【起業インタビュー】hanauta graphics

池上典衣さん~宮崎からUターン、大学講師の傍ら好きな絵を描く仕事で起業~

丹波市へUターンされるまでの経緯を教えてください

丹波市の実家で生まれ育ち、地元の柏原高校を卒業した後、絵を描くのが好きだったので京都の芸大に進学しました。大学院まで行ったので6年間ですね。イラストの仕事をしたくて、「そうなると東京かな?」と思って東京の印刷会社で働いてました。途中で転職したりもありましたが、そうしたうちに東北の震災があったんです。

直接地震の影響というわけではないんですけど、「もう東京はいいかな」と思い始めて。それでWWOOFの仕組みを使って2012年に宮崎に行ったんです。その時に色々知り合いもできて、宮崎で結婚して、最終的には離婚を機に生活を見直すことになって、2017年末に丹波市へUターンしてきました。

Uターン前の宮崎ではどんな暮らしをされてましたか?

海側と山側で全然違うんですけど、私は山側で霧島山の麓みたいなところでした。丹波市と同じ程度の田舎でしたね。当時は食やエネルギーとか全てを自活して、自営で食べていこうと考えてました。絵を描くことも仕事にしつつ。

自然の中の暮らしは好きでしたが、自分でお金を稼ぐことが苦手やなと気づいたんです。お金の計算も苦手だし、営業して仕事をとるとかも。生活の収入全てを苦手なことに頼るのは「自分の首を絞めるな」と感じたこともあって、丹波に戻る動機としては子育ての為に親のサポートを得ることもそうですが、生活場所を変えて、普通の仕事がしたくなったのもありましたね。

高校卒業から約15年ぶりに地元へ帰ってきた時、久しぶりの地元はどんな感じでしたか?

昔は地元に魅力を感じなくて好きじゃなかったんですよ(笑)
でも、宮崎から帰ろうかどうしようか迷ってる時に、子どもと年輪の里に行ったんですよね。その時に「めっちゃいい場所やん」と感じたのを覚えています。別に人に会ったわけでもなく、いい場所やなと。

その時は自然農をしたり、オーガニックに傾倒してた時期だったので、そういうことは実家ではできないのかなと感じていたところがあったんですけど、「どこでもやりたくなればできるのかもな」と思いましたね。

なぜイラスト業を始めようと思ったんでしょう?

高校の時はそんなに考えてなくて。ただ絵を描くのが好きで美大に行ったけど、その先のことは考えてなかったです。でも、色んな人に出会ったり、美術館やイベントとかで情報収集するうちに、「イラストレーターっていう仕事があるんやな」と知って。

絵を描くのが好きだけど、ただ趣味で描いてるだけではないところには行きたかったんです。それで行く道を考えると、イラスト業でした。

丹波市で起業する際に懸念していたことはありますか?

前提として、私のイラスト業はどちらかといえば副業なんですね。丹波市に帰ってきた時、普通の仕事に就きたかったので、まず宮崎で森の幼稚園に関わっていたこともあって保育士のアルバイトを始めたら、たまたま短大の先生が見に来られたことから短大で働くことになり、それで他の大学からもお声がけ頂くようになり、今は京都の嵯峨美術大学で美術の講師をしています。

今は生活の収入源としてはその大学講師で、イラストの仕事としては2009年頃から細々を続けてきて、以前までは開業届を出さずに申告だけしてきたんですが、2024年に開業届を出しました。

結果的に「開業しとこうか」といった流れで開業しましたので、懸念事項としては、自分でネットで調べて出した開業届や電子申告が、ちゃんと出来てるのかが不安だった、という感じでした(笑)

開業資金も、機材はパソコンくらいですので、資金面はそんな心配なかったですね。

起業する際、具体的な手続きについては誰かに相談されましたか?

友人に軽く聞いたのと、自分でネットで調べました。経理業務どうしようかと悩んだ時も、YouTubeで「会計 freee」みたいな感じで調べて、なんとかやりました。友人はみんな自分とは違う会計ソフト使ってたんで少し不安だったぐらいですかね。

屋号の由来は何でしょう?

「はなうたボーイズ」という名前の、子どもの日記みたいなのを描いていた時があって、「鼻歌ってなんかいいな、入れたいなあ」って思ってたんです。丹波に帰ってきた時は、ちょっと1人立ちするみたいな気持ちもあったので、新しい生活が始まるにあたり、屋号につけることにしました。

開業されてからここまで、ビジネスの状況はいかがですか?

仕事のメインは大学で、イラスト業は空いた時間がある時にやっていますが、ペースはちょうどいい感じかなと。ずっと続けてさせてもらっている仕事は3つ程あって、毎年新しい仕事が数件きて、それを何か月かかけてやる。といった具合ですね。

イラストとデザイン両方やることが多いです。一般企業さんの仕事だけでなく、行政や観光協会、お寺のポスターなんかもさせていただきました。イラストの依頼以外にも、美術館で子ども向けワークショップをしたり、いろんな内容の依頼があります。

起業してよかったこと、逆によくなかったことはありますか?

宮崎の時は、全部自活しようとすると、安定した収入を得ることが本当に難しかったですね。薪でお風呂を炊いたり荒地を開墾したりという暮らしの面白さを収入に変えれないかと模索しましたが、そこまでやり切れず。ただ今の、生活基盤が他にあって、副業としての起業では自分の好きでやってることに価値が出るのがいいなと感じています。

自分の作品で個展を開いて、展示されている絵の雰囲気を気に入ってくださった方からの依頼で受けるようなお仕事では、自分の思うままに描かせていただくことが多いです。好きで描いてる絵が仕事として評価頂けているといった感覚ですので、そういったものはやはり嬉しいですね。

将来の展望はどのようにお考えですか?

自分のInstagramに投稿しているような、作品として描いてるテイストの仕事を増やしていきたいです。自分のペースで。絵のテイストって、ずっと変化し続けてきていますけど、描きたい絵を描けるのが一番の理想です。言ってしまえば私は、端的に「絵が描きたい」んですね。

もちろん、ご依頼いただく仕事内容は様々ですし、ご依頼いただいたものは大体お受けしますが、「仕事で描く絵」と、「描きたくて描く絵」が選べるのであれば、後者でありたいし、気に入ってくれた人と仕事ができるのがやはり嬉しいです。

そういった意味でも、今の生活の形は当面続けながら、描きたい絵を描くために、どうしていくべきか、どうあるべきかは、これからゆっくり考えながら暮らしていこうかなと思いますね。

起業を考えている人へのアドバイスをお願いします

東京から宮崎に行った時、それまで繋がりがあった人と沢山途切れてしまったんですが、ずっと連絡を取りあったり、会いにいったりしてたらまだ繋がっていただろうと思うことがあって、もったいなかったなと。

仕事を依頼する相手が選べるなら、知ってる人にするし、話しやすい人にお願いするしって思うと、もちろんやり切る技術は必要ですが、「人の名前をちゃんと覚える」「お世話になった人にお礼をする」とか、結局人との繋がりが大事やなと思います。私もそんなにできてないですけど(笑)

私は、流れに任せて、自分の生きていきやすさ、家族の生活のしやすさを追求したら、今のカタチになっただけと言えばそうだと思いますから、「無理なことはしない」のも、大事にされたらいいかなと思いますね。

※この記事は2025年2月26日に取材した情報をもとに作成いたしました。

 

事業者名  hanauta graphics
代表者名  池上典衣
Instagram  https://www.instagram.com/hanautagraphics/
Webサイト  https://norieikegami.myportfolio.com/