移住者インタビュー

Vol.57 / 2019.07.31

未来に安全な食を届けるパン屋。丹波市で始まった地球が愛するパンづくりとは

中山大輔さん

2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。

安全な食と農家の想いを未来に繋ぎたいという青年が、2019年6月、丹波市でパン屋を開いた。広島やフランスでパンづくり、そして小麦農家での修行をしたのちに、丹波市に移住し、1年かけて店を作った中山大輔さん。

彼が描く未来をなぜパン屋として叶えようと思ったのか、そしてなぜ丹波市だったのか。彼の丹波市にたどり着くまでの冒険と、これからの希望を訪ねてみた。

 

 

 

 

 

安全な食事が体にもたらすパワーに気づいた、離島での出来事

 

 

 

全ての始まりは大学時代。離島でゴミ問題に関するプロジェクトに参加した時、オーガニックのバナナ農家に出会ったことでした

 

 

 

 

当時、関東の大学で経営学を学んでいた中山さん。鹿児島県から13時間かかる宝島にて、漂着ゴミの問題を取りあげ、島の子どもにゴミに関するワークショップを行うプロジェクトに参加した。その滞在中に中山さんは、宝島でオーガニックのバナナを作る農家の夫婦に出会い、のちに中山さんの課題となるものに気付かされたという。

 

 

 

 

そのバナナ農家さんに言われたのは、人間になくてはならない衣食住が、どこからきたか、どうやって作られたかなど、根本なところを今一度見直してみた方が良い、と言われたんです

 

 

 

 

 

ちょうど宝島ではビーガン食を食べていた中山さん。滞在した10日間では、動物性の油を使わず植物性の油を使い、遺伝子組換などのない自然な食を口にしていたところ、体が軽くなり排便がスムーズになったことを実感した。

 

 

 

 

良い食材をたった10日間取り入れただけで変化した体の調子と、バナナ農家の方の話がリンクしました。ここで自分は、食について何かしたいと感じました

 

 

 

 

そんな思いが込み上げてきたものの、具体的に何がしたいか決まっていなかった中山さんは、島から戻り、大学の図書館で衣食住に関する本を読み漁った。すると、最後にたどり着くのは全て、政治や経済だと気づいたという。

 

 

 

 

全ての出来事が政治や経済をベースに動いていると気づいた時、危機感を覚えました。しかし、自分が今なにができるわけでもない。地球に、未来の子どもたちに貢献できるようなことがしたいと思った時、宝島のバナナ農家の方が、余った麦の使い道を相談しに連絡をくれたんです

 

 

 

 

バナナ農家が宝島を離れ移住するため、作っていた麦を中山さんがもらうことになった。しかし、麦のままでもらっても使い道がわからない。そこで麦を引いて小麦にし、パンにした。麦を小麦に、小麦をパンにと作り続け、いつしかそれが日々の習慣化された時、中山さんはふと気づいた。

 

 

 

 

体や地球にやさしいオーガニックの麦を未来永劫使ってもらうには、麦を活用する必要がある。麦を小麦粉にすれば、天然酵母の原料となる。天然酵母でパンを作れば、農家の方々がこだわって作った麦とその思いを、未来へ届けることができる。これが僕のできることと気づきました

 

 

 

 

生きる道が決まり大学を中退。理想のパンづくりを求め広島、そしてヨーロッパへ。

 

 

 

 

自分が社会に貢献できることは、パン屋になって安全な麦を繋ぐことだと確信した中山さんの行動は早かった。

 

 

 

 

自分が目指す道はパン屋だと気づいたのが大学4年生。その瞬間に大学を中退しました。残り半年大学にいること自体、お金もかかるしもったいないと思いました

 

 

 

 

中山さんが目指していたのは、日本によくある惣菜パンではない。国産オーガニックの小麦粉を使用し、手ごねで作り、石窯で焼いたパンだった。この先も続けられるパン屋と考えた時、電気やガスオーブンでは体験できない、木の香りが宿るパンを作りたいと思い、石窯しかないと思ったという。大学を中退した中山さんは、すぐにパンづくりの修行をできるところを探したが、なかなかうまくはいかなかった。

 

 

 

 

 

まず日本で修行先を探しましたが、僕が想像するパン屋は日本にはほぼなかったのです。僕が理想とするパンづくりが根付くフランスに行くしかないと思い、航空券を購入しました

 

 

 

 

フランスに行く準備をしながらも、中山さんが理想とするパンづくりを行う日本唯一であろうパン屋に、思いをつつった原稿用紙3枚の手紙を送った。すると、ちょうどこれから研修生を募集するタイミングとの連絡が来た。

 

 

 

 

広島県でパンづくりの修行が決まったので、フランス行きの航空券は破り捨てて、広島に向かいました。住み込みで研修する3ヶ月間。給料はありませんがパンもバターも食べ放題という条件で、パンづくりの全てを教えてもらいました

 

 

 

 

教えてもらえたのはパンづくりだけではなかった。ここで学んだパンは、日本で馴染みの薄いフランスパンを含むハード系のパン。作るだけではパンも麦も続かない、売れなければならない。作ること、そして売れることが継続に繋がることだと、しっかり学んだ。

 

 

 

 

本場・フランスへ!小麦農家で働き、パンの1から10を知る

 

 

 

 

広島での修行を終え、2年ほどアルバイトをしてお金を稼ぎ、フランスのワーキングホリデービザを取得。中山さんは再びフランスに向かった。

 

 

 

 

フランスに行くなら、スペイン巡礼をして勢いをつけて行くと良いよと、広島の修行先のパン屋の方に教えてもらい、スペインから行きました

 

 

 

 

スペインに渡り、ユネスコの世界遺産でもあるサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を歩き、フランスに向かう約1200kmほどの道をひたすら歩いた中山さん。

 

 

 

 

 

スペイン巡礼での気づきは、地域の文化や天候の違いにより、パンの種類が全く違うことでした。フランスに近づくとバケットなどハード系のパンが多く、東西の真ん中あたりでは多種多様なパンが増えていく。そして西側は海に面していて、味の濃い魚介類に合わせた、日本に似たパンが増えます。日本と違い、パンが地域に根付いていることがよくわかりました

 

 

 

 

ヨーロッパでの主食はパン。日本の米が土地によって味や水分量が違うように、ヨーロッパでは地域によってパンの形が変化していた。その変化を楽しみながらスペイン巡礼を行なった中山さんは、道中にお世話になったフランス人夫婦が、偶然にも小麦農家だったので、そこで働くことに。小麦農家の仕組みをしっかりと学び、日本に戻った。

 

 

 

 

 

 

クラウドファンディングで200万獲得。フランス式の薪窯を作り、店オープン

 

 

 

 

2018年1月、日本に帰国し丹波市に移住した中山さん。なぜ、丹波市に移住することを決めたのか。きっかけは中山さんがフランスに行く前からお付き合いをしていた女性だった。

 

 

 

 

実は帰国後すぐに結婚したのですが、彼女が丹波に移住をしていて。一度お付き合いをする前に、お手伝いで丹波に行ったことがありました。僕が求めている土地にぴったりでしたし、丹波に来ることに全く抵抗はありませんでした

 

 

 

 

パン屋になりたいと公言した大学中退後。3人の人からパン好きの女の子がいるよ!と教えてもらった。その人が、丹波市に先に移住をしていた中山さんの奥さんだ。3回も聞くんだからと、まだ会ったことのない女性にSNSで連絡を送ったという。フランスに行く前、彼女から急に丹波市に来て欲しいとの連絡があった。すでにパン屋を始めていた彼女のお手伝いをしに行ったが、二人は意気統合し、お付き合いをすることとなった。そして中山さんがフランスから帰国後、結婚した。

 

 

 

 

フランスから帰国するという時に、彼女から丹波で家を借りたと連絡が来ました。そこが今二人で住んでいる家で、僕がパン屋を始めるお店でもあります

 

 

 

 

 

だだっ広い原っぱがある、平屋のかわいらしい家。どこか他で土地を借りてパン屋を始めるならここでやりたい。そんな気持ちが広がり、土間だった部分を改良して、パン工房を作ることになった。

 

 

 

 

帰国直後でお金もなかったので、1年間はお金を貯めることにし、その中でクラウドファンディングをさせていただきました。ありがたいことに200万以上を集めることができました

 

 

 

 

小屋の改築費は概算で300万円以上、窯作りで150万円以上。250万円はなんとか自分で集めたが、足りない部分をクラウドファンディングで集めることになった。地球に優しいフランス式の薪窯を使いたい、地元産の小麦を使っていきたい、人や地球に還元していきたい。そんな思いが伝わり集まった200万円。こうして資金を無事調達することができ、2019年5月、窯が完成。6月23日、中山さんの想いがこもったパン屋「薪火野」がオープンした。

 

 

 

 

 

 

パン屋は手段。今後目指す地球の未来

 

 

 

 

将来の道を決め丹波市に来て夢を叶えるまで、流れに身を任せ、しかし芯は強く。その中山さんの姿勢が、28歳という若さで夢を実現させた理由だ。

 

 

 

自然が豊かで安全。パンを焼くのに最高な場所へたどり着くことができ、とてもうれしく思います

 

 

 

 

 

日本に馴染みのない、ましては丹波市の人にはきっと馴染みがないであろう薪窯で焼いたパン。誰も食べてくれなかったら…という不安がないわけではない。しかし、作っているものに対し、確実な自信がある。

 

 

 

 

オーガニックの小麦を使用しています。丹波でも小麦を作る農家があるので、今後は地産地消で行きたいと思います

 

 

 

 

目標はお店を続けること。そしてパン屋で終わりではなく、小麦を作る1次産業に踏み込みたいという中山さん。安全な麦を作って、それをパンに変えて人々に届け、自然と安全なものを口にできる世の中を作っていく。それが中山さんが目指す未来だ。

 

 

 

 

丹波にいて良かったなと思う瞬間は、山に霧がかかった朝の景色を幸せだなーと思います

 

 

 

 

悪いところは特にない!ここで暮らせて幸せだと、まるで丹波市に来たことが必然だったかのように話す中山さん。今後も彼がパン屋を続けることで、子供たちが健康で豊かに生きられる未来になっていって欲しい。

 

 

すでに奥さんの塚本さんはTurnWaveでもインタビューさせて頂いていて、中山さんのお話も伺っていましたが、編集部も実際にお会いしてきちんとお話するのははじめてでした。中山さんのお話を聞いていると感じるのが、自分の直感に従っていて、とても動きや決断が早い人だなということ。丹波市に限らず、地方に移住して活躍されている方は決断のスピードが早いなと思わされることが多いです。そうして巡りあった丹波市のこの土地で、自分の思い描く釜とロケーションに囲まれた場所で、中山さんらしいパンづくりを続けていってもらえたら、たくさんの人を元気にするパン屋さんになっていくんだろうなと楽しくお話を聞かせて頂きました。 ※こちらのインタビューは、2019年5月にインタビューしたものです、2019年7月現在、中山さんのパン屋さん「薪火野」は事情によりおやすみされています。openの情報はWEBサイトよりご確認ください。