移住者インタビュー

Vol.97 / 2023.09.17

結婚を機に丹波市へ嫁ターン。英語を話せる環境が欲しくて始めた英語カフェ

小山 知沙子さん

こちらの記事は自身も移住者である丹波市移住定住相談窓口メンバーが行なった先輩移住者のインタビューです。令和5年度からは、インタビューさせていただいた方の人柄を知っていただくため、受け答えをなるべく自然のまま掲載しています。

丹波市出身のご主人と結婚され、生まれ育った加古川市から丹波市へ移住(嫁ターン)してこられた小山知沙子さん。子育てをしながら自身も仕事をしつつ、英語カフェのコミュニティづくりも行っておられます。丹波市はご主人の実家とは言え、知り合いも少ない中から始まった生活。どのような経緯があり、今に至ったのか。その背景を伺いにインタビューしてきました。

丹波市出身のご主人と結婚、丹波市へ嫁ターン

 

丹波市に来られるまでの経緯を教えてください。

 

加古川市の生まれで、高校までは実家から通ってました。その後東京の早稲田大学に行って、新卒で就職したのが姫路の旅行会社だったので実家へ帰ってきました。

その会社には3年半ほどいて、退職した後に1年間英語の勉強がしたくてアイルランドに行きました。

アイルランドから帰ってきたあと、インターナショナルスクールの事務員として働きつつ、親の勧めで入ったローターアクトで今の主人と出会って、結婚して丹波市にきた、というのがおおまかな流れですね。

主人は丹波市生まれ丹波市育ちで、大学で一度神戸へ出て、それ以外はずっと丹波市ですね。今は市島地域の工場に勤務しています。

 

社会人になってから英語の勉強しに海外へ行くってすごいですね!

 

学生の時も留学したかったんですけど、結局せずで。なので社会人になってからいきました(笑)

会社を辞めて行ったのは、法人営業をしていて添乗とかで海外もいけたから楽しかったんですけど、休みがほとんどなかったので、ずっと続けるのは難しいなと。

 

それだけ英語が勉強したかったんですね。身につけたい理由とかあったんですか?

 

ただ英語が好きでしたね。昔から海外の文化とか、人に会うのが好きやったんで。そもそも旅行が好きですし。

海外旅行にいったらどうしても言葉の壁ってあるじゃないですか。なので、もうちょっと磨きたいなと思っていました。

 

ローターアクトに入られる方って珍しい気がします。

 

私は父親がロータリークラブに入っていて、それで『こんなんあるで』と教えてもらったんです。それで興味あって見学にいったのが最初です。

ロータリークラブは自営業者とか経営者の集まりで、ローターアクトは若者バージョンみたいな感じなので、普通に会社員の人とか学生とかもいます。

主人は会社から派遣っていう形で参加してましたね。

 

ご結婚されたのはいつですか?

 

結婚は2019年5月ですね。そのタイミングで主人の実家がある丹波市にアパートを借りて引っ越しました。

 

コロナ前ということは普通に結婚式ができた時期ですね。ちなみに式はどちらでされたんですか?

 

結婚前は私が丹波市のことを全然知らなかったのと、加古川市出身だったこともあって参加してくれる人の集まりやすさを考えて神戸で挙げました。

共通の知人がされている式場だったこともあって、都合を聞いてもらいやすいかなと。

色々知った今となっては、丹波市でもよかったなって思いますけどね。当時の都合ですね。

 

アパート住まいということですが、ご主人の家族と一緒に住むとか選択肢なかったんですか?

 

最初主人のご両親からその話を頂いたんですが、主人に間に入ってもらって直接話す機会を作って、『別で家を建てたいんです』と直談判しまして(笑)

それで今、アパートに住みながら別で家を建ててるところです。

 

そうなんですね(笑)話がまとまってよかったです。

 

まとまった後はいっぱい協力してくださって。農地転用とかも全部やってくださったのでスムーズにいきました。

ご両親の家まで歩いていける距離感で、ちょうどいいかなと。

 

ちなみに、別で家を建てたかった理由は何だったんですか?

 

ずっと家を建てたかった訳ではなくて、変遷があるんですね。

結婚前は自分たちの時間が欲しいと思ってて同居は嫌だったんですよ。でも子どもが生まれて、家族と一緒に住むようになって、経済的なこととか、子どもの世話とか、そういう現実を考えると「同居もありだな」って思うようになってきて。

その後、「家建てたらどうなんかなあ」とか色々考えだしたら、やっぱり自分の家が欲しくなってきて。

それは私の実家が理想になってまして、私の実家は隣が祖父母の家だったんです。

同じ敷地内に祖父母の家と実家があって、庭で繋がってたので、母親は自分の生活ができるけど、私たち孫はずっと行ったり来たりだったんです。ゲームする時とか漫画読むとか遊ぶ時は祖父母の家で、勉強は実家でとかそういう感じの生活で。

母親が外出する時は祖父母に『じゃあ孫たちをよろしく』って出ていくような、その距離感で私が育ったからだと思うんですけど、それが一番の理想だってことを話してました。

 

なるほど。いいですね、もちつもたれつな感じで。

 

やっぱり気を抜く時間も欲しいですもんね。

今だって私が転職して在宅勤務してるんですが、遅番の時は終わるのが19:30とかなんですね。なので大体毎日こども園への迎えは主人に行ってもらってるんですけど、遅番の時は祖父母の家でご飯食べてもらって、それで帰ってきてお風呂入って寝るみたいな感じで。

やっぱり色々助けてもらってますね、結局。有難いです。

 

ご主人の親御さんも毎日孫が一緒にいたら体力もきついでしょうし、うまく協力しあえたらいいですよね。

 

物理的にある程度離れてるのがやっぱりいいのかなと。祖父母もよく『腰が痛い』とか言ってますから(笑)

 

“住めば都”~暮らし始めてわかる地域の良さ~

 

今お子さんはお一人ですか?

 

そうですね、2歳の女の子がいます。

 

子育て中は在宅っていいですね。

 

そうですね、やっぱり色々と融通が利くので。

 

丹波市に来た当初は、家族以外の知り合いはいなかったんですか?

 

ローターアクトの知り合いが数人いるくらいでしたね。少なかったです。

それもあって結婚前は丹波市へ行くの反対してたんですよ。『三田市とかもうちょっと間とろうよ』とか(笑)

でも、やっぱり子どもがいると『どちらかの両親が近くにいる方がいいよな』って話になって。

今となっては丹波市でよかったと思いますね。“住めば都”で、来てみて良さがわかりましたし。

 

ご主人の実家付近とはいえ、Iターンママさんはその辺り大変そうですね。

 

丹波市を選んで移住してきた人って、ここを選んだ目的とか、元々の繋がりとかがあるじゃないですか。

でも嫁いできた人って、結果的にここへたどり着いてるっていう人が多いと思うんですよ。そういう人が気軽に繋がれる場所があったらいいのになって思ったりはしました。

もともと私は友達つくるのが得意ではないんですが、丹波市は都市部と比べて人と繋がりやすい印象はありますね。人口が少ないからか、その敷居が低いように感じてます。

だからこっちにきて孤独で困ったことがあるとかは、あんまりなかったですね。

 

なるほど。では困ったことはあまりなかったんですか?

 

強いて言えば仕事探しですかね。以前から私はindeedしか使ったことがないんですが、当時検索したら2件しかなくて。『丹波全然仕事ないやん』って思いました(笑)

私みたいに地元の人じゃなければ、知り合いもいないとインターネットしか情報源がないんですが、そのネット上に情報がないと、もうないに等しいですよね。それが大変でした。

「ハローワークやったらもっと求人あったんじゃないか」と今なら思うんですけど、その時はそんな知恵がなかったですね。当時の私には、indeedの方が敷居が低かったです。

 

丹波市での子育てはどうですか?

 

子育ては、都市部で子育てしたことないから比較できないですけど、個人的には楽ですね。車で移動できるし、運転は嫌いじゃないので。

子どもをどこに連れて行っても「かわいいわね~」「何歳なの~?」と皆さんとってもウェルカムな感じなんで、それは気楽ですねやっぱり。

たまに加古川市の実家へ帰りますけど、あちこち子どもを連れていった時に誰からも声かけられないですし。

今となっては声をかけられることに慣れてるなって気づいたりしますね。

 

なるほど。ちなみに子育て学習センターとかは行かれなかったんですか?

 

子育て学習センターは興味あって行ったんですけど、私は誰かに積極的に話しかけるってタイプでもないですし、子育て学習センターで個人的に繋がったのって一組ですかね、今のところ。

友達はやっぱり作りたかったので、話しかけるのが苦手な私でも「場を主催してたら友達も増えるんじゃないか」っていうのもあって始めたのが英語カフェでした。

 

『面白そうやん』家族と周囲の後押しを得て始まった英語カフェ

 

英語カフェはいつからされてるんですか?

 

2022年5月頃ですね。子どもが1歳になる前でした。

カフェの内容は、「コーヒーとか飲みながら英語で話しましょう」って感じで、テーマを簡単に決めて小グループにわかれてもらい、自由に英語で話してもらうといった場です。

会場は水分かれ公園で定期的に行っています。

 

お仕事としてではなく、サークル活動といった形ですか?

 

そうですね。仕事ではないです。

丹波市に来てから最初は市内の会社でコールセンター業務に従事してたんですけど、やっぱり英語を話せる環境がよくて転職して、今はまた旅行会社で働いています。

なので、仕事とは別でやってます。

 

各回とも、何人くらい集まるんですか?

 

少ない時は5名程、多いときに15名程って感じですね。今は月一のペースでやってます。参加費は飲み物代くらいですね。

 

英語カフェという発想は、いつからお考えだったんですか?

 

元々、一番の理由は日本にいると英語を話す機会がなかなかなくて、どんどん忘れていくのが嫌で。子どもが生まれる前から話す機会は欲しかったんです。

都市部だと色んなところでそういう集まりとかサークルが週一程度であるんですけど、こっちで探しててもなくて。

アイルランドにいたときに、“Japanese Meetup”っていうのがあって、日本の文化に興味があるとか、勉強したい人が週一で集まってたんですけど、そこで結構海外の知り合いができて。

そういう場所が欲しかったのと、ちょうど育休中だったこともあって、はじめてみたっていうのがきっかけですね。

 

おお、思い切ったんですね。

 

子どもが大きくなってからやと思ってたんですけどね。

当初、知り合いではなかった129bakeryの持留さんがSNSでオーストラリアへ行ってたのを知って、「日本にいると英語忘れていく」みたいな投稿されてたので、思い切って『こういうのやってみたいんです!』っていきなりDMしたんですよ(笑)

返信頂いたんですけど、『仕事でどうしても忙しい』ってことで、3roasteryのマイクさんを紹介してくれて。それでマイクさんに相談したら、『うちの場所貸すよ』って言ってくれて。

 

なんかすごい繋がってきましたね(笑)

 

それでまずはマイクさんのところで始めてみて。その後水分れ茶屋をされてる清水さんが『水分かれ公園でもできるよ』とか、ママ友が『高源寺でもどう?』とか、沢山声をかけてくれて色んな場所でさせてもらって。

それであちこちやってみて、駐車場の問題とか雪の時期どうするとか、色んな課題や、やりやすい形が見えてきて、今は水分かれ公園が主な開催場所に落ち着いたって感じですね。

 

なるほど。英語カフェやるって決めた時、ご家族はどんな反応やったんですか?

 

主人は『面白そうやん』みたいな感じでのってくれて、結構手伝ってもらってますね。主人は英語が話せないんですけど、やってる時に子どもを抱っこしといてくれたり、椅子運ぶの手伝ってもらったりとか、協力してくれてるので有難いです。

 

これからのこと

 

英語カフェの今後こうしていきたいといった展望はありますか?

 

本当は夜にもやりたいんですね。理想はやっぱり、アイルランドの“Japanese Meetup”で。

現地では夜にアイリッシュパブとかでやってたんですけど、仕事帰りそういうところにパッと寄れたのが楽しかったんですよね。すごく活気があって、色んな方に会えて。たまたま旅行中の人もふらっと参加できたりするフランクさで。

参加者の方も今後続けていければになりますし、今はまだ子どもが小さいので難しいんですけど、夜に開いてるお店とかで、何時から何時まで出入り自由とか、ゆるっとやれれば面白いのかなと思ったりしてます。

人数とか場所代とか、仕事としてやっていないのでここまで全体的にマイナスな気はするので、収支は今後の課題ですね(笑)

 

今働かれている旅行会社での仕事は当面続けていく予定ですか?

 

当面はその予定です。日常的に業務で英語を話す必要がある環境ですし、結局そればっかりなんですけど(笑)

夢とかはっきりいえないレベルではあるんですが、子どもが独立したあとに、ゲストハウスとか、海外の人とか、色んな人にきてもらいやすい場所を創りたいなと思ったりしています。

自宅なのか、実家なのか。生計がたてれるのか。何も決めてないですけど、そのノウハウも得られるので、当面は今の仕事がしたいと考えています。

 

子どもにはどう育っていってほしいですか?

 

まず、色んなバックグラウンドの人に出会ってほしいですね。

地方で暮らしていると、都市部と比べて海外の人も少ないですし、その辺りがやっぱり単一的な傾向があるので。

世界の色んな人々や文化のことを、受け入れられるような人になってほしいなって思います。

 

子どもの手が離れてきたら、今後やりたいことはあるんですか?

 

う~ん、海外旅行?(笑)

子どもが生まれてからは全く行けてないので、やっぱり行きたいですね。

あと、可能ならば自分の習い事とかやってみたいですね。今興味があるのは、お茶とかお花、着物とか。今はセンスのかけらもなくて全然ですけど(笑)

将来使えそうなことを、身に着けていければいいですね。

 

ご本人は『人に話しかけるのが苦手』と謙遜されていますが、内に秘めた積極性を感じさせるエピソードが要所要所にあって、自分の理想を叶えるためには、やはりそう働きかけていくこと、自分を出していくこと、自分を伝えていくことが重要なんだなと感じました。時には勇気を出す必要がある場面も、周囲を頼り、助けてもらう必要が出てきて、助けてもらった経験は、後に自分が人から頼られた時に手を差し伸べようという動機になったり。持ちつ持たれつ、頼り頼られといった、地方ならではの生活の様子がとてもよくわかるインタビューでした。