移住者インタビュー

Vol.112 / 2025.01.22

“自然な暮らし”が普通になることを求めるUターン美容師

本庄朱佳音さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

丹波市で生まれ育ち、『小さい時からガリ勉だった』という本庄さん。中学2年生の時に体験した交換留学の雰囲気がずっと忘れられず、社会人になってからイギリスで暮らすことに。

自分自身が体調を崩したこともあって、必然的に自然な暮らしを求めるようになったという本庄さんに一体どういう経緯があったのか。詳しくインタビューしてきました。

 

交換留学で惹かれた海外での生活を実現した後にUターン

 

本庄さんの生まれ育ちはどこでしょう?

 

丹波市の氷上町です。地元の氷上中学校へ行って、高校は柏原高校へ行きました。高校卒業後は大阪の美容の専門学校へ行きました。美容師になろうと思ったら、働きながら通信か専門学校かという選択肢だったので。

 

美容師になろうと思ったきっかけとかあるんですか?

 

テレビを見てた時に、たまたま福祉美容が取り上げられてたんです。顔を中心に全身火傷を負われた方がメイクしてもらって、久しぶりに外出できたっていう番組だったんですけど、「美容ってそっちの面もあるのか」と思って。

当時は“カリスマ美容師”時代で、私は流行り廃りには小さい頃から関心が薄くて、テレビもずっと見てるタイプではなかったんですけど、その人の気分を変えたり、やる気にさせるとか、自信をつけてくれるといった、美容のその側面に惹かれたんですよね。

 

なるほど、テレビがきっかけなんですね。

 

それで美容師っていう仕事を意識しだした時に、友達が行ってた柏原の美容師さんのところへ話を聞きに行かせてもらったんですよ。そしたらその方が、仕事自体をすごい楽しそうにされてたのがちょっと意外だったというか。

私は母子家庭で育ってるので、母が色々大変だったからか、小さい頃から仕事に対してのイメージがしんどい、つらい、大変、生活の為のものっていう感じだったんです。

 

子どもの頃は実際に働いてないので、働くってなかなかイメージできないですよね。

 

私たちが小さい頃の丹波市は、周囲の親の職業が限られていて、ネット社会でもなかったし、高校の入学祝いでガラケー買ってもらうような時代で。その中から自分のなりたい職業を選べと言われても何もピンとこず、「あの人みたいになれたらいいな」というのがなかったんですね。

私は昔からガリ勉で、中2の時に交換留学でオーストラリアに2週間程行かせてもらったことがあったんですけど、海外や異文化にものすごく惹かれて。なんとなく将来は英語関係かなと思って、勉強頑張ってたんですけど、このまま真面目に勉強して、真面目な道を進んだところで、なんか楽しい先が見えなかったっていうのも大きかったように思います。

 

勉強熱心だった子が美容師になるって、先生から止められたりしませんでした?

 

進学校でしたし、本当にガリ勉やったから先生にはすごい止められましたね。だから一応、進学クラスに入れられて、「最後まで気持ちが変わらへんかったら専門いけばいい」という話でしたが、自分の中ではもう決まってて、美容学校に2年間通って、そのまま大阪の美容室に就職しました。

 

なるほど。英語関係への関心はその後どうなったんですか?

 

就職したけど、元がガリ勉っていうのと、やっぱり中2の時に行った海外の雰囲気が忘れられなくて、「やっぱ海外に行きたい」というのはずっと思ってました。それで毎年、会社の有給はまとめて海外旅行に行ってました。

いつかヨーロッパに行きたいと思っていたんですけど、有給全部くっつけても短すぎるしなあと思ってたら、会社のコンテストで「1位になればロンドンに行かせてあげる」だったんですよ。結局、観光なしの素泊まりホテルだけのチケットでしたけど(笑)

 

それでも、タイミングも内容も最高じゃないですか!

 

その時私はアシスタント最終年だったんで、夜な夜な頑張って1位獲得して、それでロンドンに行ったんですよ。そしたら今度は、旅行のような短期ではなく、長期的に海外に行きたいなと思って。

 

旅行では満足いかなかったんですね。

 

そうなんです。イギリスのワーキングホリデーは当時早いもん順だったので、申請方法を教わって、正月の0時になった瞬間に申請したら無事に受かったから、それで行くまでの間に少しでも資金を稼ごうと思って会社を辞めて、半年間程フリーターで働きまくってました。

土日は派遣美容師みたいな感じで神戸方面行って、朝から昼はスタバでバイトして、夜は化粧品のテレアポバイトしたり。

 

すごいいっぱいやってますね(笑)

 

短期間で稼ごうと思ったんです(笑)それで25歳の頃にイギリス行って、1年半程生活しました。最初は英語も中高止まりだったので語学学校行って、行った後は日系の美容室を探して働いたりしてましたね。

勤務先はワーホリビザに寛容だったから「旅行はどんどん行っていい」みたいなところで、給料自体も歩合制だったので、働いてお金を貯めたら休みをとって他の国にバックパッカーで回ったりしてました。ピーチみたいな格安航空が沢山飛んでるし。

 

すごい充実されてたんですね。

 

それで実は、日本の美容室で働いてた時にかなりひどいアレルギーが出たんですね。パーマ剤やカラー剤、シャンプーもそうで、アシスタントは洗う仕事が多いし、お湯に触れただけで蕁麻疹が出てしまうようになったり。

 

お湯で蕁麻疹は、相当ひどいのでは?

 

毎日24時を回って帰るような生活だったのでストレスもあったでしょうし、それが発展していって食べ物も全部ダメになって。皮膚科に行ったら『とにかく過敏だから、動物性食品と添加物を一切避けろ』と言われて。牛乳とか卵でも蕁麻疹出てましたし。

自宅のシャワーもしんどいから、同期の子にシャンプー台で頭だけ洗ってもらって帰るとか、顔を水で洗うとか、大根の炊いたやつしか食べられないとかいう生活で。

 

大根だけとは、想像がつかないレベルの辛さです。

 

当時の日本はまだベジタリアンとかそういう言葉が浸透してなくて、マクロビが始まったぐらいの時期で。私も食べれるものを色々調べてたらマクロビにたどり着いたんですけど、正直美味しいと思えなかったというか、油揚げとか厚揚げがご馳走みたいになっちゃって。

楽しくベジタリアン生活できないまま、イギリス行ったんです。そしたら、向こうはベジタリアンは当たり前の存在で、レストランとかでも選択肢として『ベジタリアンかビーガンか、普通に色々入ってるけどどれにする?』と聞かれるので、生活がすごいしやすくて。


(イギリスのサロン)

 

日本みたいに『ベジタリアンは肉の代わりに何食べるの?』とか聞かれないですよね(笑)

 

そうなんですよ、当たり前やから。人種もすごい様々だし、日本のベジタリアンは「豆腐!厚揚げ!」みたいな感じでしたけど、幅が広くて食生活自体も楽しかったし、ヨーロッパでは「オーガニック=高い・健康志向」ではなく、普通に選択肢としてある状態やから、貧乏生活の私でも全然手が届くもので。

すごいアレルギー満載な私が行った中でもすごい生活しやすくて。海外のゆるい雰囲気の中でストレスから解放されたのもあるでしょうけど、私はあっちでの暮らしの方が体調良かったから、日本に帰ってきた時に母から『もうずっと行きなさい』と言われましたね(笑)

 

結婚・出産、美容室を開業

 

日本に帰ってきてからはどうなったんですか?

 

海外生活がやっぱり面白かったから、また出ようと思ってたので車も携帯も母のものを借りて生活してましたね。次の資金稼ぎの為に近所の美容室で雇ってもらって。

でも結局、その後に祖母の認知症が進んで要介護になってしまったんです。母も仕事してるし、妹と3人で早く帰る日を決めたり。そんな感じだったので、もう出ていくという感じではなくなってしまったんです。

 

それは仕方ないですね。

 

なんとなく面白くなさを感じてたんですけど、そうこうしているうちに夫と出会って、2016年に結婚して、夫の実家近くに住むようになって、今の生活に至るという感じですね。なので、日本に帰ってきた時がUターンのタイミングです。

 

アレルギーの件はどうなったんでしょう?

 

体質改善されてきたのか、薬剤触ってすぐどうこうなるとか、お肉食べたら蕁麻疹が出るとかにはならないようになったから、徐々に食生活も普通に戻していって。普通の美容室でも全然働けてたんですけど、一旦あれだけアレルギーが出たら、なんか触れること自体がちょっと嫌になってしまってて。

だからと言って、パーマとか素手じゃないとやりにくいし、手袋つけた状態で頭を洗われるのが引っかかるなと思われてるのもわかるし。「薬剤はなんとなく嫌やなあ」というのはずっと思ってました。

 

それはそうですよね。

 

やっぱり私からしたら、別に嗜好でベジタリアンとかオーガニック主義な訳ではなく、ただそれしか使えなくてそうなった人なので、逆に使いすぎることで体にどういう影響が出るのかを、自分は身をもって怖さが分かったんですよね。

自分が妊娠してから余計、そのお腹の子に行くものとか考え出すと、「今の生活を続けて大丈夫かな?」という疑問がずっとあって。その時にアーユルヴェーダの料理教室に通うようになったりして。

 

嗜好で選んでる訳じゃないっていうのは、他の人には伝わりにくい部分ですよね。

 

アーユルヴェーダは1つの考え方としていいなあと思ってたら、先生から滋賀にアーユルヴェーダをベースにした、植物だけで施術する美容室があるのを教えてもらったんです。話を聞きたいから、実際に自分の髪をやってもらいに行ったんです。

それで「この美容面白い」と思ってたら、そこがちょうど講座を始められたんですよ。それがもう妊娠中やったから出産が落ち着いてからというので、一人目を産んでしばらくしてから、年間講座を受け始めました。

 

滋賀まで?!なかなか大変そうです。

 

1か月に1・2回、1年間滋賀に通って植物美容を習い始めて。植物美容って大きく言えばヘナとかで、以前のお店でも取り扱いはあったんですが、立ち位置としてカラー剤の代わりに使うみたいな、言ってしまえば自分がしたいと思えるほどいいもののように感じられなかったんですね。

でも、そこの美容室での仕上がりの質感とか、色味の幅が植物だけでも広くて「面白い!」と思って。それから植物美容にはまったんですけど、そこの年間講座受けてる途中で2人目、3人目と子どもができたのでストップしてもらったりして。

 

なるほど。いつ卒業できたんですか?

 

2024年の3月でした。それで、自分のお店「zilch(ヂルチ)」を5月にオープンしました。

 

いつ頃から独立を考えてたんでしょう?

 

2人目ができた頃にはなんとなくしようと思ってたんです。すごい独立願望があった訳じゃなく、当時の勤め先にこれを持ち込むのは難しいだろうなと思ったのと、育休中から夫の家業で経理を手伝い始めて、お店をするということは案外大層なことではないのかもと思い出したんです。

それで3年ぐらい前から夫と相談しつつ、店舗にすることにした家の倉庫を片付けたりと準備を少しずつはじめました。デザインとかほとんど夫にやってもらいましたが、夫の仕事はすぐ近くでインテリア用の鉄工業をしているので、仕事の合間に少しずつ進めてもらった感じでした。

 

滋賀まで行ったり開業準備したりと、なかなか大変そうな育休中ですね。

 

でもそれが逆に、いきなりお店を始めるよりもいい時間だったんですよね。本当なら1年で習う植物美容をもし早々に卒業しちゃってたら忘れてただろうなと。植物の育て方から教わるんですが、ハーブってかなり沢山あるんですね。

なので育休中に自分で多品目のハーブを1株ずつとか色々育ててみたら、これは日向が好き、これは日光が嫌、どんな花が咲いて、どんな香りがするかと、実体験としてわかると、説明できるようになって。

 

確かに。実体験があった方が理解が深まりますよね。

 

勉強好きっていうのが多分、根本にあるんでしょうね。じゃあ次に植物療法のハーブティーではハーブをどう使うか?アロマではどういう効果があるのか?っていうのをまた講座受けたり、zoomでレッスンしてもらったり。深堀りしたくなるんですよね。

育休中がちょうど、そういう時間になって。それで3人目が落ち着いたから試験受けて、受かってやっと店でしたね。

 

Uターンして見る、丹波での暮らし

 

高校卒業から1回外へ出て、久しぶりに丹波に帰ってきた時はどんな感じでした?

 

出て7,8年だったので、何も変わってないって感じでしたね。でも、その頃からですかね、ちょっとずつ移住者の方が増え始めた感じがあったのは。

 

移住とか言い始めたのがここ10年くらいの話ですが、地元の人には移住者ってどう映ってるんですかね?

 

まず絶対、みんな「何で丹波なん?」って思いますね。丹波で生まれ育った人からしたら、この環境が当たり前過ぎて、あんまり魅力がわからないというか。今こそIターンとかいっぱいきてはるから、丹波市がいい感じに映ってますけど。

私が育った頃なんて、住んでる人はみんな丹波の魅力に気づいてないし、黒豆が特産やとか、それをもっと打ち出していこうという感じでもないし。「盆地だからかみんな保守的」という人もいたりする感じで。でもみんないい人で、安心感はあるんですけどね。

 

一度外に出てみたら比較対象ができるようになりますからね。

 

自分も出た時に、マンションの上からも下からも声がする、夜も明るいし開いてる店がいっぱいある、ちょっと歩いたらコンビニがあるって、便利やけど、長く住んでるとやっぱり田舎で育ってるからかすごいしんどくて。特に水道水が苦手でしたね。

マンションってこんなもんかと思ってたけど、やっぱりその息苦しさ、人の多さとうるささと、あれを経験したらやっぱ田舎いいなと思いますね。

 

でもやっぱり若い時は刺激を求めちゃうところあったりしません?

 

そうですね。若い時って田舎で育った分、もっと刺激を受けたいと思って出てるから、体がしんどくても我慢できるんですね。あっちの生活も楽しかったんですけど、やっぱ 30歳過ぎてくると、その気力だけでも頑張れないし、ずっと刺激を求めるのにも疲れてきて。

逆に、家でゆっくりしたいとか、「この生活続けてたら体がやばいな」っていうのも分かってくると、「田舎いいなあ、ほっとするなぁ」もわかるし。育児となれば刺激とかでもないってなるし、「たまに街中出ても田舎がいいわ」ってなるんですけどね。

 

その辺りで、人によって判断がスパッと分かれるんやろなと思いますね。

 

私はやっぱり体調崩したから、もう嫌やなと思ってしまってますね。夜も煌々と明るいし、自律神経が乱れまくる感じはね。それはコロナの時に余計思いました。もう都会で、子どもが遊ぶところがないようなところでは住めへんなと。

 

田舎で子育てしてて、いいなと思うことはありますか?

 

冬はこんな匂いで、肌ではこう感じて、色の感じとか、土を足で踏む感覚といった「自然との感覚」って、あんまり大人になってしまったり、夏の海しか体験してないみたいな都会の子では十分味わえきれないだろうから、それを小さい間に田舎で育んでほしいなと思ってます。

それもあって、うちの子どもらは自然教育とかオーガニック給食とかを提供してくれるこども園に惹かれて通わせてたりします。

 

でも田舎で自然に触れ合わせると、いずれ都会の刺激を求めていく側面もありますよね。

 

その子どもらの気持ちもすごいわかるから、むしろ「1回出た方がいいよ」って思いますね。丹波以外のところで生活してみて、便利さも味わったらいいし、楽しさも、逆に苦しさも、まず経験しないことには、双方の善し悪しは心底わからないと思いますので。

 

自然な暮らしを普通の日常にしていきたい

 

これからの暮らしの展望的な部分はどうでしょう?

 

丹波でオーガニック給食の会とか始まってたりするんですが、「オーガニック=意識高い」みたいな感じの声もあるらしいんですね。まだまだ特別なもので、普通ではない感じで。

やっぱり自分がすごい体調崩したから思うんですけど、逆に言うと今出回ってる安価で手に入る一般的なものには不自然なものが多すぎるから、もっと自然に寄り添ったような暮らし方がしたいんですよね。

 

確かにもうちょっと一般的になってもいいですよね、食べ物とか。

 

なんかそれが高いとか、高くて手に入らないとか、いって数も少なくて特別なところでしか手に入らないってなると、やっぱり特別感が出てしまうんですけど。今はどうしても格が高いような感じになってしまってるので。

でも、その安くて添加物いっぱいのものを取り続けた結果、自分の体にどういうことが起こるのかっていうのを私は身をもって分かってるから、自然に近い、体に負荷がないものがもっと日常的になってほしいなと思います。

 

普段自然に囲まれてるのに暮らしが自然じゃないっていうのも不思議な話ですしね。

 

やっぱりもう体感するほど気候変動を感じてますし、それで美容室の方も、一部薬剤を取り入れてるんですが、お客さんの経皮毒や排水汚染度を下げるものを選んで使用するようにしています。

子どもたちが大人になった時に、夏場に外で遊べなくなってしまうような環境にはしたくないので、まずは自分のできる範囲の中から、自然な暮らしを追い求めていきたいと思っています。

これまで出会ってきた丹波市在住の方の中にも、本庄さんと同じく、都市部での生活において口にする食べ物や水、触れる化学物質等で体調に異変が生じ、生活そのものが難しくなり、田舎へ、ひいては丹波市で暮らすようになったという人が一定数おられます。自身の気持ちだけではどうすることもできない場合に、一つの選択肢として住む環境を変える、それが結果的にたまたま地方へのUターンだったり、Iターンだったりすることもある。近年、移住も多様化が進んでいるので、様々なケースをご紹介できればいいなと思う次第です。私事ですが、本庄さんと同年代なので、「昔あるある」「当時あるある」の話に共感しっぱなしのインタビューでした。