世界一周後、丹波市に移住した高校教師。世界を見た彼にとっての丹波市とは
神崎悠哉さん
2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。
ある場所がずっと好きで、そこに戻る人もいれば、まるで導きのようにその場所にたどり着く人もいる。大学卒業後、オーストラリアで日本語教師として勤め、その後世界一周をした神崎悠哉さん。縁あり丹波市で教員をやることになった彼は、永住を決め、家を購入した。あらゆる土地を見た神崎さんが、なぜ丹波市に永住を決めたのだろうか。神崎さんと丹波市との出会い、そして世界を見た彼が気に入った丹波市について、詳しく聞いてみた。
夢は学校の先生。オーストラリアで日本語教師になる
高校生の頃はパイロットや航空生産技術者、教師など、夢がいくつかありました。ただ元をたどると、自分は何か生きた証拠を残したいんだって気づいて。人づくりが一番残るのではと思い、教師を目指すことにしました。
大学受験の時、飛行機の設計をしたいと思ったが、志望した大学には行けなかった神崎さん。何がしたいかと改めて考え、思いついたのが教師という道だった。一度は別の学部で大学に入学したものの、教員免許を取りたいという気持ちが強くなり、神戸にある大学の編入試験を受けた。真っ直ぐではなくとも確実に夢への第一歩を掴んだが、その後もなかなか上手くはいかなかったという。
5年間の大学生活を終え、いざ教師へというところで採用試験が通らず。多くの友人は講師登録をしていたのですが、私はなにか違うなと思いました。
講師登録をして来年の採用試験になるまで待つ。それが王道だったが、神崎さんはあえてそっちの道を選ばなかった。せっかく与えられた自由時間。自分が普段だとしないことをしようと思い立った。
海外に全く興味がなかったのですが、せっかくだから世界一周しようかなと思い、お金を稼ぎました。
時間があるからできるチャレンジを試みた神崎さん。そんな時、とある友人にオーストラリアで日本語学校の先生をしないかという誘いを受けた。面白そうだと思いすぐに渡豪し1年間、日本語教師を勤めあげた。その後帰国し、三田の高校で講師として勤めながら教員の採用試験に挑戦するも不合格。やはり世界一周はしておこうと思い、1年で講師を退職し世界へ出たという。
都会から地方へ。好きを追求したどり着いた丹波市
世界一周から帰国後、教員採用試験に合格。教師として一番最初の学校は伊丹にありました。都会に出たいと思っていたため、中心地にアクセスの良い場所を選びました。
大学は神戸にあったため、友人はその辺りにいることが多く、さらに大学生の頃からDJをやっており、クラブイベントなどは都会に集中していた。行動範囲がほぼ都会だったために、職場も近くを希望した。
一番最初の勤務先は4年間しか入れないというルールがあって。ちょうど伊丹の学校で、スノーボードの楽しさを教えてくれる方に出会い、山の近くに行きたいと思っていたので、次の勤務先は但馬地域を希望しました。
スノーボードに夢中になり、生きがいになっていた神崎さん。スキー場の近くがよかったので、最初は丹波市ではない場所を希望した。しかし、そのエリアの採用枠が少なく異動することができず、代わりに決まったのがここ、丹波市だった。
移住4日で丹波市に永住を決意。都会にはない、丹波市の良さ
丹波市にたどり着いたのは偶然だった神崎さんだが、移住4日で丹波市にずっと住もう!と心に決めたという。
なんて美しい町だと思ったんです。世界も日本も見て回りましたが、こんなにずっと落ち着いて美しさを堪能できる場所はありません。
朝起きたらキャンプ場のような、自然の匂いがする。朝靄を見ながら出勤し、新緑に囲まれて、日差しが暖かくて…四季を肌に感じられる、とても美しい丹波市。こんなに素晴らしい場所は、他を回ってもなかったと神崎さんは言う。
地域づくりに関わっているのですが、丹波にいる人はやる気があり面白い。人間同士の繋がりの濃さは、都会にはないですね。
丹波市の高校生や関西の大学、地域の人々が一緒になり地域づくりを行う。廃校となった小学校でイベントを行ったり、空き家の活用を考えたり。今は、旧宿場町を盛り上げるために、街全体を図書館にするアイデアを打ち出しているところだという。何よりも、人が人を繋げ、どんどんと新しい意見に代わり、さらに新しい人々が入ってくる。都会よりも人口は少ないけれど、関わる人間は多いのではないかと思うほど、どんどん人間関係が広がっていくという。
丹波の人々はとても感じの良い人ばかりで。ずっとここに住むことを決めた理由も、人ですね。
居心地が良いんです、と笑顔で話してくれた。
教育で子どもの可能性を広げたい。型にはまらない教育とは
私の指導方法は、とりあえずやってみようです。少しでもチャレンジしたいと思ったことには背中を押します。だから私も言い訳せず、いろいろなことにチャレンジし続けてるんです。
子どもたちの中には、活動的な子も入れば引っ込み思案の子もいる。どんな性格の子でもやってみたいことがあればサポートするのが神崎流。かという神崎さんも、大学生の時にダンスを始め誰よりも練習し、周りが驚くほどの実力をつけた。また、今夢中になっているスノーボード、次はレベルの高いジャンプに挑戦したいという。自分がどんどん新しいことにチャレンジすることにより、子どもたちにも「出来る」ことを伝えていきたいそうだ。
今までも、スノーボードに興味がある子は連れて行ったり、ダンスをしたい子にはステップを教えたり、起業に興味がある子をプレゼンイベントに出場させたりしました。
さらに神崎さんは、大人になっても遊べることを伝えて行きたいという。神崎さん自身も、お盆と年末は必ず長期で休みを取り、海外に行くようにしている。世界一周中に30ヵ国、その後教師として働きながら20ヵ国以上回った神崎さん。教師という仕事についても、まだまだ世界を回ることができるということを、生徒たちに伝えているそうだ。「とにかくやってみよう!」そんなことを自然と思えるような環境を、どんどんと作り出していた。
教師という職を通し、今後も取り組んでいきたいこと
そういえばこの間、家を衝動買いしてしまいました。すごい良い家を丹波で見つけたんです。奥さんも気に入ってくれて。ここしかないと思いました。
「本気でここに住みたい」、そう感じた瞬間に出会った理想の家。犬が飼える物件にしたので、丹波篠山市から保護犬を連れて一緒に住むそうだ。都会の方がよかった部分はありますか?と尋ねたところ、笑顔で特にないと神崎さんは答えた。
今はインターネットで物も買えるし、交通に関しても特に不便してないんです。むしろ、単線の線路の景色が美しくて。こんなに良い景色を毎日見れるなんて、本当贅沢です。
さらに教師という仕事については、こんなに面白い仕事はないと断言している。生徒と笑ったり、喧嘩したりしながらも、彼らの可能性が広がっていくことを見るのがとても楽しいそうだ。
私と出会った子どもには、人生は楽しいと思えるようになってほしいですね。
人という歴史や功績を未来へ繋ぐ神崎さん。彼のように、どんな困難があろうとも前向きに立ち向かい、自分の夢や希望に向かうことができる子どもたちが、きっと丹波では多くなってきているに違いない。教師という仕事を通じて神崎さんは今日も、明るい未来へのたすきを繋げているのだろう。
編集部も今回はじめてお出会いした神崎さん。待ち合わせの場所で待っていると、黄色いスポーツカーで旅人のような格好で来た神崎さんと、先生という職業が結びつかず、違う人かな?と思いました。お仕事の空いている時間に着替えて取材に来てくれたそう。個性的な人だなと思いました。 けれど、お話を聞くと教育に対してのお考えは非常に真面目で、世界を見たり、音楽やダンスをしたりと、たくさんの経験をしてるからこそ伝えられる自分の役割はこうではないかとご自身の論を持っている印象の方。これからの丹波市にとって大事な子どもの教育現場に、世界の広い先生がいることを心強いなと感じたインタビューでした。