「ちゃんと根をはるなら丹波市で」~都市部を経験した後にUターン
芦田諒太・彩華さん
こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。
丹波市青垣町で生まれ育ち、大学進学を機に神戸へ。その後、スーパーで5年間働いたという芦田諒太さん。日々の仕事にやりがいを感じながらも、「自分の手で形に残る仕事がしたい」という思いが強まり、家業である「芦田畳店」を継ぐ決意をしUターン。
妻の彩華さんは朝来市出身で、医療ソーシャルワーカーとして神戸の病院に勤務。学生時代、障がい者支援のボランティア活動を通じて出会った二人は、結婚を機に丹波へ拠点を移し、古民家をリノベーションして家族5人で暮らすことに。
都市部での便利さを知ったうえで「田舎でこそ得られる安心感とゆとり」を実感するという芦田さん夫婦。なぜ丹波での暮らしを選び、どのように根を張っていったのか。詳しく話を伺いました。
一度都市部へ出たものの、「やっぱり田舎がいいな」と感じUターン
諒太さんのご出身は?
丹波市青垣町の東芦田です。青垣中学校を卒業したあと、篠山産業高校へいきました。その後は神戸にある大学に進学して、イオン系列のスーパーの魚屋さんで5年程働いていました。
5年で辞めて丹波市に帰ってきて、家業の畳屋を継いで今は10年目ですね。高卒で働こうかとも思ったりしましたが、当時はまだいい大学に行って、いい会社に入ってという風潮もありましたので、一旦市外に出ることにしました。
実家が青垣で、畳屋さんをしてたんですか?
そうですね。僕は3代目になるんですが、祖父が石生で創業して、立地条件を考慮して37年前に柏原に店を移して稼働してきました。東芦田の方は倉庫といった役割ですね。今は親と3人で畳屋をしています。
継ぐ継がないに関して、ご兄弟はいらっしゃるんですか?
僕は長男で、下に妹と弟が2人います。長男だからという理由で継ぐようにと親から言われてきた訳ではないんですが、一度外に出て働いてみて、結婚して子どもができてとなる中で、色々考えた結果ですね。当然、実家のことや家業のことも考えて。
生まれた時からずっと畳で育ってきたので、スーパーで働いていた時もそれなりに充実はしてたんですが、「何かカタチに残せる仕事がしたい」と思うようになって、帰ってくることを決めました。ですので、継いだのは自分の意志ですね。
なるほど。ご両親はそのことについて何かおっしゃってましたか?
自営業だから勤め人よりも不安定なところがあるから少し心配な気持ちもあったみたいですけど、帰ってきて家業を手伝ってくれるというのは心強くて助かると思ってくれていましたね。
ちなみに、スーパーで働こうと思った理由はなんだったんでしょう?
スーパーは、僕はご飯を作るのが好きやったんですよ。ちょうど東日本大震災があった頃で、やはり生活インフラとして身近にスーパーがないと生活できないので、とても重要な仕事だと思って入社したのと、釣りはしませんが魚が好きなので、バイヤーになりたかったんですよね。
結局、面談の度にバイヤーになりたいと交渉してきたんですが、結婚を考える時期でもありましたし、バイヤーとなれば全国転勤もあったので、今後の人生を考えた際に、頭の片隅に家業が浮かんで、帰ってきました。
お二人が出会ったタイミングはいつ頃でしょう?
僕がスーパーで働いていた時です。大学在学中に障がい者の支援をするNPOのボランティア団体に所属してたんですが、僕がOBとして参加していた時に、彼女が一回生で参加していたのが最初です。OBとして色々教えたり、一緒にボランティア活動する中で出会いました。
なるほど。では彩華さんに話題を変えて、ご出身は?
私は朝来市の和田山出身で、高校は兵庫県立の生野高校に通っていました。大学は福祉系に進学したくて神戸の大学に行ってました。夫とは5つ年齢が離れているので、本来はお互い在学中には出会わなかったんですけど、先ほどのNPOの活動があって出会いました。
就職は医療ソーシャルワーカーとして、最初は神戸の病院に就職しました。
結婚されたのはいつですか?
(諒太さん)
2017年ですね。入籍はもう少し早かったんですけど。2016年に家業を継いだので、結婚はその後になります。妻にはこちらに合わせてもらう形で、神戸から西脇市の病院に転職してもらってしばらく西脇市で一緒に生活していました。今は2021年に柏原の古民家を買ってリノベーションした家に、子ども3人含め家族5人で住んでいます。畳は売るほど作ってますので(笑)
なるほど(笑)家はどうやって決まったんですか?
(諒太さん)
住まいるバンクですね。実家近くに住むことも考えましたが、妻が最終的には篠山の病院で勤務することになったので、柏原に店があることも含めた兼ね合いで決めました。でも、妻は最初、この物件は「なし」だったんですよ(笑)
(彩華さん)
でも、夫が『一回見てから判断してよ』というので、重い腰をあげて内見しにいってみたら「いいやん」ということになって、決まりました(笑)写真だけではやはりわからないことがありますね。周辺の雰囲気とかも、近くに大きな公園もあって、買い物もしやすいし。夫の実家は少し離れているものの、車でならそんなに遠くないですし。
お二人は市外での生活はどう感じていらっしゃったのでしょう?
(諒太さん)
僕らの場合は、お互いが元々田舎出身というのもあってか、子育てとなれば都会で育てるビジョンがなかったですね。
(彩華さん)
私たちは二人とも都会に出て、「やっぱり田舎がいいな」と思った方なので、恐らく都会の便利さや不自由のなさが勝てばそのまま住み続けられたんでしょうけど、もう完全に気持ちが田舎で暮らす前提だったので、それも大きいかなと思いますね。
彩華さんとしては、こっちに引っ越したり、旦那が家業を継ぐことに関してはどう思っていたんですか?
(彩華さん)
付き合っていた頃から色々事情は聞いてましたし、自分もその行方を見据えて資格をとってきましたので、どこでも働けるようにはしてきました。最終的には「自分が移動したらいいかな」と思ってました。
仕事にも子育てにも、ちょうどいい丹波の暮らし
丹波での暮らしはどうでしょう?
(諒太さん)
僕が生まれ育った青垣町はしっかりとした田舎だったので、村付き合いのことに関してはそれなりに覚悟してた部分はありましたが、柏原は人が多いので、思ったより村付き合いの頻度が少ないですね。ただ、たまたま26世帯程の組の中で、時計回りに順番に組長を回していたところにあたりまして、柏原に入った瞬間に組長になりました(笑)
でも、結果的にすぐ名前を覚えてもらえましたし、柏原には以前から店があったので馴染みがあって見知らぬ土地ではないし、付き合いの距離感もほどよくて楽しくやれています。
奥さんはどうですか?
(彩華さん)
住みやすくていいですよ。自然もいっぱいだし、子どもも遊ばせるところがいっぱいあるし。これまで割と住む場所を転々としてきたから、基盤というか腰を据えて生活できているのがいいです。
奥さんが生まれ育ったところと比較してどうでしょう?
(彩華さん)
私が育ったのは高速のインター近くだったんですが、これといった遊ぶところもなかったですし、外食できるお店もなかったので、柏原は色んなことを含めてちょうどいいですね。イベントも多いですし、人も明るいし。行こうと思えばどこでもいけるし、生活する上で何も問題がない感じですね。どこかにちゃんと根を張りたかったので、それなら丹波市かなと。
(諒太さん)
気候的にも、ここ数年は暑かったり雨が降らなかったりと変な気候が続いてたりもしますが、街中と比べたらやはり子育てはしやすい気もしますね。こっちでしか体験できないことがあるし。
家業の畳屋さんがもう市内で唯一だそうですが、いつから唯一なんでしょう?
(諒太さん)
どんどん廃業していきましたからね。畳屋は横の繋がりがあまりないので、人伝にどこどこが店閉めたと聞く感じですが、気づいたら生き残ってました。畳の部屋を選ぶ人も減ってきましたが、まだ需要はありますね。
奥さんも畳屋の仕事を手伝っているんですか?
(彩華さん)
いえ、私は医療ソーシャルワーカーだけですね。畳屋はまだ義理のご両親とも健在ですし、仕事はそれぞれ別です。
(諒太さん)
昔から畳の匂いを嗅いで育ってきて、仕事場の作業の音とかもずっと聞いてたくらい、畳屋の存在は身近なものだったんです。別の仕事もしたけど、自分の手で形が残せる仕事として、日本人の原点でもあるこの仕事がしたいなと思って3代目となりました。
近隣には畳屋さんは何件かあるんですか?
(諒太さん)
どこも減ってきてますが、福知山や西脇、篠山にはありますね。ただ、どこも年輩の方になってきましたので、この近隣では僕は一番若いくらいなんじゃないかと思います。兵庫県内では神戸あたりまでいかないと若手がいない印象ですね。
お客さんは個人?法人?
(諒太さん)
一般の人と工務店と半々くらいですね。工務店さんから「西脇行ってほしい」と言われたら近隣にも行きますし、畳は寸法が決まっていませんので、現場で寸法を測ってから畳を作って収めるという流れですね。
畳の原料はどこから入って来るんですか?
(諒太さん)
イグサは熊本産と中国産で、熊本産のは水分量が多くふっくらしていて、かつ丈夫で耐久性が良く、香りもいいんです。中国産は質が少し落ちるんですがその分コスパがいいので、お客様のニーズを十分聞き取った上で、それに合ったものを入れる感じです。素材はイグサじゃなくて和紙にすることもあったり、ポリプロピレンといったものや、あとは縁など、組み合わせは100種類くらいあるんですけど、それをお客様の年齢や暮らし方とかヒアリングして、オーダーメイドで合わせていくのが畳屋さんの腕の見せ所ですね。古民家となれば経年で床がズレていたりするのをぴったり合わせていくんです。
工務店が間に入ると、お客さんは芦田さんが入れた畳だと知らないまま張り替えなどをやってもらうこともありそうですね。
(諒太さん)
そうですね。たまにもう亡くなった祖父が入れた畳に出会うこともあります。畳の裏には方角とかを書くんですが、それで「じいちゃんもここやってたんやな」とわかるんですよ。若い頃にやったのか、たまにミスってるのも見かけたり(笑)丹波市に移住してこられる人たちは古民家買うことが多いですし、畳の張り替えに行くことが結構あります。最近の新築はフローリングが一般的になってきましたが、やはり丹波の風土には畳が一番合ってると思いますね。
これからのこと
今後の展望を教えてください。
(諒太さん)
畳屋さんは、生きている間はずっと続けていきたいと思っていますし、この辺りではもううちだけなので、畳のことをもっと知ってもらえるよう、色んなことを発信していきたいなと思っています。でも、畳ってどこに頼んだらいいのかわからないということがあると思うんですよね。ちゃんとここに畳の専門店があって、地域に根差してやっているということをちゃんと認識してもらって、畳に関する悩みを解決し、畳の文化を残す以上に普及していきたいです。
(彩華さん)
私も、夫の仕事は誇りに思っていますし、この柏原の土地で自分たちは精神的に豊かな生活ができているっていうのは自分にとってもいいことだと思っています。それがベースにあるからこそ、子育てもできて、自分も好きな仕事ができていますので。畳屋さんは物作りの仕事の側面があって、私は福祉専門職で、いずれも困っておられる方の支援をする仕事ではあるので、今後もうまく活かし合いながら暮らしていければいいなと思います。
子育てについてはどうでしょう?
(諒太さん)
せっかく丹波にいるので、もうのびのびと育ってもらいたいと思いますね。二人の考えとしては、僕は手に職系、妻は資格で仕事していることもあってか、今後は大学卒業が就職に関してアドバンテージにならなくなっていくんじゃないかと思っているんです。高卒で働くとなってもそれはそれで早いうちに業界に触れておくのも全然いいと思うんですよね。
(彩華さん)
丹波のような自然いっぱいなところで、お友達も同じように自然と触れ合って遊んでいる中で色んな影響を受けて、時には失敗もして、その中で自分の好きなこと、したいことを見つけていく時間にしてもらえたらいいかなと思っています。
元々、田舎で生まれ育ち、都会に一度出てみたものの、「住むなら、子育てするならやっぱり田舎で」と、暮らしを選び直した先が田舎という流れでUターンする人は丹波市でも決して少なくありません。「長男だから」「家業や家、農地を継がないといけないから」といった昔から根強くある動機も、年々ネガティブな空気感が薄れ、自分の人生の中の、一つの選択肢といった位置づけになってきているような感覚があります。都会でも田舎でも、同じ日本国内で起こっている人口減少や少子高齢化、物価高騰などといった事象はどこも同じ。そうした中、自分達の理想の暮らしはどこにあるのか。ご夫婦と同じような環境にいらっしゃる方は、是非参考にしていただきたいと感じたインタビューでした。