移住者インタビュー

Vol.92 / 2022.11.14

丹波市でウェディングを。Uターンでウェディングプロデュース事業を設立

米田有為子さん

2017年から丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で丹波市の関係人口として毎年移住者のインタビューに来てくれる、東京在住のライターFujico氏。コロナ禍で2年の期間が空きましたが、感染状況が落ち着いたタイミングで再び丹波市に来てくれました。
普段、東京に住んでいる彼女の目には、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しく見ていただければと思います。

※この記事は、2022年5月後半に行ったインタビューです。東京から丹波市に来る際にFujico氏には新型コロナウイルス感染の可能性がないかチェック頂き、十分な感染予防実施の上移動とインタビューを行って頂きました。撮影時のみ、マスクを外して頂いている写真もございます。

ホテルやゲストハウスなどの式場でのウェディングが中心となったこの30年間で、地方に住む人も都会に出て結婚式を行うようになった。地方ならではの結婚式を行う人は年々減り、もうその土地ならではの形を知る人も少ないかもしれない。しかし近年、アウトドアウェディングの流行や新型コロナウィルス感染症の感染拡大などがあり、結婚式の形自体が変化している。

丹波市内の高校を卒業し、観光系の専門学校に進学。卒業後はウェディングプランナーとして活躍をしていた米田有為子さんは、丹波市にUターンをしてウェディングプロデュース事業を立ち上げた。結婚式会場がなく、結婚式を丹波市で行う人が少ない中、米田さんはどのような形で事業を進めたのか。丹波市で起業をすること、そして学生時代とUターンをしてからの丹波市での暮らしの違いなどをお伺いした。

 

 

丹波市から早く出たい!専門学校を経て三重のホテルで就職

 

 

生まれと育ちは兵庫県芦屋市の米田さん。中学2年生の時に、両親の実家だった丹波市に引っ越した。田舎暮らしに憧れがあったわけでは全くなく、むしろ中学生という多感な時期の転校ということもあり、丹波市には来たくなかったそうだ。

 

 

高校卒業まで丹波市で過ごしました。当時、やりたいことを探していたところ、家族で旅行に行った思い出がとても印象深かったため、ホテルマンになるのもいいかもと思い、大阪にある観光系の専門学校に進学しました。また、当時は丹波市を出たくて出たくて仕方がなかったということもありましたね(笑)

 

ホテル業界の分野に特化した学科に進んだ米田さん。この時点では、丹波市に戻ってくることはもうないと思っていた。専門学校を卒業した米田さんは無事、念願のホテルに就職。三重県にあるリゾートホテルに勤めることになった。最初の2年間は、ホテル内のレストランやウェディングの婚礼が入った際の宴会サービスで働いた。

 

レストラン部門でサービスをしたいと思っていたので、希望通りでした。しかし3年目でウェディング部門に異動の辞令が出てしまって。最初はブライダル事業に興味を持っていなかったため、できるかな、という印象でした。

 

 

 

ブライダル事業に異動しウェディングプランナーとして働き始めた米田さん。ウェディングは失敗が許されず毎回緊張感があったため、ただただ辛かったという。専門学校を卒業しここまで来たんだ、という思いでどうにか気持ちを保ったが、このままずっとブライダル事業から異動がなかった場合は、退職したいとさえ思っていた。

 

 

ウェディングプランナーの大変さと喜びを感じる

 

 

ウェディングプランナーという仕事にも少しずつ慣れて余裕が出てくると、お客様である新郎新婦との関係性が徐々に変わり始めたという。

 

最初はミスを怖がっていて全く楽しめなかったのですが、慣れてくるとお客様との会話や、一緒に結婚式を作り上げることの楽しさを感じるようになりました。新郎新婦の二人が育ってきたご家庭の背景、今の生活、取り巻く環境など深い話もするので、人生の大事なポイントに結婚式があって、そこで関わらせていただくということが、とても感慨深いもののように感じ始めたんです。

 

 

また自分が思っている以上に、お客様が米田さんを信頼してくれていたことも、この仕事を頑張ろうと思わせるきっかけだった。結婚式が終わった後でも、子どもができた、家を建てるなど人生の節目ごとに報告をしてくれるお客様も徐々に増えた。ただのウェディングプランナーとお客様の関係ではなく、一人の人間として付き合いたいと思ってくれる人たちがいたことが励みになったという。また、このような繋がりができるのはブライダル事業だからこそだと気づき始めた。

 

 

親の死に目に会えず自分の生き方を考え、丹波市へUターン

 

 

こうしてウェディングプランナーとして走り続けた米田さん。しかしハードワークが続き、30歳を超えたあたりから、このスタイルでずっと仕事を続けることに疑問を感じていた。

 

ウェディングプランナーは一見華やかに見えますが、ほとんどが裏方業務で体力が必要です。そのため、体力や精神が保たずに退職してしまう人や、結婚して退職する人などもとても多い。毎回精神的にもプレッシャーを感じて、休む間もなく新しいお客様の対応をし…。また管理職になり他部門も兼任していたこともあり、休暇が取れない日々が続いていたため、これでいいのかなと考え始めました。

 

 

少し休もうかな、と考え始めた時、米田さんの気持ちを後押しする出来事が起こった。父親が亡くなったのだ。三重県で仕事をしていて現場を離れられなかった米田さんは、なかなか帰ることもできず死に目にも会えなかったという。その時は仕方がないと自分に言い聞かせていたが、段々と地元か関西に戻ろうかなという気持ちが芽生えてきた。

 

とりあえず先のことは決めずに、会社を退職することにしました。あれだけ学生の時は嫌いだった丹波市でしたが、ちょっと地元で過ごそうかなという気持ちになってきて、一旦丹波市に戻ることにしました。

 

 

2020年、こうして仕事を退職し丹波市に戻った米田さん。ウェディングの仕事をずっと続けていた彼女は、ウェディング以外に何ができるかと考えたが、なかなか思いつかなかった。

 

一度は丹波市でウェディングに関わりたいな、と思っていたんです。丹波市のウェディング事情を友達に聞いてみると、丹波市出身同士の結婚でも、京都や大阪、神戸に出て結婚式を行うことが多いと気づきました。調べてみると丹波市には結婚式場がなく、何かできるのではないかと思いました。

 

 

ブライダル事業の立ち上げを目指し、一歩外へ

 

 

丹波市にいる友人たちが背中を押してくれたこともあり、米田さんは2020年に、友達から紹介され出会ったBBQ&Burger BPを運営する株式会社FTPとTSUMUGU Weddingを設立した。丹波市のブライダル業界はブルーオーシャンだったこと。またUターン直後に新型コロナウィルス感染症が感染拡大したことにより、人々が遠方にいけない状態になったことから、人々の目が地元に戻ってきたことが、設立への後押しになった。

 

この事業によってご夫婦の思いや、その周りの人の思いを繋ぐことができればと思い、事業名をTSUMUGU(紡ぐ)にしました。TSUMUGU Weddingでは、お客様にとって本当に必要なものを汲み取り準備していくことを大切にしたウェディングを提供しています。

 

 

また、学生の頃に丹波市を離れてしまい丹波市での人との繋がりはごくわずかだった米田さんが、カメラマンやアートコーディネーターなど、ウェディングを作り上げる人材とどんどん繋がっていったのは、丹波市だからだった。そのため、このウェディングプロデュース事業は、人々が繋がっていったからこそ出来上がった事業でもあるという。

 

 

人脈ゼロの状態だったので人が集まるイベントに参加してみたところ、出会った人々がどんどん人を紹介してくれたんです。丹波市の人は色々なことを惜しみなく教えてくれる。もともと積極的なタイプではなかったのですが、一歩踏み出したことで、丹波市の人々とのご縁に巡り会えました。

 

 

こうしてTSUMUGU Weddingは徐々に形になり、チームとして出来上がっていった。

 

 

丹波市だからこそできるウェディング。婚活事業もスタート

 

 

TSUMUGU Weddingでは、写真撮影から食事会、結婚式まで幅広く対応している。また、丹波市の自然や文化を活かした婚活事業も手がけているそうだ。

 

アウトドアウェディングや、レストランや料亭を活用したレストランウェディングなどが人気です。人数や希望に合わせてお客様に合う結婚式を提案しています。その中でも、『自宅婚』は地方ならではではないでしょうか。小さい頃には見ましたが、今はほとんどやっているところはないかもしれません。丹波市でブライダル事業をやるなら、自宅婚は絶対にやりたいなと思っていました

 

 

 

昔は自宅で花嫁が家族に見守られながら花嫁支度をし、花婿の自宅へと向かい、両親、祖父母、また近所の人々が見守りながら嫁ぎに行くというスタイルが昔は一般的だった。新型コロナウィルス感染症の感染拡大により、人々が家から出にくい環境ながらも、近い人に披露したいという気持ちを叶えるには、自宅婚がぴったりだった。

 

一番見てほしい人に見てもらうための結婚式に、自宅婚はとても適していると思っています。対応させていただいたご夫婦の新郎のお父様がご病気であり、家から出るのも厳しい状態でしたが、どうにか晴れ姿を見せられないかというご依頼がありました。そこで自宅で支度をし、感謝の挨拶を済ませ、写真を撮影して近所の神社で式を挙げることを提案したところ、とても喜んでくださって。お父様も辛いながら頑張ってご参加くださいました。また、実は新郎の両親も自宅婚を挙げたそうで、そんな偶然にも喜んでくれましたね。

 

写真映えする結婚式も素敵だが、本当に心から大事な人を祝う、大事な人へ感謝を伝える結婚式が、本来の結婚式だと考える米田さんは、そんな思いを凝縮しているのが自宅婚だと考える。そして感染拡大をきっかけに、感謝の思いを伝える結婚式をしたいと思う人が増えていると実感しているそうだ。

 

 

 

また、TSUMUGU Weddingでは、まきんこの森を運営する遊森と実行委員会を立ち上げ、婚活事業・こんかつ in TAMBAも始めました。これは、出会いを求めているけど出会いの場所がない。移住したいけど理由がほしいという声が多かったため主催しています。やるなら普通の婚活イベントではないものをやりたいと思い、丹波市の自然を活かした婚活をプロデュースしました。登山や寺での婚活などを行っています。

 

丹波市の魅力を知る機会にもなり、丹波市内だけでなく市外、県外からも参加者が増えているという。毎回カップルも誕生しているそうなので、こんかつ in TAMBAから生まれたカップルが、ゆくゆくは結婚式も丹波市で行われるかもしれない。

 

地方ウェディングの良さと難しさ

 

 

着々と丹波市でのブライダル事業を拡大しているように見えるが、実は地方でのブライダル事業は想像以上に難しいという。会場として利用させてもらう場所は、基本的に結婚式を開いたことがない場所が主になるため、当日運営できる人材が不足しているそうだ。

 

なるべく丹波市に関わる人々と一緒に作り上げたいのですが、人員不足や経験者不足で時には元同僚など市外からヘルプを頼んでいます。専門の式場ではないため、人をまとめるのがとても難しい。式場と同じものを求める必要はないにしろ、やはりウェディング独特の流れや方法があります。どこまで求めるか、どこまでやるかなども日々葛藤です。

 

 

例えば結婚式場だったら一分一秒狂ってはいけない、という思いがあるが、丹波市でやる場合はそこまでの緊張感はなかったりする。米田さん自身も「丹波市でのウェディングの在り方」を模索しているそうだ。

 

結婚式場では二人の思いを形にしてそれを伝えるのがプランナーの役目で、当日は会場を仕切るキャプテンがいます。しかしTSUMUGU Weddingではキャプテンがまだいないので、私が全てを統括します。結婚式場では、当日の結婚式に立ち会わずに新規のお客様の対応をすることがほとんどなので、丹波市では最後までお客様のケアができるのは嬉しいです。ただその分、仕事が増えることは事実なので大変ですね。

 

 

大変なことがありながらも、今ではブライダル事業を経験している丹波市在住の人や、準備当日の運営をサポートしてくれる仲間も増えた。少しずつでも、人々に喜ばれる丹波ならではのウェディングができるように形を作り上げているという。

 

長い目でみてウェディングに関わる人生の設計作りを

 

 

米田さんは長い目でみて、ブライダル事業に関わりたいという。例えば、現場での仕事は体力勝負なところもあるが、新規立ち上げ会場のプランナーへの相談やアドバイザー業務など、現場業務ではなくてもウェディングに関わる仕事はたくさんある。今も少しずつアドバイザー業務を始めていて、ブライダル業界を少しでも盛り上げられればと話してくれた。また、そのように思い始めたのも、丹波市でTSUMUGU Weddingを始めたことで、徐々に自分がやりたい方向がクリアになってきたからだそうだ。

 

今回、Uターンをして丹波市への見方はガラリと変わりました。人の良さや自然のよさは、都会に出たからこそ気づけたんだと思います。また、丹波市だったからこそ、このTSUMUGU Weddingが形になったと思います。都会には都会の良さ、丹波市には丹波市の良さがあるため、今後はその2つを組み合わせていけたらと思います。

 

 

 

外の力と中の力をうまく組み合わせて、新郎新婦にとって最高のウェディングに仕上げたい、そんな思いが米田さんから伝わってきた。

 

多くの人が丹波市への移住に興味がある中で、あと一押しが必要だったり一歩出る勇気が出ないという人も多く見かけます。生活をしていけるか、コミュニティが作れるかなど不安は尽きないと思いますが、丹波市は足を運べば何かしら出会いがある。出会った人が繋げてくれることもあります。その辺は安心して、ぜひ移住してみてもらいたいなと思います

 

 

 

人々のご縁を繋ぎ続ける米田さん。米田さん自身、繋がったご縁があったからこそ事業を始められることができた。だからこそ、人々のご縁を紡いでいきたいと感じたのではないだろうか。きっとこの記事にあなたが出会ったのも何かのご縁。ぜひこのご縁を米田さんのように紡いでみたら、もしかしたら何かに繋がるかもしれない。

編集部が米田さんとお会いしたのは新型コロナウイルスが流行する少し前でした。丹波エリアでウェディングプロデュースをしたいという意気込みがあって、とても優しい方だな、という印象だった米田さん。コロナ禍になっても着々と準備を重ね、できる範囲から事業を積み重ねる様子が本当に素晴らしく、今では独立したプランナーとして憧れられるような存在になっていると感じます。婚活の事業もはじめた米田さん、今後丹波市に益々幸せな人たちを生み出していくに違いありません。今後の活動にとても注目です。