移住者インタビュー

Vol.64 / 2020.02.27

パラグライダーで人生が変わった!丹波市への移住は趣味がきっかけ

菅沼 加奈子さん

2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。

「好き」に素直になったら、住む場所も一緒にいる人も仕事も全て変わったという女性に出会った。島根県出身の菅沼加奈子さんは、専門学校入学のために大阪に移住し、卒業後そのまま大阪で就職した。ある時パラグライダーに興味を持ち、丹波市に移住し、結婚、出産。丹波に移住することになった経緯、そして丹波での出産や子育て、生活の話などを詳しく聞いてみた。

 

 

 

服飾の専門学校を卒業し、大阪で働いていた日々

 

 

 

今まで趣味がなく、好きな仕事をしているとかでもなく、普通に過ごしていました

 

 

 

今日はなぜ私がインタビューされているんだろう、と不思議な顔で話してくれた菅沼さん。肩の力が入ってない、ありのままの自分でいるスタイルが素敵な女性だった。

 

 

 

もともと服飾の専門学校を出たのですが、働いていた友達に聞いて自分には合っていないと思い、その業界で働くことを断念しました

 

 

 

クリエイティブな仕事に憧れ服飾の専門学校に入った菅沼さん。しかしアパレル業界でデザイナーになれる人は一握りであること、そして工場で働く現実などを知った。また、自分はもともとある物をアレンジすることは得意だが、0から何かを作るのに向いてないと学校に通っている間に気づいたそうだ。

 

 

 

学校を卒業した後はアパレルの店舗で働いてみましたが、環境が合わず退社しました。その後は営業や事務、経理などさまざまな職種を行なっていましたね

 

 

 

色々な職にチャレンジしつつも、”変わらぬ日々”だったという菅沼さん。そんな彼女に転機が訪れた。

 

 

 

 

趣味がきっかけで移住を決意

 

 

 

 

SNSを見ていたところ、ある画像が目に飛び込んできた。それは友人が丘の上からパラグライダーで飛んでいる写真だった。「楽しそう!」こんな悠々と空を飛んでみたいと思った菅沼さんは、すぐにパラグライダーができる場所を調べた。そこで丹波市が検索に引っかかったのだ。

 

 

 

友人もやりたいと言ってくれたので、二人でパラグライダーを体験しに行こうとなりました

 

 

 

丹波市で調べるうちに加藤豪さんという様々なチャンピオンシップで優勝をしたライダーが経営するお店・Roll Out(ロールアウト)をみつけた。

 

 

 

二人乗りのパラグライダーを体験し、素晴らしい空の旅に感動しました。この体験がきっかけでパラグライダーにハマったのです

 

 

 

こんなに物事にハマるなんて生まれて初めてだったと、目をキラキラさせながら話してくれた菅沼さん。

 

 

 

パラグライダーをしながら生きたいと思いました。年齢も30代後半、そろそろ引越ししようかなと思っていましたし、結婚も考えていなかったので、ちょうどよかったんです

 

 

 

 

2016年9月末にパラグライダーの存在を知り、初めて飛んだのが10月初め。2017年1月には仕事を退職し、スクールに通いながら丹波市で家探しを行い、2月には丹波市に移住した。パラグライダーに出会ってたった5ヶ月間で起こった出来事だった。

 

 

 

 

結婚にたどり着いたきっかけはパラグライダー

 

 

 

スクールと大阪の行き来をしていた時、私が車の免許を持っておらず、送り迎えをしてくれた人がいました。それが今の主人です

 

 

 

当時菅沼さんは経理の仕事をしていたため、繁忙期の1月を終えてから退職する予定だった。しかし移住する前は車の免許を持っておらず、誰かに送ってもらうか、バスや電車を使ってお店まで行っていた。

 

 

 

私がパラグライダーを始めた時にはお店でサポート役として主人がいました。今はインストラクターとして活躍しています

 

 

 

パラグライダーのために丹波市に通い続け、彼とも距離が近くなり付き合い始めたのが11月。そして無事仕事をひと段落させ退職し、まずは車の免許を取得するために丹波市に移住することになった。その時、彼が一緒に住もうかと言ってくれたという。パラグライダーのために移住する予定だった菅沼さんにとって、思いもよらぬ出来事だった。

 

 

 

 

同棲については家族と相談し、結婚前提であれば同棲が大丈夫ということになりました。主人自体、私より一回り下だったので、結婚については付き合う時から考えていてくれたみたいです

 

 

 

こうして晴れて2月、移住かつ同棲を始めた菅沼さん。しかしサプライズはこれだけでは終わらなかった。

 

 

 

 

事故から無傷で生還し、同時に妊娠発覚

 

 

 

移住して5ヶ月も立たない6月末。いつも通りパラグライダーに出かけた菅沼さんだったが、あるピンチに直面した。

 

 

 

パラグライダーで空を飛んでいる時に、風を受けて翼が潰れてしまいました。パラシュートもすぐ投げられず…。回復動作に入ったところでパラシュートが開いてしまい、落ちてしまったんです

 

 

 

絶体絶命の危機にさらされた菅沼さんだったが、間一髪のところで木に引っかかった。少しでもズレていたら崖に叩きつけられるところだったそう。

 

 

 

その時ですね。あ、妊娠してるかも、って思ったんです

 

 

 

 

今まで吐き気はあったが、生活環境がガラリと変わったのが原因だと思っていたという菅沼さん。この瞬間まで妊娠していると露とも思わなかったという。無傷で助かったことにより、自分の子供が助けられた気がしたそうだ。

 

 

 

 

出産、子育て事情、そして丹波市での生活

 

 

 

里帰りをせず、丹波市で出産することになった菅沼さん。丹波市の病院や子育ての環境について伺った。

 

 

 

私は西脇市にある病院で産みましたが、とても対応が良かったです。先生も妊婦に寄り添ってくれる人で、毎回内診を行い細かく教えてくれました。都会の病院で出産した友達に、普通そこまでしてくれないよ!って言われましたね

 

 

 

都会ほど人も多くなく、病院の数は少ないものの都会に劣っているどころか、丁寧な対応に羨ましいという声があったという。

 

 

 

里帰り出産は考えていませんでした。子どもが産まれた時、主人が側に居られる環境の方がよかったことと、何より私がパラグライダーがいつでも見られる環境に居たかったんです

 

 

 

 

 

妊娠中、パラグライダーをすることはできないものの、ライダーが使う無線を聞きながら窓を開けて空を見上げ続けていたという。それが菅沼さんにとってのリラックス方法でもあった。

 

 

 

子育ては楽しいです。パラグライダーだけをしていた時は、ライダーとのみの友人関係でしたが、子どもが産まれてからは地元の人との関わりも増えました。子どもに世界を広げてもらいましたね

 

 

 

妊娠中にスーパーに行けば「お腹大きくなったね」と話しかけてくれる人がいる。産まれた時にはみんなが可愛がってくれる。そして子どもが大きくなり、レジでのお会計を子どもがやりたい!と言っても、快くやらせてくれる。

 

 

 

子どもも色々な人と関わっているおかげか、全く人見知りしないんです

 

 

 

 

都会にいたら欲しいものは手に入りとても便利だが、子育ては丹波市が断然良いと笑顔で答えてくれた。

 

 

 

 

パラグライダーを広めつつ、子育てをしながらゆったり暮らす

 

 

 

子どもが産まれたことで小物作りを再開しました。子ども用のバックインバックや母子手帳ケースなどを作ってます。マルシェでも販売してるんですよ

 

 

 

もともと夢見ていたデザイナーという仕事を、丹波市にて行うことになった菅沼さん。月に2回、丹波市で開催されるマーケットで販売をしたり、友人から頼まれたものを作ったりしているようだ。

 

 

 

今は子育てに集中してゆっくりと過ごしていきたいです。もう少し経てばパラグライダーを再開し、丹波市の人にも空を飛ぶ体験をして頂けるよう、広めていきたいですね

 

 

 

 

丹波市在住者でパラグライダーを行なっている人は少ないようで、ぜひ地元の人にも空を飛ぶ楽しさを知って欲しいと菅沼さんは言う。パラグライダーと出会い丹波市へ移住を決めたことをきっかけに、さまざまな奇跡を起こしていった菅沼さん。これからも菅沼さんのペースで、彼女らしく、丹波市で過ごして行くであろう。

何かに導かれるように今の丹波市の暮らしがあるように感じた菅沼さんのインタビュー。パラグライダーをきっかけに縁もゆかりもない丹波市に移住したことは、大きな決断だったと思いますが、どこか流れるように丹波市に移り住んできたような印象でした。移住・結婚・出産と、本来ならとても大きな生活環境の変化を軽やかに乗り越えているように見える菅沼さんなら、丹波市の暮らしも楽しみながらまたパラグライダーを再開して、と充実した移住ライフを過ごされるのではないかなと思ったインタビューでした。