都会で10年ビジネスを行なった会社が丹波へ移転。丹波だからこそ出来る経営者の仕事
増田和彦さん
2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。
都会で大手の会社と取引をしていたような経営者が、丹波市に移住してきた。兵庫県の尼崎で2006年から会社を立ち上げ、衛生管理から廃棄物の総合コンサルタント、害虫駆除、排水管洗浄などで飲食店を支え続ける、株式会社リリーフ・アシストの代表・増田和彦さんだ。彼は、2015年に丹波市に移住・本社を移転した。飲食店の縁の下の力持ちとして社会を支える企業がなぜ、丹波市に来ることを決意したのか。経営者・増田さんから見た丹波の魅力とは、そして都市部で成功していた会社が丹波市に移った時、どんな違いがあるのか?早速お伺いしてみた。
関西圏を中心に、飲食店の衛生面を支える強い味方
私は38歳で株式会社リリーフ・アシストを起業し、2019年で14年目となります。起業するきっかけとなったのは、その前に勤めていた会社でした
増田さんが20代の頃に入社した会社は、飲食店から出る油の回収とリサイクルを行なっていた。当時、油のリサイクルを広域でできる会社がなかったため、増田さんは、関東の玄関口として静岡エリアの営業先を開拓し、自社で油を全部回収できる体制を整えた。
関西だけではなく関東もできる営業力を売りにし、取引先を増やしていった増田さん。しかし、今後のビジネスのあり方を考え始めた時、これをずっと続けることは難しいと感じたという。
静岡に出て関東エリアも見てみると、自分たちと同じシステムが存在していました。油のビジネスだけではこの先、10年くらいで負けてしまうのではと感じ始めました
ある時、臨床の検査などを行う登録検査機関の会社と出会ったことがきっかけで、外食産業の衛生管理を事前に行える事業ができるのではと閃いたという。
当時は、保健所は事故が起きてから動いていたり、検査会社は検体を持ってきたら調べたりする方法が一般的でした。定期的に検査を店まで行いにいくビジネスはなかったのです
正しい衛生の知識と運用ができる飲食店は少なく、今では当たり前の衛生管理は一般的ではなかった。そんな時お弁当のチェーン店より、衛生管理ができる会社はないかと、登録検査機関の会社が問い合わせを受け、増田さんに連絡が入った。
1300店舗を持つお弁当のチェーン店が、年3回の衛生管理をやりたいと言っており、ちょうど自分たちの営業エリアと被っていたんです。これはビジネスチャンスだと思い、会社に確認せず受注してしまいました
油のリサイクルを行なっていた会社が、衛生管理も行える。これでこの先、5年間は他の同業社が追いつけないビジネススタイルを築き上げることができた。しかし、衛生管理のビジネスが順調にいっている最中、状況が一変した。
リサイクル油は相場制の商売で、値段が常に変動します。ある時、油の値段が高くなり、会社としての売上が上がりました。そうすると会社の上司たちが、衛生管理の仕事はいらないのでは、と言い始めたのです
自ら始めた飲食店の衛生管理事業。この事業が必要だと言ってくれる仲間もいたが、思いは伝わらず、事業がなくなるならと増田さんは会社を退職することにした。
退職前に得意先に出向き、油の事業以外は辞めることになりました、と謝罪しに回りました。その時、増田さんがやればいいのに!と言ってくれたところがあったのです
当時、増田さんは38歳。取引先からの期待を背負い、独立を決意した。
社長自らトラックを運転。取引先からの希望と共に起業、そして事業拡大
晴れて株式会社リリーフ・アシストを立ち上げた増田さん。最初は資金はなかったが、衛生管理という事業内容上、正社員を雇わなければならないという状態だった。
立ち上げ当初はお金を借りました。前の会社から引き継いだ取引先とビジネスを行なっていましたが、創業3年にして、会社の経営が危うくなりました
売上の多くを占めていた案件がなくなってしまう、という事態に直面し、会社存続の危機に晒された。しかしそれと同時に、チャンスが訪れた。以前から取引をしているある有名ラーメンチェーン店より、仕事のオファーが来たのだ。
そのラーメンチェーンの衛生管理から配送事業まで、多くの仕事を受けることになった増田さん。特に配送業は姫路から京都までの店全て、364日フル稼働で行なった。自分自身がトラックを運転して、配送をすることも多々あったという。
とある有名ラーメンチェーン店が、ラーメン業界では初の衛生検査を取り入れたおかげで、うちもやりたいという店が多く出てきました。その他、害虫駆除、店舗清掃、排水管の清掃などを含め、多くの仕事につながりました
丹波へ本社移転。きっかけは外食産業の安売り競争
事業が波に乗っていた増田さん。2015年、彼はある決断をした。それは丹波への移住、そして本社を丹波へ移動させることであった。
丹波に移住したきっかけは、外食産業が安売り競争になってきたことです。外国から入ってくる農薬だらけの食材を使い、食事を作っているのを目の当たりにし、これではだめだ、自分が農業をやろう!という気持ちになりました
衛生管理の仕事をし続けていた増田さんは、飲食店との繋がりが強く、現状をよく把握できるポジションにいた。変化する外食産業を見て危機感を持った増田さんは、移住を決意。しかし最初から丹波市に行こうと思っていたわけではないという。
当時、仕事で韓国によく行っていて、ソウルから釜山まで縦断旅行をしたことがありました。韓国の経済では、釜山で原料を仕入れ、ソウル近くに工業団地を作り、そこで原料を加工し、ソウルで消費するという流れができてたのです。これは使えると思いました
増田さんが得意とするマーケットは関西エリア。この日本で2番目に大きなマーケットに、朝取れた新鮮な野菜などをお昼には届けられる場所、それが丹波だったのだ。
丹波にしよう!と思って土地を10箇所以上探しましたが、決まりかけていたところが買えなかったりと、なかなか難儀でした。しかし、公表されていない場所を紹介してもらえることになり、そこが最高の土地で、値段も聞かずに購入を決めました
北を背に南側が開けており、南に向かって左手には三尾山が見える。そんな、まるで京の都のような400坪の土地に出会った増田さん。家族もとても気に入り、即決した。そして以前、展示場に行き、ここで建てようと決めていた吉住工務店に建築を依頼。のち、2016年度にグッドデザイン賞を受賞する、素晴らしいオフィス兼住まいが出来上がったのだ。
丹波移住の理想と現実。これでいいのか?と思ったことも
農業をしようと思い、2015年に家を建て移住してきた増田さん。農地も1ヘクタール、つまり学校のグラウンドの大きさほどの場所を買いあげ、農業事業化への第一歩に踏み出した。しかし一方で、これで本当に良いのかという疑問も持ち上がったという。
今まではスピードが早ければ早いほど、儲かるようなビジネスを行なっていました。しかし、トラクターに乗って土を耕していると、とてもゆっくりで、本当にこれで成り立つのかと心配になることもありました
スピード命だった生活から一変した、田舎暮らし。いつになったらこれがお金になるのかと、不安が募ったと増田さんはいう。
自分の思い通りの生活にはまだなっていないけど、結果、もう都会には戻りたくないと思っています。こっちでは人間らしい生活ができる。困っていたら人が助けてくれる。都会では感じられなかったことがいっぱいあるんです
雪が膝くらいまで降った日。車が坂を登りきれずに困っていたところ、誰にも声をかけていないのに、みんなが家から出てきてくれ助けてくれた。田んぼの水を張ることがうまく行かずに相談したところ、一緒にどうしたらいいか考えて行動してくれる人がいた。そんな温かい、人と人との繋がりが、丹波では感じられるという。
みんな良いところだからおいでよ!と言いたいところですが、良いところだと知られたくないので、教えたくないですね
と屈託ない笑顔で、増田さんは答えてくれた。
「複合微生物資材」との出会い。丹波に来たからこそ出来る新しいビジネス
そんな増田さんには今、丹波でやりたいことがあるという。それは、持続可能な農業を目指すことだ。
2017年に鳥取のあるイベントで、微生物・資材製造メーカーの社長に出会ったんです。彼が製造販売する複合微生物資材は、元々その土地に存在する土着菌を活性化支え、作物本来の力を行かせることができる。地球の循環を良くする驚くべきものでした
複合微生物資材とは、3つの食材菌から出来た微生物。この微生物を利用した商品を作るメーカーの社長に出会った。丹波で農業を始め、飲食店のメンテナンスの会社を運営していると社長に伝えたところ、その社長が、ちょうど販売ルートがないことに悩んでいたと話してくれた。
複合微生物資材を使えば、化学肥料を使わずに、植物の生育促進や堆肥の発酵促進ができる。また、排水の浄化や油脂の分解、悪臭の軽減など清掃にも役に立つ。化学肥料や農薬を使わなければ、海や川の水がきれいになり、地球の循環が良くなり始めるのだ。
何店舗かで複合微生物資材を試してみたところ、驚くべき結果が出ました。キッチンの悪臭が、1週間後には消えていたのです
これは良い!農業にも飲食店にも使えると思い、取引を始めることを決めた増田さん。ただ販売するのではなく、装置とノウハウを購入し丹波に工場を作ったのだ。複合微生物資材の製造を始めたのには、理由があった。
この複合微生物資材は海外からも注目を浴びています。今、四国・松山に工場があり見学できるのですが、海外からのアクセスが良くない。本土に見学場所を求める人が多いのです
複合微生物資材は肥料に比べたら安いので、効果が伝えられれば必ず広まる。と自信に満ち溢れている増田さん。実際彼も、自分の田んぼで肥料や除草剤を入れずに、複合微生物資材だけで自然栽培を行なっている。今の所順調とのことだ。
丹波にいて一切不便はない。どんどんと広がる新たなビジネスの輪
丹波にいることで、仕事に差し支えがあることは一切ありません。インターネットがあれば、都会と同じような生活は容易です
今もなお、大手企業と取引を続ける増田さん。丹波に来ることで、ビジネスしにくくなったことはないかと尋ねたところ、携帯があれば全く都会と変わらないと答えた。もちろん、事業が成熟しているということもあるが、社長が社員の近くにいないから問題になることはないそうだ。
丹波は都会から遠くないんです。車を使えば大阪空港まで45分、神戸空港まで1時間。出張にも旅行にも行きやすいですね
都会に用事があっても車で行けるため、全く不便はないそうだ。むしろ、丹波に来たことで広まったビジネスもあるという。
複合微生物資材を始めたおかげで、徐々に新しいクライアントが増えています。実は私と妻はダイビングを行うので、プライベートで沖縄によく行くのですが、島の人と意気投合し、複合微生物資材を使用して、沖縄の観光資源の海を汚れないようにしよう!と展開中です
関西近郊だけではなく、沖縄でも複合微生物資材を広げている増田さん。海ぶどうやもずくの生産が、著しく減少している沖縄で、複合微生物資材を使用すれば、土壌汚染がなくなり、それに伴い、河川や海に薬品が流れこむことなく、環境が改善され、海藻の生産も今より増えるであろう。
さらに中国や韓国など、多くの場所から注目を浴びる複合微生物資材。この商品と出会えたのも、丹波に来て農業を始めたのがきっかけだった。今後どのようにビジネスを行いたいか聞いてみると、次のように答えた。
今までの事業は継続して行きます。また、有機野菜を増やすにはまず、野菜の販売先を増やさなければいけないので、まずは販売ルートを広げていきたいですね
野菜の販売先を増やせば野菜が売れる。野菜が売れれば、複合微生物資材を購入してもらえる。複合微生物資材を使えば、より地球にも人間にもやさしい環境が作れる。まさにこの、持続可能な農業の具現化への第一歩が、野菜を売るルートを作ることだという。
また、今の仕事のモチベーションはどこから来るのか聞いてみたところ、一枚の紙を見せてくれた。『地球に何を残すか 人、動物、植物 生きとし生けるものに何を贈る』と記載された紙だった。まさに今、増田さんが行なっているビジネスに当てはまっていた。このために自分は丹波に来たと感じると増田さんは話してくれた。
田舎だからビジネスができないのではない。田舎だからこそできるビジネスがあり、それを開拓するのは自分次第である。そんなことを、増田さんから教えてもらった気がする。田舎移住に興味があったけど動けない人々よ、どこにいてもやるのは自分。ぜひ自信を持って、第一歩を踏み出してほしい。今までのやってきたことを続けながら、新しいチャンスを手にする方法が、どこかにきっとあるはずだから。
編集部も今回はじめてお会いした増田さん。都市部で経営者として成功し、ご自身で丹波市を選択し、移住して来られました。トラクターに乗って、これでビジネスが成り立つのかと考えたという話に深く頷きながら、その中でご自身の考え方も変わっていく様子は我々編集部も移住してから動いてきた心の動きに近い様な気がしています。都市部でのスタンダードな考え方から、考え方が変化してきた今はとても満足しておられる様子が印象的でした。また、奥さんに「あなた、このまま(従業員さんをたくさん働かせて多くを稼ぐという方向でビジネスをしている経営のあり方)でいいの?」と言われて、従業員さんや世の中がよりよくなっていくビジネスをやっていこうと舵取りされたという話も、真摯な方だなという印象でお話を楽しく聞くことができました。小さいながらも農業をはじめたばかりの編集部のものとしても、クリビオさんに興味津々。さらには丹波ドローン協会の活動もされているそう。様々なビジネスを丹波市で展開する増田さんに、今後も注目です!