【起業インタビュー】puu da chakichi

三井風子さん~丹波の野菜を使った優しいカレー屋さん~

移住前はどんな暮らしをされてましたか?

丹波市に来るまでは、ずっと実家がある東京都中野区に住んでました。昔から料理を作るのが好きで、小さい頃は「将来の夢はパティシエ!」みたいな子でした(笑)
家でご飯を作るのが好きで、高校の時にカレーにはまって、食べ歩いて作るようになって、「カレー屋さんになりたいな」と思うようになって。

それと長野県で父の知り合いの農家さんが農家民宿をされていて、そこへ小さい時から毎年のように遊びに行ってたんですね。自分の中ではその影響がすごく大きくって。

それで農業に興味があったのと、後は漫画「もやしもん」の舞台だったというので東京農大へ行きました(笑)

東京は色々と集まり過ぎている場所で、好きだけど他のところも見てみたかったのと、いずれ飲食がやりたいと思ってるんだったら、食材について生産過程とかもっと知っておきたいなと思って。

それで飲食と農業両方に関われる選択肢を模索していました。

移住した経緯を教えてください

丹波市に農園を持っている飲食店が実家の割と近くにあってよく家族で行ってたんですが、丹波市に関しての事前情報はそれくらいでした。

就職活動をし始めた時に、就活サイトにそのお店をされてた会社が載っているのを見つけて、調べてみたら丹波市で求人募集されてたんです。それで連絡をとってみたら「一回丹波市へ来てみる?」という話になって。

一回行ってみて、「ここだったらなんとか住んでいけそうな気がする」と思って。それで採用してもらって、2022年3月に移住しました。

家はどう探したらいいか分からなかったんで、とりあえず不動産屋さんに行って。選択肢が少なかったんでそれが逆に決めやすくて即決でした。

三つの中からどれか、みたいな感じだったんで(笑)

以前住んでいた場所と、仕事や生活での違いは何かありますか?

飲食店とか移動手段の選択肢、遊ぶところはやっぱり少ないですね。

ただ、私は東京のいいところを活かしきれずに育ったから正直、生活に関してあまり大差を感じないですね。ネットで何でも買えちゃいますし。

当初に思ってたよりも普通に生活できてるなって感じです。

後は同じ歳の知り合いが周りにいないのがちょっと寂しいなっていう。こっち来てからはまだ2人だけですね。

なぜ飲食業を始めようと思ったんでしょう?

最初雇ってくれた先は、想定と現実が違うところもあって割とすぐに退社したんです。

今後の事が何も決まってない状況だったんですが、当初の勤め先で知り合った農家さんが市島地域の直売所“いちじま丹波太郎”の事務局の人を紹介してくれて。

そこで『一昨年の夏にカレーを作っていた方が今年できないから代わりに出してみませんか?』と声をかけていただいて。「ちょっとやってみよう!」と思い、2022年5月に開業しました。

はじめは場所をお借りしながら少しだけ出していましたが、自分1人でもお店として営業していけるようにと準備をし、2023年5月から本格的に“puu da chakichi”としてイベント出店を始めました。

「やるぞー!」っていうよりは、流れでやり始めた感じで。カレー屋で働く選択肢も考えましたが、無理やり探して働く先を見つけるよりは、農業は農家さんのお手伝いをしながら、飲食は自分でやってみた方がいいんじゃないかと思って、思い切ってみました。

丹波市で起業する際に懸念していたことはありますか?

今でもそうですが、お金と書類関係が苦手で。一人暮らしも初めてだったから、生活の方に精一杯になってしまって。

補助金関係も自分に何が当てはまって、何が使えるか知らず分からずで、一度誰かにちゃんと教えてもらいたいです(笑)

当初の資金繰りはどうされましたか?

自分一人でイベント等に出店できるよう露天商の免許とったり、その為に道具を一式そろえないといけなくて、それにお金かかりましたね。

自分で貯めてたのと、親もずっと貯めててくれたお金があって、余裕はないですけどそれでなんとかなりました。

起業をする上でなぜ丹波市を選んだんですか?

とりあえずはここに住んじゃったから、ですね。でも、農家さんのお手伝いをはじめてから、有機農業や無農薬で頑張ってる農家さんがいっぱいいることを知って、まずその野菜を使ったカレーが出せるようにと思って。

副菜にも出来るだけ丹波の野菜を使っています。

起業する際、具体的な手続きについては誰かに相談されましたか?

親が個人事業主なのもあって、確定申告とか必要なことは教えてもらいました。

あと丹波市で知り合った個人事業主の方にも色々相談して。

先輩方に聞きましたね。

屋号の由来は何でしょう?

まず「プー」と「チャキチ」っていうのが、お父さんしか呼んでない私の昔のあだ名だったんですね。

東京で昔バイトしてたカレー屋の常連さんが、身内だけのイベントで私がカレー作るってなった時に、『屋号考えようぜ!』みたいなノリでつけてくれたのが“fuu da chakichi”だったんです。

それが割と気に入ってたので、昔のあだ名でそろえようと思って、“puu da chakichi”。言葉自体に意味とかないんですよ。

よく『インドの言葉かと思った』とか言われるんですけど(笑)

開業されてからここまで、ビジネスの状況はいかがですか?

マイペースながら、無理のない範囲でちょっとずつ広がってる感はありますね。

私はあまり自分からガツガツいけるタイプじゃないんですけど、口コミでじわじわと。お客さん以外にも出店者の知り合いが増えていったり、出店できるところも増えてきましたし。

最近では三田市とか市外のイベントにも出店させていただくようにもなってきて。

初出店の際は仕込む量が結構難しかったりするんですが、余ってしまった時に知り合いの飲食店さんが『うちで出す?』と声をかけてくれて、その場に居合わせて購入してくださった方々のおかげで無事に売切れたり。

みんな温かくて、有難いです。

起業してよかったこと、逆によくなかったことはありますか?

よかったのは、苦手なこともとにかく自分でやるしかないので、成長せざるを得ない(笑)
今も税理士さんに記帳指導してもらったりしてますが、最初ここに来た時と比べると色んなものを吸収できてるんじゃないかと思います。

あと知り合いがすごい増えましたね。お客さんや出店者同士の繋がりとか、人から人へ、どこまでも繋がっていく感覚があります。

最初は一人も知り合いがいなかったけど、コミュニティに入れたような気持ちになるし、応援してくれる人とか毎回来てくれる人とかほんと有難いなと。

よくなかったのは、やっぱりお金の面は安定しないから不安が大きいのと、よくも悪くも一人だから、特に苦手な事務関係をしなきゃいけないのがストレスでそこが苦しいですね。

情緒不安定になる時があります(笑)

将来の展望はどのようにお考えですか?

何より、変化を許容したいと思っているんです。

元々カレーを作るのが好きで、最初は家族に作るのが目的でしたが、今カレーを作るのは手段で。今の私には人と繋がれる手段がカレーであって、今はカレーが好きで頑張り続けたいと思ってやってるけど、その手段は後に変わってもいいかなと。

ここまでも流れに身を任せてやってきてるので、これからも「なんとなくいい方向だな」と自分が感じられたら、それが「お店出すぞ!」とか「カレー屋で成功するぞ!」じゃなくても、「何かしらの方向に自分が進めてるな」って思えることを大切にしたいなと。

これからも色んなところで色んな人と知り合って、それで自分が感じたこととか人の考えをとりいれていった将来に「自分は何をやっているんかな?」って、それも楽しみにしたいんですよね。

起業を考えている人へのアドバイスをお願いします

私もアドバイスしてほしいくらいですけど(笑)

開業するにあたって、商工会とか個人事業主をすでにされている人からある程度話を事前に聞いた方がいいかなと。

気持ちの部分だけじゃなく、現実的なお金の面とか。揃える道具は特に。

私もネットで見て揃えたんですけど、テントの材質とか付随する重りとかで「あっちにしとけばよかった」みたいなことがあって。

大きいものだと後で替えづらいじゃないですか。なのでやろうとしていることのリアルな話には触れといた方がいいですね。

参考にするものは、いっぱいあった方がいいと思うので。

 

※この記事は2023年9月16日に取材した情報をもとに作成いたしました。

 

事業者名  puu da chakichi(プーダチャキチ)
代表者名  三井風子
instagram  https://www.instagram.com/_puudachakichi__/