は中卒や高卒がなるのが当たり前、という時代だったそうです。
〝約30年以上前、当時大学卒業してパン職人って珍しかったん ですよ。職人っていうのは技を覚えればいい、学歴は一切関係ないから、 22歳でスタートした僕なんかより 、15歳から勤めてる20歳の子の方がベテラン。昔は手取り足取り仕事を教えてくれたわけでもないから、 仕事の指示も貰えず、ほっとかれましたね(笑)〞
職人の世界に入って技術を磨いた三澤さん。その中でも「自分は経営をするんだ」と強い意志を持って勤めていたパンの会社の新店オープンを覗きにいったりしながら修行時代を過ごしました。
お金より、人間関係が大事だった
〝独立した時に何が必要か、お金じゃなくて人間関係が必要。例えば1000万円必要だったとしたら、貯めるために人付き合いしなくなるでしょ?でも僕はみんなに助けてもらわないといけなくなると思って、人付き合いをしてた。〞
〝例えば、勤めてる会社で新店を オープンするのに関わって、そこで業者に偉そうにするのは簡単、人間偉そうにできたら気持ちええやろうけど。僕はそれをしなかった。人間関係をつくって、例え相手が失敗しても「ええで」って。そしたら好意的にみんなが覚えてくれてる。実際僕が店を立ち上げる時、本当にみんなめっちゃ 助けてくれた。機材を持っておいてくれて、開業の時にゆずってくれたりとかね。〞
強い意志で自分の事業を起こし、そしてエスケールを繁盛店へ導き、周りから見るととても順風満帆に見える三澤さんのこれまでですが、その中には様々な経験があったようです。
〝ビジネスをすると失敗って必ずある。でも失敗からしか人間成長しないよね。エスケールを始めた 25年前の当時、僕は事業のトータルプランのイメージができてなかった。〞
〝パン屋っていうのは日商5万の壁があって。でも、それを超えるとまた6万 、7万 、どんどん進んで 10万売りたくなる。そうすると設備投資したり人を雇ったりして、家賃や人件費の固定費もどんどん上がっ てしまう。それが止められなくなって。〞
〝僕は職人としてたくさんの人に自分の作ったパンを食べて欲しい、という欲が あるわけ。そのためにどうしようと考えて店をどんどん大きくしていったら、人のことや経営のことを考えるばっかりになって、職人の仕事をしなくなって。その時に、振り返って「はっ」と気づくわけ。「あららやってしもた」って(笑)〞
順風満帆にお店を拡大しているように他人からは見え、実際に事業として成功を収めた三澤さんですが、パンを焼きたい、自分は職人タイプだったということを、その時気づいたそうです。
〝そういうのって、過ぎ去ってから気づく。失敗っていうのは「結果」失敗なのであっ て、最初から失敗するぞなんて誰も思ってない。けど、気づいた時にはもう遅い(笑)〞
そして、三澤さんは順調に売り上げ を伸ばしていたエスケールを手放し、 市島製パン研究所を開くことになります。
気に入った風景の見える古民家を買い、そこに住みながらパンを焼き営業しています。基本的に奥さんと二人で 運営するため、コストがほとんどかかりません。そのコストを、本来かけられない原材料にしっかりとかける。市島地域の自然栽培で育てられた作物を使ったメニューを、お客さんは「美味しい」とわかってくれるそう。
〝固定費を下げてその分いいものを使 う。こんな風にアクセスが悪くて、営業時間も短いし、営業日も少ない店で、 お客さんにとって行きにくい不利な条 件ばっかりだけど、今の時代、来にくくなればなるほど、来ちゃうんですよ ね。誰かを紹介したくなる。〞
市島製パン研究所を立ち上げた三澤さんは、地元の人たちにも、丹波市の様々な人にも、役所の方にも「ありが とう」という言葉を何度もかけても らったそうです。「お店やって感謝されることって今までなかったよ」と語りながら、丹波市内外の様々な方たちと連携しながら町に面白いしかけをし ていく三澤さんにこれからも注目です。