移住者インタビュー

Vol.38 / 2018.03.10

6次産業を極め、安心できる食を丹波から人々に届ける

関美絵子さん

2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。

我々が口にする物はどこから来て、どんな方法で作られたのか。何に加工され、どういう形で自分の元に届いているのか。食に関し近年敏感になっているが、安心できる食事がどこなのかは、未だ疑問な部分もある。

東京で人生の半分を過ごし、食という分野に魅力を感じ5都道府県飛び回った後、縁もゆかりもない丹波に飛び込んだ関美絵子さん。「6次産業」をキーワードに丹波へと辿り着いた経緯と、丹波での暮らしについてインタビューした。

 

 

 

食を極めたいと思ったら、石垣島から関西に飛んでいた

 

 

 

私、根無し草なんです。

 

 

 

そう笑顔で話し始めた関さんは、東京で生まれ育ち、親の仕事や自分の仕事が理由で、丹波を含め6都道府県に住んだ経験があった。もともと東京では仕事でよくリサーチをしていて、食に関するリサーチが面白かったこともあり食関連の転職先を探していた。

 

 

 

兄が石垣島に住んでいて、面白いところだと聞き遊びに行きました。移住も考えハローワークに通いながら食に関する仕事先がないかと思っていたところ、神戸のオーガニック食品の宅配を行う会社を発見。次の瞬間には石垣島から神戸に飛んでましたね。

 

 

 

思い立ったら即行動という性格の持ち主なのか、東京、石垣島、神戸へと短期間で大移動をした関さん。そしてオーガニック食品の宅配を行う会社のバイヤーとして勤めることになった。

 

 

 

私が勤めていた神戸のオーガニック宅配会社では、美味しく新鮮で安全な食品を探し続けていました。その取引先の一つだったのが、今勤めている丹波の養鶏所です。

 

 

 

オーガニック食品で販売、加工という分野を経験した関さん。ちょうどその頃、農林水産省では6次産業ー農林漁業生産とその加工・販売の一体化、地域資源を活用した新たな産業の創出*1ーを勧め始めていた。このオーガニック食品の会社で働いている間も、丹波の養鶏所で6次産業化認定のための手伝いをしていた。こうして販売側と農家側、どちらの立場にも立ってみることで、農家で6次産業をやってみたいという気持ちがどんどん膨らんでいった。

 

 

 

 

災害から始まった丹波生活

 

 

 

 

オーガニック食品会社を退職し、その後1年間大阪にある八百屋での修行を終えた後、本格的に6次産業に関わろうと決心。取引先であった今の会社の社長に仕事をさせて欲しいと頼み、丹波に移住し芦田ポートリーという養鶏所で働くことになった関さん。晴れて希望通りに突き進んでいった矢先、移住して1ヶ月目で事件が起きた。2014年の丹波豪雨災害である。

 

 

 

これから力を入れて頑張ろうと気合を入れていた時、土砂災害に見舞われ、4千羽いた鶏が0羽になってしまいました。元の養鶏所が使えなくなってしまい、人々の助けや支援を得ながら農転し千羽鶏舎を再建させ、一刻も早い再開を目指しました。

 

 

 

移住して1ヶ月目で起こった災害。鶏の数も大幅に減ってしまい、出荷できる卵も減ってしまった。これから事業を盛り上げるには加工しかない。関さんは前からチャレンジしたいと思っていた加工を、この災害を機に本格的にやり始めた。

 

 

 

災害が起きる前は、加工した商品はイベントで売ったりはしていましたが、今では宅配会社のカタログに取り扱ってもらってます。育てた卵で作ったプリン、シフォンケーキ、卵ブリュレ、キャロットケーキを作り、販売しています。

 

 

 

 

 

また卵を産めなくなった鶏は、最後まで美味しく頂きます。近隣の農家の方が下さる野菜など、安心で栄養たっぷりの食事を与えて育ったので、身が引き締まっていてとてもおいしい。大切に育てたからこそ、大切に最後まで扱っていきたいですね。

 

 

 

このような想いからソーセージの加工も始めており、それらも人気を集めている。芦田ポートリーが大切に育てた一羽の鶏から卵、肉、そして様々な形の加工食品へと生まれ変わり、人々の手に届いているのだ。

 

 

 

 

 

最近ではだし巻き卵をイベントで出したりしています。惣菜製造業の許可も無事取り終え、カタログ販売などをすることができるので、今後が楽しみです。

 

 

 

丹波に移住し早3年。最初は事業計画を書くこともままならなかったが、今では加工、営業、経営戦略や販売戦略に踏み込んで行なっている。アイデアマンである養鶏所の社長のアイデアを実現化させるのが、今の関さんの大きな役目。丹波に移住したことで、スキルも上がり出来ることがどんどん増えていった、と笑顔から丹波での暮らしの楽しさが溢れていた。

 

 

 

 

 

 

丹波で広がる人の輪

 

 

 

丹波に移住してしばらくはシェアハウスに住み、最近丹波市の街中に暮らしを移した関さん。丹波での生活が楽しそうからと、親も移住してきたという。

 

 

 

丹波には面白い人がたくさんいます。何か楽しいこと、何か面白いことをしようという、良いエネルギーを持った人が集まっていて、そんな人たちと出会えるのはとても刺激的ですね。

 

 

 

都会だと人の数は多くても、出会いの場が見つけづらかったり、すでにグループ化されていて他業種の人と交流する場が少ないが、丹波は人が人を繋げてくれるので、タイプや業種に関わらず、どんどん輪が広がるという。

 

 

 

隣の人の家族構成まで知っているというくらい、人同士の距離が近いですが、田舎特有と言われる排他的なイメージはなく、むしろ移住者でも気さくに付き合える雰囲気があり、移住のしやすさを感じました。

 

 

 

場所によっては、その土地で生まれた人でないと受け入れてもらえないという所もあるが、丹波は違う。移住者も地元の人も一緒になって、丹波の町を盛り上げようという勢いがある。10年後20年後、この町をどうしていこうかと熱心に語り合い、町の人が交流しやすいイベントを立ち上げているところもあるそうだ。

 

 

 

 

地方で暮らしてみて、不自由なことなどあるか尋ねてみた。

 

 

 

色んなところに住みましたが、車が絶対必要な場所に住むのは初めてでした。あとは車社会がゆえに、飲み歩きがしにくいのは残念ですが、その代わり宅飲みが多くなり、色んな人と出会えるようになったので楽しいです。虫はいるので虫嫌いの人は慣れるまで住むのは難しいかもしれませんが、本当そのくらいしかありません。私自身虫にも慣れ、丹波はとても快適です。

 

 

 

地方に住んでいても、どの情報もインターネットによって得られるので、自分のライフスタイルを軸にして住まいを選ぶことができるようになったこの時代。

 

 

 

自分は根無し草だと思っていましたが、丹波で根が生えそうです。

 

 

 

そう笑顔で話してくれた関さん。色んな場所でさまざまなチャレンジを行い、丹波にたどり着いた関さんは、安全安心の食を丹波から日本全国に届けられるように、日々邁進していた。

 

 

地方に行ったら仕事がないのでは、と心配する人もいるかもしれない。しかし仕事はある、そして作ることもできる。自分の限界を決めず、どんどん突き進む関さんのように、開拓すれば開拓するほどチャンスはどんどん生まれる。それが地方の良さだ。大事なのは諦めないこと、そしてより良くより楽しい方向はどこかを目指すこと。ワクワクした未来を求め丹波にたどり着いた関さんのように、今後地方に移住を検討している人も、ぜひ自分の心のままに、進むべく道へ進んで欲しい。限界なんて、ないのだから。

 

*1http://www.maff.go.jp/j/shokusan/sanki/6jika.html より抜粋

 

丹波市の移住者のコミュニティの中で、よく名前を耳にする芦田ポートリーさん。イベントや美味しい加工品の素材として様々な方との関係性があるので、面白い芦田社長と、面白い右腕の関さんがいる会社。そんな印象で知られていたりします。自分のピンと来る仕事を探して様々な地域を見てきた関さんの様な方が「丹波に根をはる」という選択された事が、どれだけ「丹波市がいいところですよ」と言うより説得力があるなと感じました。美味しい卵の一ファンとしても、今後の芦田ポートリーさん・関さんの動きに注目です。