シェアリングエコノミー時代の六次産業化。集落を巻き込む農家として、根ざした仕事をしていく。
横山湧亮さん
こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。新型コロナウイルス感染拡大防止に配慮し、検温とマスク着用にてインタビューを行っておりますが、写真撮影時のみマスクをはずして撮影させて頂いています。
山間部である丹波市の中でもさらに谷間の自然豊かな集落に、大学院を辞めて移り住んだ若者がいます。当時25歳、2016年にも取材をさせて頂いた横山湧亮さんは、「ふえのみち農園」という屋号を掲げて農家となり地域に溶け込み、農業メインで生計を立てています。5年の間で変わったこと、変わらなかったこと。Iターンと新規就農について。実践してきた横山さんだからこそ、という話を聞いてきました。
20代で移住し新規就農、当時思い描いていた農業より、シンプルになってきた。
25歳で移住し新規就農の道を選んだ横山さん。その後5年経ってしっかりと根付いた農業をされているので、当時から考えは変わっておられないのかと思ったが、当時思い描いた暮らしや農業のあり方とは随分変化があったそう。
最初はもっともっと科学的というか、ベースは有機ですが新しい技術や資材とかを使いつつやろうと思ってたんですけど、土地の力を活かして、その中で新しいことをエッセンスとして足していくというくらいの考え方が結局いいなあと。どんどん削ぎ落としていってます。
昔は色んな品種を作ろうと思ってたしやってたんですけど、全然変わってきましたね。どんどんシンプルになってきました。
ただ、自分なりに良い方法、新しい手法は積極的に取り入れています。ここは、むぎを生やして粉砕して鋤きこむことで堆肥代わりにしていっていたり。普通だったらバーク堆肥とか牛糞堆肥を使うのですが、今年から育てたものを土に戻していくことで循環させていこうという取り組みをしているところですね。
やっぱり試行錯誤して手をかけると、土は良くなりますね。5年目が終わろうとしているんですけど、今の有機農業の在り方だと、野菜はできるけど結局どれだけやっても土は疲弊していくという事が課題として頭にあったんです。本当だったら一年おきに休ませながらやるといいんですけど、野菜をどんどん育てて、採っていく。商売上どうしても生産しないといけないから、土が疲弊してしまって。僕もちょっと頭打ちしてしまった感じがあったんです。
技術とかの話じゃないところでもっといい野菜をつくろうと思った時に、土自体のエネルギーを考えないと今より上には行けないなと。もっともっと有機物を還元していくというのが一つの鍵になるんだろうと考えて。今年20件くらい農家さんの視察に行かせて貰って、自然栽培をやってる人で緑肥をどんどんまいたり、刈り草を入れ込んで土に還元していくことをやっていて、それを今年から取り入れていこうと思いました。
普通の野菜・品種で「こんなの食べたことない」と言ってもらいたい。
当初から志していた有機農業の道から、さらに考えて実践を重ねていく横山さん。 品種の選び方にも、考えが出てきたそうです。
品種として、最近はベタな野菜・旬な野菜を揃えていて。昔はハーブとか変わった品種もやってたんですけど、だんだん普通の野菜をいかにうまいと言わせるか。シンプルに人を感動させるような美味しい野菜を追求したいなって思うようになりました。マイナーな野菜だと、元々味を知らなくて美味しいかどうか基準を定めづらいじゃないですか。じゃがいもだったら「こんなじゃがいも食べたことない」って美味しいものなら基準があると思って。いかに普通の野菜・品種でこんなの食べたことないって言ってもらえるか、感動してもらえる野菜づくりをできるかチャレンジし始めました。まだ全然ですけどね。
有機農法を基本としていたり、少し珍しい品種を育てていた横山さん。地域の方との摩擦や、折り合いがつかない点はなかったのでしょうか?率直に質問してみました。
そうですね、ようやくという感じですが、もし最初からこういう栽培ばっかりやっていたらかなり言われたんだと思います。僕もそれは理解してたから、最初は村のやり方に合わせて。とにかく雑草を生やさない、草刈りもちゃんとして。
そうすると「こいつはちゃんと田んぼを管理してるな」って理解してもらえて、そこからですね。順番を間違うと、村の人からしたら「ヨソモノがよう分からん草を生やしてよう分からんことをしてる」みたいな感じになってしまう。
自治会の農作業とか役とかもちゃんとやってるから、今だと「横山がやってることなら何か理由があるんやろな」って思ってもらえるので、そういう意味ではようやく自分がしたかった農業の形になってきたかなって思います。
絶対それは最初っからはできないから、まだそんな偉そうなことは言えないですけど、できるようになってきたことは実際増えましたよね。
農村が農村である風景を残していきたい。
5年の歳月で農業に対する考え方が変わったこと、地域の方とのコミュニケーションが変化したことを聞いて、その中で変わらなかったことについても聞いてみました。
根本はそんなに変わってないですよ。結局はこの村が好きで、景色が好きで。「農村と密に繋がっている農業を通してこの村を守っていく」というのはおこがましいですけど、残していきたいので農業という手段が自分のできる一番ベストだなって思っていて。
自分の農業感というのは変わってきつつあるけど、農村が農村であるこの感じ、を残していきたいなって思っています。もう僕も住んで5年になりますけど、結局村の人たちもそんなに目新しいことを求めているわけではなくて、結局そのものをどれだけ残していけるか。好きで移住してきたからこそ、今のこのまま、そのままが10年後20年後すごい価値になるなって思っています。
イベントをやったり、都会のエッセンスを入れて、みたいなことも考えてたけどそういうのは無くなって、そのままの村の風景を残していきたいって思うようになったんです。今はそんなに変わったことは何もしてないし、する気もない。農業を一生懸命やっていきます。
よりシンプルに「農家」としての仕事に打ち込み始めた横山さん。けれど、積極的に新しい情報も取り入れていく心持ちは変わりません。
「六次産業化していく必要がある」という意見もありますが、一次産業・農業ってまだまだパワーがあるなって思っていて。僕はこういう景観も含めて価値がある村は、全然一次産業だけでも勝負できるって思っているんです。次のチャレンジとしては、ベタな農業として、村として潤っていくっていうモデルがつくりたいと思っています。それは元々地域の人が望んできたことだとも思っていて。
例えば、僕が有機農業をしているのを見てくれていて、有機で作ったら高く売れるんちゃうか?と思ってくれたりして「ちょっと作るから売ってきてきてくれへんか?」っていう話なんかも出てき出したりしたんです。
それから、地域の方に「僕が思う作り方で作ってくださるんでしたら、全部買います」っていう話をしたりして。「(有機農業は)手間がかかるわりにもうからへん」というところが課題にあるので、やり方を簡素化して、手が足りなかったら僕らも手伝いますと。作って貰ったものは僕らが買って、きちんと売って、お金をお支払いする事でいい循環、今まで地元の人がやってきた景観を守ることにもっと価値付けをしていく事ができると思っています。
シェアリングエコノミー時代の、六次産業化。
「六次産業化」という言葉は一次産業(農業・林業・漁業など)二次産業(加工業など)三次産業(商業・サービス業・運送など)を掛け合わせて作られた造語で、生産者が販売までを行う事で利益率を改善したり、品質の良いものを品質の良い状態で届ける事ができるという考え方からくる手法です。横山さんと話をしていて思ったのは、一次産業を極める集落という集団をつくって、かつ他業種の方とこだわりや想いを生産から共有する事で、分業の中でも六次産業化という言葉に近い事業共同体が生まれているという感触でした。
地域での一次産業連携の他にも、横山さんは京都のあられ屋さんと一緒に種まきから育て、収穫をして、あられを作る都市部の事業者と協力した六次産業化プロジェクトも始めています。
これは、満月もちというもち米なんですが全部手植えで、毎年イベントとしてやっています。加工については自分たちではしない、餅は餅屋っていう話なんですが、加工やプロダクトを作ることは、プロに任せてしまうんです。
ベタな一次産業で、ベタな循環をさせていきたいと思っていて。六次産業化の難しいところって、村の人が(言葉や意味に)付いてこれないところかなと。うちのような小さな14世帯しかない集落で(この手法で風景を守っていくことを)やろうと思ったら、みんながやる気になって、みんなで守っていこうと思わないと守れないと思うんです。
結局そうしようと思ったら、僕自身の(村からの)信頼が無いと始まらないので、最初の5年は信頼と実績づくり。「あいつ農業やってそれなりにちゃんと食えてるらしいぞ」というのと「横山がやってるんやったら大丈夫か」っていう信頼を得るというのを目的にして5年間やってきた。そのあとに、いかに村を巻き込んでいけるかが次のテーマで、今後は新規就農をしたい人たちの受け皿になったりもしていきたいですね。
横山さんのスタイルは独特で、都市部の企業や人材だけでなく集落の人たちも巻き込んだ六次産業化になっている姿が印象的でした。一社で独占しないという様な発想に価値を感じる人たちが増えている時代背景があって、横山さんらしい仕事の仕方だと感じます。あられ屋さんとしても農家さんと製造の下請け交渉をして、まとめて買取してもち米を作ってもらった方が原価を安く抑えられるというのが一般的なビジネスの考えだと思いますが、そうすると生産者さんの想いが無くなっていくから、コラボをして、少量でもお互いに利益が残る協業の関係を継続していく。考え方はフェアトレード、シェアリングエコノミー、などと呼ばれるものですが、集落を巻き込んで新しい形を模索する横山さんのあり方に、新しい時代と生産のあり方を感じさせられる。そんなインタビューでした。
5年経った横山さんらしい、地に足がついて情報がとても濃いインタビューをさせて頂きました。夢を持って丹波市に移住した青年は、シンプルに余計なものが削ぎ落とされても前向きで純粋な想いを持って、しっかりと土地に根ざした職人になっていたのです。移住する前に想像する色々なことが変わる前提で、自分の仕事に素直に打ち込んでみることも大事なことなんだなと感心させられました。