奈良から丹波市へ、福祉の仕事から木工作家へ。人を大事にし続ける夫婦
日高智貴・圭さん
こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。
今回お話を伺った日高ご夫婦は、コロナ禍をきっかけに丹波市へ移住されました。その決断に至るまで仕事のこと、祖母の介護のこと、様々な出来事にぶつかる中での葛藤がありました。そして移住されてどうなったのか、詳しくインタビューしてきました。
同じ福祉施設で働き、そして結婚。都市部での生活
移住される前はどのような生活をされてましたか?
(智貴さん)
介護施設を沢山運営してる会社で働いてました。妻とは会社が一緒だったんですけど一緒に働いたことはなくて。出会いは2013年の慰安旅行でしたね。他部署と交流できる場というか、参加者募ってみたいな。その後、2017年に結婚して、最初は西宮市に住んでました。僕の出身は大阪の大東市生まれで、親が離婚したのもあって小学校の終わりから母方の宮城県へ行って、高校は気仙沼市で。卒業してから母が亡くなって、親父が大阪におったから大阪に帰ってきた感じです。
大阪に帰ったあと、最初は学校の先生になりたいなと思っていたので通信制の佛教大学へ行って。教育実習までやってたんですけど、当時バイトしてたピザ屋で、『ピザの先生なれへんか?』って言われて。要は正社員なんですけど。『それおもろいな!』ってなって就職しました(笑)
ピザの先生(笑)それからどういう流れで福祉に?
(智貴さん)
そのピザ屋が不景気になって他社の資本が入ってきた頃、僕は教育部門の担当だったんですが、「サービスより売上だ」みたいなこと言い始めたので、反発して辞めたんですよ。転職する時、たまたま介護ヘルパーの資格を取りにいったんですよ。ピザ屋の時は、ピザを買ってもらうためにサービスしてたんですよね。福祉は、その人のことを思ってサービスしたらお金がもらえる。「売らなくていい」というのが目からウロコで。それにはまって結果20年程続けてました。
なるほど。奥さんはどうですか?
(圭さん)
私は奈良市の出身で、大学卒業まで奈良にいました。大学では福祉系の学科に入ったので、介護か児童福祉かに分かれていて、最初は児童福祉に進もうと思って実習もしてたんですけど、実習して意外と、自分は子どもが苦手やと分かって。普通の保育園とかではなく、深刻な課題を抱えている分野やったので、難しいなと。それで、就活の時には外食とかサービス業も興味があって見てたんですが、就活生の雰囲気がやはり福祉関係を目指す人たちの方が友人らと近い感覚やったのもあって、民間の高齢者福祉系に就職しました。11年程。年輩の方との関わりは昔から好きで得意やったりしたので。結婚した時は西宮市の施設でケアマネージャーしていました。
目まぐるしく状況が変わるコロナ禍での移住、祖母の介護
移住のきっかけは何だったんでしょう?
(圭さん)
コロナですね。現場はもちろん大変なんですけど、色んな施設をもっている関係で管理職が大変で。一つの施設がうまくいっても他の施設がコロナで傾いてクラスターになったり。現場の私より主人の方が大変でした。朝3時に家を出て、夜10時に帰宅、休みなしみたいな感じで。
(智貴さん)
コロナにかかったら休めたんですけどね。一切、かからなかったんですよね僕ら。
(圭さん)
その頃、私はケアマネージャーとして何年か経ってそれなりに色々経験できたと感じていたことと、母方の祖母が奈良で一人暮らししてたんですが介護が必要になってきて母が大変そうだったこと、それと家を奈良で建てたいなと計画してた時期が重なって。それで祖母の介護メインで、主人は仕事を継続しつつ、祖母の家をリノベーションして引っ越すことになったんです。その時、2020年で私は仕事をやめました。
(智貴さん)
同居して面倒見ながら、僕も手伝うよみたいな話で引っ越して奈良で過ごしたんですけど、まあ妻もプロなんで、(祖母が)みるみる元気になっていって、最終的に『そんな介護していらん!』みたいになってきて(笑)
そんなことあるんですね!(笑)
(圭さん)
今も元気にしています(笑)
寝たきりやったんで、自立できるように促してたら見事自立できちゃって。祖母も90歳になって、祖母からすると環境が色々変わったこともあって、『出てってほしい』みたいな感じになって。
(智貴さん)
ちょっと窮屈になってきたなぐらいの(笑)
(圭さん)
それで半年間は介護生活をしてたんですが、ある日私が謎の偏頭痛でぶっ倒れて、入院することになったんですよ。それも結局色々検査したんですけど、原因がわからずで。とりあえず、コロナで仕事をやめていきなり専業主婦になって、西宮市の友達にも会えないし、携帯触る時間がすごく増えたりとか、生活習慣があかん、環境を変えようってことになって。またそこで引っ越すんですね、奈良の祖母の家の近くに。
なるほど。状況が色々変わっていったんですね。
(圭さん)
主人はタフでそれでもうまいこと仕事も祖母ともやってたんですけど、家族会議が行われて。「もうちょっと距離をおこう」と決まって。
(智貴さん)
それと倒れた原因が僕の仕事のせいでもあるから、僕が思い切って仕事をやめる事になって。辞めるって決めてから、この先どうするかなって。でも家も欲しいし。仕事してへんくせに。
(圭さん)
第一に「家の環境を整えたい」ってことに二人とも重きを置いてたので、新築とかローンを組むとかは難しいやろうということで、YouTubeで古民家を探し始めたんですよね。その時主人は年齢が49歳で、50歳になるまでに決めようと。
(智貴さん)
僕がDIY好きやったんで、「自分でやれたらええなあ」っていう妄想だけがあったんですよね。ある日具体的に『古民家狙ってみる?』って話になって、ネットで色々空き家バンクとか探して。色々見た中でここに出会って、移住したのが2022年4月ですね。物件見てたら地方に行けば行くほど、物件の状態がいいのに値段が安いと条件に合うものが出てきて。『もう移住でいこうぜ!』みたいな感じになってましたね。
丹波市以外は見てなかったんですか?
(圭さん)
最初は関西圏で見てましたね。西宮市に住んでる時には丹波市と丹波篠山市の違いをよくわかってなかったので、何回か丹波篠山市の丹波焼を見に連れていってもらったことがあって、『丹波っていいとこやな』っていうのが漠然とあったり。テレビの住人十色とかでも結構丹波への移住の話があったり。それでなんとなく、周辺の地域の中で丹波がいいなというインスピレーションがありましたね。でも、直接的には全くゆかりはなかったんですけど。
(智貴さん)
この家は、僕らの前に「3組内覧の予定がある」っていう話やったんで、諦めてたんですよ。でも順番来たってメールもらって。回ってきて嬉しい反面、回ってくるということはあかんとこあるんかなとも思ったり。実際見たら結構な状態でした。でも、ワクワクしかなかったんですよね。モチベーション高かったんで。その前に見た他の物件の方がひどかったからよく見えたのもありましたね。内覧の時にレーザーの水平器を持っていってたので不動産屋さんに笑われましたけどね。『内覧でそんな傾き具合調べる人初めて見た』って(笑)
どんだけ本格的なDIYしてたんですか(笑)
(智貴さん)
古民家買うとなれば、あれもこれもいるで道具は揃えてたんです。知識はほぼ本と、YouTubeと。マンションの台所とか、規定サイズが合わなくて、キッチン台とか、テレビ台とか作ってて。ちなみに料理もずっと僕です(笑)作るの好きなんですよ。でもマンションは音や木くずと問題が色々あって。それを気にしてお風呂場でDIYする生活をずっとやってたから、『古民家やったらこれもできちゃうぞ』ってなって。
丹波市はまあ、音には寛容ですよね。
(智貴さん)
ここでも音うるさいかなと思って近所の人に聞くんですけど、『締めたらわからん。うるさかったらいうから大丈夫や』と言われて(笑)草刈機の音の方がうるさいんでね。
(圭さん)
内覧の時には、近い将来お店をすることや、音が出そうなこと、人が出入りしそうなことを相談員さんにお伝えして、近所に確認してもらったりして。いい人ばかりでほんと助かりました。家は自分たちで決めても、地域の人が受け入れてくださるかどうかは分からないので。
(智貴さん)
引っ越すまでに住める場所をつくらないといけないというので、なんとか離れの一室を仕上げて。そこに住めるようになってから急にリノベのペースがぐっと上がって『暮らせるやんけ!』ってなって。その後木工をはじめたら、木工の方が時間を取るようになって、ペースは落ちましたけどね。
仕事を変える決断。「お金よりも、人と仕事をしよう」
福祉からガラッと仕事を変えた訳ですが、YouTubeや木工はどういう流れからはじまったんですか?
(智貴さん)
YouTubeは、実は妻の親向けなんです。奈良に住んでた時、すぐ近くに妻の両親が住んでたんですよ。僕らが移住すると言い出したから、とても寂しそうだったので。それで、丹波市で何をどうしてるかっていうのをいつも見てもらえるようにしようって始めました。
(圭さん)
あと、せっかく自分たちでやるならbefore⇒afterを備忘録で残したいなというのもありましたね。
少し拝見しましたが、統一された世界観がもはやプロっぽいですよね。元々されてたんですか?
(圭さん)
元々、父の影響もあって中学校くらいからカメラが好きで、友達からも教えてもらったりしてましたね。中でも物撮りが好きで、社会人になってからも休みの日に写真の為のインテリアをこだわってそろえたりしてました。3年程前に、友達が『これからは写真よりVlog、ショート動画だぞ』と聞かされてから、Instagramに載せる用の動画に切り替えてみるところから始めました。
(智貴さん)
あと木工は、妻がほしいものを作るっていうのがスタートですね。以前から木の雑貨を結構妻が買いよるんですよ。それがまあまあの値段で。で、『人が作ったものなら、俺も人やし作れるんちゃうか』と。移住したら音気にせず道具使えるし、それなら作ってみようかなっていうことでやってみたら、なんとなくそれっぽいのが出来てしまって。
おお、初っ端から?すごいですね!
(智貴さん)
妻は料理もそうなんですけど、何かを作るっていうのがとても苦手な人で。ただ、すごい発信とか映像撮ってとかができる。でも僕は、作るのはできるけどその発信力がないから、僕だけでも売れない、妻だけでも売れない。なのでいいバランスでたまたまできたって感じですね。
同じものを同じように作れるのって、DIYのレベルを超えてる気がします。
(智貴さん)
一個つくるのはすごい楽しいんですよ。自由に作れるんで。ただそれを今度商品にして同じように作ろうと思うと採寸したり、ちょっと狂ったからこれ没とか。そういうのが出るので、仕事になると責任が付いてくるんで大変ですね。こっち来てから近くに製材所があって、『これ使ってみて』って適切な木材を頂いたりとか。それでちょっとずつわかってきた感じで。まずここにこないと無理でしたね。今買わせてもらってる木材とか、街中では10倍くらい高かったんで、とても仕事にはできなかったかなと。
なるほど。すごい身近な物事がきっかけだったんですね。
(智貴さん)
前の仕事の時から「お金よりも、人と仕事をしようね」っていうのを大事にしてたので、木工で最初のコラボの話が出た時も、相手は新潟の作家さんだったんですが、新潟まで会いにいきましたね。直接会って、どういう人か、感性が合うかどうかで決めるようにしてます。かっこよく言いつつも全然儲かってないんですけど、人と仕事をさせてもらえて、楽しいしやりがいがある。今度は、「使う人のことを考えて作って、責任のあるものを売り、その人が喜ぶのをみたい」っていうのが今の仕事なので、続けていきたいなと思っています。
暮らし続けていく為の心構え
丹波市での生活はどうですか?
(圭さん)
丹波市に移住してきた人って結構、丹波市在住だということをSNSで名乗っている人が多いから繋がりやすくて。私もそうしているので、移住者の人から教えてもらって一緒にバスケするようになったり。そういうのはあまりよその地域では聞かない事かなと。私ペーパードライバーで、自分からはあまり外出しないんですよ。だから皆迎えにきてくれたり、この家が集合場所になっていたりしますね。これまで色んな人が友達を連れてきてくれたり、繋いでくれて、沢山知り合いができました。
(智貴さん)
この1年間はとにかくBBQの数が半端なくて。とりあえずここにきたら皆BBQで。何十回とBBQしてましたね(笑)
あるあるですね(笑)
(圭さん)
たまに我が家で友達がテント張ってキャンプしたりもします(笑)都会の人には刺激がありますよね。元の職場の人もきてくれるし、それを地域の人も微笑ましく見てくださってるのも有難いです。
地域の人ともうまくお付き合いされてるんですね。
(圭さん)
私たちはここにずっと住むつもりでいるので、「今だけやと思われたくない」っていう気持ちもあって。『頑張ってるね』って言われると余計に。家にいることが多いので、自治会の行事に参加できることも多いから、頑張ってるように見えるんでしょうね。なんか変えよう、変えてやろうとか微塵も思ってないし。あとは田舎って言われる場所に幻想を抱いてもきてないし、昔から住んでる人はここが日常やし。それをいいなと思う気持ちでいたいという気持ちが強いです。
(智貴さん)
妻はすごい好かれてて、野菜とかよくもらうんですけど、『これあげる、旦那に料理してもらって』と料理せえへんことまで分かってくれてるんですよ(笑)
完璧じゃないですか(笑)
(圭さん)
ここの集落はとても小さくて、今の自治会長が20年前に近くの集落から来たのが初めてのIターンって聞いたくらい。重宝してもらっている感覚がありますね。
(智貴さん)
あと、飼い犬の利休のおかげで散歩しやすいですね。不審者と思われずに済んでます(笑)畑してる人とか同じように犬の散歩してる人と顔見知りになったりとか。利休に会いに子どもも遊びにきたりとか。集うところがないからって、我が家で宿題してたり。
(圭さん)
こっちからいつでも寄れるところだとは掲げてないんですけど、自然とそうなってますね。配達の人も、都会にいた頃とは違ってフレンドリーな人多いし。「人間関係の理想がすぐここにあるんだ」って感じてます。
(智貴さん)
僕は消防団にも入ったんですが、入っただけで皆喜んでくれましたね。若い人いなくて、どうしてもあと一人いるというので、『僕いけるしいいよ』って。最年長の新入団員で、僕が一番隊長感あるように見えますけど(笑)隣の集落の人らと接する機会もできましたし、よかったかなと思ってます。
最後に今後の展望をお願いします。
(智貴さん)
家のことに関しては母屋の半分をギャラリーにしようかと思ってますが、もう時間をかけてゆっくりやっていこうかなと。ここが目的地になって、色んなところから人がきてくれたら知ってもらえるし、「丹波ええとこやな」と思ってもらえたら嬉しいですね。地域のことはあまり頑張り過ぎずで、気持ちとしては今家に来てくれてる子どもらが大人になったあと、「帰ってきたいな」って思えるとこになりたいなと。「あそこに帰りたくない」みたいなところに住みたくないから。気軽に話せるおじさん、おばさんがいる場所になりたいですね。
(圭さん)
仕事はもっと極めていきたいですね。「森の、おこぼれ」という屋号で仕事を始めて、まだ間もないですが、置いてもらいたいお店に商品を置いてもらえるように。あとはギャラリーが完成して、家が出来上がった時には“住人十色”に出たいですね(笑)ちょっとした目標です。
目につきやすいYouTubeやInstagramの投稿からでは見えにくい、そもそもなぜ始められたのかのお話。実はとても身近で、他の誰でもなく身近な人の為を想って始められたというお話を聞いて、自身もすっかりお二人のファンになりました。お二人が笑って話される内容は、一つ一つ、実際には相当重たいこともあったと思われる中、笑顔で話されるその様子が、地に足ついた強さを感じさせてくれるインタビューでした。