丹波の良さは“人”。繋ぐことを決め、支え合うことを決めたU・Iターン夫婦
上山渉・未登利さん


こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。
丹波市で生まれ育った上山渉さんと、お隣の丹波篠山市で生まれ育った未登利さん。お二人とも、一度は丹波市外に出て、様々なきっかけやご縁があって地元へ戻られ、生活する中で、出会い、結婚されたとのこと。
一度外へ出てみて、どういった心境の変化があったのか。経緯を詳しくインタビューしてきました。
それぞれの歩んだ道のり
渉さんは丹波市のどちらの出身ですか?
春日町です。平成元年生まれで、3人きょうだいの長男ですね。春日中学校卒業後は福知山成美高校へ進学しました。
福知山成美へ行ったのは何か理由とかあったんですか?
柔道ですね。幼稚園から柔道を始めたんですが、途中で金沢市に引っ越したんです。その後、中学二年生で戻ってきたものの、こっちの中学では柔道部がなかったんで陸上部に入りました。それでも楽しくやってたんですけど、柔道部を経験することなく高校卒業しちゃうのも嫌だなと思って、柔道部のある普通科の学校ということで、成美に行きました。

なるほど。高校以降はどうされたんですか?
大学は関西福祉大学に進学しました。就職は介護系の会社に就職して、6年ほど働いてました。その後、ご縁があって丹波市に戻ってきたという感じですね。
福祉に興味を持ったのはいつからだったんでしょう?
小学校の頃、自分の将来の夢みたいな発表する場があって。特にその頃は何になりたいとか、将来の夢とか全然なくて。でも、周りの親戚とかに『福祉に向いてる』って言われて、「あ、向いてるんや、じゃあそっち目指そうかな」と思って。
で、漠然と福祉の仕事っていうのは思い始めて、高校生の時に「福祉系ってどんなものか、ちゃんと考えないとな」「介護も経験しときたいな」と思ったり、最終的には「相談に乗って何か支援をするような、相談援助職にしたいな」と思って、大学も学部を選んで進学しましたね。

なるほど。大学の時は一度実家を出ましたか?
そうですね、一人暮らししました。新卒で働いた会社は全国にあって、配属先は川西市だったので、隣の池田市にアパートを借りて住んでいました。
ご縁があったという、丹波市へ戻ってくるきっかけは何だったんでしょう?
きっかけは、ちょうどケアマネジャーの資格試験に受かって、研修を受けてたんですけど、現場実習があったんです。それで、どこかの事業所に3日間ほど行く必要があって、住んでいた池田市周辺か、「いずれは帰ろう」と漠然と考えていた丹波市にするかどうしようかなと。
丹波市の社会資源を把握するためにも、丹波市で受けた方がいいのかなと思って、まず丹波市の事業所に電話して、何社か断られて。最終的に『いいよ』って言ってもらったところが結果的に、今も働いている丹波市の社会福祉法人だったんです。

求人も出てたってことですかね?
そうですね。実習後に『もしかしたら募集かかるかもしれないよ』と教えてもらって、しばらくホームページを見てたら募集が出て、申し込みしてみたら無事に受かったという流れでした。
当時の仕事が、きつい割に条件面も厳しくてしんどかったんですね。今の職場の求人が出た時に、上司に相談したら『君の選択は正しいと思うよ』と言ってもらえたので、円満に退職して、2019年4月には戻ってきてました。
ありがとうございます。では未登利さんはどうでしょう?
生まれは尼崎市で、3歳の時に父の実家がある丹波篠山市に家族みんなで戻ってきて、3歳からずっと篠山やったんで、もう気持ちは篠山生まれみたいな感じはありますね。
篠山中学校、篠山鳳鳴高校と進学して、大学は茨木市にある4年制の私立へ行きました。なんとなく「心理学がいいな」と思っていて、友達とオープンキャンパスに行ったとこで決めましたね。私もその時に茨木市で一人暮らしをしてました。

社会人生活はどうだったんでしょう?
まちづくりに関心があったので、京都に本社がある、市役所から観光パンフレットとか計画書作成、印刷等を請ける会社に就職しました。その印刷部門が亀岡にあって、そこで7年程、主に冊子印刷用のデータを作ったりしていました。たまたま篠山の実家から通える距離だったので、大学卒業と同時に実家に戻りました。
まちづくりにはいつから関心があったんでしょう?
篠山の河原町通りが中学校の通学路だったんですよ。で、町並みが変わっていったり、お店が増えたり、観光客が増えていくのをずっと見てて、「みんな、何で来るんやろう?」って思ってたんですよね。
移住者も増えてきて、古民家再生したりとか、マルシェがあったりとか、身近な環境が変わっていくのを見て興味を持ったんだと思います。

丹波市に来ることになったきっかけは何だったんでしょう?
たんば“移充”テラスのイベントですね。参加者全員、普段の肩書きを伏せて交流するという趣旨の、覆面合宿でした。その日は仕事だったんですけど、遅れて参加してもいいと言ってもらったので、参加しましたね。
それで、中川ミミさんと同じテーブルやったんです。転職したくて参加してたんですが、その時は当然、ミミさんが移住相談窓口の仕事してる人って知らなくて。でも、偶然「なんで篠山に移住者が来るのかずっと気になってる」という話をして。
その後、相談員の募集をされてた時に、声をかけてもらって、2019年の11月頃に移住相談員になったという流れです。
なるほど。最初は実家から通勤してたんですか?
そうです。それから、2020年3月に丹波市のシェアハウスに入居して、数ヶ月住んで。その後、知り合いが住んでいた丹波市の一軒家が空くのを聞いて、友人と一緒に稲畑で住み始めたのが、丹波市民になったタイミングですね。
2年ほど住んでましたが、途中で母が大きな病気にかかったこともあって、篠山といったりきたりの生活といった感じになってましたね。

丹波での出会い、そして結婚
わかりました。お二人が出会ったのはいつだったんでしょう?
2021年10月に、丹波市内で行われた謎解き婚活でした。
なるほど。出会った時はお互い、どういった印象だったんでしょう?
(渉さん)
もっと喋りたいなっていう感じでした。なんか、照れくさいですね(笑)
僕は喋るのが苦手で、何を話すか考えてから話すタイプなんですけど、そんな必要がないくらい、「未登利さんは話すのすごい上手やな」と思って。「なんかすごい」っていう印象が強かったです。
(未登利さん)
私ももっと話したいなと思いましたね。自己紹介は時間が短かったんですけど、お互い本とか音楽が好きという話をしてたので。半分仕事みたいな気持ちで参加してたんですが、自分もずっとパートナーがいなくて、母の病気のこともあって「いつかは両親も居なくなって1人になるのかも」とは思ってましたね。まさか本当にそのイベントで出会って結婚することになるとは思ってませんでした(笑)

いいじゃないですか。結婚されたのはいつですか?
(未登利さん)
2023年の8月頃、お互いの実家と職場の間をとって氷上町のアパートで同居し始めて、入籍したのは11月ですね。結婚式は2024年2月でした。その後、子どもが生まれたのが今年の6月ですね。

ちなみに、結婚式はどうされたんですか?
(未登利さん)
結婚式は、出会ったきっかけになった婚活の主催者で、以前から移住同期で仲良くしてもらっていた、ウェディング事業をされているtsumugu weddingの米田さんにしようと即決でした。黎明館や岩屋山、移住のお手伝いをしてからお世話になっている方のお宿など丹波市内で前撮りして、結婚式は家族だけで集まって篠山で行いました。引き出物は丹波の人に頼んだんですが、焼菓子やコーヒーなど全て揃って。「自分達が色んな人にお世話になって楽しくやっているよ」っていうのを知ってもらおうと思って。
(渉さん)
未登利さんの知り合いの広さというか、すごい多方面に仕事してるんやなっていうのは、改めて実感しましたね。

移住相談窓口は仕事柄、多方面の人と出会いますからね。
(渉さん)
お付き合いしてから、色々イベントとかも一緒について行ったりして、どこに行っても未登利さんの知り合いが1人はいるし、紹介してもらって話すると、「どの人もいい人やな」って思って。結果的にその繋がりで、今も僕と仲良くしてくださったりとかするので、なんか、丹波市に帰ってきて、こんなに知り合いが広がるとは想像してなかったですね。
(未登利さん)
私も、一緒に仲良くしてくれるんでありがたいなと思って。無理に合わせる感じじゃなく、楽しんでくれてて嬉しいですね。これからどんな人たちと出会っていくのか、今後も楽しみです。

一度外に触れたからこそわかる、丹波の暮らし
渉さんは、いつ頃から丹波市へ帰ろうと思ってたんですか?
(渉さん)
小学校の頃に金沢市に引っ越した時は、「春日町よかったなあ」と思ってましたが、「ずっと丹波に住みたい」とか、そこまでは全然思ってなかったですね。ただ、高校の時は漠然と、「いつかは帰るから一回出よう」っていう気持ちは持ってました。それはやっぱり、「長男は家を継ぐもの」っていう意識で。親は別に『気にせんと出たらいい』と言ってましたが、自分は何か引っかかってたんですよね。自分としても、地元は好きだし、いつかは帰ろうって、思ってました。いざ大学で出てみたら、ちょっとホームシックになったりして。「やっぱ、地元良かったな」って。

出た後も実家にちょこちょこ帰ってたりしてました?
(渉さん)
そうですね、同じ関西圏なんで、月1か、2ヶ月に1回ぐらい帰ったりして。「帰ることが親孝行とか祖父母孝行かな」とも思ってましたし、社会人になっても続けてはいたんです。で、社会人になって、より、その漠然と「いつか帰ろう」が、「いつ帰ろうか」になってきて。「20代後半で結婚できたらいいな」とか、自分のライフステージをぼんやり考えたり。そうこうしているうちに、祖父が癌で亡くなって父が継いだ頃に、今後のことを深く考えたんですよね。
誰かが家を守らないといけなくて、下2人のきょうだいは家を出てますので、それはやはり自分の役割なのかなと。「長男だから」に苦しむようなことはなかったですが、親が元気なうちに帰りたいと思ってましたね。仕事の都合で、踏ん切りがついた感じでした。

参考までに、実家は何か事業とか、農業とかされてますか?
(渉さん)
事業は特になくて、農地が4反程ですね。自分たちが食べる分のお米や野菜は作っているくらいです。こうして戻ってきて、田んぼや草刈りを手伝うようになって、やっぱり本当に大変だなあと実感しているところです。
渉さんがしばらく外に出てこっち帰ってきた時、どんな印象でしたか?
(渉さん)
帰ってくるたびに感じるのは、「時間の流れが全然違うな」と。満員電車に揺られて辛かったのに、こっちは人がそんなにいない。ゆったりした時間が、「すごい気が楽でええな」と思ってましたね。昔の特別仲がよかった友人たちはみんな市外へ出ちゃってますが、今でも実家の方で入ってる消防団とかでたまに同級生と出会って話したりします。でも、昔と違って遊びに行ったり、ご飯食べに行ったりはしないので、少し寂しいところもあったりしますね。

丹波市の良いところ、悪いところって言われたらどうでしょう?
(渉さん)
やはり食べ物は美味しいですね。あと、人が優しいです。程よく世話好きな方もいたりとか、それを中立的に見る人がいたりとか。仕事の時もすごい気にかけてくれる方も多いなって。「これが丹波の良さなのかな」っていう風に、こっち帰ってきてから思いましたね。悪いところは、年代によって変わる気がしますが、昔は通学の関係で、電車の本数が少ないのが嫌でしたね。今だと近くに飲みにいけるところがないことくらいですかね。
(未登利さん)
丹波市はよくあるちょうどいい田舎ですけど、先輩移住者が多くて新しく移住してきた人を「仲間が増えた」と歓迎してくれて。それは地元の人も。人見知りだった私にも、『どこから来たん?仕事何してるん?何が好きなん?』と興味をもって接してくれて。そんな人たちがいる、ということが、丹波市のいいところだと思っています。マルシェやイベント、移住者がよく集まるお店があったり、約束してなくてもその場でよく知り合いや友だちに出会えるという、気軽で程よい距離感のコミュニティがあって。家と職場以外に居心地の良いコミュニティがあることが、幸福感につながっていると感じます。
基本的に丹波が好きなので、悪いところは思いつかないですね。

これからのこと
今後の展望を教えてください。
(渉さん)
最近、実家で家庭菜園を始めたんですけど。楽しいですね。実家は適度に古い家なので、子どもが小学校に入るまでには建て替えもしくはリノベーションして住んで、親とも上手に暮らしていきたいなと思っています。
(未登利さん)
そうそう、私もたんば“移充”テラスの企画でコンバインに1回乗ったんですけど、楽しかった。将来ちゃんと草刈機使えるようになったりとか、コンバイン・トラクターとかちゃんと乗れるようになって、お米作りを一緒にやりたいなと思っています。

家族で農業するの、いいですね。
(渉さん)
『自分の心を整える方法として、畑やるのもいいよ』と人から言われたこともあってやり始めたんですが、実際やってみるとすごいすっきりしますね。一時期、体調を崩した時期もあったんですが、子どもの笑顔のおかげで、「今をちゃんと生きられているな」と思うようになりましたね。
(未登利さん)
渉さんの実家は、田植えや稲刈りの時にはきょうだい家族や親戚一同が集まって協力して作業するんです。大人になってから親に教えてもらって一緒に作業することなんて、田畑がないと普通はないことだと思うので、お義父さんからやり方を教わっているところを見ていて、すごく素敵な関係だし良い機会だなあと思います。自分が小さい時は、田舎らしい生活というか、山や川とか自然の中で遊んでこなかったので、子どもには野遊びをたくさん経験させてあげて、田舎のよさを肌で感じられるようにしてあげたいなと思っています。

丹波市で生まれ育った人は、統計上では半数以上の人が進学や就職を機に市外へ転出しています。元出身者の方にとってはUターンといえど、「家に帰る」「実家に戻る」といった感覚であることが一般的で、移住相談窓口へ相談にこられるケースは少ないですが、実際には毎年Iターン者以上の人数が丹波市へ戻っていると想定されています。渉さんの率直な実体験はきっと、同じUターン者にとっては共感が湧く話が多いのではないでしょうか。また、未登利さんは、自分自身もIターン者として、昨年度まで移住相談員として色んな方の相談に応じてこられました。現在は育休中とのことですが、まずは何よりも、子どもが平穏にすくすくと成長していくことを願って。