移住者インタビュー

Vol.61 / 2019.11.29

20年以上の悩みから解放され丹波市への移住を決意。都会暮らしから山と生きる生活に

阪口明美さん

2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。

「移住」というと前向きでアクティブな人だけができるのでは、と思う人もいるかもしれない。しかし、紆余曲折を経て丹波市にたどり着いた方も中にはいる。今回インタビューをした阪口明美さんは、10代の頃から20年以上、素直に自分を表現できずもがいていた経験を持つ。結婚、離婚、姉との死別を乗り越えて自分らしさを取り戻した結果、丹波市に出会い、移住を決めた。彼女はどのように試練を乗り越え、移住という選択肢を得たのか。そしてなぜたどり着いた場所が丹波市だったのか。辛い時期も含め、赤裸々に話してくれた。

何か違和感を感じながら生きてきた20年間

 

 

 

10代からずっと何か違和感を感じてきました。自分らしくいることができない違和感。周りに合わせなければならない気がずっとしていたんです。

人と会う度に仮面をつけていたという阪口さん。20代では服飾雑貨の販売員として働き店長まで上り詰め、30代は一般事務として働くなど、さまざまなことにチャレンジし意欲的に働いていたが、ずっとその違和感だけは消えなかったという。

無理することも苦しいことも日常になってました。本当に苦しくなった時はバックパックを背負って海外にいくことで、なんとかバランスを取っていたんです。

 

 

心に壁を作り、誰と話していても実際は会っていない感じがしていたという10代から30代。その中でも結婚し仕事を辞め、専業主婦をしていたが、時期に離婚。さらにその後再婚したい人と出会ったが、その人の出身地との相性が合わずお別れするなど、なかなか人生がうまくいかなったという。

 

このままずっとこうなのでは…と悩んでいた阪口さんに、大きな転機が訪れた。それは実姉の死だったという。

 

 

 

 

ターニングポイントは姉の死。そこで思い直した人生

 

 

 

 

2017年に姉が亡くなりました。最後を見とったのは自分でした。姉の夫でもなく、ずっと世話をしていた母でもなく、そこまで近い存在ではなかった私。この姉の死は、今のままじゃダメだと思わせるきっかけとなったのです

 

 

 

亡くなる前にずっと姉の手を握っていたという阪口さん。姉の死に直面したことで、ちゃんと生きようと思い直すことができたという。徐々に一枚ずつ仮面を脱ぎ去り、自分に戻っていく感覚を得ることができ、20年間持ち合わせた違和感を手放していくことができた。

 

 

 

姉が亡くなる前に動物保護のボランティアをしていて、犬を引き取りました。その時から海外には行かず、その代わりに山にいくようにしていました。山には人があまりいないので、とても癒されていたんです

 

 

 

 

 

 

人が苦手で恐怖心などを抱いていた阪口さんにとって、山はとても励みになった。犬とともに山に出かけては癒されていた。姉が亡くなり、自分自身を取り戻し始めた時に、今まで助けてくれた山の悩みを、今度は自分が聞いてあげたいという思いがふつふつと湧いてきたという。

 

 

 

山のボランティアはないかなと思い探していた時にみつけたのが、NPO法人 日本森林ボランティア協会が開催していた森林大学でした

 

 

 

森林大学とは、継続性のある市民参加の森づくり運動を行うためのボランティアリーダーを育てる講座だ。森林、林業、野外活動、安全対策、環境教育などを学ぶことができる。

 

 

 

森林大学の先生が丹波に住んでいる人で、授業中に丹波の資料をもらいました。その時、丹波に行くのもいいなとふと思ったんです

 

 

 

資料をもらった後すぐ、丹波市で仕事をしていた森林大学の受講者に、仕事があるかどうか相談した阪口さん。そして紹介してくれた仕事が、地域おこし協力隊の仕事だった。

 

 

 

 

 

 

するするっと丹波に繋がって行った感覚があり、ご縁を感じました。この森林大学での丹波との出会いは、人生のターニングポイントだったと思います

 

 

 

 

トントン拍子で決まった地域おこし協力隊の仕事と丹波市への移住

 

 

 

 

2018年8月に丹波市の存在に気づき、9月には移住について考え始めた阪口さん。そして2018年の年末に、愛犬と一緒に丹波市に移り住んだ。

 

 

 

私の場合、家探しは少し苦労しました。なかなか犬と一緒に住める場所はなくて…一軒だけみつかり、そこに引っ越したんですが元旦からハプニング。でもそのおかげでご近所さんと仲良くなれたのでよかったです

 

 

 

元旦に山に登っていたところ、オーナーから水漏れしているとの連絡を受けた坂口さん。お正月から水が使えないという出来事に見舞われた。幸いにも隣に住んでいる方が、親戚の集まりに招いてくれて仲良くなり、それ以来近所の人とも交流が増えたという。

 

 

 

仕事も順調です。紹介してもらった地域おこし協力隊の仕事が決まり、木の駅プロジェクトの事務局で働いています

 

 

 

木の駅プロジェクトとは、市民に山に入って整備をしてもらい切り出した木を、買い取って薪にし、販売するプロジェクト。丹波市は戦後に杉の木やヒノキを多く伐採したため、山の整備をし続けなければならない状況だ。しかし、安い木材が海外から入るようになり、山が放置されている。そうすると災害にも繋がりやすくなるため、整備を続けられるように、そして自然エネルギーの地域内循環を目指して生まれたプロジェクトだという。

 

 

 

 

 

 

山に入る人が高齢化し、なかなか森の循環がうまくいってません。男女関係なく山仕事はできるので、多くの人に携わって欲しいと思っています

 

 

 

男仕事のイメージがある山仕事だが、実は女性も多く行なっている。実際、森林大学を受講した生徒も3分の1は女性だったそうだ。

 

 

 

チェーンソーの使い方を教える講座を開いたりもしています。私も使い方を学び、山の整備を行っています。なかなか普段ではできないことができるので、面白いですね

 

 

 

少しでも興味ある女性がやってみたいと思えるように、女性である自分がハードルを下げられたら…。そう思いながら仕事を行っているという。

 

 

 

 

 

 

15回以上の引越しを経てたどり着いた定住地・丹波市の魅力とは

 

 

 

 

実は私、20年間で15回以上引っ越しているんです。家も仕事も転々とし、なんと改名もしたんですよ

 

 

 

さらっと衝撃的な発言をした阪口さん。いろいろなことがうまく回らないのが原因で、20年前に改名をしたという。辛いことが日常になりつつも、改名や引っ越しを試みることでもがいてはいたと言った。

 

 

 

来たばかりですけど、永住したいと思うほど丹波は居心地がいいんです

 

 

 

都会にいた時とは全く違う生活。昔の阪口さんでは考えられないほど、人付き合いが今は心地よく、もっと地域の人と関わっていきたいという。

 

 

 

友達を作ろうと思えばイベントなどもあるし、私は仕事で多くの人と出会うことがあるので、どんどん和が広がっています

 

 

 

 

 

丹波市の人は優しくて、暖かく迎え入れてくれると笑顔で話していた阪口さん。長い年月をかけて自分と向き合い、乗り越えた先にあった丹波市への移住は、彼女の人生にとってとても良い出来事だった。

 

 

 

地方に暮らしたい方もいると思うので、まずは来てみることをおすすめします。私も一度別の場所で移住を試みましたが、肌に合わず戻ってきました。私の場合は今の自分になり移住したので、うまくいっているのだと思います。ぜひ移住したい方も自分がありのままでいられる場所に引っ越すことをおすすめします

 

 

 

紆余曲折あったが、自分自身を乗り越えたからこそ、今は自分が好きな場所で自分らしい暮らしができている。今後は山に関する知識をもっと得たり、チェーンソーをうまく使えるようになったりしたいと、とても意欲的だ。

 

 

 

 

 

 

 

移住に悩んでいるみなさん。移住する理由がどんなものであれ、自分自身を乗り越える力と勇気が必要だ。それがあるからこそ、より移住生活を豊かにすることができる。まずは一歩踏み入れてみよう。一歩踏み入れてみることできっと、本当に移住したいかどうかが見えてくるはずだから。

移住したてで、編集部も今回の取材ではじめてお会いした阪口さん。とても明るく、笑顔の印象的な方だなと思い話を聞いていると、丹波市に来る前に様々な葛藤や経験をされてきたことに驚きながらお話を聞いていました。お話の中で、阪口さんにとっては今の丹波市での暮らしがとてもぴったりときているという印象を受けて、やっぱり自分たちが住んでいるこの場所がいいところだなと感じさせられる機会にもなったような気がします。地域おこし協力隊として進めている木の駅プロジェクトも含めて、阪口さんの今後の活動に注目です。