移住者インタビュー

Vol.103 / 2024.03.15

お試し移住体験を機に、両親と共に丹波市へIターンした池藤ファミリー

池藤大誠さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

明石市から丹波市へ、両親と同じタイミングで移住された池藤さん。移住される前に何度か来ていたという「かじかの郷」は、今はもうありませんが、一カ月単位でお試し移住体験ができる施設で、地域の方から両親に『この家空いてるけどどうや?』と紹介してもらったことがきっかけとなったそう。

親の移住と自分の移住、どう結びついて移住することになったのか。その後の暮らしはどうなのか。詳しくインタビューしてきました。

 

お試し移住体験から親が丹波市へ移住、自身もそれについていくことに

 

池藤さんはどちらの出身ですか?

 

明石市出身です。高校を卒業した後、神戸にあった保育の専門学校に2年間通って卒業して、その後向こうでちょっと働いてから丹波市に引っ越してきた感じですね。それが2019年6月頃です。

 

なるほど。保育はいつから興味があったんですか?

 

中学校の時にトライやる・ウィークっていう仕事体験の機会がありまして、その時に幼稚園に行かせてもらったんですね。それからぼんやりとですが「子どもに関わる仕事ってええなあ」と思うようになりまして。

それで、幼稚園教諭の免許がとれる大学を探してたんですが、「大学に4年間も行くんやったら、2年間で終わる専門学校の方が早く働けるしそっちの方がええよな」と思って専門学校へ行くことにしました。まあ、受験勉強をちゃんとしてなかったので試験でおおゴケしたのもありましたが(笑)

 

明石市でちょっと働いてたというのは保育の関係ですか?

 

明石市の方でお世話になっていた人が小さな保育施設を運営されていたので、1年くらいそちらでアルバイトみたいな形で働いてたんです。専門学校を卒業した後、通信制の大学に編入して勉強してたんですけど、あまり身が入らなくて。それで丹波市に引っ越すのと同時に退学してきましたね。

 

丹波市に来ることになったきっかけは何だったんでしょう?

 

両親の移住ですね。以前、この家の近くにかじかの郷っていう移住のお試し体験住宅があったんですけど、そこに何度か遊びに来てたんですよね。それで地域の方に『この家空いてるけどどうや?』って紹介してもらって、それで両親は移住することになりまして。

明石市には元々住んでいた実家と、その隣に祖母の家があるんですけど、それぞれ長男と次男の兄家族が住むことになって。その時僕は定職についていた訳ではなく、アルバイトみたいな生活だったので、「僕はどこへ行けばいいんや」となりまして(笑)

それで両親について行くことになったという流れですね。

 

では親と同じタイミングだったんですか?

 

ほぼそうですね。両親は5月に来て、僕が翌月について来た感じです。僕が定職についてなかったこともあって、丹波市に来る時にハローワークへ就職の相談に行ったら「青垣地域のこども園が人を募集してるよ」ってことで、タイミングよく来れました。

 

なるほど。それにしてもかじかの郷がきっかけを作ってたんですね。

 

そうなんです。それで最初はこの家に親と一緒に住んでたんですけど、2カ月くらい経った頃にまた地域の方から『下の家も空き家になってて、近々売りに出るらしいけどどうや』って話をもらって。

最初は「この近さで2軒もいらんやろ」という話になったんですが、父も蕎麦打ちができるような場所が欲しかったというのと、父から『後から払ってもらったらいいし、一旦出しとくから買ったら?』と言われて。『じゃあまあ、買います』ってことになりましたね。

 

なるほど(笑)一軒目の方では蕎麦打ちとかできないんですか?

 

そうですね、一軒目は住む場所らしいです(笑)
父は蕎麦打ちが趣味なので、蕎麦を打つ場所が別で欲しいと。一軒目は狭いし、土間打ちの台所を用意できるところがいいんやという話で。周りの人もこの至近距離で2軒持つことにびっくりしてましたね。

 

住んでみて感じる丹波市での暮らし

 

田舎暮らしに抵抗はなかったんですか?

 

車生活になるのは、電車乗るより車を運転する方が好きなので特に抵抗はなかったですね。ただ、最初は虫がめちゃくちゃ苦手だったので嫌でしたね。だいぶ慣れましたが、未だにムカデとか蜂とかは苦手です。

虫とか、暑い時期の湿気とか、冬の雪とか寒さとか、不便なところはちょっと違いを感じますね。お酒が飲める店が少ないのと、飲んだら帰るのが不便なのと。ドラッグストアがこの辺りにはないので、隣の氷上地域まで行かなあかんし。

 

逆に丹波市に来てよかったことはありますか?

 

まずはやっぱり星がキレイですね。あとご飯が美味い。仕事柄もありますけど、野菜が美味しくて好き嫌いがだいぶなくなりましたね。野菜は苦手だったんですけど、沢山もらいますし、親も育ててますし。

 

こども園で仕事をされているということで、丹波市の子どもと触れ合ってみて、以前と何か違いを感じる事はありますか?

 

明石市もそんな都会かと言われればどうかわからないですけど、丹波市の子はおじいちゃんおばあちゃんっ子が多いですね。都会に比べて一緒に住んでる子が多いからでしょうけど。天真爛漫というか、誰とでも話せてあんまり人見知りしないという印象があります。

あと、これも地域柄でしょうけど足腰の強い子が多いなと思いますね。ちょっと近くの公園いくにも1kmくらい歩かないといけないので。

 

なかなか興味深い話ですね。ちなみに休みの日は何されてるんですか?

 

休日はあちこちドライブしに行ってることが多いですね。福知山市とか三田市とか和田山とか。明石市にいる友達と遊んだり。丹波市内で同世代の友達がいないので、どう見つけていけばいいのかと思うことがありますね(笑)

当然、こども園の保護者関係で同世代の人もいるんですけど、先生と保護者が普段一緒に遊ぶとか聞かないしイメージつかないし、こっちから声かける訳にもいかんしで、別に困ってるという訳ではないんですけど、今後の課題ですかね。

 

丹波市に来るまでに思っていたイメージと何かギャップがあったりしましたか?

 

田舎のイメージとして都会からくる人って浮くんじゃないかとか、地域のコミュニティに入りづらかったりするのかなってなんとなく思ってましたけど、この辺の人たちはそんなこともなく。

まさか自分が消防団入るとか思ってなかったし、地域の夏祭りとかも運営側に入ったりするとは思ってなかったし。向こうではそういうのなかったので。イメージとのギャップというよりは、現実こうなってみた結果、そう感じるってくらいですけど。

 

家族のこと、これからのこと

 

父親が蕎麦打ちをされているとのことですが、お店はしてるんですか?

 

してないですね。蕎麦は打ちますけど、それで生計を立てていきたいと思ってないらしいので、店はしたくないそうです。今もこの近くで地域の人とか蕎麦仲間の人たちと一緒に育てた蕎麦の収穫体験とかやってますけど、仕事でって感じじゃないですね。

なので父は以前の会社でやってた仕事を、早期退職してそのまま引き継ぐ形でやってます。昨年会社を立ち上げて。母も一緒に仕事をしています。

 

両親と一緒に何かしようとか思ったりします?

 

平日僕がずっと仕事に出ているので、空いた日や時間に農業とかは親と一緒にしたいなと思いますね。

 

両親と一緒に移住して暮らすとか、そもそも仲良くないと出来ないと思いますが、昔から家族仲良しなんですか?

 

家族皆、仲はいいですね。一般的に、高校生くらいから友達とかが正月は「みんなで過ごそうぜ」みたいなこと言うじゃないですか。僕はずっと自宅なんで。10歳、7歳年上の兄二人もずっと家族と過ごしてたんですよ。なので「正月は家族と過ごす」ってのが普通で。

今でも明石市の元実家の方で正月は全員集まってますね。祖母がもうあんまり歩き回れないこともあって。明石市で過ごした後、兄家族が丹波市へ遊びにきたり。ゆうて距離も近いもんですし。

 

なるほど。それだけ家族仲良いのは素敵ですね。

 

父とはお互いつんけんしてた時期もありましたけどね。そんな頃でも色々父には助けてもらってきましたし、逆もしかりで。というのも、僕が丹波市について来たもう一つの理由として、母が少し目が弱くて夜に車を運転できないのと、父も夜にお酒を飲む人で、もし夜に何かあった時に動けないっていうのもあったんですね。

それでちょこちょこ車出したり、『帰りに何か買ってきて』とお使い頼まれたりしますし、色々とお互い様で、持ちつ持たれつなところもあると思うんですよ。母はそのことで『もしあんたがおらんかったらどうなってたか』と言ってくれたりしますんでね。あとは些細な事でも何でも話すようにしてるのも、関係してると思います。

 

よくわかりました。最後に今後の計画とか展望があれば教えてください。

 

具体的にこれといったものがある訳ではないんですが、この地域ならではとか、ここでしか出来ない事をやれたらいいなと思いますね。農業関係で言えば、空いてる畑で野菜を植えたりとか、狩猟したりとか。父が最近その辺りやりかけていますけど、僕の今の仕事とは別でそういった事も一緒にやっていけるのもいいかなと。

そういう事は以前は全く考えなかったし、移住してきた時も住み続けるかどうかもわからなかったですけど、実際に住んでみたら楽しいし、地域や消防での付き合いも楽しいし、今は当面ここでの生活がいいかなと思っていますね。

ここ数年、二世代渡っての移住が増えてきています。先に子どもが移住してその後親が移住してきたり、逆もしかり。今回の池藤家も、そのうちの一家族。Iターンの一世代だけの移住だと、特に小さな子どもがいる世帯は子どもの急な体調不良や自身の病気、遠方の親の不調等があったりすると暮らしが煮詰まりがち。「親が近くに住んでいてくれれば・・・」という話もたまに耳にしますので、二世代揃っての移住が増えてきているのは一つの解のように思います。池藤家の仲の良さはインタビュー前から移住相談員も耳にしていて、池藤家の遊びにいくと池藤家の一員になった気になるとか。池藤家のエピソードは、円満な田舎暮らしのヒントが詰まっていました。