移住者インタビュー

Vol.65 / 2020.03.20

有機農家の理想の環境は丹波市にあり。各地で農家を経験しIターン

渡部真平さん

2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。

健康づくりは野菜から。食べれば食べるだけ健康になりそうな気がする野菜だが、実はそうでもないのが巷で話題になっている。その原因は農薬だ。おいしいと言われている野菜も、実は農薬まみれだったという話はよくある。大学卒業後、農家として経験を積んだ渡部真平さんは、そんな農業の実態を目にし、農薬・化学肥料を一切使わない有機栽培の野菜づくりを始めるために丹波市に移住した。理想の農業を求めた渡部さんはなぜ、丹波市にたどり着いたのか。本当に丹波市で理想が追求できているのか。丹波市での農家ライフについて尋ねてみた。

 

 

 

 

スーツを着て会社に行くより自然のなかで仕事をしたい

 

 

 

大阪の大学に進学し、農業に興味を持つまではずっと都会暮らしだった神戸出身の渡部さん。

 

 

 

就職活動をしていた時に、何か社会経験をしてみたいなと思っていました。その時新聞に、神戸市の農業短期研修が掲載されていて、軽い気持ちで応募してみました

 

 

 

1週間のうちに2つの農家で働かせてもらう研修に参加した渡部さん。この体験で、緑の中で土を触りながら作業をすることが自分に向いていると気づき、農業に目覚めた。

 

 

 

研修が終わった後早速、大学に農家への就職先がないか相談しましたが、私が通っていた大学には農業科がなく、紹介できないと言われてしまいました

 

 

 

 

 

どうやって農家への就職活動をしようか考えていた時、渡部さんが参加していたクラブの合宿で先輩に会い、実家の農家を紹介してくれた。玉ねぎやレタスを作っている兵庫県内にある農家。大学卒業後に住み込みで就職をした。

 

 

 

 

農家に就職して見た農業の現実

 

 

 

玉ねぎやレタスの他にも、白菜や米などを育てる大規模な農家に就職をした渡部さん。それまでは大量生産されている野菜がどのように育てられているかなど、考えたこともなかったが、ここで現状を目の当たりにしたという。

 

 

 

化学肥料や農薬をたくさん使っていたんです。しかも出荷するものには農薬を使い、自分たちが食べるものには全く使っておらず、とても驚きました

 

 

 

化学肥料や農薬は環境保全にも悪影響を及ぼすと、知り合いの農家に教えてもらっていた渡部さん。これは自分のスタイルではないと感じたという。

 

 

 

私の実家はずっと農家から有機野菜を買っていました。人に喜んでもらいたいという気持ちがあるのに、出荷する野菜は作り手が安心して食べられるものではないことに違和感を感じました

 

 

 

こうして渡部さんは2年間務めた先輩の実家の農家を退職した。

 

 

 

 

有機農業に興味を持ち、有機の里である丹波市の市島町に移住

 

 

 

退職後は有機農業を学びたいと知り合いの農家の紹介で、三重県のトマト農家を紹介してもらい、三重に移住することになった。

 

 

 

有名なトマト農家で、有機栽培のノウハウを教えてもらうことができました

 

 

 

数ヶ月間三重県で修行をし、有機農家として独立をしようと考えていた時、渡部さんの実家が野菜を購入していた丹波市の市島町にある有機野菜のグループの人に、有機農業をやるなら丹波市においでと誘ってもらえた。

 

 

 

市島町から有機野菜を広めようとしている農家のグループで、30年以上続く団体。実は小さい頃に援農をしたことがあるというご縁もあり、丹波市の市島町に移住することにしました

 

 

 

 

 

ここでは有機農家を始める若い人も多く、有機野菜づくりに意欲的な場所。必然の流れかのように丹波市までたどり着いた。

 

 

 

 

独立するも水害で畑が全滅。再び1から土台づくり

 

 

 

 

2009年、24歳で丹波に移住した渡部さん。

 

 

 

兵庫県有機農業研究会の研修制度を利用して移住しました。この制度では国から2年間補助金をいただきながら研修させてもらえました

 

 

 

住む家は農家の知り合いに紹介してもらい、研修先は研究会が用意してくれた。そして研修を終えた2年後、畑の土地をみつけて見事農家としての独立を果たした。今までのツテなどもあり販売先には困らず、メキメキと有機農家としての実力をつけていった渡部さんだが、災難が訪れた。

 

 

 

2014年に市島町で水害がありまして。家は浸水し畑も使えなくなってしまいました

 

 

 

独立3年目で軌道に乗っていた時だった。全てなくなってしまい途方にくれていた渡部さんだが、以前から知り合いだった酒造の社長が、家が空いているから貸してくれるという話になった。

 

 

 

開拓から始めなければならなかったものの家の前には畑もあり、使っていいということに。水害から3ヶ月後には農家として復活することができました

 

 

 

 

結婚がさらなる転機に。無農薬栽培に適する理想の畑に出会う

 

 

 

 

単身で丹波市に移住し、独立も水害もすべて一人で乗り越えた渡部さんに出会いがあった。

 

 

 

ハピネスマーケットというイベントに訪れ知り合いのお店に立ち寄ったところ、お手伝いをしてる女性がいました。それが妻です。彼女と結婚することになり、さらに妊娠したので、家族で住める場所を探すことになりました

 

 

 

家族で暮らすなら、子どもがのびのびと成長できるような場所がいい。そう思っていたところ、不動産のウェブサイトを見ていた奥さんが、倉庫もあり畑も使える物件を見つけた。

 

 

 

家の目の前に広がる畑は、水はけが良く、水を引くこともできる最高の土地。獣害を気にしなくても良い場所だったので、迷わず購入しました

 

 

 

家族ができたことにより、無農薬栽培に適した土地まで見つけることができた渡部さん。さらに結婚してからのミラクルはこれだけに止まらなかった。

 

 

 

 

私が一人で農家をしていた時は、ご縁や紹介で販売先を広げていきましたが、結婚してからは妻がマルシェで販売をしてくれたり、SNSで拡散をさせ個人客を獲得してくれるようになりました

 

 

 

農家の広報部として奥さんが動いてくれるため、結婚してから顧客がグッと増えたと照れながら話してくれた。二人三脚、夫婦で安心安全な有機野菜を全国に広め、今ではホテル、百貨店、レストランなど外食産業を中心に、渡部さんの野菜が取り扱われている。

 

 

 

 

渡部流の有機野菜づくり

 

 

 

さまざまな土地を渡り理想の有機野菜づくりを求めて、丹波市にたどり着いた渡部さん。彼の野菜づくりへのこだわりを教えてもらった。

 

 

 

無農薬で育てるかつ、なるべく虫に食われないよう管理をしています。常に野菜を観察していますね

 

 

 

 

近年は無農薬でも形がきれいな野菜づくりが研究されている。渡部さんは常に畑に出て、野菜と対話しながら、きれいでおいしい野菜づくりを心がけているそうだ。

 

 

 

色々な野菜にチャレンジしお客さんに提案していきたいので、多品目を作っています

 

 

 

食事のジャンルによって使われる野菜はさまざま。和食・イタリアン・中華…どんなジャンルでも対応できる、そして新しい野菜を飲食店に提案できる農家でいたい。天候の変化で環境はどんどん変わっていく。どんな状況でもそれに合った野菜を作り、色々な物を作ってみたいと、まるで少年のように渡部さんは言った。

 

 

 

 

土地に固執せず世界を広く。それが渡部さんの成功方法

 

 

 

 

もともと都会育ちだった渡部さんに、丹波市暮らしの感想を聞いてみた。

 

 

 

もともと人が多いところは好きではないというもありますが、居心地がとてもいいです。この職業にも、とても満足しています

 

 

 

ゆったりと流れる時間。そして太陽の下で緑に囲まれながら行う農業。時間も自分自身で管理ができ、通勤時間があるわけではないので家族といる時間を長くとれる。周りには思いの外子どもが多く、近所づきあいも楽しんで行えているそうだ。

 

 

 

遊びに行くのには都会に出ることが多いです。子どもには、一度は都会に出て欲しいと思っています。私は都会も地方もみた上で地方を選びました。子どもも、どちらもみた上で自分が好きな方を選んで欲しいですね

 

 

 

 

自分もどんどん外に出て、色々な物をみたいとキラキラした笑顔で話してくれた渡部さん。丹波市を拠点に、さまざまな場所に行きたいという。

 

 

 

1年に最低1度は旅行に行くのですが、やっぱり畑は気になります。どんな種を売ってるのか種苗屋は必ず行きますね

 

 

 

 

 

どこに行っても心にはやっぱり農業。農業について語る渡部さんは、いたずらを企んでいる少年のような顔をしていた。どれだけ農業を愛しているかがにじみ出ていた。これからも農との暮らし、そして家族との時間を大切にして、充実した丹波市での生活を送られるのであろう。

別のインタビューで一度取材したことがある渡部さんでしたが、いつもぶれずに野菜作りと、仕事に向き合っているように感じます。単身Iターンで丹波市に来られ、ご自身の田畑をしっかりと育てて行っていた矢先に自然災害によって振り出しに。普通なら心が折れてしまいそうに感じますが、あくまでも前向きにご自身の想いを形にされています。奥さんもお子さんも一緒に、今後も丹波市に農業を志して移住される方にとってお手本のような存在になりそうな方です。