移住者インタビュー

Vol.67 / 2020.08.09

笑顔が溢れるまちづくりを。建築士が関わり続けた結果生まれた新たな町のかたち。

出町慎さん

2017年から丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で丹波市の関係人口として毎年移住者のインタビューに来てくれる、東京在住のライターFujico氏。
普段、東京に住んでいる彼女の目には、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しく見ていただければと思います。

※この記事は、緊急事態宣言が解除された6月後半に行ったインタビューです。東京から丹波市に来る際にFujico氏には新型コロナウイルス感染の可能性がないかチェック頂き、十分な感染予防実施の上移動とインタビューを行って頂きました。

静かなまちに笑い声が響く。宿場町の趣が残るまち並みの一画にあるおしゃれな古民家に、近所の人たちがぞくぞくと入ってきて一気ににぎやかさが増した。この温かな空間を作ったのが、建築家の出町 慎さん。まちづくりのコンテストで入賞したことをきっかけに、丹波市との関係が始まり多拠点生活を経て移住した。

「まちに関わり続ける」をテーマに行われた彼のまちづくりとは。関わり続けた結果できた青垣町佐治、そして町の人と出町さんの繋がりとは。また、小さな集落で何かを始める時に大切なこととは。出町さんの移住までの道のりとともに、彼が行う佐治での活動をお伺いした。

 

 

 

まちづくりのコンテストで入賞。多拠点生活、始まる

 

 

 

出町 慎さんが発足した佐治で空き家の活用を行うサークル「佐治倶楽部」がリノベーションを手掛けた元薬屋の古民家「センバヤ」で、爽やかな風を感じながらおいしいコーヒーをいただいた。地元の人のたまり場にもなっていて、出町さん自身も地元の人かと思うほどに溶け込んでいた。

 

 

 

 

僕は奈良県出身です。大阪の関西大学で建築を学び、卒業後フリーランスとして活動していました。佐治の「シナリオ丹波」というコンテストがあって、大学の仲間と2006年に応募しました。それが丹波市との出会いです

 

 

もともと古い町並みに興味があったことと、卒業したてで仕事を取っていかなきゃならないことから、コンテストを手当り次第探していたという出町さん。日本建築学会近畿支部設計競技「シナリオ丹波」という、丹波市青垣町にある宿場町の佐治を舞台に実施されたまちづくり提案コンテストをみつけて応募した。当時まちづくりというと、観光施設を作って人を呼び込むことが主流であった。しかし、そのやり方だと面白くないと感じた彼は、新しいアイデアをコンテストに提案した。

 

 

これからの時代、ただ建物を作るのではなく、もっと持続性のあることをしなければならないと感じていました。なのでこのコンテストでも古い町並みを活かし空き家を改修して地域で利用していく提案をしたところ、入賞しました。

 

 

若い人がいなくなってきたこの市で、大学卒業したてや大学院に通う若者が関わり続けるというこの企画。「関係人口」という言葉が使われる前から、若者の関係人口を増やす取り組みをする画期的なアイデアを提案したのだ。こうして出町さんは奈良県に住みつつも、月1回は丹波市に訪れるという生活が始まった。

 

 

 

 

丹波市と大学が連携協定。若者とまちを繋ぐ

 

 

 

コンテストに入賞したものの、右も左もわからなかったという出町さん。奈良県で仕事をしながら、まずは自分自身が関わり続けることから始めた。

 

 

僕たちはまず自分たちのことを知ってもらうために、草刈りや若手が必要なところに積極的に参加することから始めました。

 

 

 

 

入賞した当初から、大学の先生に「提案するだけになるな」と釘を刺されていたという出町さん。その言葉が後押しとなり、いきなりアイデアを押し付けるのではなく自分たちがコミュニティに馴染んでいくように心がけた。

 

 

良いオーナーさんがいて、空き家を貸してもらえることになりました。最初は仲間うちで始めたこのプロジェクトですが、大学の研究になり、最終的には丹波市と大学がまちづくりに関する連携協定を結び空き家も大学が借りることになりました。

 

 

改修する空き家が見つかり、学生たちが寝泊まりできる場所を作り始めた出町さんたち。大学が費用を出してくれたこともあり、ある程度自由に改修することができたという。この初めて手掛けた空き家が、大学と地域との交流、そして地域のコミュニティビジネスの拠点「佐治スタジオ」となった。

 

 

 

さらに深くまちと関わるため、大学職員から独立の道へ

 

 

 

空き家改修と若者が関わり続ける移住が始まったその1年後、大学が補助金を獲得しコーディネーター役が必要となった関係で出町さんは大学の職員となった。いわば、大学と学生、そして市の真ん中に立つ役目になったのだ。

 

 

 

 

 

大学の職員になり、丹波市に月1回訪れていたのが毎週訪れるようになりました。

 

 

関わり続ける頻度が高まり、さらに大学職員として安定し収入を得ることができる一方で、不自由さも生まれてきたという。

 

 

補助金が終わってから2~3年は大学の職員として活動しましたが、職員と建築家としての兼業は難しくて。大学に相談し業務委託として受けるように方向転換しました。

 

 

地元の人々から信頼が徐々に得られたからなのか、空き家の相談も増えてきた。しかし大学では空き家の相談を受けられないこともあるため、大学、若者そして地域の繋がりを保ちつつ、より自由に空き家を改修するために独立の道を選んだ。

 

 

業務委託は、補助金が取れたタイミングで発足していた佐治倶楽部で受けるようにしました。佐治倶楽部は2011年に作った空き家を活用する佐治のサークル。大学が来年やらないと言っても改修した空き家を活用し続けられるように、地元の人が空き家を運営できる仕組みを作ったんです。

 

 

 

 

現在では50名ほどの会員がいるという佐治倶楽部。地元企業なども会員になっており、空き家の改修からイベントの企画・運営・商品開発など幅広く行うサークル活動だ。

 

 

地元の人が中心となっている佐治倶楽部が空き家を活用しているので、大学が運営しているよりも地域の人は関わりやすくなるんですよね。月一でカフェをする人、花屋を開く人など。「やってみたい!」という気持ちを形にできる場所ができたことも、良かったのではないかと思います。

 

佐治倶楽部が管理する建物は、今や佐治スタジオを含め4軒。佐治スタジオは出町さんから大学の後輩に仕事を託した今もなお、大学と地域の交流を生み出しているそうだ。そして出町さんは、自身の建築事務所であるSAJIHAUSを2015年に立ち上げより幅広い活動を始めた。

 

 

 

結婚を機に住民票を丹波市へ、そして夢は世界へ

 

 

 

こうして、丹波市に比重を置きながらも多拠点生活を続けた出町さん。「住民票を移す」ことを移住と呼ぶのであれば、きっかけは結婚だったそうだ。

 

 

2006年から丹波市に関わり続け、地元の人と縁あって2012年に結婚。その時に住民票を移しました。

 

 

結婚し住民票を丹波市に移して変わったことを尋ねてみたところ、変わったのは自分ではなく周りの反応だったという。

 

 

地元の人からより信頼をしていただけるようになりました。本気で丹波市のことを思っているのが通じたのかなと思います。

 

 

 

 

結婚して3年目には家も購入。もう逃れられないぞ!と思われているんじゃないかなと、笑いながら話した。一方で、家は丹波市にありつつも、他の地域との関わりが切れたわけではないという出町さん。彼にとって「移住」というのはそこから動かないというわけではなく、好きな場所とずっと関わり続けるということが移住の定義であるという。

 

 

今でも奈良は訪れますし、大学時代に集落調査で訪れた淡路島にも訪れます。拠点は丹波市ですが、将来はイタリアで古い町並みを活かしたリノベーションをしてみたいなとかも思っていて。日本中・世界中に自分の居場所を持ちたいです。

 

 

古い町並みや集落が大好きだという出町さん。そんな大好きな場所をどんどん増やしていきたいと、大きな夢を語ってくれた。

 

 

 

まちの人が幸せになる。それが出町さんのまちづくりのポイント

 

 

 

大学で建築を学び一級建築士の資格を持つ出町さんでも、学生時代は古民家再生について全く教わっておらず、地元の人や大学の先生に聞いたりと手探りで始めたというこのまちづくり。今や4軒をリノベーションし、まちには少しずつ活気が戻っている。

 

 

 

 

 

もともとお店が多いまちですが、もう運営されていない場所が多くて。最初来た頃はどこもカーテンがかけられていて、生活感が感じられませんでした。僕らが手掛けた建物は、格子にして光が漏れるようにするなど生活感を感じられるようにしました。その光を見て「温かい」と泣いて喜んでくれる人もいました。

 

 

観光客を呼ぶとか、移住者を増やすとか、おしゃれな建物にするとか、そういうことではない。出町さんにとってのまちづくりは、そこに住んでいる人々がいかに楽しくそのまちで生きられるか、まちがどうやったら元気になるのか。そこが一番重要だと教えてくれた。

 

 

佐治倶楽部も独自でイベントを開いたり、建物を貸したりして収益を上げています。今後も、こうやって地元の人が自ら立ち上がって、まちを活気づけられたら。それに携われることがとても楽しいですね。

 

 

 

 

 

 

空き家の改修をすることが結果的に、地元の人たちの笑顔と元気に繋がっていく。そんな取り組みを今後もしていきたいと出町さんは言った。

 

 

 

「出町さんはいぶし銀な人」。インタビュー中に彼の友人がそう言った。自分ができることを粛々と取り組み、それが地元の人に認められ、周りに認められ、いつの間にか多くの人が出町さんの周りに集まっている。地域に溶け込み地域を動かすのは、彼のように一歩一歩ていねいに歩み、そしてそっと歩み寄ることが鍵なんだなと教えられた。きっと彼はどこに行っても丹波市の人を大切に思う。そして地域の人々もそれに答えるように、彼を佐治の人として心から受け入れていくのだろうなと感じた。

TurnWaveの移住者インタビューがはじまった当初に取材させて頂いた出町さんに、2回目のお話を聞きに伺いました。「いぶし銀」は出町さんをイメージすると本当にしっくりくる言葉です。自分が目立とうとするわけでなく、奇をてらったことをするだけでなく、地域の方と一緒になってまちの未来を考えている姿、そしてご自身のお仕事や専門性についても妥協せず追求している出町さんは、本当の意味で「まちづくり」に関わる人だと思います。きっと、出町さん以外にもたくさんの方々が関わって今後も青垣町のまち並みは面白くなっていくんだろうなと、インタビューを通して感じさせられました。