移住者インタビュー

Vol.63 / 2020.01.25

高等学校の教師を退職しUターン。学習塾の経営者として新しい教育の形を作る

渡辺広太郎さん

2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。

「教育次第で子どもの可能性って変わります」。他県の私立高校で5年ほど教員を勤め、丹波にUターンをした渡辺 広太郎さん。教育というフィールドで、子どもたちの可能性を広げ、彼らの自立心を高めたいと、学習道場Wise up(ワイズアップ)に就職。さらに塾長から経営者となり、運営も行なっている。ベストな教育を行うため、常にチャレンジし続けている渡辺さん。彼が目指す教育とは何なのか、また、Uターンして改めて感じる丹波での暮らしとは。早速お伺いしてみた。

 

 

 

 

教師を目指して岡山の大学へ進学。石川で夢掴む

 

 

 

 

3歳から高校卒業まで丹波市で過ごした渡辺さん。丹波市に居た頃から教師になりたいという夢を持ち、岡山の大学に進学した。数学や理科が得意だった彼は、大学では数学を学び、中学校・高等学校の教員免許を取得。夢へ真っしぐらだった。

 

 

 

丹波に戻りたいという気持ちはありました。しかし、石川県の私立高校から数学教員の求人が大学に来たので、記念受験にと思い受けたところ、なんと合格。石川県とはそれまで、縁もゆかりもありませんでしたが、移住することになりました

 

 

 

晴れて教員になりたいと夢を早々と叶えた渡辺さん。数学の教師、そしてクラス担当を持ち、一通り学校の流れを把握出来た教員3年目、丹波市にそろそろ戻りたいなという気持ちが湧き出てきたという。

 

 

 

 

教員生活5年で丹波市に戻ることを決意。地元愛が帰るきっかけに

 

 

 

 

本当は4年目にはここの教員を辞めて、丹波に戻ろうと思いました。しかしあと1年居たら退職金が変わると先輩に教えてもらい、ついつい5年間居ちゃいました

 

 

 

屈託ない笑顔でそう答えてくれた渡辺さん。このような正直で人間らしい性格も、子どもたちに好かれる理由だったのではないか。晴れて5年目で私立高校を退職した渡辺さんだったが、すぐに丹波市には戻らなかった。

 

 

 

私立高校を辞めた後、石川県と兵庫県で臨時職員に登録したんです。そうしたら石川県の小学校で依頼があったので、10ヶ月はそこで働きました

 

 

 

臨時職員としての任務が終了し、念願の丹波市へ戻る準備を始めた渡辺さん。丹波市で教員をするのかと思いきや、教員になる気は全くなかったと言う。

 

 

 

 

実は、教員という職業に少し疑問を持っていたんです。やりがいはありますが、子どもにも理由を説明できないようなルールが学校には多い。そして個人的にも労働に対しての対価が伴っていない。自分が思う教育は、学校ではできないと感じたんです

 

 

 

 

自分の特技が丹波市で活かされる。学習塾に就職、そして経営者に

 

 

 

教育のステージから離れてもいい。そう思いながら丹波市で就職活動をしていた渡辺さん。そこで見つけたのは、学習道場ワイズアップという学習塾だった。最初その求人を見たときは、あまり興味を持たず特に応募もしなかったという。

 

 

 

面白そうな塾ではありましたが、その時経営をしていた会社の運営方針と、自分が考えるものに相違があったため、応募するほどの魅力を感じていませんでした。随分時間が経ってから再度この求人を見かけて、2度も見るなんてもしかしたら…と思い、応募してみました

 

 

 

 

ここで縁があれば行ってみよう、もし縁がなければ教育の仕事自体を辞めようと思い、学習塾ワイズアップに応募した渡辺さん。見事、講師兼塾長として2018年に雇用された。また、今まで運営していた会社から、2019年の4月から株式会社ワイズアップとして経営承継。なんと、渡辺さんが代表となったのだ。

 

 

 

私が教育の現場でやりたかったことは、勉強だけではなく、自立心のある子どもを育てることでした。運営も教師としても働けることになるので、学校ではできなかった自分のやりたいことが実現できるのではと思いました

 

 

 

今までやったことのなかった経営という新しいチャレンジの中、就職を決意。今まで培った教師という経験を活かして、渡辺さんの丹波での挑戦が始まった。

 

 

 

 

学校では出来ない方法で、子どもの可能性を広げていく

 

 

 

自立心のある子どもを育てたいと熱い思いを語ってくれた渡辺さん。実際どのようにして、子どもたちの自立心を高めていくのだろうか。

 

 

 

丹波の子どもたちは良い意味でも悪い意味でもピュア。先生や親の言う通りになりやすいんです。特に現代はさまざまな物や考え方を、自然と与えられる環境で、自分で考えて行わなくても事が進む。そこでこの塾が、病院でいうセカンドオピニオンのような存在となり、自分で考える機会を与えていきたいのです

 

 

 

5年以上、学校という場所で働き、そもそも教師自身が知見が狭いのではないかと感じた渡辺さん。ほとんどの教師は、大学を卒業してからずっと学校の教師であり、学校以外で働いていない。なので、世間にはさまざまな職業があることを知らないという。そうすると子どもたちは、自分が関わる大人の職業以外を知る機会が少なくなってしまうのだ。そこで学習道場ワイズアップでは、「天職セミナー」という、自分に合った職や生き方を探すサポートを行う先生を、会社の役員兼英語講師として受け入れた。

 

 

 

 

また、あおはる研究部という部活を立ち上げて、子どもたちにやりたいことを提案し、実行してもらう場所を設けました。後輩先輩という垣根を超えて、皆で考えながら少しずつ活動を進めています

 

 

 

与えられすぎていて、自分から動けない子どもが多いという課題を解決するため、活動内容も全て生徒が計画をたてる何かを作りあげていく機会を設けた。今はまだ、誰かの誕生日会など小さな企画が多いが、年齢が違う生徒同士が一緒に作り上げることも一つの大事な経験。より多種多様な発想に発展してくれれば、と話してくれた。

 

 

 

子どもの頃に感じた丹波市と、大人になって感じた丹波市

 

 

 

 

いつかは戻りたいと思っていた丹波市。実際Uターンをしてみて、理想通りの生活を得ることができたのだろうか。

 

 

 

育った場所ということもありますが、やはり住み心地は一番良いです。360度山に囲まれたこの環境、そして県民性。落ち着きますね

 

 

 

また、環境や雰囲気は懐かしいことだらけだったが、大人になり自分自身の視野が広がったことで、新しい発見もあったという。

 

 

 

丹波について全て知ったつもりになってましたが、知らないことだらけでした。町にあるお店も、丹波の歴史も、全然知らなかったことを発見しています

 

 

 

18歳で離れた丹波。何もないし、どこに行っても同じ風景でつまらない町だと感じたこともあった青春時代だったが、丹波には実はたくさんあったことに、戻ってきた気づいたという。Uターンをしてプラスの発見が多く、懐かしさと新鮮さを日々噛み締めながら、丹波ライフを楽しんでいた。

 

 

 

子どもたちに伝えたい。夢は丹波市でも叶えられるということ

 

 

 

 

経営者になって、教師で学校にいた頃より責任を感じます。プレッシャーでもありますが、自分の経験を活かしながら、新しいことにチャレンジできればなと思います

 

 

 

経営者となり怖くないわけではない。不安もある。しかし、自分がやりたいと思っていた教育が、大好きな丹波市で実現していっている。これからの未来にわくわくしていることがひしひしと、渡辺さんから伝わった。

 

 

 

丹波で育った若者が戻ってくることはまだまだ少ない。なので、丹波に戻って活躍してくれる子どもを育てられればと思います

 

 

 

自分ができる仕事が丹波市にはないのでは、と思い帰ってこない同世代の友人も多いという。しかし実は、丹波市はやりたいことが出来る環境だという渡辺さん。渡辺さんの周りにも、丹波市に来てお店を開いたり、会社を立ち上げたりする人は多いそうだ。優しくて面倒見の良い人が多く、やりたいことを見守ってくれる人が丹波市には多い。地方だからという理由で躊躇せず、ぜひ丹波市という土地でどんどんチャレンジしてほしいと渡辺さんは言った。

 

 

 

生活に困らないくらいのインフラも整っている。お店もある。自然もある。おいしい食べ物もたくさんある。都会へのアクセスも良い。今ある丹波の良さを後世に繋げていきたいですね

 

 

 

 

もしUターンやIターンをしたいけど躊躇っているならぜひ一度、足を運んでみたらいかがだろうか。地方は何もないから面白くないという記憶がある人も、ぜひ大人になった今の視点で見直してみてほしい。意欲的に教育の第一線で活躍する渡辺さんのように、面白いことにチャレンジしている人はここにはたくさんいる。あなたがまだ見ぬ丹波市が、もしかしたら広がっているかもしれない。

ご自身のキャリアの延長線上でマッチした仕事を探して、自分の理想の暮らしと仕事のありかたへと進んでいる渡辺さん。お話を聞いていると、地方であっても「自分が大切にしていること」がはっきりしていると良い情報に出会えるのではないかと感じました。Uターンで戻ってこられた渡辺さんだからこそ、地元の良いところも悪いところも見えるのではないかと思いますが、ご自身のやりたいことがはっきりいしている渡辺さんなら、この丹波市で仕事を通して理想の形をつくって行かれるのではないかなと思います。