移住者インタビュー

Vol.60 / 2019.10.30

都会の営業マンが家族を連れて移住。丹波市で経営者へとステップアップ

金子寛征さん

2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。

都会にはチャンスがたくさん転がっているように見える。しかし地方にもチャンスはたくさん転がっていて、それを掴むかどうかはその人次第だ。今回インタビューした金子寛征さんは、都会で一営業マンとして働いていたが、丹波市に移住し会社の経営者になった。さらに家族で丹波市に移住した結果、家族にとっても良い影響があったという金子さん。丹波市に行くことになったきっかけや、経営者として行なっていること、また家族で暮らす丹波市についてお伺いしてみた。

 

 

 

都会から地方へ。思いもしなかった地方移住

 

 

 

 

金子さんは兵庫県の尼崎市出身。建築資材・防水の資材を販売する営業の仕事をしていた。

 

 

結婚して大阪に住んでいたので、完全なる都会での生活。地方に行くなんて思いもしていませんでした

 

 

そんな金子さんがなぜ丹波市に移住したのか。それは、金子家が二人目の子どもを授かった時に、丹波市に住む嫁の父が言った一言がきっかけだった。

 

 

丹波に来ないか?

 

 

経営している会社のサポートに回って欲しいと、義父が誘ってくれたのだ。金子さん自身、当時営業として働いていて、面白みを感じなくなってきた頃であり、さらに自分自身が実家を継ぐこともなかったので、タイミングと条件が合致した。行ってみようかな、という軽い気持ちで丹波市に移住することにした。

 

 

 

 

 

 

 

営業から店の経営へ。苦手意識を持っていた飲食業界に再チャレンジ

 

 

 

晴れて丹波市に移住した金子家。義父が経営する株式会社若駒という会社では、2つの飲食店の運営や、法事に関する仕事を行なっていた。金子さんは法事の営業から始めた。

 

 

自分の経験を活かすとなると営業が良いかなと思いました。またその時、飲食業は出来ないと思い込んでいたのです

 

 

高校生の時にアルバイトをしていた居酒屋が、忙しすぎた印象で、飲食業は一生やらないと心に決めていた金子さん。しかし丹波市での暮らしが落ち着いてきた頃、飲食店の運営が忙しくなってきた。

 

 

これはもう厨房に入らないといけない状態に。アルバイトで調理を経験していたので、すぐに調理師免許を取り厨房で働くことになりました

 

 

 

 

 

今後もうやらないと思っていた飲食業界での仕事。いざやってみると、高校生の頃とは気持ちが違い、楽しいと思えるようになっていた。

 

 

まさかまた飲食業をやるとは、思ってもみなかったですね

 

 

現在は法事の営業は行わず、2店舗の飲食店の運営に力を入れている。そして2017年9月、義父から代表にならないかと言われた。

 

 

やりますと即答しました

 

 

 

 

 

 

こうして金子さんは、霊園内にあるレストラン・関西池田記念墓地公園内レストラン錦州亭と、和食・寿司店の若駒 白雲閣を持つ、株式会社若駒の経営者となった。

 

 

 

簡単には行かない、けど面白いのが経営者としての仕事

 

 

 

ご縁あって会社を経営することになった金子さん。順風満帆にも見えるが、その中にはさまざまな葛藤もあるという。

 

 

今一緒に働いてくれている人々は、先代と一緒にこのお店を支えてきた人々。一番経験が浅い自分が経営者になったので、スタッフも戸惑っていたかと思います

 

 

 

 

 

 

1979年から続く若駒。40年以上続く会社で、長く支えてくれた人々もいる。その人たちにどう寄り添いながら、より良い会社にしていくか。とても大きな課題だ。

 

 

お前しかおらんしやってくれるか、という先代の言葉を信じて、職人たちと一歩ずつ頑張っていけたらと思います

 

 

丹波市に移住し16年目。昼は錦州亭でランチの対応をし、夜は白雲閣でお店を回すというめまぐるしい日々を送っている。

 

 

 

 

 

仕事での今後の目標は、しっかりお休みをとっていくことです。経営者が休めばスタッフも休みやすいと思うので

 

 

飲食業は土日休日がメイン。家族と過ごす時間が少なくなってしまうことも多々ある。代表である自分が休むことで、仕事とプライベートのバランスが良い会社にしていきたい。丹波市にいるからこそ、より大事にしたいワークライフバランス。きっと金子さんはうまく、そのバランスを作り上げていくのであろう。

 

 

 

 

 

丹波市の暮らしの良いところ、苦手なところ

 

 

 

26歳という若さで丹波市に移住した金子さん。移住そのものへの抵抗はなかったが、最初は戸惑うこともあったという。

 

 

引っ越して最初の方は、静かすぎて寝れなかったんです。自分がいた場所は環状線が通っていて、12時くらいまで電車の音がしていました。また、冬は寒すぎて眠れない事もありましたね

 

 

 

 

都会ではありえないほど静かな環境で寝られるなんて、夢のよう!と思いきや、思った以上に都会の喧騒に慣れていたという金子さん。今までと違う環境で眠るということが難しかったそうだ。

 

 

戸惑ったことはそのくらい。丹波に引っ越してきて本当よかったですね、何より時間の流れが都会とはまるで違う

 

 

丹波市に移住し、時間の感覚が明らかに変わったという金子さん。時間を効率よく使え、仕事のはかどりは断然丹波市の方がいい。質のいい時間を過ごしているという。心にも仕事にも余裕を持つことができ、都会の殺伐さは一切ないそうだ。
さらに、丹波市の人々もとても良いひとが多かった。よそ者だと邪険に扱われるどころか、みんなが歓迎してくれたことに驚いた。

 

 

実家の持ち物だった家を建て替えた時には、もう一生丹波やな、骨を埋める覚悟やなと言われました

 

 

そう笑顔で話してくれた金子さん。「もう一生丹波」というのを、とても嬉しそうに話していた。

 

 

 

移住したからこそ広がった、子どもたちの可能性

 

 

 

丹波市に移住をしてよかったのは、仕事や環境だけではない。子育ての面でも良い影響が出ていると話してくれた。

 

 

自分がいる地域では、国際交流が行われています。8年前、モンゴルの子が3ヶ月間だけ丹波にやってきて、我が家でホームステイをしました。それがきっかけになったのか、今や娘も海外に行ってます

 

 

 

 

 

 

地方だとなかなか広い視野を得られないのでは、と思う人もいるかもしれないが、金子家は逆だった。丹波市にいたからこそ視野が広くなったのだ。金子さんの高校生の娘は今、1年間カナダに留学中だという。また、アメリカでの大学進学も考えているそうだ。

 

 

私自身、英語は話せないのですが、丹波市の国際交流協会の理事をやっています

 

 

地域での国際交流の取り組みに10年以上携わっているという金子さん。娘たちが通っていた地元の小学生がオーストラリアにホームステイをしに行ったり、オーストラリアから子供が地元の小学校に来たりする交換留学のプログラムをサポートしている。丹波市で生まれ育った子どもたちが世界で活躍する日は、そう遠くないかもしれない。

 

 

 

将来の希望は早めに引退。世界中を旅行したい

 

 

 

60歳くらいで会社は引退したいと思っています。そこから自分が好きなことをやっていきたいですね

 

 

丹波市に移住してから、休みの質を高めることを意識するようになった金子さん。都会にいた頃は働きづめで、休みに目を向ける余裕なんてなかった。今も朝から晩まで働いてはいるが、将来のことを前向きに考えているという。

 

 

 

 

 

 

今は旅行に行くにしても日程があまり取れないので、旅行するのも良いですね

 

 

キャリアに固執せず、何とかなるであろうという前向きな視点があったからこそ、今や丹波市で一会社の代表として活躍している金子さん。気構えないその姿勢だからこそ、多くの人が彼の周りに集まっているのだと感じた。
丹波市に移住を考えている人にメッセージをくださいと伝えたところ、穏やかな雰囲気でこう言った。

 

 

来たいと思ったなら来てみたら良い。失敗なんてないんだから

 

 

肌に合うかどうかは来てみないとわからない。肌に合うならそのまま移住。合わなければ次の場所に行けば良い。失敗なんてない、全てが良い経験になる。そんな心の広い金子さんだからこそ、移住者があまりいなかった時でも町の人から受け入れられたのであろう。そして、彼が温かく見守ってくれているからこそ、他の移住者たちは安心して丹波市に来ることができるのだなと感じた。

編集部も移住した当初から気にかけてもらって、みんながお世話になってきた若手移住者「アニキ」的な存在の金子さん。忙しい仕事の中、手伝いに来てくれたり新しい移住者たちのチャレンジを応援してくれたり。当時金子さんは「俺は嫁さんの実家やから来ただけで、Iターンとかで頑張ってるみんなを見ると新鮮なんや」と言いながらサポートをしてくれてたことを思い出します。移住当時は慣れない環境で、しかも新しい仕事でと、大変なことがたくさんあったと思いますがそれを乗り越えてきた金子さんだからこそ新しく移住してきた人たちの気持ちや立場も理解してくれるんだなと今回の記事を読んで改めて感じました。