会社を辞め世界に旅立ったバックパッカー。丹波市で農家民宿を始める
蘆田 真博さん
2017年から丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で丹波市の関係人口として毎年移住者のインタビューに来てくれる、東京在住のライターFujico氏。
普段、東京に住んでいる彼女の目には、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しく見ていただければと思います。
※この記事は、緊急事態宣言が解除された6月後半に行ったインタビューです。東京から丹波市に来る際にFujico氏には新型コロナウイルス感染の可能性がないかチェック頂き、十分な感染予防実施の上移動とインタビューを行って頂きました。
あなたの今の仕事は自分が好きな職業だろうか。もしかしたら多くの人が、首を横に振るかもしれない。「これがしたい」という思いがあってもなかなか動けず思いが風化していた蘆田 真博さんは、バックパッカーをした経験からゲストハウスをやりたい気持ちが募り開業に至ったという。祖父母が住んでいた丹波市で、農業と民宿を組み合わせた宿を開いた蘆田さん。世界を旅し海外移住の経験もある彼は、何に魅了され丹波市へたどり着いたのだろうか。
大学を卒業して就職。大好きな海外に行くため退職を決意
奈良県出身の蘆田さんは、大学在学中に留学をしたりバックパックを背負って海外で旅をしたりと、外国を訪れるのが好きだった。大学を卒業して就職してはみたものの、やはり海外に行きたいと思い退職。ワーキングホリデーという制度を利用して1年間、オーストラリアへ移住した。
オーストラリアでは、農家や現地の会社で働きました。海外へ旅をするとゲストハウスに泊まることが多いのですが、あの空間が好きで。オーストラリアにいる時に、将来はゲストハウスを開こうと思いついたんです。
お客さん同士の距離感が近く、友人になりやすい環境のゲストハウス。スタッフとも仲良くなれるのはホテルなどにはない温かさ故だった。そしていつしか、それを提供する側になりたいと思うようになったという。
ゲストハウスを開きたいと心に決め、オーストラリアから帰国するものの知識はゼロ。何をどうすればいいか全く分かりませんでした。
そこで蘆田さんは大阪にあるホステルへ就職。海外のお客さんが多い宿泊施設で、経験を積むことになった。
ゲストハウスの開業を目指し、大阪で修行
就職したのは大阪でも人気の高いホステル。ここで開業するまでに必要なノウハウを手にいれようと、3年半かけて一通りの知識を学んだ。
外国人が集まるようなゲストハウスを30歳までにやりたい、という目標がありました。お客様への対応から予約受付の一連の流れなど、学べることは学びました。
大阪で働いていた時は外国人向けのゲストハウスを地元の奈良県で開きたいと思っていた蘆田さん。しかしホステルで経験を積んでいると、大阪周辺の観光の流れなども見えてきたという。
奈良県は、大阪や京都からの日帰り旅行として選ばれる可能性が高い場所でした。また、日本人のお客さんと話すことも面白くて、外国人だけにこだわらなくてもいいのでは…と思うようになりました。
実際にホステルで修行をしたことで、どんな宿にしたいか明確になってきた蘆田さん。そこで思い出したのが丹波市だった。
祖父母との思い出が詰まった丹波市で、農家民宿開業を決意
小さい頃の思い出がたっぷり詰まった丹波市。そこには祖父母が暮らしていた家が空家として残っていた。
祖父はもう既に他界していて、数年間家は空き家でした。日本人にも外国人にも昔ながらの日本を見てほしいなと思い、丹波市での開業を思いつきました。
小さい頃、祖父母がやっている農業を手伝っていた記憶があった蘆田さん。将来、自分も農業をやりたいと思い、ゲストハウスではなく農家民宿という形を選んだ。
農業に興味があったこと、そして宿を始める時にかかる初期費用など全てを考慮した結果、農家民宿が一番自分には合っていると思いました。
農家民宿の良さは、ただ宿泊してもらうだけではなくその土地の魅力を伝えられることだ。小さい頃から通った丹波市。祖父母がいて、近所の優しい人達がいて。そんな温かな記憶を、お客さんにも体験してもらえたら…。
農業だけではなく、その地域に関わる食事を食べてもらったり雪が降ったら雪かきを体験してもらったりするのも、農家民宿が提供できる体験事業に入ります。
雪かき体験には驚いたが、確かに雪のない地域や国には貴重な体験なのかもしれない。自分が手掛ける農家民宿を拠点とし、丹波市の良さを知ってもらいたいという思いとともに、蘆田さんの民宿作りが始まった。
想像以上に大変だった宿の改装作業を経て、ついにオープン
奈良県に住み、仕事を続けつつ民宿の改修作業を始めた蘆田さん。夢や希望いっぱいで始めた改修作業だが、想像以上に大変だったという。
全ての物がそのままだったんです。親世代がいらないものを田舎に置いていたこともあり、タンスが20棹、布団なんて30組もありました。
片付けても片付けても、物で溢れていた祖父母の家。仲の良い友人たちに力を借りつつ、片付けから改修まで半年間かけて行った。
幸いにも家自体は状態がよかったです。祖父母と過ごした家の良さを活かした農家民宿ができました。
こうして2019年9月。晴れて「農家民宿はるり」をオープンさせた蘆田さん。もともとお客さん同士が交流できる宿にする予定だったが、民宿でゆったり過ごすお客さんの姿を見て、1組限定の貸し切り宿に方向転換した。
普段とは違う環境で、のんびり過ごしてほしいです。
その後、ピザ体験ができたりBBQができるように準備したりと、民宿をより快適な空間に整えていった蘆田さん。しかし、オープンして半年後、一度お店を閉めなければならない状況に追いやられた。
オープンから半年でコロナ禍。壁はあれど前に進む
春に向けて、さらに多くのお客様を迎える準備をしていた矢先に、新型コロナウイルス感染症の拡大が報じられた。
緊急事態宣言が解除されて1週間以上たち、やっと再開することができました。今ではコロナ対策を徹底しながら運営しています。今後は畑づくりを始めたいと思っています!
土を耕すところから始めなければならなかった農業。インタビュー時は、これから畑を始めたいと話していたが、インタビュー後には早速野菜作りを始めたようだ。
また、丹波市ではパラグライダーができるのですが、パラグライダーのショップと一緒に宿泊プランも作りました。丹波市だからこそ楽しめる体験を、どんどん勧められたらと思います。外国人観光客を誘致する施策も打っていきたいです。
どんな状況でも強くたくましく、前向きに行動し続ける蘆田さん。丹波市に移住した時も、全く知り合いのいない状況からのスタートだったが、毎週色々なイベントに顔を出すことで環境に馴染んでいったそうだ。
ここまでの田舎に住んだのは初めてなので、最初は戸惑いもありました。しかし、丹波市の人はとても優しく受け入れてくれて、徐々にここでの暮らしに慣れてきましたね。
蘆田さんは開業することや移住することに悩まなかったわけじゃない。しかし、やってみないと分からない性分だから、自分が後悔しないように一歩踏み出したのだ。もし、いきなり移住するのに抵抗がある人がいるならば、少しずつでもいいからその地域のイベントなどに参加し馴染んでいってほしい。今抱えている移住への戸惑いや不安が軽くなるかも知れないから。
爽やかに未来のことを語る蘆田さんが話す言葉の一つ一つは、とても実直で堅実な印象でした。インタビューの中で質問に対して的確に答えてくださるお話にも、おもてなしの心を感じられたりするのが蘆田さんのお人柄ではないでしょうか。地域の事業者さんとも連携しながら、丹波市外から来た人にこの地域の魅力を伝えていく。蘆田さんの印象にぴったりはまっている気がして、今後のゲストハウスの未来がとても楽しみです。