移住者インタビュー

Vol.114 / 2025.02.07

理想の暮らしを追い求めて丹波市へIターンした夫婦

松田拓也・望恵さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

丹波市に移住される前は同じ兵庫県の香美町に住み、同じ職場で出会い、コロナ禍を経て理想の暮らしを考えるようになったという松田ご夫婦。

一年かけて物件を探され、結果的に新築を建てるに至ったその背景を、詳しく伺ってきました。

 

同じ職場での出会い、そして結婚

 

奥さんはどちらのご出身ですか?

 

(望恵さん)
生まれは大阪府の吹田市で、育ちは幼稚園の時に引っ越して兵庫県の猪名川町になります。両親は吹田市の生まれ育ちで、田舎での子育てをしたくて引っ越したそうです。高校まではずっと猪名川町で、大学進学で鳥取県へ行きました。

 

卒業後はどうされたんですか?

 

(望恵さん)
卒業後は大学の時からボランティア活動で関わっていた社団法人に少しの間勤めていました。その後は沖縄で1年半ほどボランティアをして、そして長野に行ってから夫と同じ、主に野外教育を行う公益財団法人で働き始めました。

しばらくは長野に居たんですが、2020年頃に、兵庫県北部の美方郡香美町にも事業所がある関係で、そこに事務局として行って、現場職員として働いていた夫と出会いました。

 

ではコロナ禍で出会ったんですね。

 

(望恵さん)
そうです。勤め先の財団は事業所が東京と長野と兵庫にあって、結構な頻度の出張で行ったり来たりしていたんですけど、東京に異動する予定があったんですが、コロナ禍で一度東京へ行くと絶対出れなくなるからみたいな状況だったので東京への異動はなくなり、兵庫への異動に変更になりました。

もう本当に転職ばかりで、履歴書が書きにくいっていう。自分でもどこで何してたかよくわからんくなったりします(笑)

 

結婚されたのはいつだったんでしょう?

 

(望恵さん)
2021年に丹波市に引っ越ししてきてから入籍しました。

 

なるほど。では次にご主人の出身はどこでしょう?

 

(拓也さん)
姫路出身の姫路育ちですね。高校までは姫路で、大学は東京へいって、卒業してすぐその公益財団法人の事業所がある兵庫県の美方郡香美町で仕事を始めました。少年自然の家の現場職員みたいな感じですね。

 

では、ご主人はずっと同じ仕事先だったんですね?

 

(拓也さん)
そうです。そこで7年間勤めて、丹波市内にある団体職員に転職して、今ですね。キレイな履歴書を意識しました(笑)

(望恵さん)
私も同じタイミングで辞めて、丹波市にきてから転職活動して、今は東京に本社があるIT企業でフルリモートで働いています。

 

時間をかけた家探しと新築を建てるという決断

 

仕事はこっち来てから決めたんですか?

 

(拓也さん)
転職活動をして、決まったから丹波市にという感じでした。決まった先が丹波市じゃなかったら、丹波市じゃなかったかもしれません。仕事が優先やったんで。

 

なんとなくこの辺の田舎がいいなと思ってたんですか?

 

(拓也さん)
そうですね。香美町の施設が尼崎市立だったので、その関係で香美町と尼崎市を行き来することがあって。それでよく丹波市辺りを通ってたんです。

そこでの最後1年間は、コロナ禍で自然学校の受け入れができなくなって。それで、丹波市の少年自然の家での活動をお手伝いするみたいなこともあって、丹波市で泊まって、次の日尼崎市へ行ったりとかすることが結構あったんです。

 

なるほど。それで土地勘があったんですね。

 

(拓也さん)
それで、この辺りは都会へのアクセスも良いし、僕も妻も実家まで大体1時間ぐらいで帰れるし、そんなに実家近くに住みたいっていうわけでもなかったし、その辺のふわっとした条件にも合って良いなあみたいな感じで。

(望恵さん)
香美町の時はもっと田舎だったんですよね。冬場もほんと、2mくらい積雪するくらいでしたし。

 

ちなみに、ご主人の仕事探しって、どうやって仕事探ししてましたか?

 

(拓也さん)
僕の姉の夫が兵庫県内の同じグループの団体職員で、相談しているうちに気持ちが動いてきて、それで調べてみたら、たまたま29歳まで募集があったんです。

その時僕はちょうど29歳で、丹波市には先ほどの話で環境的に良いなと思っていたので、受けてみたら無事に採用してもらえたんです。

 

なるほど。家はどうやって決めたんですか?

 

(望恵さん)
夫は畑がしたいという希望があったし、私もいずれポニーを飼いたいと思っていたから広い土地を探していたんですけど、普通の不動産やとなかなか見つからなかったんで、最初はアパート暮らししながらずっと探していたんです。

(拓也さん)
農地と家付きっていうのがそんなになくて、不動産屋さんは『農地は借りたらええんちゃうか』みたいな感じだったんですけど、でも家と同じ敷地がいいなと思っていたから、1年くらい探して。

 

最終的に新築されてる訳ですが、最初は古民家探してたんですか?

 

(望恵さん)
そうです。最初はよくある田舎暮らしを求めて。でも、不動産屋さんからは『コロナ以降もう全部いい古民家は売り切れてて、いつ入ってくるかわからない』と言われて、古民家を諦めだしたんですよね。

(拓也さん)
まあ古民家は古民家でいろいろ大変なことがあるのを聞いてましたし、僕らはどっちかというと古民家の雰囲気も好きですけど、快適性とかそっちの方を重要視するタイプなので。

 

古民家に住んでから、リフォームとか新築する人も結構いますからね。

 

(望恵さん)
それでしばらく探して、農地付きのちょうどいい物件が出てきたので、家を解体したい旨を所有者さんにも最初から正直に話したら、『それは買った人の自由だから』と特に問題なく新築を建てられることになったんです。

どの町に住むかっていうのは結構迷って。私はアパートが氷上やったんで氷上推しやったんです。値段とか風景でいったら山南、市島、春日とかも良かったんですけど。

 

新築建てるとなれば、ある程度どこでも建てられますもんね。

 

(望恵さん)
新築建ててずっと住むとなると、私たちは親族が近くにいないから、バス停か駅まで歩いていけるのは必須とか考えると、氷上町か柏原町に絞って探し始めました。

じゃあ氷上と柏原で、これだけ土地があるところ、畑があるところを見つけるっていったら結構なくって、一年近く探すことになりました。

(拓也さん)
移動はね、後で変更効かへんっていうのがあるので、場所選びは結構慎重になりましたね。

 

誰も知り合いがいなかった丹波市での暮らし

 

丹波市に引っ越してきてみてどうですか?

 

(二人)
暮らしやすい!

(拓也さん)
丹波市に来る前は、コンビニまで車で30分はかかるようなところでしたし、それと比べると断然便利ですよね。

 

村付き合いはどうですか?

 

(拓也さん)
ここはネットでよく見るような田舎特有の村八分とかそういうのは全然ないし、みんな優しいので、結構田舎暮らしの大変エピソードとか聞いてたんですけど、そういうのはないですね。

いい距離感でほっといてくれるんで、その辺は今の若い人たちにマッチしてるんじゃないかなって。べったりじゃないのは。

(望恵さん)
住む前に地域の人とお話する機会があって、そこでも『ポニー飼ったり、地域の子ども達を集めて芋掘り大会とか、昔やってたような活動をやりたいんです』って言ったら、『いいですね、子どもの活動をしたりやりたいことがあるっていうのは』って言ってくれはったんで。いい地区やなあと感じました。

 

なるほど。では特に悪いと感じることはないですか?

 

(拓也さん)
そうですね。村の日役とかは、段々と大変になってくるだろうなと思いますね。草刈りとかは特に。その辺は多分、どこの地域も抱える同じ課題ですよね。

自治会費も、ネットでよく見聞きするような、何百万もする入村費払えとか言われたらどうしようと思ってましたけど、全然そんなことなかったですし。

 

奥さんはどうですか?

 

(望恵さん)
私は買い物が、丹波市外に出ないといけないことがあることですかね。福知山とかに出ちゃうこともありますし。あとは温泉くらいかな?

(拓也さん)
温泉はそうですね。僕、温泉好きなんですよ。温泉が欲しい(笑)

(望恵さん)
テレビ付きのサウナが欲しいねんな(笑)
あとはずっと住むってなった時に、現状では子どもの高校以降の選択肢が少なそうだなっていうところですかね。もちろん、ない訳じゃないんですけど、どっちかの祖母の家に住み込みすることがあるかもしれないし。

(拓也さん)
まあ、いずれその時にまた選択肢がでてくるんでしょうけどね。今は満足度の方が大きいです。

 

あと、奥さんがJC(ここでは丹波青年会議所の意)に入られていると伺ったんですが、どういった経緯があったんでしょう?

 

(望恵さん)
前の職場の創設者が、それこそ何十年も前に青年会議所に入っていて、それがきっかけでご自身で財団法人を立ち上げたそうで。それがあって、青年会議所っていうのはそういう青少年育成をやってる団体やと思ったんです(笑)

JCはどちらかと言えばまちづくりって知らなくて。でも、IT企業に転職したのもあって、今後また青少年育成に関わろうと思えば、そういうところに関わっておきたいなと思って、自分から問い合わせして、入会させてもらいました。

 

なるほど、そういう経緯だったんですね。

 

(望恵さん)
あと、私たちはIターンで、丹波に知り合いがいないじゃないですか。しかも私はリモートワークやから、リアルで人と会うことがないんですよね。だから同年代の友達ができればいいなというのもありました。

(拓也さん)
僕は会社行ってるんでコミュニティができるんですけど、妻は人と話すのが好きなタイプで、引っ越してきてから人と会わないことが結構ストレスになってた時期があって。だから『どっか習い事いったら?』とか、そういうのは心配しとったんです。結果的に、ずっと楽しそうにやってるんで、まあまあよかったなと思ってます。

 

確かに、最初は知り合いいないですもんね。

 

(望恵さん)
JCで初年度に青少年育成の委員会に入れてもらったんで、自分にもすごい身近なところやったし、現場の下見とかは、夫と一緒に行ったりもして、本当に楽しくやらせてもらってますね。

(拓也さん)
たまに妻を迎えに行ったりしても、皆さん気持ちよく挨拶してくれますし、仕事の関係で会う人もおったりしますし。自分だけでは解消しきれない部分を助けてもらってますね。

 

特別な夢がない分、理想の暮らしを追い求めていきたい

 

これからの生活で、今後の展望はありますか?

 

(拓也さん)
僕はそんな人様に大きく言えるような夢とかが強くない方なんですよ。普通に、子どもを元気に育てて、みんな健康で、ある程度自分の好きな趣味とか畑が継続してできたら良いなっていう感じですね。大きくこれがしたい、独立したいとか、そういうのはあまりないです。

(望恵さん)
芝生でバーベキューでしょ?

(拓也さん)
そうそう。特別な夢がない分、そういう理想の暮らしを叶えていけたらいいかなっていう感じですね。あとは前の仕事が子どもと一緒に活動する仕事やったんで、丹波市内の地域の子どもたちと少し活動ができるようなことができたら良いかな。小さい間の原体験は大事だと思ってますので。

 

奥さんはどうですか?

 

(望恵さん)
以前関わっていたボランティア活動は全てポニーと関わる青少年活動だったんで、私はやっぱりポニーを飼いたいですね。飼うか、少なくとも借りて、何かそうやって子どもたちを集めて活動ができるぐらいはやりたいですね。

近隣の自治体でも馬のお世話する人を探しているといった話を教えてもらうことがあるんですけど、今はまだ子どもが小さいですし、夫と同じく、小さい夢から少しずつ形にしていけたらいいかなと思ってます。

丹波市の移住相談窓口が運営する空き家バンク「住まいるバンク」は、開始から10年が経とうとする中で、近年ご紹介できる物件の数が、移住希望者よりも少ない状態が続いており、なかなか理想の生活にマッチすることが少なくなっていたりします。そうした状況の中、松田さんご夫婦のように、物件探しの間、アパートから生活を始められる方も増えてきています。そうした中でも、奥さんのJC活動のお話もそうですが、丹波市にもまだまだ「理想の暮らし」を追い求められる土壌があり、自身が望めば手に入る余地があるのではないかと思わせてもらったインタビューでした。