移住者インタビュー

Vol.105 / 2024.03.31

全国の有機農家を支援するオーガニックの専門家が選択した丹波市への移住

福井佑実子さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

2008年から神戸で会社を設立、オーガニックの専門家として全国の農家さんを支援して回ってこられた福井さん。その後、「農村部に拠点を持ちたい」と考えるようになり、行きついた先は丹波市でした。

『丹波市に来てから、人生を取り戻している感がある』という福井さん。国際的な立場でも活躍されている事から、どうしても周囲はその肩書きに目がいってしまうものの、本人が望む暮らしは「ありのままの自分で居ること」。詳しくインタビューしてきました。

 

国際的な立場から活躍するオーガニックの専門家

 

福井さんはどちらから引っ越してこられましたか?

 

神戸市の東灘区から引っ越してきました。

 

社会人から移住まで、ざっくりと教えてください。

 

普通に民間企業に就職して、もう一回学業に戻ったり、あと国立大学に長く勤めてたんですね。2004年にはじめた個人事業の後、2008年に今の株式会社プラスリジョンを設立して現在に至るという感じです。

 

なるほど。2008年に設立した会社はどういう会社なんでしょう?

 

名前の由来は、プラスするのは常にリジョン、リジョンはラテン語で「融合」という意味なんですが、異分野の専門家を繋げ、融合させるという活動方針を社名に込めています。三宮の神戸国際会館に事務所を置いていました。

設立当初は農業(オーガニック)と福祉を繋ぐというので立ち上げました。農業といっても農産加工品も含む、いわゆる「食の6次産業化」です。持続可能な農と食のシステムの中で、障がいのある人ない人共に働く場を創ることにチャレンジして立ち上げた会社です。

 

なるほど。素敵な由来ですね。

 

ただ、今は福祉の事は表に言ってないんですよ。というのも、やりだして間もない頃に『福井さんがやっていることは本当のオーガニックなんだよ』と言ってくれた人がいたんですね。

IFOAM(国際有機農業運動連盟)という「オーガニックセクターの国連」と呼ばれている国際機関があるんですが、私はそこのIFOAM Organics AISAの理事をしているんです。IFOAMによると、国際的にオーガニックを定義する4つの原理と言うものがあって、そのうちの一つ、「公正の原理」がありますが、福祉、いわゆる農福連携が含まれるんです。

 

つまりオーガニックには福祉の要素が含まれるから、言う必要がないということですね。

 

そうです。公正の原理は英語の方がわかりやすくて、「fairness」です。フェアトレードのフェア。生産、加工、流通、販売・・・畑から食卓までいろんな人たちがかかわっています。いわゆるサプライチェーンの中で、だれかだけが得をするような形ではなく、公正さを大切に人間関係を結んでいくべきというような原理なんですよ。

また、生産と消費に使用される天然資源や環境資源は、社会的、環境的に公正に管理され、未来の世代へ信託されるもの。公正さには畑から食卓までのシステムが誰にも開かれていて、平等で、真の環境コスト、社会コストを説明できることを問うています。

 

国際的な現場に立っていないとなかなか気づけない視点ですね。

 

会社を設立した時『あなたはオーガニックがやりたいんですか?それとも福祉がやりたいんですか?』みたいなことをよく問われました。「“どちらか”ではなく、“どちらも”じゃないとやりたくないなあ」と思ってたんですが、後々、それでよかったんだなと思って。

世界的にはオーガニックの農場って、障がいのある方をたくさん雇用されているところでも「福祉農場です」とは謳ってなくて、「実はうちいっぱいいるよ」みたいな感じなんですが、そっちの方がしっくりくるなと思って。

だから私は別に聖人でもないし、誰か困っている人を助けてあげたいとかを第一義にしている人間ではないので、「福祉」とは言わず、「オーガニック」と言う方がしっくりきたんです。

 

農的暮らしへの憧れが高まり、農村部への移住を決意

 

丹波市に移住されるまでの経緯を教えてください。

 

事業領域が農業ということもあって、農水省の仕事をさせてもらっていて、「農村漁村イノベーションプランナー(旧6次産業化プランナー)」というのを長くやってるんですよ。その他のアドバイザーも含めるとこれまで200案件以上、全国のオーガニック農家や、オーガニックへの転向を考える農家や産地、自治体へアドバイス等に行ってます。

それで、農家さんとの接点が増えるほど、農的暮らしへの憧れが出てきて、「自分も農村部に拠点を持ちたいなあ」という思いが年々高まってたんです。

 

自分でもやりたくなったんですね。

 

それで月一回、神戸でも有機農業塾というのに通ってたんですが、10年経っても飽きないし、むしろもっとやりたいと思って、兵庫県下で拠点をずっと探してたんです。

丹波地域にしたのは仕事で関わる案件が多かったのと、友達農家が一番多いエリアだったんです。ちょうど柏原町の丹波県民局でも仕事していたので、よく来てたんですよね。だから、知らない土地じゃないというのもありました。

 

なるほど。物件はサクっと見つかったんですか?

 

最初、丹波篠山市の一番古い付き合いのある農家さんのところで農業インターンに通ってたこともあり、その集落に住みたいと思ってたんです。農家さんが集落の人に話をつけてくれて、物件を売ってもらえることになったんですけど、農家じゃないからそこを買えなかったんです。

 

おお、いわゆる農地法第3条の壁ですね。

 

神戸からでは通作距離も満たせず、「無理やん」となって、「私は宅地で探すしかない」とネット検索から始めたら、たまたまこの物件が出ていて。即電話してお正月明けに内見依頼して、内見に来て即『買います』と。2019年入ってすぐでした。

 

ひとめぼれだったんですね。

 

直前に農地法第3条の壁を経験したからですよ。当時、車の免許もなかったので、駅近で探してたんです。今はもう免許もあって車も乗りますが、駅近でよかったと思って。街の人たちはやっぱり電車で来るので。先日も20名程街中から来られましたけど、ほぼ全員電車で来られましたし。

 

なんだかんだ、街中からの移住は不安とかなかったですか?

 

農村部に暮らしたことがなかったから、移住ってやっぱりすごい覚悟がいる感じで不安はありました。でも、友人の農家さんが『移住って思うから重いんであって、引っ越しやと思えばええんちゃう?』って言われたんですよね(笑)

「確かに引っ越しやったら今までもしてきたし、出来るかな」と思って。それでまた『仮に合わへんかったら、また引っ越したらいいやん』て言われて。それでそうやなって思ったんです。

 

それは、真理ですね(笑)

 

それで最初は、神戸と丹波市の二拠点生活やったんです。行ったり来たり。経済的な負担が増えるのはイメージしてましたが、体力面のしんどさは想像してなかったんですよね。「強風吹くから」ってことで、雨戸を閉めに丹波市来てまた神戸へ戻るとか、そういうのが立て続いて。

そうこうしてるうちにコロナ禍になって、外出制限がかかって外に出歩けなくなって。それで、「神戸と丹波市、どちらで閉じ籠るか」となった時に、丹波市だったら畑に出ればオープンエアなんでマスクしなくてもいいし、自然と丹波市で過ごすことが多くなったんです。

 

確かに。当時『酸素吸いに来ました』って言う観光の人多かったですし。

 

それで、コロナ禍が当面続くなら二拠点は必要ないのでどちらかを手放そうと。神戸や大阪は土地勘があるので、また物件を見つけられる自信があったけど、丹波市は分からず、また同じように条件の合う物件を見つけるのは難しいだろうと思ったので、神戸の方を手放すことにしました。

自動的に住民票を移すことになり、「この際オフィスも移しちゃおうかな」と思って事務所も引き払って、2020年6月に引っ越してきました。だからあんまり、気合を入れてきたというよりは、緩く自然な流れでこっちに来ました。

 

ということは、お仕事はそのままということですね。

 

そうです。神戸にいた時と仕事は変わってないので、実はほとんど丹波市で仕事してないんです。農家さんに言われた通り「引っ越してきた」し、何かやる為にこっちに来たというより、自分の暮らし、やりたかった暮らしをする為に来た感じですね。

 

職場と自宅の同時引っ越しって大変そうですね。

 

それが実はその引っ越し、市島町のいちじま丹波太郎さんのトラックで引っ越してきたんですよ。代表の荒木さん運転の、トラック便の帰りがけに、私も乗せてもらってきたんです(笑)

 

そんなことあるんですか(笑)

 

引っ越し業者も使ったんですが、まさかの一個、クローゼットが置き去りになってて。完了のサインもしちゃった後に気づいて、それで荒木さんに連絡して、『帰り便で運んでほしい』とお願いしたんです。

荷物の事で引越しがバタバタで、自分の移動をすっかり忘れてたみたいな感じになったので、『私も乗せてほしい!』とお願いして、隣に乗せてもらって引っ越してきました。なんか、“北の国から”みたいでしたよ(笑)

 

丹波市での暮らしは、世界にとって注目の的

 

丹波市に来た時にはもう農家さんの知り合いが多かったんですよね?

 

そうですね、皆さん色々心配してくれて、ここの村入りの事とか日役の事を調べてくれたり。結局、体力仕事はほとんどない地域なので、私でも大丈夫かなと思えましたし、地域の皆さんも最初から優しくしてくれて。そういうのも有難かったですね。

移住相談窓口の方も、当時担当してくれた方が自治会と丁寧に繋いでくださったり、顔合わせとかしてくれたから、それも本当に助かりました。先ほどのいちじま丹波太郎さんもお祭りやるからと呼んでくれて、猪や合鴨とか捌いてくれたり。ワイルド過ぎて、少数民族のお祝いみたいでしたが(笑)あの自由度は、荒木さんの包容力やと思いますね。

 

いちじま丹波太郎に限らず、丹波市は都会と比べて自由度あるように感じますよね。

 

ほんとそうで、今まで気づかなかったんですけど、都市部は規制が多い。それに気付かないのが当たり前だったから、なんかここは自由だと思って。その規制とか、食品に関わる法律とか、本当に必要なのか否かといった、そもそも論を問いかけてくれますよね。

例えば農業でいうと、「種をとって植える」って普通やんて思うんですよ。今はそうじゃなくなってきているのもすごく不思議で。そういう意味で、こっちの農村部は本来自然なことが全部できる豊かさが、すごくあるなって思うんですよね。

 

ここで生まれ育った人にはなかなか気づきにくい豊かさですけどね。

 

近くに梅林があって、自治会から借りてるんですね。そこでプチ菜園コーナーを作って野菜植えたりしてるんですけど、近隣の方がふらっと来られた時に『ほんと豊かですよね』とか言うと、『え?どこが?ここが?』みたいな反応で。

何もないと言えば何もないけど、それが豊かだと思うし、太陽熱でお湯を沸かして、太陽光パネルで電気作って蓄電して、それを梅林に持ち出してみたいなことやってるんですけど、災害があっても暮らしが変わらないといった実験ができるのも豊かだと思うし、何でもできる。多分、今まで私が暮らしてきたエリアでは何でもできない。だからここは自由だなあって思います。

 

人によって豊かさの定義が違うんでしょうね。

 

豊かと言えば、あと、「物々交換」。以前からそれは農家さんとやってますが、以前まで私は結局どこかで買ってきたものをお返しにあげてて、自分だけ「物々交換の輪に入れてない、私には何もない、貧しい~」と感じていました。

今では梅や野菜が採れて、返せるようになったけどお返しがその倍くらいきて、交換がエンドレスで続く。交換のネタとして車どうやみたいな話がきたり、それも5台とか(笑)
『何でも買う前に言いなさい』って言われるくらい、人と人との関係性が近いし活きてるってすごいなって思います。

 

物々交換は確かに、どこまでも続きますよね(笑)

 

都市部はその関係が煩わしいのもあってお金で解決しがちですけど、便利な反面、持続可能ではないし、有事の際にレジリエンスが低くて。でもこっちはすごくそれが高い。

以前、大雨の日にどっかの木が流れてきて、表玄関の溝で引っかかって水が溢れたんです。その時も近所の人達がとってくれたり、高齢の方の家に声をかけて土嚢を積んだりして、小さい自治が機能してる。これ街中だったら消防や業者に電話するしかなくて。お金で解決できないことが暮らしの中に沢山あって、都市部でのやり方はもしかすると心もとないかも、と感じます。

 

あとオーガニックの専門家として、丹波市について何か思うところありますか?

 

先ほどのIFOAMは130か国・800加盟団体が所属する国際NGOで、本部はドイツにあり、1972年設立で。大陸ごとに地域団体があり、IFOAM Organics ASIAはアジア18か国・地域を管轄していて、オーガニックを推進する地方自治体やユースのネットワークや国際会議を行ったりしています。

アジア諸国でも学校給食とかオーガニック推進が熱くて、それは全部、IFOAM Organics ASIAの研修を卒業したユースや自治体、民間企業のキーマンがムーブメントを起こしてまして、その彼らとナレッジの共有とかをしてるんですね。

 

なるほど。スケールが大きいですね。

 

そこで実は、丹波市は有機農業について50年の歴史があり、世界に誇れる実践地なんですね。日本の有機農業は「産消提携」といって産地の生産者たちと消費地の消費者たちが一緒になって農と食を守っていくひとつの特徴的なお買い物の仕方があり、丹波市はその発祥の地の一つ。丹波市が産地、京阪神が消費地となり形づくった歴史のある面白いエリアで、それは世界の人も知っています。

産消提携が世界に注目されて、アメリカではCSA(Community Supported Agriculture)というのが定着して若い人たちの間でそれが注目の的になったりしてるんですが、実はCSAの原型は産消提携で、日本発祥なんです。しかも兵庫県にその実践と歴史がある。

 

おお、そうなんですね。誇らしい!

 

農水省が2年前、「みどりの食料システム戦略」という農業政策を抜本的に変えた戦略を発表したんです。気候変動とか待ったなしの状況の中で、いわゆるカーボンニュートラル社会に向けて農業分野では何ができるかというところで、実は有機農業が注目されているんですね。それは世界中で。

日本の有機農業の取組面積は、全耕作面積のうち0.6%程度なんです。有機JAS認定取ってるのは0.3%程。それを2050年までに25%にする目標を挙げてるんですね。それで農水省も有機農業を推進する状況で、今各市町村にオーガニックビレッジ宣言を出させるという施策が進んでいる訳です。

 

そういう背景があってのオーガニックビレッジ宣言だったんですね。

 

丹波市はいちはやく宣言を出されましたけど、全日制の有機農業を学ぶ市立農業学校があったり、市営の堆肥センターがあったり、BROF理論など有機農業が学べる勉強会があり、実践農家のデータの蓄積もすごくて、新規就農でも先輩から教わることができるネットワークがすでにある。

あと、他の自治体にない取組として、丹波市は有機JAS認証に8割補助を出してます。新規も継続も。だから認証をとってる有機農家が多いんですよね。しかもこれ、宣言がどうとか始まる10年以上前から。

 

これだけやってることを市民も知らないのはもったいないですね。

 

有機農業発祥の地の一つである市島町は、農薬の空中散布が禁止されていたり、50年の歴史ですでに実現できてることがとても多くて、オーガニックビレッジ宣言で他の市町村がこれから実現したいと思ってることがほぼ形になってる、稀有な市だと思いますよ。世界に発表できるレベルです。

 

それに気づけるのはそういうお仕事してきたからでしょうね。

 

運よく世界の仲間と世界を見てきているので、それで気づいたというか。外からの視点で知ったというのがあります。丹波市は農家さん一人一人が本当に素晴らしいし、大小様々、規模も。これだけ多様な有機農家さんが集まっているエリアってないです。可能性めちゃくちゃあると思います。

 

自分の人生を取り戻す、ありのままの暮らし

 

今後の展望を教えてください。

 

丹波市に来て、なんか「人生を取り戻してる感」があるんですよ。畑を耕してみるとか、エネルギーの自給生活してみるとか、やりたかった事を一個ずつ、片っ端からやってたら、どんどん等身大の自分になれてる気がするんです。すごく自分らしく生きてるみたいな。

以前までならどうしても「プラスリジョンの福井さん」として扱われるし、振る舞うしで、なんとなく「しっかりしなきゃいけない」側面がありますよね。本当の私ってそうじゃないと自分では思うから、そのままの自分で生きてなかったと思うんです。

 

わかります、その感覚。

 

こっちは近所の人は特に私のことを誰も知らないから、本当にありのままの自分で居させてもらえてる気がして、それがすごく有難いなあと。このままずっと生きていたい。

だから、自分とかこれまで出会った自分の仲間の「幸せな暮らし」っていうのを、皆で共有していきたいし、作っていきたいという思いがあります。

 

この家は人も集まれますし、いい場になる気がします。

 

ここは丹波布や工芸の展示会で使ってもらったりする予定で、センスのある人に使ってもらうと空間がグレードアップしますね(笑)

私は、オーガニックは「暮らし」だと思っているので、自分の好きな暮らしを、ここで実現させたいなと思っています。民芸が好きで今も月一回窯元へ陶芸に行ったりしてますが、先日20人程集まって全部スリップウェアのお皿で皆さんと楽しんだり、神戸からシェフを呼んで、有機の食材を持ち寄ってポップアップのレストランをしたり。

梅林は地域の人にも都市部の人にもピクニックスペースみたいになっていて、一緒に梅干し作ったり、シロップを漬けたり。大学のゼミや音楽家のグループが来て漬けたものもあります。そうして、ここは都市と農村を繋ぐハブのような拠点になったらいいなあと思いますし、海外にも繋げられたらいいなと思っています。

 

コロナも落ち着いてきたので、これからが楽しみですね。

 

コロナが始まる前はこの拠点は使ってませんでしたが、アジアを中心に海外の方を農村にお連れすることはずっとやっていたので、これからそれが本格的に出来たらいいなと。

丹波市にはおもしろい人がたくさんいて、U・Iターンに限らず、地元の人も。地元の人と外から来た人が仲良くなる場面を何度も見るから、なんかすごい可能性あるなと感じてます。これからどんな化学反応が起こってどうなるんだろうっていうのは、傍から見ててちょっとワクワクしますね。

国立大学に長くお勤めだったこともある為か、世界から見たオーガニックや丹波市についてのお話はとても面白く、インタビューのはずがものすごい勉強になる講義を一本受けた感覚になり。この話は自分だけに留めるべきではないなと思い、移住者インタビューでありながら少しだけ、そのお話も記載させていただきました。ただ、そうした専門家としての観点での魅力だけでなく、「ありのままの自分で暮らせる地域である」という魅力もまた、移住希望者の方だけでなく、丹波市の人にとっても、丹波市を再発見させてくれるインタビューじゃないかなと感じました。