Vol.13
/ 2016.03.24
空き家の問題に新しい選択肢を! 地域おこし協力隊・中川ミミさんが取り組んでいること
中川ミミさん
中川 ミミさん
海外の各地で地域活性や貧困撲滅、災害の復興などに関わってこられた中川ミミさん。各地域の課題に住まいを通じて向き合ってきた彼女が、昨年から向き合っているのは丹波市の空き家問題です。世界を見てきた彼女は今、丹波の住まいや空き家問題にどう取り組んでいるのか、その歩みと共にお話を伺ってきました。
- 麻子(以下、麻):初めまして!よろしくお願いします。さっそくですが、中川さんは、今丹波市の空き家に関わられていると聞いてきたんですが……。
- 中川ミミさん(以下、ミ):はい、「住まいるバンク」という、市内の利活用可能な空き家と移住定住や住み替えなどの希望者、さらには地域をつなぐ制度があり、その運営を「地域おこし協力隊」として担当しています。
(地域おこし協力隊…人口減少などの課題のある地域において、都市部等地域外の人材を積極的に受け入れ、地域活動を行ってもらい、それを通して地域力の維持・強化を図っていくもの) - 麻:空き家に興味を持ったきっかけは、どのようなことでしたか?
- ミ:どちらかというと空き家より「住まい」全体に興味があるのですが、これは丹波に来るまで住まいを切り口に世界中で地域の活性化や貧困撲滅などを目指している国際NGO団体で、10年ほど働いていたことも要因のひとつです。そこで「住まい」というものが単なる造形物としての「家」であると同時に、建て方とか使い方によって人の人生を大きく変える現場を目の当たりにしてきました。でも、それって別に海外の貧困とか紛争とか災害の跡地とかそういったところだけじゃなくて、どの地域にもある普遍的なものが背景にあると思うようになりました。一方でいつか丹波に帰りたいなあとずっと思ってたんで…私はエチオピアで生まれて、1歳で日本人になってから、高校で大阪に進学するまでを丹波で過ごしてきたので、活動のフィールドを日本にするならやっぱりふるさとでという想いがあって。
- 麻:一度丹波を出られて大阪に進学されたんですね。
- ミ:そうです。父が英語も学べて海外進学に有利なインターナショナルスクールを見つけてくれて。その後アメリカの大学に進学して、文化人類学や社会学を学びながら社会的な活動にも参加していました。幼少期にエチオピアを含む日本と色々なことが違う国を見たこともあり、海外に出ることにあこがれがあって、大学卒業の事には国際協力のNGOで働くこと以外の選択肢を考えていませんでした。
- 麻:今まで、どういった国に行かれましたか?
- ミ:仕事を通じてということで言えば、世界中に支部がある団体の日本支部で働いていたので、主なフィールドはアジア太平洋地域でした。遠いところでキルギスタンとかニュージーランドとか。地域によって住まいの課題も解決策も様々なのが興味深かったです。例えばルーマニアでは、社会主義の時代に政府が住民に支給することを約束したけれども、完成しないまま放置されている建物がたくさんあって、そこに入居予定の住民たちがたくさん待機していて。でもその人たちも、待っている間に貧困の連鎖につながっていく。これに対し、住民が自らの手で完成させて、自立しようとするお手伝いをしました。また、自然災害が頻発するフィリピンとかタイとかにはよく行きました。洪水の後で家が全部流されてしまった農村地域や不法占拠と扱われるスラム地域で住宅をボランティアの手で建て直したりとか。建築に関する資格は持っていないのですが、聞き取った地域の声を日本で伝え、それに賛同する人々を集めて現地に赴いたり日本でできることを提案したりするボランティアコーディネーターやファンドレイザーとして関わることが一番多かったですね。
- 麻:海外での活動を経て、またふるさと丹波に……という想いがわいてきたと。
- ミ:そうです。アメリカ人の夫との結婚を機にこの仕事を持ってカリフォルニアに移住し、テレワークもしました。その中で丹波にいつか戻れないかなという想いが芽生えて、でもこの仕事って東京みたいな都会じゃないとできないよねって思いこんでいました。でも2011年からは東北の復興支援事業にもかかわって、これまで海外でやってきた「開発」の考え方や「支援」のやり方を日本国内でも実践に移すことができて。「人間が人として尊重され安心して暮らしたいと思うのは、国とか、貧困の度合いとかに関係しないんだ」と、そんな当たり前のことを体感できる場にたくさん居あわせて。さらにそれを支える大切な要素の一つが「住まい」で、住まいにはさまざまな概念を超えるような価値があるなと感じました。私の中で「住まい」という切り口が大切なものとして確立されたとき、それを持ったまま、日本でも、丹波でも活動できるかもなということをなんとなく思い描けるようになりました。
- 麻:そこから、丹波にフォーカスしていったという感じですね。
- ミ:そうですね。それからは里帰りするたびに、色んな人と話をする中で、大好きだった前職を離れることや新しいチャレンジに踏み切ることについて考えをまとめることができました。その流れの中で地域おこし協力隊として空き家問題にかかわっていくという形が始まるよ、という情報もいただきました。で、「これはもしかして私のためにあるんじゃないか」と(笑)。
- 麻:その流れで、丹波に帰ってこられた。海外や国内など、色んなところの住まい問題見てきて、丹波ならではの課題を感じることはありますか?
- ミ:すごい嬉しい質問です(笑)。まず日本全体を見たときに、家を建てることによって自分の生活の自立に直結するというような感覚は薄いですよね。国が変われば、「家がない」ということで貧困の連鎖から抜け出せないことが非常に多いのに対し、日本では、家が2個以上あってどうしたらいいか分からないというような場合が少なくないのが現状。家に求められる価値がそもそも違います。
- 麻:確かに、日本にいて住む場所に困る、安全が保障されないという感覚は薄いですね。
- ミ:さらに丹波のような地方でも、家に求められる価値が変わってきています。今住まいるバンクで扱っている物件のほとんどが、築50年を超えていますが、その当時の住まいというものは、「この土地で畑や田んぼを守りながら、家族代々暮らしていく」ライフスタイルを基準として建てられています。世帯主が暮らす母屋の隣に定年世代が暮らすための離れがあって農地もついている。しかし現在は、私がそうであったように多くの人が仕事や結婚などに合わせて住む場所を変えます。例えば最近では、必要最低限まで機能を削ぎ落としたタイニーハウスや、既にあるものを活かすリノベーションが注目を浴びていたりするように、人の暮らし方が変わってきて、その結果求められる家の形も変わってきていると思います。
- 麻:そんなライフスタイルの変化の中で「空き家に住みたい」というふうに相談に来る人と、物件とのマッチングをされているということですが、双方のニーズはうまくかみ合いますか?
- ミ:今はまだ、バンクに登録されている空き家の方が少ない状態で、ニーズが見えにくい部分も多いです。でも最近気になっているのは、ほぼすべての所有者から自分の実家や育った地域に「住んでくれる人なんているのか?」と尋ねられること。ご自身も都会で生活をされていて、お持ちの家が古いし価値もないと考えている方が多いようです。そんななかでこの間、住まいるバンクを使っての初の空き家の成約ができました。その時地域も家も含めて「ここがいい」と言ってくれる、都会からきた若いご夫婦とのマッチングが成功したんです。このことは所有者にとっては、問題が解決することの喜びと同時に、大きな驚きでもあったようです。私はこれから、住まいるバンクが「私の抱えている空き家の問題も、住まいるバンクを使うことで良い方向に向かうんじゃないかな」と希望を感じてもらえるような存在になってほしいと思っています。本来は家族の生活を支えるための資産であるべき「住まい」が、空き家として大きな問題になってしまう、その前にこの仕組みを知って対応してくれる人が増えたらうれしいです。
- 麻:住まいるバンクが、課題を解決する一つの選択肢になっていけばいいですね。
- ミ:もっと先を見てみると、ライフスタイルが変わってきているからこそ、家の所有者や住まわれる方が、もっと自分の人生を自分で選択できるようになったらいいな、と考えています。たとえばアメリカでは不動産の価値が急に下がるということが少ないため、日本と同じように30年以上の住宅ローンを組んでいたとしても、途中で売却することが比較的容易です。このため投資というイメージが強く、一度家を購入したから住み続けなければ、という形で縛られることも少ない。一つの場所に住み続けることを自分で選択した人はそれでいいのですが、転機があった時に家族の幸せを追い求めて暮らす場所を選択できる自由があるはずなのに、家が足かせになって行使できないなんて、私は悔しい。だから同じように感じている人に対して、住まいを選ぶことは人生設計において大きなコミットメントですよね。だからこそ生活の場所としての住まいという概念を超えて、長く家族の幸せを支えるための財産として捉えてほしい。私はそのために必要な税や相続などの情報も合わせて提供できれば、所有者にも住まいを選ぶ方にも安心して人自らの住まいを選択してもらえるようになるのではないかと思っています。
- 麻:住まうことは、生きることそのものだと、お話を聞いて感じました。
- ミ:地域おこし協力隊の任期は3年ですが、私個人的にはこの3年でやったことが100%以上、これからも地域で暮らす人の糧になるものでなければならないと考えています。そのために、地域のニーズを知ることはもちろん、彼らの意見に応える立場の行政職員の糧になることも大切だと思っています。任期が終わっても、地域の行政の仕組みの中に、私たちのしたことがそれこそ考え方、しくみという形で残っていったら。住まいるバンクはその一つでしかありません。今は、そういう意味で、市役所の中に入り、どういう仕組みがあり、どういう考え方があるのかということを勉強しています。
【TURN WORDS】
「家の所有者さんも住まわれる方も、自分の人生を自由に選択できるようになれば」
丹波に育ち、自ら外の世界に触れたミミさん。住まいというものにまつわる経験を通して、ご自分がふるさとに、住まいに縛られないということを知りました。そのことが却って、丹波の良さを知り、ふるさとで、自分の学んできたことを生かせたらという想いにつながりました。多くの人が彼女のように、自分の幸せを追い求めるための、自由になるための選択肢を、彼女はこれからも伝えたいと考えています。
interview / writing:済木麻子