移住者インタビュー

Vol.58 / 2019.08.31

好きな人たちの、喜ぶ顔が見たくて〜キッチンたわや~

田和 亨さん

丹波市の中でも少し奥まった古河地区にある「キッチンたわや」さんは、同集落で生まれ育った田和さんが3年前に開業しました。大阪の調理師学校・ホテルで10年の経験を経てUターン。その後もゴルフクラブで10年と、20年以上料理の世界にいた田和さん。大好きな丹波の、生まれ育った集落で飲食店を開業と、とても意志が強く順風満帆にこられたと思いきや「本当はすごく不安だった」と率直にお話してくれた、お店と開業までについてのインタビューです。

 

 

 

コックになる夢。お母さんの喜ぶ姿が見たくて

 

 

 

 

 

中学校2年生の時にはコックになるんだ、とご自身の夢を持っていた田和さん。夢のはじまりは、子ども心に響いたエピソードからでした。

 

両親が共働きで、自分で料理を作ったりしていたのですが、中2の時にお母さんが帰ってくる前にサプライズで晩御飯をつくったりしていたんです。玄関の隣の部屋で、お母さんが帰ってくるのを聞き耳立てて待って、「うわ~ ええ匂いする」っていうのを聞いたりして。

 

それで、おかんがこんなに喜ぶんやったら、次は何作ってやろう、って。末っ子長男甘えん坊で、お母さん大好きだったんですよね(笑)そのままコックになることを夢見て、高校も食品加工科がある学校に入ったんです。

 

 

幼い頃にお母さんに喜んでもらえた記憶や、地元の料理屋さんに両親と外食に行って、お店のおっちゃんにとても優しくしてもらったことを覚えていたと話す田和さん。ただの飲食店とお客の関係だけでなく、人と人のつながりが感じられるのも、丹波らしさだと笑ってお話してくださいました。

 

 

 

 

 

開業まで。自信がなくて、悩んだ時期も長かった

 

 

 

その後大阪の調理師学校を経てホテルで10年間働いた田和さんですが、丹波市のことが大好きで、お休みの日には必ず地元の友人に会いに実家に帰っていたそうです。大好きな丹波市に必ず帰って来るんだと10年間働いたホテルを退職し、Uターンしました。その後、丹波市内のゴルフクラブでも10年、副料理長の役職もつきました。合計20年、しっかりと実力をつけて開業され、「全然ぶれないですね」と聞くと、実はそうではないんですと田和さん。

 

いや、ブレブレなんですよ・・。(笑)ホテルでもゴルフクラブでも、僕はずっと2番手で、トップでやる自信が無いから一流の2番手であろうと、影で支えるのが自分に向いてると思ってたんです。と言うか思いたかったんですね。

 

 

 

 

自分では、合ってない人間がトップに立ったらあかんと思ってたんですが、35歳くらいの頃から周りの人たちに「35過ぎたで?お店やらへんの?」と言われて、35歳から40歳くらいまでそういった言葉に背中を押してもらったり、時にはそういう言葉に苦しんだりしました。丹波市の人はみなさん優しいので、息子のように気にかけてくれるんですよね。

 

 

 

 

 

学生の頃から夢を持ち、都市部で修行し、自身の生まれ育った地域で開業。とても順風満帆、華やかなエピソードに聞こえますが、ご自身の葛藤や不安もたくさんあったと話してくれるところに、田和さんの温かいお人柄が表れているように感じます。

 

 

 

正直、失敗したらどうしよう、借金抱えることになったら?と、悩んで時間もたくさん過ぎました。それまでは自分でできることしかやってない、限界を自分で決めてたんですね。でも、ようやく決心がついて知らないことの扉を開けたくなったんです。自分の守るもの、と考えた時に嫁さんさえ守っていければ、とも思ったんです。

 

 

 

不安だから躊躇していたこと、自分自身が限界を決めてできる範囲で考えようとしていたと当時の感情を素直に語ってくれた田和さん。夢があるから、悩んで、周囲のアドバイスにも苦しくなるくらい考え抜いたようです。そんな田和さんですが、最終的に決断したのは「奥さんを守っていくこと以外、何も恐れることはないじゃないか」と覚悟を決めたことのようです。

 

 

 

 

 

 

いざ開業してみて。自分らしくありのままでいること。

 

 

 

開業してみると、ご自身が想像していたことと少し違ったことも起こったそうです。

 

 

 

経営者になったら、以前と違って周りに気を使わないで、とにかく目の前のお客さんにどうやったら喜んでもらえるか、また次来てくれるかを考える事に集中できたんです。トップになるというのは完璧な自分でいないといけないと思ってたんですが、みんなに助けてもらって、未完成な自分を村の人やお客さんが指摘してくれたりして。

 

 

本当は二枚目でいきたいけど、そうではなかったみたい(笑)ありのまま、自分らしさを見てもらえるのが一番だと思っています。村のおっちゃん達に色々と苦言を言われることもあったけど、やっぱり奥にあるのは「とおる頑張れよ」という気持ちだと思うんです。それってありがたいやん、また来てくれるやん、それって当たり前じゃないよと自分に問いかけて、いつも新たな気持ちで、素のままでいたいと思っていますね。

 

 

窓から見える景色に自然がたくさんあって、やっぱりここでお店を開いて良かったと田和さんは語ってくれました。自分のお料理で喜んで欲しい、元気になって欲しいから、やっぱり自然が豊かな景観や、美味しい地場の野菜があることは良かったんだ、今後は、自分のお店が丹波市のパワースポットみたいになったら嬉しいなあと笑顔で話しているのが印象的でした。

 

 

 

 

 

 

田和さんは生まれ育った集落で開店された事もあり、親のように関わってくれる地域の方もたくさんいるそう。時には厳しい言葉に泣きそうになることもあるそうですが、見栄を張ったり格好をつけたりすることより、ありのままの自分でいる、そんな自分を知ってもらいたいと思っているようです。

 

 

 

そんな田和さんですが、ご自身の集落で開店されたのは、お知り合いが多く地域密着のお店をしたかったからでしょうか?と聞くと、地元以外の丹波市の地域や、他地域からも来て欲しいとおっしゃっていました。開業時、コンサルタントの方に相談したところ「その道は1日何台車が通りますか?」と聞かれたそうです。ですが、田和さんは新規のお客さんに見つけてもらいやすい国道沿いより、比べられない場所でしっかりとおもてなしをして、また来たい、誰かを連れて行きたいと思ってもらえるお店にしたいそう。お母さんの喜ぶ顔がみたくて、わくわくしながら料理をつくっていた、サプライズをしていた田和さんの温かい人柄と人生が、たくさんつまったお店であり、働き方なんだなと思い、いつも温かい笑顔につつまれる場所になっていきそうだな、と感じました。