移住者インタビュー

Vol.49 / 2018.11.30

会社の後継者を辞め、丹波に移住。自分らしく生きるとは

和田哲平さん

2017年・2018年に引き続き、丹波市が実施している「お試しテレワーク」企画で来丹された、東京在住のライターFujico氏。普段、東京に住んでいる方にとって、丹波市の人たちの暮らしはどんな風に映るのか。
この記事は、彼女が丹波市での滞在期間中に出会い、交流された方へのインタビューをまとめたものです。
丹波市に興味がある方はもちろんのこと、丹波市に住む方々も楽しみに見ていただければと思います。

「自分らしく生きる」とはなんだろう。

 

 

Turn Waveの取材で昨年も訪れた丹波市。移住者6名(井口元さん中川ミミさん戸田晴菜さん慎淑恵さん田代春佳さん関美絵子さん)の取材を行い感じたことは、「丹波市にはなぜか、自分らしく生きている人が多い」ということ。等身大で、無理なく、さらに希望を持って暮らす。こんな羨ましがられるような生き方を、取材したほとんどの人が行っていたのだ。

 

 

今回取材をさせて頂いた和田哲平さんも自分らしく生活を送る人の一人。家族が経営している会社を継ぐ予定だったが、そこで働いていることに疑問を持ち退職、そして丹波市に移住を決意。今は丹波市にてセルフビルドしたアトリエで過ごしたり、今までの経験を活かして子どもの教育に力を入れている。なぜ和田さんがたどり着いた場所が、丹波市だったのか。そして自由になった暮らしの実態はどうなのか、尋ねてみた。

 

 

 

 

 

会社を継ぐことに違和感を持ちつつ、5年間務めた。

 

 

 

デザイン系の学校に行ったりDJをやったりさまざまなことを行い、その後は、親族が経営していた製造業の会社に入社しました。5年は働き続けましたが、ポジションが上がるにつれ、そこにいる違和感を感じ始めました。

 

 

親戚が営む会社に入社はしたものの、自分が本当にやりたいことなのかと、ずっと疑問があったと言う和田さん。会社は後継者としてのステップアップを考えていたが、自分の気持ちとのギャップに悩み続けていたという。

 

 

その時は自分らしさがなかった気がします。好かれようとばかりしていたし、心から楽しんでいなかったかも。自分が自分らしく生きていく、という選択肢を選びたくて、仕事を思い切って辞めました。

 

 

 

 

大役を担っていた和田さんだが、それを切り捨て、自分の道を歩むのはどれだけ大変だったことだろう。このとても辛い時期に後押しをしてくれたのは、友人の一言だったという。

 

 

“こっち(丹波)にこないか?”

 

 

和田さんは、

丹波にいる友達が居候していたシェアハウスの修繕作業の度々行っており、丹波市には少なからず馴染みがあった。そこで暮らす友人から、丹波市で暮らさないかという誘いがあったのだ。

 

彼が住んでいる地域は、古い軒並みを揃える美しい場所。彼は、そこから少し細道に入ったところにある蔵屋敷に住んでいました。そこを改装しながら一緒に住まないか、と声をかけてくれた。

 

こうして和田さんは仕事を辞めた2ヶ月後に、思い切って丹波市に移住。丹波市での新生活が始まった。

 

 

 

アトリエをセルフビルドするという選択

 

 

 

シェアハウスでは1年間ほど暮らしました。その間に丹波市の人と仲良くなったり、友人の家を一緒に改装したり。とても良い時間だったのですが、やはり自分の居場所が欲しくなったんです。

 

 

とても良い環境だったといえど、やはり何かをするには色々と気を使う。音楽をしたり絵を描いたりする和田さんには、自分の空間が必要だった。そして始めた居場所探し。様々な物件を見に行ったが、なかなか良いご縁がなかったという。

 

 

何件も物件を見にいきましたが、なかなか巡り会えず滅入っていた時に、

シェアハウスの隣にある土地を買わないか、という話がきたんです。そこは家も何もないだだっ広い土地。よし、自分で建物を造るか。と決心しました。

 

 

 

 

1年間、大工の友人に教わりながら家を改装していたこともあり、セルフビルドに抵抗がなかったという和田さん。自然と、自分で作ろうと考えたそうだ。真っさらな状態から土台を作り、さまざまな人の協力を得て今や完成目前だ。自分で作ったとは思えない完成度の高いアトリエ。木の温もりを感じるおしゃれな、誰もが羨む空間となった。この空間を2年でコツコツと作り上げたという。

 

 

外では畑もやってます。丹波の名産・黒豆や、自分が食べるのに困らない分の農作物を育てています。

 

 

 

広い土地を活かし、アトリエを作るのみでなく畑も始めた和田さん。丹波市でのナチュラルな生活はストレスがなく、充実していると笑顔で答えてくれた。

 

 

 

今までの経験をもとに、子どもたちの想像力を引き出す

 

 

 

土地を購入してから、午前中にセルフビルドでアトリエを作り、午後からはアフタースクール(小学校の放課後の学童保育)で働いていた和田さん。今まで子どもたちと関わる仕事をしていたことはなく、丹波市に来て始めたそう。

 

 

子どもたちの想像力はすごい。僕は絵が得意なので絵を教えているのですが、大人では想像もつかないものを描くんです。

 

 

子どもたちにテーマに沿って絵を描いてもらう。例えばテーマがバケモノだったときは、それぞれが怖い!バケモノ!と思うものを作り上げるのだが、その発想力に目から鱗だったそうだ。

 

 

こんなバケモノいるんだ!とこっちが驚きました。(笑)

 

 

テーマに沿って子どもたちが描いた絵を、図鑑にして、それぞれに渡すイベントも行っている和田さん。子どもたちが描いたバケモノの絵もバケモノ図鑑にし、子どもたちにプレゼントした。

 

 

 

 

子どもって図鑑が好きなんですよね。しかも自分が描いた絵が図鑑になるので、子どもだけではなく、親御さんにも喜んでもらえました。

 

 

ただお絵かきをするよりも、図鑑として手元に残ることにより、特別な思い出となったに違いない。

 

また、和田さんは子どもたちのコミュニケーション能力を高める一つとして、似顔絵を描き合うことをやっているという。

 

 

以前、苦手な子どもがいたんです。なかなかコミュニケーションがうまく取れなかったのですが、似顔絵を描き合ったことをきっかけに、前よりもその子を好きになった。これは使える!と思いました。

 

 

誰かの似顔絵を描くときは、じっくりと相手を観察する。どんな表情をするのか、どんな所にホクロがあるかなど、すみずみまで相手を見る。そうすると、今まであまり仲が良くなかった相手でも、どんどん良いところを発見し、コミュニケーションが発生するという。

 

 

今はアフタースクールを退職し、次のステップの準備をしています。音楽やアート、そして仕事を通して培ってきた自分の経験を活かし、彼らの可能性をより広げたい。あとは、より社会と子どもの接点を増やしたいですね。

 

 

子どもたちの才能を延ばすだけではなく、社会でもそのまま使える経験を増やしてあげる。例えば子どもが描いた絵をシール化し、チョコレートのおまけにして販売する。そうすることにより、物がどう売られているかなど、社会の仕組みを実感できるのだ。さらに商品を作ったりそれを売ることにより、社会人と関わることができる。通常の教育とは違う広い視点で、子どもたちにどんどんチャレンジして欲しいと和田さんは語った。

 

 

 

 

丹波市に来たことが人生の転機

 

 

 

今までは、そこまで強い思いを持ってはいなかったし、何より自分の気持ちに反してすることもあった。けど丹波に来て、ガラッと変わったと思います。丹波に来て良かったです。

 

 

手先はもともと器用だったが、建物を作った経験はなく、子どもと触れ合う仕事もしたことがなかった。しかし丹波市に移住したことによって、今まで気づかなかった自分の可能性や能力も発揮でき、何より自分のリズムで、自分らしく生きることができる。

 

 

給料は減っちゃったけど(笑)幸福度は上がりました。

 

 

もちろん会社勤めは一定の給料をもらうことができ、”生活の安定”を得られるかもしれない。しかし、暮らしの質をあげることや、何より自分に嘘のない人生を送ることにより、”心の安定”を得たという。

 

丹波市に来る前はなんとなく生きていた。とコメントした和田さんは、今や希望に満ち溢れていた。自分らしく生きるということを選択し、ここに移住した結果、かけがえのないものを手に入れていた。今後も、和田さんらしく、和田さんのペースで、丹波市での生活を豊かにしていくのだろうと感じた。

 

 

Fujico氏が今年もインタビューに来てくれると聞いて、まず「この人」と浮かんだのが和田さんでした。丹波市で暮らす目線から見ても、とてもユニークな暮らしをしている和田さん。そして和田さんの気取らなさ、飾らなさには、本当の意味で田舎暮らしを楽しんでいる人の要素を感じていたから。東京に住むFujicoさんが目から鱗、というリアクションをしている時、同行した編集部も「そんなことまでしていたのか」と驚きの連続でした。何かできない理由を探したり、難しいと思って躊躇するのではなく、和田さんのように自然に行動に移せる人は、田舎暮らしに向いているかもしれません。いや、もしかすると、丹波市に来るとそういう人になっていくのかもしれませんね。