蘆田千晶さん~気づけば夢を叶えていた、フラワーアレンジメントでの起業~

丹波市へ引っ越してこられるまでの経緯を教えてください
私は石川県羽咋市の出身で、実家から海まで500mぐらいのところで育ちました。高校まで石川にいて、その後は岐阜県の木製家具をつくる専門学校に進学しました。就職は、皇室に献上するような木製玩具を作っている会社に就職して、兵庫県の加古川市で造形教室の先生として働いていました。
その後は今の夫と出会って、結婚を機に、夫の実家がある丹波市青垣町へ2009年に引っ越してきました。加古川もそうでしたが、当初は丹波市と言われてもどういうところかわからず、かなり不安でしたね。

なぜフラワーアレンジメントの仕事を始めようと思ったんでしょう?
下の子が生まれた頃に、自宅にすごく日当たりのいい場所があって、植物がよく育つから、「明るい趣味が欲しいな」と思ったんです。それで最初は多肉にはまって、その後知り合いから声をかけてもらい、フラワーアレンジメントの会社で7年程働くことになりました。でも、そこでは本社からデザインが全部おりてきて、決められたデザインのものを作るという感じだったんです。それで、「自分もデザインがしたい」と思ったのがきっかけでした。
最初は自宅の2.5畳のパントリーの中に材料を詰め込んで、出来るだけ家族に迷惑かからないようにしていたんですが、少しずつリビングに溢れ出し、ガレージにも広がっていって。どうすればいいかと悩んだ結果、自宅に長らく倉庫としておいてあったプレハブ小屋をHIORICOYAとして改修して、アトリエだけでなく、人を招いてワークショップやフォトスタジオにもあるような場所を作ったという感じですね。

丹波市で起業する際に懸念していたことはありますか?
そもそもやっていけるかどうかですね。閑散期が実にはっきりしているので、一年目はどうやっていくか悩みました。あと、起業の手続きが難しくないかどうかと、起業したら何かに所属する必要があって自由にできなくなるのかなとか、そういう印象がありました。
あと、基本的に注文をいただいてから製作するので、事業の性質的に失敗しないように思うかもしれませんが、意外とロスが出るんですね。素材を買って余ったり、湿気でダメになってしまったり。特にドライフラワーなどは変化してくるので、保管にはかなり気を使います。

当初の資金繰りはどうされましたか?
最初は自宅でやっていたので、大きな設備投資とかもなかったですし、借り入れもなくスタートできました。HIORICOYAも、元々は自宅の敷地内にあったものを改修工事はしましたが、自宅の敷地内なので、それほど多くはかからずに済みました。

起業する際、具体的な手続きについては誰かに相談されましたか?
最初、たんば“移充”テラスの菅沼さんに出会って、色々教えてもらいました。自分だけだと、やろうとしていることが起業なのかどうかも、はっきりわからなかったので、その後は丹波市商工会さんを紹介してもらって、一緒に連れていってもらったり。
今年の春に開業届を出しましたが、きっと相談してなかったら、ここまで進むことはなかったんじゃないかなと思いますね。

屋号の由来は何でしょう?
今住んでいる家は夫の実家で、築150年ほどの家らしく、9年程前にリフォームしたんですね。家の造りが面白くて、昔は蚕を育てていて、沢山の人が出入りするような家だったそうで、そのことをせめて気持ちだけでも、「名前に残して継ぎたいな」と思っていました。
漢字で書くと“日織子”で、「毎日織るように、丁寧に」という意味で“日織”として、昔は織物をする女性のことを“織子さん”と呼んでたそうなんですよ。“日織”と“織子”を足して、“日織子=HIORICO”に決めました。
最近つくったHIORICOYAの方は、そのままですね。HIORICOの、小屋です(笑)

開業されてからここまで、ビジネスの状況はいかがですか?
制作する素材は、ドライフラワーやプリザーブドフラワー、たまに生花と、様々な素材を組み合わせながら作っています。素材は買うこともありますが、近くの山に蔓なんかを拾いにいったりもします。
例えば結婚式の関係で依頼を受けたりと、依頼があって制作をするのが基本ですが、中にはサンプルとして作ってあったものをレンタルで借りていただくような場合もあります。あとは、市内の飲食店さんとかに商品の委託販売をお願いしていたり、ネットショップも一部行っています。店舗の空間デザインをさせていただく場面も出てきました。
HIORICOYAの方も、知り合いのカメラマンさんにスタジオとして使用してもらったり、撮影会のイベントもするんですが、かなりの予約をいただいている状況です。基本的にinstagramで情報発信をしていますが、初対面の方もメッセージをくださるので、沢山の方に見てもらえているのはありがたいです。

起業してよかったこと、逆によくなかったことはありますか?
よかったことは、自分に合った働き方ができることですね。以前に7年間勤めていた時はパートで、すごい責任を負っていたわけではないんですが、今は「必要なことはするけど、できないことはしない。でも、自分にしかできないことをしたい」という思いになってきて、気持ちが随分楽になりました。
よくなかったことは、私は性格上、特に初対面の人になんでも話すのが苦手で、なかなか相談できる相手が少ないことですね。率直に意見をくれる人はすごく助かります。あとは子育てとの両立ですね。土日に仕事すれば間口が広がるけど、子どもたちはテニスしてたりと頑張り時だったりするので、もちろん家族で分担しつつですが、今は子どもを優先しています。

将来の展望はどのようにお考えですか?
今は「事業を大きくしたい」という気持ちがあまりないんですね。少しずつ大きくなっていけばいいというか、むしろ「自分の好きなこと、自分の趣味を継続していきたい」と、そっちの方に思いがあります。
向上心はありますが、そもそもあまり自分に期待せず、他人にもあまり期待しないようにしている方が気が楽なんですね。必要なことはする、できないことは無理しない、自分にしかできないことがしたいし、それを「いいね」と言ってくれる人に、広まっていけばいいなと思っています。

起業を考えている人へのアドバイスをお願いします
華道の先生をしている母のことを思い出していたんですが、今思えば、直接教えてもらったことはないけど、幼少期の頃に見てた母の姿や作品の影響を受けてるなあと思います。以前、実家に帰った時に今やっていることを見せたら、「あら、なんかすごくいい」と褒めてもらって。「血は争えないね」と言ったら爆笑してましたね。
今回のインタビューを受けるにあたり、「昔はどうだったんだろう?」と、自分の想いを色々書き出してみたんですよ。過去に色んな夢を持っていましたが、「結構諦めてきたなあ」とも思ったんですね。「オモチャ作りたい」とか、「ジブリに入りたい」とか。でも、一番最初の夢は、幼稚園の時の「お花屋さんになりたい」だったことを思い出して。
夢とか希望とか、日頃から強く思ってるタイプでもないですが、今ここで、「4歳の頃の夢を叶えたなあ」と、自分のこれまでの歩みをすごく感じられて、嬉しかったです。私の場合は、根っからの人だったという感じですが、皆さんにもきっと、自分だけの、自分にしかできないことが、きっとあるんじゃないかなと思います。
※この記事は2025年9月22日に取材した情報をもとに作成いたしました。
事業者名 | HIORICO |
代表者名 | 蘆田千晶 |
住所 | 兵庫県丹波市青垣町 |
WEB | https://hiorico.base.shop/ |
https://www.instagram.com/hiorico_c/ |