地球規模の課題解決の鍵は丹波にあり
地域おこし協力隊・中川ミミさん
2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。
美しい山々、どこまでも続く田んぼや100年〜200年以上その土地で丹波の移り変わりをみていた家屋。大阪や京都の中心地からわずか1時間30分で着く丹波市には、のどかで魅力的な風景が続き、多くの人々が自分らしく生きている。
筆者ことライターのFujicoは、東京から6名の移住者を取材しにこの地にやってきた。数年前、大阪の梅田で全く別の職についていた時に、東京の友人が「面白い人が店を丹波で始めた、行ってみないか。」と誘ってくれたのが、丹波に行く最初のきっかけだった。その後、何度も丹波には訪れていたが、友人以外で丹波市に住む人と話すのは特になかった。そんな中、今回その丹波に住む友人が、取材しに来ないかと声をかけてくれ今に至る。丹波への再訪問は、私自身とても心を踊らせていた。なぜなら、
「丹波にはなぜか、面白い人が集まる」
そう、友人に聞いていたからだ。
「面白い人なんて、東京は腐る程いるのではないか」
そう思われるかもしれない。確かに東京には、さまざまな土地からさまざまな人が集まっているので、「面白い人」はいる。しかし、人が多すぎてなかなか簡単には出会えなかったりもするのだ。何かのイベントに積極的に参加したり、「面白い人」がいそうな場に出没したりなど、事前準備と時間が意外と必要になる。それを乗り越えれば、さまざまな人に出会えるのが東京だと、私は思う。
しかし丹波は違う。例えそのような場を探さずとも「面白い人」に出会える確率が高いのだ。なぜか。それは、人と人が繋がっていて、人が人を繋げてくれているからだ。
今回もそんなご縁で繋げていただいた6人の移住者たち。丹波に来た目的も理想の過ごし方も、それぞれがまるで違う。
ここでは、私がこの取材で始めてインタビューさせてもらった、地域おこし協力隊の中川ミミさんの移住物語を話したいと思う。
国際協力の現場で働いてきたけど、根本的なことを解決しないと、問題は一生問題のままだと気づいた。だから、私は丹波に戻って来た。
貧しい人々に手を差し伸べたい、世界を舞台に働きたいと野望を抱きながら、15歳まで丹波で過ごした中川ミミさん。大学時代をアメリカ・サンフランシスコで過ごし、アメリカ人男性と結婚。東京に移住し、夢であった国際協力の舞台で活躍をする。住居を失った・または必要な人々をサポートするNGO団体に10年ほど勤めていたが、貧困問題の原因を究明し、その原因を解決しないと、この問題はいつまでもなくならないのではと気づき退職。自分の暮らしから見直すことが社会改革に繋がるのではと思い、地域おこし協力隊としてUターン移住をした。
丹波に来る前は、「外」ばかり見ていた
15歳まで丹波で育ち、2015年に丹波に戻ってきた中川さん。Uターン転職をする理由で30%以上を占めるのは「自分に合った生活スタイルや趣味を生かした生活がしたいから」*だそうだが、中川さんのUターンをした理由は壮大だった。
中川さんはもともと幼い頃から、生まれ故郷エチオピアと日本を行き来し、目の当たりにした貧富の差について違和感を持っていた。そのため自然に海外に興味を持ち、大学もカリフォルニアで進学。より外へ外へと向かっていた。大学卒業後、災害や紛争で住まいを失った人々をサポートしているNGO団体に就職。夢だった国際協力の世界に飛び込んだ。さまざまな国を訪れ、何万世帯という住居を作りながら地域開発に携わる中で「根本的に解決しないと、これからもずっと住居を作り続けなければならないのではないか」ということに気づく。「問題の起こっている現場だけではなく、それを作る要因となった根本を、見直さなければならないのでは」と。それに気づき始めた頃から、丹波に戻ることを思い始めたそうだ。
地方で、国際問題が起こる原因を追求
貧困問題の解決策は地方にあるのでは、と考え丹波に帰って来たという中川さん。どうして貧困問題の解決策が地方にあるのか、突き詰めてみた。
様々な問題が複雑に絡み合い貧困問題が生まれ、世界は(かつての私がそうだったのと同じように)目の前の問題の対応に追われている状態といっても過言ではありません。グローバル経済で繋がった私たちのような先進国の人々の暮らしと、その真逆の生活をする人々の暮らし。双方の繋がりの中で歪みが生まれ、貧富の差に発展する。この歪みを生みにくい、自然に近い暮らしを実践できるのが地方ではないかと思ったんです。
丹波市の主な産業の一つに、農業(米、野菜、大納言小豆、山の芋、丹波栗など)*2が入っている。産業としてやっているわけではなくても、土・水・天気という条件が良く、野菜や米を趣味で作っている人が丹波には多い。生活の出費を抑えつつも、生活を豊かにしている先人たちが多くいて、それゆえに、なるべく自分たちでできることは自分たちでする、というスタイルが取りやすい要素が、自然と丹波には備わっているという。
都会と丹波の暮らしの違い
Uターンとして移住してきたが、中川さんが丹波にいたのは15歳まで。10代後半から10年以上、サンフランシスコや東京など都会で過ごした中川さんにとって、都市と丹波の暮らしの違いで感じるところはどこかと尋ねてみた。
都市ではイベントなどが多く行われ、美術館があったり、手軽に面白いものが手に入ったり観れたりする。そういう楽しみ方ができるのが都会ならではだと思います。地方ではそういう手軽さはないけど、自分らしく人生を色付ける余白が残されている。自分の信念を曲げずにどう生きるか。最低限やるべきことをやり、あとは自分らしく人生を創造できる。そこが地方の面白いところだと思います。
また、移住した後から思ったんですが、地方での暮らしはライフスタイルと仕事が混ざり合っていて、それがとても心地がいい。人が繋がり地域が繋がり、それが仕事になっていく。そしてそれをサポート・応援してくれる人々がいる。自分が思い描いた生活を、妥協せず言い訳せず、夢中になりながら暮らすことができています。また、地方の中でも特に丹波は自分にとって子育てがしやすく、子どもに体験させてあげたい暮らしがここにはあったので、改めて移住を決めてよかったと、私は思っています。
もちろんどの土地も昔からのルールや暮らし方はあり、好き勝手できるわけではない。地域の集まりなどもあり、もはや地方の方がスローライフでないのでは、と思うことも。しかしその中でも周りに振り回され過ぎず、自分の信念を貫ける。そしてそれを許してくれ、サポートしてくれる周りの人々がいる。そこが丹波の魅力だと中川さんは言う。
地域おこし協力隊としての仕事
中川さんのUターンするきっかけの一つに、地域おこし協力隊の求人が出たことがあった。今、中川さんは地域おこし協力隊として、丹波市役所の住まいづくり課と協働で、空き家を活用した移住促進に携わっている。空き家と移住希望者のマッチングをすることはもちろんのこと、移住者に来てもらうだけではなく、空き家を利用したまちづくりも行なっていく。どのように丹波市を盛り上げていくか、それが今の中川さんのミッションだ。地域おこし協力隊としては3年の任期で、中川さんの残す任期はあと1年。しかし彼女にとってこの協力隊は、丹波暮らしの始まりに過ぎない。自分がここでイキイキと暮らすことが、周りに良い影響になっていけばと、満面の笑みで話してくれた。
「移住」を検討している人に向けて
中川さんに移住を検討している人に向けてアドバイスをお願いしたところ、以下のように話してくれた。
一生ここにいなければならない、と気負いせず、とりあえず気になる場所に訪れてみて、少し住んでみる。って言うのもありだと思います。大事なのは一歩踏み入れてみること。そこからわかることもあると思います。
丹波は夢を応援してくれる人が多い。新しいライフスタイルを作り上げたいということに対し、サポートしてくれる人が多くいます。私たち地域おこし協力隊も、そんな人たちの応援・サポートをどんどん行なっていきたいと思います。
筆者も以前北米で働いていた経験を持つが、さまざまな問題が地方にあるということには、目から鱗だった。何か大きな変革をもたらすには、大きな場所にいるのが一般的な考えかと思うが、中川さんは違う。「自分」というモデルが、どんどん良い波紋を生み、良い影響をもたらせればと考えている。「変えるならまず自分から。」基本的なことであるが、誰もが見落としている部分を中川さんは見落とさず、ぶれず、信念を持って前に進んでいる。そうすることで、「幸せサイクル」が作られ、きっと数年後、数十年後には、地域もしくは世界に、この幸せサイクルが届いているのかもしれない。
*マイナビ転職「Uターンに関する実態調査」2015年11月調べ
https://tenshoku.mynavi.jp/ui_turn/rank/01/
*2 公益財団法人 兵庫県市町村振興協会調べ
「地球規模の課題解決の鍵は丹波にあり」。この言葉を見たときに「おっ」と地方にいる身としてを続きを読みたいなと感じさせられました。中川さんにとっては丹波への移住は「攻め」の移住。国際問題の解決への鍵は日本の地方にある。そう思って様々な地方を見比べたとき、自分に縁があり、また様々なプレイヤーが活躍する丹波という地域がとても魅力的に映ったそう。「丹波が自分にとって一番条件がそろっている」そう話してくれた中川さんは、まだ実践中ではあるが、日本の地方から国際問題の解決を見据えた動きに関しては確信を持って取り組まれている。「Fujico」氏の記事で編集部も改めて中川さんの考えを知ることができた。今後の中川さんの動きに注目だ。