【起業インタビュー】SAJIHAUS

出町慎さん~地域課題を解決するために地域や人を紡ぎ続ける設計士~

移住した経緯を教えてください

関西大学工学部建築学科を卒業した後、大学から仕事をもらってフリーランスとして設計や集落調査をしてました。当時、建築士として生計を立てていくために様々なコンペに応募していて、その時丹波市で公募されているのを見つけて応募したのが最初のきっかけですね。

青垣町佐治の町並みで、空き家の改修や学生の受け入れなんかを提案して、採択されて。実際に動く人が必要となって、『自分が提案したし行きます』ということで、2007年から丹波市に足を運び始めました。

最初の改修は佐治スタジオだったんですが、この時は建築の実務は全然わからなかったから、色々建築の先生に来てもらったり、地元の大工さんに教えてもらいながらノウハウを学んでいったという感じでした。以前から、都会ではなく地方で街並みの再生とか地域の活性の為の設計をしたいと思ってたので、願ってもないチャンスやなと。

最初は2週間に1回だった佐治スタジオでの活動が、週1になり、週に数日泊まるようになり、帰る日の方が少なくなって、5年ぐらいかけて地域の人たちとの関係性を築いて、結婚を機に奈良市から移住しました。こうした「ゆるやかな移住」は、自分自身とてもスムーズだったのでお勧めしています。

なぜ設計業を始めようと思ったんでしょう?

仕事として設計士になりたいと意識したのは中学生からですね。学校の職業体験で設計士の人がきて、いっぱい図面を見せてもらって。そこで『めちゃめちゃかっこいいな』って興味持ったのがきっかけです。多分、その授業で食いついたのは僕だけやったと思います(笑)

丹波市で起業する際に懸念していたことはありますか?

最初の頃は大学に雇用されていて、それなりに給料をもらってたから、それがガクッと減る時のギャップに家族の暮らしが耐えられるのかが懸念点でした。大学の仕事を離れる前に、妻と『実際、僕らは月になんぼあれば食っていけるのか?』を話し合ったんですよ。結論としては、『一旦子どもの事を考えずに夫婦だけなら月15万あれば大丈夫』って話になって。それやったらいける気がする、と思って起業しました。

結婚当初、山南町にある妻の実家近くの家を借りていて家賃は1万でした。それで山南町から青垣町へ通勤するのに最低でも月2万はかかってたから、『月3万は家につかえるな』という話で、青垣町の今の家を買う時にはその時の状況から考慮して月3万でローンを組みました。こういった許容ラインについて最初に話し合ったのは結構大事やったと思いますね。

設計の仕事以外にも計画づくりのコンサル仕事や自治会から仕事いただいたりもしていたので、なんとかなるかなという算段がつきました。

当初の資金繰りはどうされましたか?

雇用されてた時からある程度貯金してました。基本的に設計事務所はパソコンがあればなんとでも出来て、初期投資が少なくていいんですね。家の片隅でも仕事できますし。どうしてもお金なくなったら、昼間全然違う仕事して、夜に設計の作業するとか、そういった兼業もできますし。

最初は事務所を借りずに家でやってましたね。出来るだけ小さく始めていくことを心がけていました。

起業のための事前準備はされてましたか?

結果的に、開業前までやっていたことが、そっくりそのまま準備になっていましたね。大学の仕事もしながら、地域の行事に顔を出して、地域の人に会いにいって。それが楽しくてやっていた訳ですけど、あちこち顔を出していたのが準備でしたね。

経営のこととかは、よくわからないまま起業しました。起業してから丹波市の商工会に入って、決算書の読み方や経理の仕方とか、講座を受けにいったりと、必要に応じてやってきました。僕は先にやってみて考えるというか、動きながら足りない物事を足していくタイプですので、こういった形が自分には合ってました。

起業する際、具体的な手続きについては誰かに相談されましたか?

以前からお世話になっていた地元の経営者の方とか、商工会青年部の方に相談しましたね。当時はまだ、丹波市の商工会も今程起業支援とかしてたわけでもない頃でしたので、知り合いに聞いて回った感じでした。

開業されてからここまで、ビジネスの状況はいかがですか?

最初はやっぱり、金銭的にきつかったですね。今でもたまにきついですけど。街中とは違って、設計業者が沢山いるような地域ではないから、設計以外の食い扶持をつくらないと設計業を維持できないみたいな時期もありました。

建設業の中でいえば、測量士も似たところがありますが、建物ができても誰か測量したか、設計したかなんて話は基本的に表にでないんですよね。なので日頃から営業活動として、設計の必要性や重要性を伝えていく動きが必要だったりします。そういった観点からも、設計の前段階で地域や自治会と関わったり、コミュニティスペースとして運用しているセンバヤでも顔を出すようにしたりして、色んな人と関わるということをしています。

都会であれば、設計事務所の看板をあげるだけでほっといても仕事がバンバンきたりすることもあるでしょうが、でも逆に、ネットワークがないからいざ仕事が枯渇した時は苦労するんでしょうし。

こっちは、色んなネットワークを自分で、自分の好きなようにつくっていけるので、仕事の種を作っていける良さがありますよね。

起業してよかったこと、逆によくなかったことはありますか?

自分の生き方を、自分で自由に決められるところはいいことですね。社会に対しても、色んな人と対等なお付き合いができる、それが面白いです。立場が気にならなくなる。雇用されてる時は、相手方が社長とかになるとどうしてもへりくだったりしちゃうじゃないですか。どんな人とどういう関係を築いていくかを、自分で組み立てていける楽しみがありますね。

逆によくないことは、やっぱりお金が回らなくなった時は苦しいですよね。でも、そうなるのも結局すべてが自分の責任になるから、逃れられない。『やっぱあの仕事受けとけばよかった』とか、『この仕事もっと早く終わらせておけばよかった』とか、苦しくなる原因もやっぱり自分で。そんなミスばっかりやらかしてますが、それも自分次第ですよね。人のせいに出来ないところはあります。

以前、現在の商工会会長が一度青年部に講演しにきてくれた時に、ご自身が作っているという資金計画を見せてくださったことがあって。半年先までつくってると。それを教えてもらってから自分も作るようになって、だいぶキャッシュフローが安定するようになりました。開業後も、資金計画は大事なんだなと思いましたね。

将来の展望はどのようにお考えですか?

SAJIHAUSのことだけに時間を使わないようにしたいんですよ。その為には、設計することそのものの価値をあげていく必要があるかなと。その分、地域課題の解決にあてたいと考えています。

SAJIHAUSとは別で、NPO法人佐治倶楽部というまちの空き家活用サークルを運営していますが、そちらでは不動産もやりたいなと準備しているところです。不動産と設計ができるようになれば、仕事を待たずに、自分たちでつくっていけるようになるので、そこまでいきたいなと。

設計業にこだわらずに、型にはまらないのがいいと思っています。

起業を考えている人へのアドバイスをお願いします

設計やデザインといった仕事は、センスだけで突破していける部分もありますが、それが出来るのはやはりごく一部の人という印象です。センスは必要やけど、そこだけに頼るとしんどくなりがちかなと思いますね。

仕事というのは結局、人と人。その人とどうコミュニケーションとれるか。これは住んでいる地域に限った話ではなく、どこでも身一つで社会に出ていくには、それなりのコミュニケーション能力が必要だと感じています。

都会はかっこいいだけで仕事くるかもしれませんが、地方はそういう訳じゃない。丹波では人の繋がりがとても重要なので、開業される前も後も、人とのつながりを大事にされるのがいいと思います。

※この記事は2022年9月21日に取材した情報をもとに作成いたしました。

 

事業者名  SAJIHAUS
代表者名  出町慎
 669-3811
所在地  兵庫県丹波市青垣町佐治608 衣川會舘内
webサイト  https://sajihaus.com/