移住者インタビュー

Vol.122 / 2026.08.31

「みんな大事な人」~家族の枠にとらわれず、自然と巡る暮らしを求めて丹波へIターン

七村明宏・水野亜樹さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

兵庫県宝塚市出身の七村明宏さんと、埼玉県川口市出身の水野亜樹さん。各地への転勤を経験してきた七村さんと、都会での暮らしを経て地方への移住を考えていた水野さんは、静岡で出会い、自然な流れで一緒に暮らし始めました。

「自然に近い環境で野菜を育てながら暮らしたい」という思いと、田舎暮らしを考えていた七村さんのご両親の希望が重なり、家族みんなで暮らせる住まいを探すことに。畑や山がすぐそばにある現在の家と出会い、2025年4月、丹波市での新しい暮らしをスタートさせました。

現在は仕事をしながら、畑や田んぼ、猫や鶏のいる暮らしを少しずつ形にしている二人。家族という決まった枠や役割にとらわれず、一人ひとりのつながりを大切にする二人が思い描くこれからの暮らしと、人や自然が「めぐる」場所づくりについて、詳しく話を伺いました。

 

自然な流れで一緒に暮らすことに

 

七村さんのご出身はどちらでしょう?

 

僕は兵庫県の宝塚市出身で、高校までは宝塚で過ごしました。大学は当時の大阪府立大学に進学し、生命環境科学域を学んでいました。大学院も合格してたですが、在学中に精神的に伏せてしまって、そのまま中退したんです。

その後、1年ほど休養している間に、もともと植物が好きだったこともあって、ご縁があった植物工場の管理・運営をしている県内の会社に就職しました。

 

植物工場というのは、具体的にはどんなものですか?

 

完全に人工的な環境の中で、LEDライトを使い、水や空調なども含めて24時間管理しながら野菜をつくるような工場でした。主に葉物の野菜をつくっていて、いわゆる次世代型の農業の一つとして注目されていたものです。

会社では植物工場に関するコンサルティングのような事業もしていました。当時、植物工場に大企業が参入し始めた時期だったので、「うちも工場をつくるので手伝ってほしい」といった依頼があり、それで各地への転勤が発生していました。

 

なるほど。どこへ転勤されたんですか?

 

最初の勤務地から1年半ほどして福島県の大きな工場に転勤し、さらに1年半後くらいに三重県へ移りました。その後、1年経たないくらいで静岡県へ転勤しました。

 

かなりの頻度ですね。

 

そうなんです。ただ、働いているうちに、個人的には全て人工的に作られた環境のなかで野菜を育てることについて疑問を持つようになり、最終的には仕事を辞めることに繋がりましたね。

 

それだけ転勤されていて、パートナーの水野さんとはどこで出会ったんでしょう?

 

静岡にいる時に出会いました。その後、仕事を辞めて、静岡で水野さんたちと2年くらい暮らしてから丹波市へ引っ越してきた、という流れです。

 

なるほど。では、続いて水野さんの経歴をお願いします。

 

私の出身は埼玉県川口市で、高校も川口でした。その後、都内の短大に進学して、栄養士の資格を取りました。ただ、最初に就職したのは栄養士の仕事ではなくIT企業で、そこで3年くらい働きました。

結婚と長女の出産があったので会社を辞めて、しばらく子育て中心の生活をしていました。その後、次女が生まれ、子育てが少し落ち着いてから栄養士として働きました。他にもアパレルの仕事したり、ネイルスクールに通ってサロンでも働いたりしてたんですが、その頃に離婚しました。

 

「田舎で暮らしたい」という思いは以前からあったんですか?

 

小さい頃からありましたね。地方へ旅行に行くと、「このままずっと住んでいたい」と思うような子でした。でも、昔は田舎に移住して暮らすなんて無理だと思っていました。それが大人になるにつれ「私にもできるんじゃないか」と思うようになりました。

あと、ずっと都会で暮らしてきて「もう都会に疲れたな」「飽きたな」という感覚がありました。それで、離婚した後に「地方に移住したい」と思うようになり、子どもたちと3人で、「どこに移住しようか」といろんなところへ一緒に旅行しました。その中で静岡がいいなと思って、静岡の移住相談にも行きました。

 

なるほど。いろいろな地域を見た中で、なぜ静岡だったんですか?

 

実家のある埼玉からも行き来しやすいですし、ある程度町もあって、働く場所もありそうだというイメージがありました。いきなりものすごく田舎へ行くのではなく、最初の移住先として静岡はイメージしやすかったんです。

そこでまず静岡に友達をつくりたいと思ってた時に、七村さんと知り合いました。ちょうど七村さんも静岡に転勤してきたばかりだったので、そこから仲良くなって、実際に静岡へ遊びに行くようになりました。

 

一緒に暮らすことになったのはどういう経緯だったんですか?

 

(七村さん)
水野さんにはもともと「地方で暮らしたい」という思いがあり、僕も以前までずっと一人で各地を転々として暮らしていたので、「家族と暮らすということがあれば、生活も何か変わるのかな」という思いがありました。

ただ、当時は子ども達が小中学生だったので、子どもたちとの関係を一番気にしていました。でも、最初に会った時から2人ともすごく自然に接してくれて、何度が会っているうちに「子どもたちともちゃんと仲良くできるんだ」という安心感が出てきました。

 

(七村さん)
それくらいの頃に、「一緒に暮らしてもいいのかな」と思うようになりました。水野さん自身も引っ越したいと思っていたので、「じゃあ一緒に暮らそう」という、自然な流れでしたね。僕は当時一人暮らしをしていて、猫もいましたが、部屋数には余裕があったのでちょうど良かったんです。

(水野さん)
一緒に暮らし始めてから、長女は自宅から遠く離れた高校へ進学したタイミングで家を離れました。自然について学ぶことに特色のある高校で、一般的な寮ではなく、地域の民宿や一般家庭のようなところでホームステイに近い生活をし、そこから学校へ通うような仕組みでした。

 

田畑のある自然に近い環境を求めて丹波市へ移住

 

静岡から、なぜ今度は丹波市へ移住することになったんですか?

 

(七村さん)
もともと僕の両親が、「老後は田舎で暮らしたい」と考えていて、田舎で暮らせる物件を探していました。僕らも静岡で暮らしながらも、特にコロナ禍だった時から「いつか野菜をつくれるような、土に触れる環境に行きたい」という思いがずっとありました。

両親の状況を聞いて、「じゃあ僕らも一緒に探そうか」と途中から加わりました。田舎の物件は大きな家も多いですし、僕らは農地も欲しかった。だったら「全員で暮らせる家を探した方がいいんじゃないか」という流れです。「次女が中学校へ上がる前に」という気持ちもありました。

 

この家は、何軒くらい見て決めたんですか?

 

(七村さん)
最初に篠山で1件見ました。そこも良かったんですが、先に予約している方がいたので、その後、丹波市まで範囲を広げて探すことになりました。丹波市で見た物件としては、この家が1件目です。丹波で一発目に見て、そのままここに決め、2025年4月に移住しました。

 

どの辺が気に入ったんですか?

 

(七村さん)
裏がすぐ畑で、その先が山です。向こうを見ると山が大きく見えて、見晴らしもいい。集落の中でも上の方にあるので静かです。家自体も大きかったですし、倉庫も離れもあります。自分たちが求めていた畑があって、自然が近い環境だったことが大きかったですね。

 

娘さんたちは、七村さんのご両親とも一緒に暮らすことについてどう感じていたんでしょう?

 

(七村さん)
最初に僕との生活が始まったことで、一つ大きな壁を越えていたのかもしれません。だから、丹波で僕の両親とも一緒に暮らすことについては、子どもたちは抵抗があるというよりも、むしろご飯をつくってもらったり、欲しいものを買ってもらったりして、割とすんなり馴染んでいました。

 

お二人は事実婚という形とのことですが、どういう理由からだったんですか?

 

(水野さん)
当時、私が離婚を経験したこともあって再婚願望がなく、「結婚」という縛りのようなものに少し抵抗がありました。それから、結婚すると名字が変わることについて、娘たちも嫌がってたんです。

それで「別に結婚しなくてもいいんじゃないか」ということで、そのまま今の形で来ています。別に絶対結婚しないと決めているわけではなくて、「みんなにとって、今はこのままがいいかな」という感じですね。

 

なるほど、一番落ち着くカタチだったんですね。

 

(七村さん)
丹波市では、住民票でも「未届の妻」というような形で関係が分かるようにしてもらえているので、行政的なサービスについてはそこまでストレスありません。ただ、税金が結構違うのと、子どもたちに何かあった際に僕が法的に守れない部分があるので、そこはやはり壁があると感じています。

本人たちの気持ちを尊重するという意味では今の形で来ていますが、最近は本当に「子どもってこんなにかわいいんだな」と思いますし、「守りたい」という気持ちも強くなってきました。婚姻届がなくても現状の家族は家族です。制度を取るか、今の形をそのまま大事にするか、その両方を考えているところです。

 

丹波での暮らし

 

丹波市の生活はどうですか?

 

(七村さん)
率直な感想は「穏やかやなあ」という感じです。田舎ではあるんですけど、ものすごく田舎という感じでもない。自然は近いし、動物もいっぱいいるし、いいところだと思っています。

(水野さん)
私はやることが多すぎてまだバタバタしています。家は傷んでいたところもあるし、草もどんどん生えてくるし、娘の送り迎えもありますし。田舎へ移住したらのんびりするのかなと思っていたんですけど、全然そんなことはなくて、周りをゆっくり見る余裕がないです。

 

地域の方との関係はどうですか?

 

(七村さん)
本当にいい人たちばかりですね。まだ僕らがうまく馴染めていない中で、そういったことも気にかけてもらいながら接してもらっています。道すがら出会った時は優しく挨拶してくれたり、労いの言葉をかけてくれたり、優しい方々ばかりです。

月に1回くらい集まりもありますが、長時間みんなで話し込むような感じでもないので、田舎暮らしのスタートとしては心地の良い距離感で人間関係をつくれていると思います。

 

自治会関係はどうですか?

 

(七村さん)
草刈りは僕が行ったり、集まりは父が行ってくれたり、草抜きには母が行ったりします。秋の地域行事などは、水野さんと一緒に行くこともあります。誰か一人が全部やるというより、家族でその時にできる人がやっている感じですね。

 

暮らしていて困っていることはありますか?

 

(七村さん)
とにかく忙しすぎることです(笑)
やりたいこともいっぱいありますし、家のこともあります。夏場は草刈りが本当に終わりません。

(水野さん)
生活面では、駅まで歩いて行ける距離ではないし、夜にふらっと出かけるようなこともできないので、やっぱり不便なところはあります。都会にいた時に比べて、人に出会わないので本当に化粧をしなくなりました(笑)

 

お仕事は何をされているんですか?

 

(七村さん)
静岡で会社を辞めた時から、基本的に在宅で仕事をしています。中古のデジタルカメラやフィルムカメラなどを検品して、使えるか確認したり、商品写真を撮ったりしていまして、それを今も続けています。

(水野さん)
以前タイミーで行った先がきっかけになって、栄養士の資格を生かして障がい者施設で仕事をさせてもらっています。また、ネイリストの資格を持っているので、自宅の一室を改装してネイルの仕事ができるように準備中です。改装自体はほぼ終わっていて、あとは内装や設備を整えればスタートできる状態です。

 

七村さんのご両親はどうですか?

 

(七村さん)
両親ともに仕事をやめてきましたが、二人ともまだ若いので、父は何か仕事をしようと考えているみたいです。母は、朝6時くらいから畑へ出て、昼過ぎまで帰ってこないこともあるくらい、野菜作りに没頭しています。田んぼもあって、先日中古でトラクターも買ったので、自分たちでいろいろ作っていけたらいいなと思いますね。

 

これからのこと、家族のこと

 

これからの展望を教えてください。

 

(七村さん)
まだまだ道半ばですが、まず一つは、パートナーのネイルサロンをオープンさせることです。サロンの話ともつながるんですが、大きなテーマとして「めぐる」というキーワードがあります。人とのめぐり合わせもそうですし、自然や地球という大きなもののめぐりもそうです。

僕が今考えているのは、この土地を「食べられる森」にしていくことです。果樹を中心に、食べられる植物を植えていきたい。今は鶏も飼っていますし、今後は羊も飼いたいと思っています。いろいろな植物や動物、昆虫などが暮らせる、自然のめぐりと、人間同士のめぐりが交わる場所にしたいです。

(水野さん)
私は小さい頃から、自然や動物、地球を大事にしたいという意識がありました。だから、いろんな生き物や植物、微生物、人、みんなが仲良くハッピーになれるような世界をつくりたいです。それをまず、自分たちの暮らしているこの場所で表現したいなと思っています。

それを見て共感してくれる人が集まって、そこからまた広がっていったらいいなと思っています。

 

最後に、お二人にとって「家族」とはどういうものですか?

 

(七村さん)
僕たちはあまり「家族」という決まった枠の中にいないんです。僕とパートナーも、恋人だったり、夫婦のようだったり、親友だったりします。僕がたまにおばちゃんみたいに振る舞うので、「母と娘」みたいになることもあります。

いろいろな役割があって、決まった形にとらわれない関係がだんだん出来上がっています。多分これからも、そういう感じなんだと思います。

(水野さん)
私も、あまり「母だからこう」とか、「子だからこう」という役割をつくりたくないです。子どもたちはずっと前から私のことを「あきちゃん」と呼んでいます。だから、私は「あきちゃん」で、子どもたちは子どもたち。それぞれ「一人の人間」という感覚です。

「ここからここまでが家族」というより、個人と個人のつながりがあって、「みんな家族」みたいな感覚です。

 

(七村さん)
僕の両親のことも、娘たちは下の名前で呼んでいます。僕自身も、昔は「お父さん」「お母さん」だったのが、最近は名前で呼んだりして、そういう一般的な家族の役割が少しずつ崩れていく感じがあります。

たまたま同じ方向を向いていて、やりたいことも似ている人たちが、一緒に暮らしている。そんな感覚です。2世帯で暮らしていると言うと「大変でしょう」と言われるんですが、大変な部分はもちろんあります。でも、「家族だからこうしなければいけない」という感覚がそんなにないんです。

やっていることや考えていることをお互いに尊重して、「それでいいんじゃない」と言える。よくある「嫁と姑」のような感覚もないです。本当に個人と個人の付き合い、つながりで、一緒に暮らしています。

 

(水野さん)
元夫と子どもたちも今も仲良くしています。私も必要な連絡は取ります。離婚したからといって、完全な他人になるわけではありません。「形式上、離婚したら家族じゃない」とも思っていない。何て言えばいいのか分からないですけど、「みんな大事な人」という感覚です。子どもたちもそうだと思います。

(七村さん)
僕自身も、「父親」という感覚だけではないです。自分の中では、一般的な意味での「親子関係」という意識もそんなにありません。学校など社会の中では親子として見られるとは思いますが、子どもたち自身も「この人は父親」という感覚だけではないと思います。

お兄ちゃんみたいな時もあれば、お母ちゃんみたいな時もあるし、おじいちゃんみたいな時、親友みたいな時もある。いろんな役割になれる。自分自身も「父親だからこうしなければ」と気負いすぎなくていいので、それが楽なのかもしれません。

 

(七村さん)
僕たちは、一般的な家族の形を否定したいわけではありません。ただ、自分たちは「夫」「妻」「父」「母」「子」という役割だけに当てはめなくてもいいと思っています。その時々で、恋人だったり、親友だったり、親だったり、兄弟のようだったりする。

それぞれが一人の人としてつながっていて、たまたま今、同じ場所で一緒に暮らしている。そういう家族のあり方が、自分たちには自然なんだと思います。

世間一般的に、七村さんや水野さんのようなご家族のカタチを「ステップファミリー」と称したりしますが、お話を伺うにつれ、それとも違う印象を受けました。家族の数だけ、家族のカタチがある。「よそはよそ、うちはうち」とはよく言ったものです。全体な流れとして、昔と違って核家族化が進み、親や子どもと一緒に暮らすことの方が珍しいのではないかという世の中になっていますが、こうして沢山のIターン者をインタビューする中で、地元出身の方や、Uターン者のご家族で、二世帯以上で暮らしている方々の話も耳にしますと、「人手が多くて羨ましいな」「いざって時に親の手が借りられるのは助かるな」と感じる時もあります。七村さんたちのお話を伺って、自分自身も「家族」というものの理想のカタチを、深く考えるきっかけとなりました。