移住者インタビュー

Vol.66 / 2020.08.08

丹波市に戻る気は一切なかった、創立300年以上の酒造の跡継ぎがUターンをした話

山名 洋一朗さん

2017年から丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で丹波市の関係人口として毎年移住者のインタビューに来てくれる、東京在住のライターFujico氏。
普段、東京に住んでいる彼女の目には、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しく見ていただければと思います。

※この記事は、緊急事態宣言が解除された6月後半に行ったインタビューです。東京から丹波市に来る際にFujico氏には新型コロナウイルス感染の可能性がないかチェック頂き、十分な感染予防実施の上移動とインタビューを行って頂きました。

「丹波市に戻ってくるとは、露とも思ってなかったですね」とライター泣かせの返答をくれたのは、305年もの歴史を紡いだ酒造・山名酒造の12代目、山名 洋一朗さんだ。こんな歴史ある酒造の子孫ともなると、小さい頃から酒造を継ぐための教育を受け迷いなく、もしくは迷いがあろうともこの道を突き進むという、出来上がったサクセスストーリーを期待していた。しかし山名さんは酒造を継げと父親から言われたことは一度もなかったらしい。9歳で離れ、戻ろうとも思わなかった丹波市に今、山名さんは跡継ぎとしてそこにいる。特に何がしたいかを考えてなかった、という青年が、300年以上の歴史を背負えるほど変貌を遂げた。

 

 

 

 

丹波市を離れ大阪で育ち、海外での活動に重きを向けた学生時代

 

 

 

 

山名さんが丹波市を離れたのは9歳のとき。酒造を継いでいる父親は丹波市に残り、父親以外は大阪市内に移住した。

 

 

 

父親が単身で丹波市に居住して働いていました。ただ度々大阪に父親が来て会うことはできるので、9歳で離れ15歳まで丹波市へは一度も訪れませんでしたね。

 

 

 

 

 

 

大学まで大阪市内で過ごし、大学は兵庫県にある関西学院大学の総合政策学部に入学した山名さん。国際的なことに注力する学部とあって留学生が多く、グローバルな環境にいたそうだ。彼自身も大学時代は、バックパッカーでフィリピンなど海外に出向き、大工さんと一緒に建物を建てるボランティアなどに勢力を注いだという。

 

 

 

この頃は特に将来の夢とかもなかったのですが、日本とは違う環境、そして開放的な場所で人と繋がれるのが好きで積極的に海外に行ってました。

 

 

 

こうして学生生活を終えた山名さんはやりたいことも特になく、安定を求めて就職。内定した中で一番規模の大きな企業だった水産会社に勤め始めた。

 

 

 

継ぐつもりなく一般企業へ就職。そこで気づいた自分の目標

 

 

 

会社に勤め始め4年目。社会人としても営業としても慣れてきた中でふと思うことがあったそうだ。

 

 

 

自分自身がなにかを作り上げるようなことをしたいと考え始めました。勤めている会社はとても良い会社でしたが、家業を継ぐことが一番やりがいを感じられるのではないかと気づいたんです。

 

 

 

 

 

 

丹波市には居らずとも、父親が働く後ろ姿は見ていたという山名さん。時間の拘束が通常の仕事よりも長くなる酒造り。朝の5時に出社して夕方まで働いたり、泊まり込みで醪の当番をしたり…。忙しすぎて年に何回かしか会えない父親は、実はとてもやりがいのある仕事をしているのではないかと気づき始めた。

 

 

 

家業を継ぎたいと父親に話しました。今まで一度も帰ってこいと言われたこともないし、帰りたいと言ったこともなかったので、とても驚いていたと思います。

 

 

 

こうして約17年ぶりに丹波市へ戻ることになった山名さん。「丹波市に戻る」というよりも、完全なる新しい門出だったのではないだろうか。しかし、この時点で彼は、歴史ある酒造で跡取りとして働くことの大変さには、まだ気づいていなかった。

 

 

 

17年ぶりに丹波市へ帰郷。酒造の仕事での理想と現実

 

 

 

晴れて丹波市へUターンをした山名さん。やりがいや責任感を持ちたいと思い酒蔵を継ぐのに思い立ったが、現実は想像以上に厳しかった。

 

 

 

新しいものを考えて作ることや、役割を振り分けて実際に作り上げてもらうことは、とても大変なことだと感じました。

 

 

 

 

 

 

丹波杜氏は日本の三代杜氏集団のうちの一つ。日本の杜氏の中で特に影響力が強く歴史深い丹波杜氏とともに、この土地に受け継がれる伝統的な手法を用いて、現代に合う香味を設計する。そして、自分よりも酒造りの知識がある職人をまとめ、新しい酒を開発する…。すでに役割があった会社員のころは、与えられた仕事を熟すことで報酬をもらえたが、今は真逆。アイデアを生み出すことや人に動いてもらうことが、これほどにも難しくしんどいことなのかと実感したという。

 

 

 

生活面でも移住への抵抗は全くありませんでしたが、都会暮らしとのギャップに戸惑うことはありました。慣れるまでには少し時間がかかりましたね。

 

 

 

移住した当初は今住んでいる場所よりもさらに山の方に住んでいたこともあり、ムカデが出たり、家の周りにシカが群がっていたり…。都会ではありえないようなことが数々起こった。また、9歳まで住んでいたものの方言がわからなかったり、酒蔵の仕事は想像以上に忙しく時間の拘束が長かったりと、戸惑いとともに慌ただしく始まった丹波市での生活。そんな中でも物事を常に前向きに捉え日々努力した山名さんは、立派な跡継ぎへと成長を遂げていった。

 

 

 

新時代の酒を作る苦労と喜び。12代目として行いたい酒造り

 

 

 

移住して3年経った今。「今が一番楽しい!」と満面の笑みで山名さんは答えた。それは仕事にも生活にも徐々に慣れ、自分の役割がより明白になってきたからだという。

 

 

 

歴史あるものづくりの基盤を用いて、現代に求められているものを作っていく。古い方法と新しいアイデアを繋げていくのが、私の役割だと感じています。そのために努力をするのがとても楽しいです!

 

 

 

 

 

酒は生き物と山名さんが言うように、新しい味のアイデアがあっても簡単にはその味にならないのが酒造り。蔵の中に住み着く菌と共存しながら、江戸時代から用いられる古典的な製法でお酒を作り、今の若い人たちにもおいしいと言ってもらえるような商品開発を仲間とともに行っていく。食文化が江戸時代とは全く違う現代でも、おいしいと思ってもらえる酒とは何か。どんな味なのか。ああでもないこうでもないと、蔵人とともに試行錯誤しながら開発した新商品に対しお客様から良い反応が返ってくることが、明日への活力になると答えられた。

 

 

 

新たな形にチャレンジしたいという蔵元の思いを汲み取り、沢山の方々が力を貸してくれています。それは蔵人だけではなく、米などの生産者さんもです。周りに支えられているからこそ、酒造りを続けられていると感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

素材を重んじ、土地を重んじる商品を作れたら。そして儲けは地域に還元出来たら。今まで丹波市に戻るとも思っていなかった青年は、すっかり丹波市への愛を取り戻していた。

 

 

 

今後の目標は、全人類に山名酒造の酒を飲んでもらうことです。それは無理かもしれないですが(笑)世界中の人に飲んでほしいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

こう生きたいという強い思いを持っていなかった学生・会社員時代。そこから丹波市への移住を決め、今では大きな志を持っている。家業を継ぐことと移住への決意、そしてそれからの努力がきっと彼を大きく成長させている。

 

 

 

丹波市に戻ってきて気づいた、この土地の良さと自分の中の変化

 

 

 

仕事だけではなく、丹波市に戻ったことで私生活にも良い影響があったという山名さん。

 

 

 

とにかく自分で何でもやろうと思うようになりましたね。都会のように整備された環境ではないので、草刈りを始め自分である程度整備しなければなりません。今では物の修理などもできるようになりました。

 

 

 

都会にいたときはドライバー1つ使えなかったが、地域の人たちと支え合いながら住んでいるまちを守っていく中でさまざまな技術が身につき、そして何よりチャレンジ精神や前向きさが増したという。

 

 

 

また、丹波市は自然が多く四季の移り変わりが感じられます。この中での子育ては最高です。

 

 

 

 

 

 

 

二人の子どもを持つ山名さん。自分が都会で育った頃には感じられなかった自然の流れを自分の子どもたちに体験させられるのは、親としてとても嬉しいという。水路に水が流れ、山の色が季節によって移り変わる。丹波市の人にとってはごく普通の風景かもしれない。しかしこれは、本当に貴重なものなのだ。

 

 

 

自分と同じように子どもたちは、人生を好きなように選択してほしいと思っています。ただ、息子が令和元年の酒造りが始まる当日に生まれて、この子が造る酒はおいしいだろうなと想像はしちゃいました(笑)。

 

 

 

一度離れたからこそ改めて感じることができた丹波市の良さ、そして家業の魅力。この土地にしかない良さもきっと、都会で育ち世界中を回った山名さんだからこそ感じられるものだと思う。

 

 

 

都会の空も丹波市の空も好きですが、空気は断然丹波市です!ぜひ思いっきり、丹波市に空気を吸いにきてください。移住、しちゃいなよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

気さくなメッセージをくれた山名さんの言う通り、移住する理由は、おいしい空気とおいしいご飯、そしておいしい酒でもアリじゃないかなと感じた。移住してからそこで「何か」がみつかることも、たくさんあるはずだから。

 

 

 

洋一朗さんのお父さんである山名社長には、とてもお世話になっている編集部。「息子が帰ってきたんだよ」とお話を聞いていたのですが、洋一朗さんのお話をちゃんと聞くのは今回がはじめて。気さくなお人柄の中に、杜氏さんや蔵人さんへの感謝や敬意が見えたり、一本筋が通っているような印象はお父さんに似ておられるなと感じます。洋一朗さんご自身のやり方で、これからも地域に愛される酒蔵であり続けそうだなと感じました。